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「課長って、美咲の事好きですよね」

「――」


聞かれたことに、眉を顰める。


美咲……久我のこと、好きかって……


「だからなんだ」

「でも、断られたんでしょ? しかも、それ受け入れたんでしょ」


こいつは、顛末を知ってる。

てことは、やっぱり相手はこいつか。


「そうだな。だからなんだ」


無表情をキープしたまま、腕組みしながら後ろの壁に背をつけた。

瑞貴は、にやにやと笑ったまま。


「そん位で諦められんなら、そこまで本気でもなかったってことですか?」

こいつは、俺を怒らせたいのか?

「本気だから、身を引いた」


本気だから、ねぇ?

そう呟く瑞貴は、完全、楽しんでいるように見える。


腹の底から怒りが込みあがってくるが、それを理性で押し止めながら口を開いた。

「身体を壊させるまで、追い詰めたくはない」

それが、本音。

「つーか追い詰めてもらえないですかね、美咲のこと」

「は?」


何を、言う?


「追い詰めるって……、お前、何言ってるんだ?」


久我を懸命に守ろうとしているこいつが、何を言い出す……?


瑞貴の表情は変わらない。

「いや、課長がやんないなら喜んで俺が追い詰めますけど」

「は?」


瑞貴が追い詰める?


気付かず、つい体勢が前のめりになる。

意味が分からん。

こいつは何を言っている?


「お前の傍にいることを、久我は決めたんじゃないのか?」

「あぁ、傍にはいますよ。これからもずっと」


どういうことだ?


俺の頭の中の言葉を感じ取ったのか、瑞貴は笑みを消して真面目な表情になった。


「課長に、伝えることがあります」

「伝えること?」

頬杖をついていた瑞貴はそれを正すと、まっすぐに俺を見る。

「美咲が、両親に対してなんであんなに反応するのか」

「――」

口を、噤む。

聞いていないことが、まだあるのか?

「俺も、あの夜にお袋から初めて聞きました。だからあの時言い出せなくて」



そう言いながら、一つ溜息をついて瑞貴は話し出した。


「前も言ったとおり、あいつの卒業と共に両親は離婚しました。その時美咲が両親に対して言った言葉を、うちのお袋が母親から聞いていたんです――」



美咲が受験で大変な時期に余計な負担を掛けたくなくて、離婚のことは言い出せずに両親は過ごしていて。


お互いに思う相手もいたけれど、決して一線を越えた付き合いをしていたわけじゃない。


ただ、心の拠り所にしていた。

一番大切なのは、美咲だったから。

両親もその間に関係を修復しようとしたみたいだけれど、やっぱりそれは無理だった。


美咲が卒業した時に伝えたのは、ずっと嘘をついている罪悪感に悩まされたから。

別れてもずっと美咲の親だから、と伝えた時。




「――ワタシハダマサレナイ」



その言葉を聞いた時、両親の心の中は想像に難くない。

真っ暗に、なっただろう――



贖罪の為の、温もりはいらない

そんな、キタナイモノ、いらない。

ただ二人が楽になりたいだけだよね?




そう言われて、どれだけ美咲の心を追い込んでしまったか、突きつけられた。

大切にしたいと思うばかりに、反対に傷つけてしまった。



美咲が親に望んだものは、唯一つ。



私と一切の縁を切ってください

それだけで、結構です



「きっと、今までの楽しい思い出も家族としてのふれあいも、全て嘘だったのかもしれないと……そう思ったら、何もかも信じられなくなっちまったんだと思う」


いつの間にか箸を手に取っていた瑞貴は、それをころころと手の中で弄びながら話を続ける。


「曖昧に家族を続けていくことが出来なくて。家族になれないなら、0を選んだ方がいいと思ったんでしょうよ」


0?


あるか、ないか、と言うことか?


しかし――

「縁まで、切ったのか」

離婚という、その名目の下に。

瑞貴は辛そうな色を目に浮かべて、手元の箸に視線を落とした。

「それだけ、美咲にとっては家族が大切だったんですよ。断ち切ってしまわなければ、自分を保っていけないほどに」



あぁ、だからか。


なんとなく、瑞貴のその言葉がすとんと心に入ってきた。


俺の上着の裾に手を伸ばそうとしていた久我が、最後までためらっていた理由。

0か、100か。あるか、ないか。


大切な物を作ることが、怖かったんだろう。

もし、両親のようにいなくなったら辛いから。

それを怖がるくらいなら、最初からない方がいいって。



そう伝えると、瑞貴は少し満足そうに頷いた。


「だから、美咲を追い詰めて欲しいんですよ」

また、そこか。

堂々巡りの言葉に、小さく息を吐く。

「別にお前がいるんだ、これ以上追い詰めなくてもいいだろう」

もう、大切な物があるのなら。


瑞貴は満足そうだった表情を、呆れたようなそれに変えた。

「何聞いてたんだろうね、このおっさん」


――あ?


「だから、言ってんだろ? 一番大切なものは、0か100かって」

「だから、お前がいるからそれでいいって事だろう?」


しつこいな、振られた方にまで気を回すな。


思わず不遜な視線を瑞貴に向けたが、一向に気にならないらしく目を眇めたまま見返される。

「あんたのどこが、営業トップだったんだ。俺が同期なら、絶対ぇその座はゆずらねぇ」

「そっくりそのまま、お前に返す」

ぎりぎりと睨み合っていたら、瑞貴が視線を反らして盛大に溜息をついた。


「あぁ、もう馬鹿くせぇ。何、勘違いしてんだろうね。このおっさん」

あのな、……とすでに敬語はどっかに投げしてて来たような口調の瑞貴を、睨み付ける。

「俺は、弟だよ。これから先も、ずっと」

「――弟?」

思っても見ない言葉に、眉を顰める。

「俺を振ったって事は、お前の方を取ったって事なんじゃないのか?」

根本的なところを、そういえば聞いていなかった。


瑞貴は頬杖をついて、ならよかったけどね……と視線を逸らした。


「だから弟だよ、美咲ねーちゃんの。俺は、幼馴染で同僚。血の繋がらない家族」


思考回路が停止中の俺の前で、自嘲気味の瑞貴。


「年末に、俺、美咲に振られてる」

「ね……んまつ?」

もう、一月近くも前の事じゃないか。

「俺に、……なんでそのことを言わなかった……?」

にやり、と口端が上がった。

「そのままくっつくのも癪だから、黙っとけって俺の入れ知恵」


――そんな入れ知恵、溝にでも捨てて来い


「しかもさ、あいつあの夜のこと、本当は覚えているみたい」

「は?」

さっきから、驚いてばっかりだ。


一番いいたい事を言い終えてほっとしたのか、箸で揚げ物をつつき始めた瑞貴はから揚げを口に放り込みながら、亨から聞いたんだけど……と話を続ける。


「美咲、親父さんに連絡したらしい。先週。それにあいつの言葉からも、覚えていないと答えられないような話が出るし。これ、確実」


瑞貴は箸をぴっと立てて断言すると、それを机に転がして後ろに両手をついた。



あの前の日までは、久我は俺の方を見てくれているんじゃないかと期待した場面もあった。

なのに、あの事があってから態度も変わって、挙句振られたんだ。

もし覚えているなら、あの夜の事がきっかけで、大切な物を作ることを止めようとか思ったって事か?



「さて、ここまで聞いた課長に質問です」


少し楽しそうなその表情に、後に続く言葉を待つ。


「課長は、まだ美咲を好きですか?」


黙ったまま、頷く。


「今日の美咲、おかしいと思いませんでしたか?」


同じく、頷く。


ずっと俺のことを避けていたのに、いきなり普通に話していた。

しかも、ここ最近ずっと見ることが出来なかった、楽しそうに仕事をする姿。

だからこそ、瑞貴と上手くいったのかと思っていた。


「あいつ、片付けに本腰入れ過ぎてると思いませんか?」


デスク周りが、綺麗になってきたと思っていた――


頷いた俺に、瑞貴はほっとした表情を浮かべた。


「で、あいつの選択肢は0か100かです。あいつ、何考えてるか……課長、分かります? 課長に対しての考えも含めて」


――頷く


俺を、0にしてしまおうと思ったんだろう。

100、手に入らないなら。


口元を右手で覆う。

底辺を漂っていた感情に、一気に火がつく。

やばい、こんな顔瑞貴に見せたくないが――


「――あいつの望みは……俺だろう?」

「振られ男の前で、よくもまぁ言いますね」


瑞貴の呆れた声にもつい笑みを返してしまいそうなほど、気持ちが高揚していく。


俺がいつかあいつを裏切るかもしれないと……両親のようにいなくなるかもしれないと思って、俺を諦めたって事か。



――上等だ


人の気持ち、疑ったな?




「はいはい、そんな嬉しそうな顔しない。では、最後の質問です。課長は、どうするべきだと思いますか?」


そりゃ……


口元を覆っていた手を下ろして、拳を握る。

そのまま瑞貴を見た。


「お前、俺の弟にもなるか?」


「は?」



目を真ん丸くして口を開いた瑞貴は、次の瞬間はじかれたように笑い出した。


「うっわ、すげぇ想定外! マジで? マジでか?!」

驚きで飛び上がりそうな瑞貴を見ながら、ゆっくりと頷く。


「最初から考えてたさ。初めからそんな事言ったら、引かれるかと思って止めといたが」

それくらい、あいつへの気持ちはでかいんだ。


来年中に結婚できるかもしれないといきなり言われて、つい焦って、思いっきり否定するくらい。

慌てて、告白してしまうくらい。

あいつは、分かりはしないだろうが。



「久我がそういうつもりで逃げようとしているなら、俺は許さん。捕まえてやる」


いなくなったら嫌とかそんな不確定要素を気にされて、逃げ出されてたまるか。


「体調のことを気遣って様子を見ようと思ったが、それは駄目だな。もう、遠慮はせん」

「今まで遠慮してたの? あれで。だいぶ甘ったるい雰囲気を垂れ流してましたけどねぇ」

そりゃ、好きな女が目の前にいれば……

瑞貴は嫌そうな表情で、片手を振る。

「いいから、のろけなくて。だいたいさっきの、こっちのセリフだよなぁ。なんで振られ男がここまでせにゃならんってーの。ホント甘いよなぁ、俺って」


「いいじゃないか、そんな瑞貴が久我はきっと好きだぞ。俺は、好きだな」

つい笑みを浮かべて瑞貴を見ると、珍しいものでも見たような変な表情を浮かべていた。

「なんか、攻めに入った課長って、初めて見るかも。いきなり元気になってんじゃねーよ。課長に好かれたって、嬉しくもなんともねーっての」


それは自分でも自覚しているから、言い返せない。


まぁ、だがしかし。

「もともと俺は、インファイターだ」

ボクサーの中でも、攻めタイプ。

「嘘だぁ。課長はアウトボクサーでしょ、どう見ても」

胡散臭そうな瑞貴の顔を、見返す。

「そーいえば見た目を裏切るインファイターって、言われたな。監督に」

大学の時。


「まぁ、社会にでれば我慢の連続だからな。その中で意識的にアウトボクサー寄りの性格にはなった気がするが」


握った拳を左の手のひらに打ち付ける。



「俺は充分待った。もう、猶予はやらん」





笑みを浮かべる俺を見て、瑞貴が「お手柔らかに」とか言ってたけれど、聞いた振りして流しておいた。






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