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エレベーターホールで斉藤さんたちと合流して、二階にあるラウンジに降りる。
昼の二時まで社員食堂になっているこの場所は、一時を過ぎた時間でもそこそこ混んでいた。
私も管理課時代はよく来てたなぁ。
企画課になってからは、いちいちここに来るのが面倒でやめていたけれど。
定食が二種類、他は麺物と丼物。これだけ。
選択肢が少なくて、ある意味すぐに決められていいのかもしれない。
「人、多いですねぇ」
麺物……今日はたらこパスタ……ののったトレイを、空いているテーブルにおいて席につく。
私の前に間宮さん、その隣が斉藤さん。
そして……
「課長って……、凄い食べますね……」
当たり前のように私の横に座る課長の持つトレイには、大盛りのA定食。
今日はとんかつらしいけれど、二人前……だよね? 最早、それは。
思わず見入っていると、食べ始めた課長がとんかつを一切れ箸でつまんで私のお皿に置いた。
「食べろ」
――は?
「え? いいですよ、そんな」
「いいから、食え」
「じゃぁ、私のも取ってください。貰うだけじゃぁ……」
そう言って自分のトレイを課長の方に少しずらすと、もう一切れとんかつをのせられた。
「いい、お前が全部食え」
意味の分からない行動に、眉を顰める。
「ちょっ……課長?」
「なんだ、まだ欲しいのか?」
「いや、むしろ一切れで精一杯だからっ」
そう噛み付いていたら、前からから揚げがお皿に置かれました。
動きを止めて、その箸が戻っていく先を見る。
「じゃあ、これも食べてみようか」
にこやかな間宮さん。
B定食は魚と付け合せがから揚げみたいです。
っじゃなくて!
「えっと、間宮さ……」
「よし、食ってみような。久我!」
今度は斉藤さんが、定食のデザートについていたゼリーを私のトレイに置いた。
「ちょっ……、あの?」
私の目の前には、さながらお子様ランチと化したたらこパスタが鎮座ましてます――
「……私はヒナですか」
「ははは、餌付けだ餌付け」
斉藤さんは楽しそうに笑いながら、とんかつを食べ始めた。
私はトレイを自分の前に戻すと、お礼を言ってフォークを手に取る。
……正直、完食できるか自信ないんですが。
俯いて食べ進めながらちらりと周りを見ると、なんとなく冷たい視線がちらほらと。
あぁ、だから社員食堂には来たくなかったのに。
周りからの視線の中、話している会話の内容はとりとめもない日常のこと。
企画課の皆は。
休み明けで出てきてから、私に甘い。
柿沼の時の、比じゃない。
気をつかってくれているのが、凄く分かる。
ふと、思う。
この状態に甘えていて、いいんだろうか……と。
自分が辛いからって、他の人にまで気をつかわせていいんだろうかって。
でも――
「どうした?」
黙り込んでいた私に、隣から声がかかる。
顔を上げると、そこには私を見ている優しい顔。
でも……
無くす勇気が出ない――
「なんでもないです。お腹一杯になっちゃったなぁって」
「まだ、ほとんど食べてないよ。久我さん」
間宮さんが少し困ったように、私のお皿を見る。
半分も手をつけられていない、ご飯。
「せめて、もう少し食べろよ。もたねぇぞ午後」
斉藤さんがすでに食べ終わったトレイを少し横にどかして、椅子の背に寄りかかった。
課長は黙ったまま後ろにあるお茶のサーバーから湯飲みにそれを注ぐと、私の前におく。
「少しずつでいいから、腹に入れろ」
最近あまりたべてないから、胃が小さくなっちゃってるんだよね……。
でも、心配させるのはいけないか。
「皆さん、私のダイエット邪魔する気ですね?」
そういいながら、フォークを持ち直す。
「必要ないよ、久我さんには。充分っていうか、もう少し太っていいと思う」
間宮さんの言葉に、口端をあげてにや笑い。
「女の子に、太って……は禁句ですよ」
そういいながら、パスタを口に運ぶ。
「いや、むしろ太れ」
食事をおえた課長が、お茶をすすりながらぽつりと呟いた。
「へ?」
なぜに、太らなきゃいけない。
「うわぁ、課長ってばむっつりスケベ」
「わっ」
突然私と課長の間に顔が出てきて、反射的に横に身体を反らした。
「……真崎、お前本当に悪戯好きだな。同い年と思いたくない」
呆れたような、斉藤さんの声。
真崎はにや~と甘ったるい笑みを浮かべると、周りに聞こえないような小さな声で課長に耳打ちする。
「ぎゅーってするとき、抱きごこちいいもんねぇ。僕は今の美咲ちゃんで、じゅーぶんだけど」
「真崎さ……っ」
思わず声を上げようとして、間宮さんに宥められる。
「ここ、社食だから」
口を噤みつつ、でも……と抗議しようとしたら。
「――だから、後でね?」
うっわ、今、確実に体感温度下がったよ。凄いよ、気候も変動させちゃうよ。
「真崎」
課長のひっくーい声が、甘ったる顔を呼ぶ。
「なぁに? 加倉井課長」
ふざけた様子で顔を傾げた真崎を、目を眇めて睨みつけた。
「夕飯、俺もつきやってやる」
「え、いらなーい。美咲ちゃんと二人だけで充分~」
その時、私の横にでかい影が映った。
「何言ってんすか、先輩。俺も行きますから、ご安心を」
聞きなれた声に顔を上げると、
「哲?」
外回りのはずな哲が、ぬぼっと立っていた。
「えー、なんで瑞貴までくるのさ。いいよいらないよ。大体、外回りじゃなかったの?」
「うるせぇ、今帰ってきたんすよ。帰ってきちゃ悪いか。」
うぁー、なんか話が思ってもみない方向に流れていってる気がしないでもないんですが。
そしてそれよりも……
哲が加わったことで、こっちを見る視線が倍増しています。
ワタクシ、怖くて視線を上げられません。
俯いて、ばくばくとご飯を胃におさめていく。
のみこんでしまえばいい。
とりあえず、この場では。
頭の上では、まだぎゃいぎゃいと甘ったるい笑顔ときっつい笑顔が言い争いをしてるみたいだけど、我関せず。
つーか、哲、怒ってないのかな?
いつも通りに見えるけれど、昨日のことを考えると……
内心溜息をつきながらパスタとおかずを口に詰め込むと、お茶で全て流し込んだ。
ぷはぁっ、と無意識に息を吐き出すと、誰かの視線を感じて顔を上げる。
「課長?」
目が合ったのは、横で私を見ていた課長で。
フォークを皿に置きながら、声を掛けてみる。
課長は目を細めて私を見つめると、微かに口元を緩めた。
「お前は、……本当にかわ――」
「――どちらも続きは」
冷たくよく通る声が、課長だけじゃなく頭の上で続いていた哲たちの言い争いをも止める。
ゆっくりと、顔を間宮さんに向けたら。
そこには微笑んだ顔に、めっさ冷たい怒りを隠している間宮さんのお姿。
「企画室に戻ってからにしてください」
ね? そう言うとトレイを持って立ち上がった。




