22
しばらく課長の寝顔を堪能してから、寝室を後にする。
顔、洗いたいんだけど……勝手に使ってもいいかな。
洗面所に入って、洗濯してあるタオルを勝手に引っぱりだす。
顔が凄くべたべたしてることで、思い出す。
私、どれくらいお風呂はいってないの?
って言うか、今日、何曜日?
タオルで顔を拭きながら、首を傾げる。
そういえば、課長、スーツ着てたよね。
「……ま、いっか」
起きたら聞いてみよう――
その途端――
「――本当に、心配した……」
言葉と共に、包まれる温もり。
いきなりのことに、身体が竦む。
いつの間にか、課長が真後ろに立っていた。
身体に回された腕は、しっかりと私を抱きしめていて。
――心が、震える……
涙が出そうになって、懸命にこらえる。
消そうとしていた気持ちが、膨れ上がるけれど。
ダメ、だよ。
巻き込んでしまっては、ダメ。
ゆるく、息を吐き出して回された腕に触れる。
少し、震えていることに気付いて顔を後ろに向けた。
「課長――?」
斜め上から、私を見下ろす課長の姿。
「声が聞けて、……またお前が俺を見てくれてよかった」
ほっ、と息を吐きながら私の肩に自分の顔を押し付ける。
普段見ない課長の頭のてっぺんを、少し硬めな髪の感触と共に見つめた。
忘れよう。
あの時あったこと、忘れた振りしよう。
これ以上、心配かけたくない……私は大丈夫――
「……記憶、ないんですけど。課長達が食事に行った後、私どーしたんですっけ? なんで、課長のアパートにいるんでしょう?」
課長は動きを止めて、信じられないような怪訝そうな声を出した。
「覚えて……ないのか?」
小さく首を傾げる。
「なんか熱だしたっぽいのは知ってますけど、何があったんです?」
少し口をつぐんだ課長は、息をついた。
「……いや、別に何もない。ただ、お前の具合が少し悪くなっただけだ」
声までも、微かに震えてる。
「……本当に、目を覚ましてよかった」
「もう大丈夫ですよ」
「お前の大丈夫は、心底疑わしい」
あはは、まぁ、そうかもしれないね。
私は左手で、右肩に乗ってる課長の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「今回は、本当に大丈夫です。お世話になりました。私、タクシーでも拾ってアパートに帰り……」
「お前、いい加減にしろ」
安堵した声からなぜか怒気を含んだそれに変わった課長の言葉に、思わず動きを止める。
怒ってるなー
いや、怒るか。
「体調は、大丈夫か?」
まだ身体がだるいけど。
「はい、もう平気みたいです。倦怠感はありますけど、我慢できないほどでもないですし」
「もう何日かここに泊まっていけ」
「え、嫌です。ゆっくりお風呂に入りたい」
課長んちで、そんなことは出来まい。
少し逡巡していた課長だったけど、諦めたように溜息をついた。
「もう少しで瑞貴が戻る。そうしたら、送ってもらえばいい」
軽く笑って、課長の腕に手をかけた。
「はいはい、じゃぁ哲が来たら帰りますから。離してくださいよ」
少し力を込めるけれど、それはちっともびくともしない。
「嫌だ」
キリッと、心の奥が悲鳴を上げる。
私はその感情を目を瞑って抑え込むと、ぽつりと呟いた。
「……課長、お腹すいた」
「色気のない」
「課長相手に、色気出してどーすんですかって」
あはは、と軽く笑って、緩んだ腕の中から外に出る。
課長は安堵したように笑うと、何か作ってやる、とキッチンに入った。
私は、荷物を取りに寝室に入る。
ドアを閉めると、ゆっくりと身体を両手で抱きしめながら座り込んだ。
私の身体を抱きしめる課長の腕の力、てのひら。
思い出すと、涙が出そうになるほど温かくて。
久しぶりに感じる幸せは、私の意思とは関係なくあふれてくる。
――でも……
目を瞑って、息をつく。
スイッチを入れるように、頭の中で硬質な音を鳴らす。
今までも、いろいろ消してきた。
今度も、出来るはず――
ごめんなさいって、言おう。
好きになれませんでしたって、言おう。
課長の辛そうな表情が、脳裏に浮かぶ。
「……言える……?」
思わず浮かぶ、自分への問い。
課長への想いを消すのは、少し遅かったかもしれない。
離れようと思った途端、確信する気持ち。
今までよりも、強く……強く。
――でも、もうきっと耐えられない。
もし、この人に裏切られるようなことがあったら。
もし、この人を自分に縛り付けてしまうようなことがあったら。
「宗吾……さん」
私は、耐えられない――
「……好き――でした」
もう、想いは口にしないから。
あなたを、心の支えにしてもいいですか?
あなたの幸せを、自分の幸せにしていいですか?
――こんな私には、……それだけで充分です




