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「課長、美咲……まだ目を覚ましません」
「……そうか」
何度、瑞貴と同じ会話をしただろう。
日曜の朝から熱を出した久我は、夜になっても目を覚まさなかった。
夕方、真崎から話を聞いて出張帰りの佐和が、会社から直接やってきた。
久我の顔を見るなり、横に座る。
「美咲、どこまで一人で我慢するの? ホント頑固なんだから」
その言葉に、思わず瑞貴と顔を見合わせて苦笑してしまった。
佐和は携帯でどこかに連絡すると、俺達を寝室から追い出して久我の世話を始めたらしい。
――正直助かった。
こういう時の真崎の存在は、本当にありがたい。
俺達二人とも、佐和に連絡することさえ少しも考え付かなかったのだから。
しばらくして佐和の知り合いという女性が、大きな鞄を抱えてやってきた。
佐和の昔から懇意にしている内科医だそうで、さっき携帯で連絡していたのはこの人だったらしい。
俺達は黙って見ているだけで、手を出すこともできなかった。
診療が終わり、その後も静かに動き回っていた佐和。
俺達が見ている前で佐和は適切な処置を全て終えて、ソファに腰を下ろした。
「もっと、早く呼んでください。できれば」
やることを全て終えた彼女の言葉は、本当に重かった。
「そう、だな。すまん」
医者に車に乗せていかなければと思っていた時点で、佐和の対応と全然違う。
「さすが、佐和先輩……」
瑞貴も、肩を落として頭を下げた。
佐和は淹れておいた珈琲を飲むと、小さく息をつく。
「美咲、ホントに頑ななんだから。目が覚めたら、一言、言わせて貰わないとね」
そうやって笑う佐和の表情は、言葉とは裏腹に少し寂しそうな笑顔だった。
佐和はそのまま泊まっていき、翌日月曜日、午前中は久我のそばにいてくれた。
午後からは会長のお供で神奈川に行かなければならないらしく、交代で俺が帰ってきた。
「佐和、遅くなって悪い」
リビングでソファに座っている佐和に声を掛けると、少し驚いたように顔を上げた。
「あら、加倉井課長が戻っていらっしゃったんですか?」
「ん? あぁ」
コートと上着を脱いで、ネクタイを抜き取る。
それをそのままソファの背もたれに放ると、朝に淹れたはずの珈琲を目当てにキッチンに入った。
「仕事は大丈夫なんです? 課長職、そんなに暇じゃないと思いますけれど」
佐和は立ち上がることもなく、そのままソファーに座っている。
こういった物怖じしない性格が、会長秘書なんていう職務にいられる所以なのかもしれない。
別に、嫌な感じも受けないし。
「午後の会議を午前中にずらした。もともと月曜は週で溜まった書類仕事をまとめてやってるから、どこで処理しても変わらん」
鞄の中には未決済書類がたんまりと入ってる。
ノートパソコンも。
社外に持ち出すときは総務の許可を取ったりいろいろ面倒なんだが、真崎が以前柿沼のことで世話になった総務の磯谷に話を通してくれていて、さして何をいわれることもなく許可が通った。
サーバーから珈琲をマグカップに入れて、牛乳を半分以上入れる。
カウンターキッチン越しにそれを見ていた佐和は、くすりと笑った。
「胃、大丈夫ですか? 顔色悪いですよ。おかゆ作ってありますから、お昼にでも食べてください」
コンロに目を向けると、鍋におかゆが大量に作られてる。
まだ温かいらしく、湯気がふたの隙間から上がっていた。
「……気を遣わせたな。ありがとう」
ずっと、胃が重い。
久我の、あんな姿を見てから。
ほとんど、飯も食っていない。
こんなに自分は弱かったのかと、正直驚いている。
佐和の向かいに腰を下ろすと、彼女は目を細めて微かに笑んだ。
「加倉井課長、大丈夫です?」
こちらの様子を探るような言葉に、マグカップに口をつけながら視線を向ける。
「……真崎から、大体の話は伺いました。瑞貴くんも大変だったと思いますが、課長が一番……辛そうに思えますわ」
カップをテーブルにおいて、膝に手をつく。
「……なぜ」
佐和は小さく息を吐くと、ゆっくりと立ち上がった。
「私、そろそろ社に戻りますね。準備がありますので」
そのまま、上着とコートを着込む。
「佐和?」
俺の問いに返答がないことに、催促の意を込めて名前を呼ぶ。
キャリーケースを手にした佐和は、俺を見下ろした。
「私も同じだからです」
「え?」
「――美咲を大切に思っているのに、見ているしか出来ない。
瑞貴くんだって同じ立場かもしれないけれど、少なくても彼は事情を知って彼女のそばにいられるし何を出来るか考えられる。
……前に、瑞貴くんは幼馴染でいる辛さを言っていたことがあるんですが……」
そこまで言った時、佐和のコートから携帯の着信が鳴り響いた。
すぐに取り出して、何かを確認する。
「私たちにとっては、幼馴染っていう二人の空間に太刀打ちできなくて……辛いですね。あなたは、美咲を好きなのだから私以上に」
それだけ言うと、佐和は会社へと戻っていった。




