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17

課長のアパートは、会社から十分くらいの場所にあった。

課長は寝室のベッドの上に美咲を下ろして、布団を掛ける。

美咲は目を閉じていて。

寝ているのか、それとも意識はあっても目を瞑っているだけなのか、判断しかねた。


何の、反応もない。


課長と視線を合わせて、溜息をつく。

「そっとしておくしか……ないな」

課長の言葉に、小さく頷いて。

もう一度美咲に視線を向けてから、リビングへと戻った。

そこでは、斉藤さんが勝手にお湯を沸かして珈琲を淹れていて。

真崎は額に両手を当てて、ソファの背もたれに寄りかかっていた。

あまり見ることのない、真面目な表情。


「瑞貴、これってさ……どういうことなの? なんかもう、頭がぐちゃぐちゃ」

真崎の、沈んだ声。

「久我部長が美咲ちゃんのお父さんだって事は、さっき聞いた。離婚していたって事も。でも、なんでここまでなるの?」

確かに両親の離婚は辛いものだと思う、それは理解できる。

でも父親に会っただけで、ここまでの拒否反応って――


真崎の言いたい事に気づいて、俺は向かいのソファに腰を下ろす。


「俺も、全部なんて分かりません。けど、両親の離婚が高校卒業と同時だったのは、ただでさえ不安定な時期にきつかったと思います」


斉藤さんがカフェオレの入ったマグカップをテーブルにおいて、真崎の横に座る。

課長がマグカップを手に取りながら、俺の横に座った。



さっきお袋に聞いたことまでは、話すものじゃない。

どこまでなら、話して大丈夫なんだろう。

どこまでなら、美咲は許してくれるんだろう。


「……は」


思考が、子供の頃の……美咲に好かれたくて追い掛け回していた頃に戻ってしまう。

あいつを苦しめないボーダーラインはどこなんだ?


「瑞貴、大丈夫か?」

手を伸ばしてもう一つマグカップをとった課長が、俺にそれを握らせた。

「ゆっくりでいい、落ち着け」

課長に向けた視線を、マグカップに落とす。

苦い珈琲が苦手な美咲が、唯一好んで飲むカフェオレ。

カップを握る手のひらから、じんわりと温かさが身体に伝わっていく。


俺は一口それを飲み下すと、小さく息をついた。



「中学に入ってしばらくして、美咲んちの両親の間がギクシャクしていって。俺んとこの両親は仕事でいないことが多くて、よく美咲んちにいってたんです。だから、多分美咲と同じ様にその異変を感じてた――


笑っているのに、嘘っぽい表情。

俺達と話す以外、会話らしいものがない両親。

いつの間にか父親の帰宅時間も遅くなりだして、それでもどうにもすることが出来なくて、俺達二人とも口には出さなかったけどこれからどうなるのか不安な日々が続いていて。


特に俺が部活始めてあまり美咲んちにいかなくなってからは、あいつ一人で怖かったと思う。


それでも高校三年に上がる頃にはギクシャクした感じもなくなって、昔と同じ家族に戻ったんですよ。


それが、崩れたのが高校の卒業間近。

頑張って受験した大学に合格して、喜びつつも不安なその時期。


――お前が卒業するのを待って、離婚しようと思っていた


そう告げた、美咲の両親。

本当は既に壊れていた家族関係を、美咲の卒業まではと引き伸ばしてた。

よく言えば、美咲のために気を遣って

悪く言えば、嘘で塗り固めた幸せを作り上げて    


                                    ――――」



からからになってきた喉に、カフェオレを流し込む。

この頃のことは、俺もあまり思い出したくない。


「辛かったと思います。どちらか片方ならまだしも、両親共に他に相手が出来ていて。

早く別れたかったけど、美咲のために我慢していたとか言われて。

だからあいつ、卒業と共に今のアパートに越して一人暮らしを始めたんです」


「なんだよ、それ」

憮然とした声で、斉藤さんが呟く。

「久我のためとか関係ないじゃん。自分達の都合だろ? だいたい、久我を引き取るって話は出なかったのかよ」


「出たそうですけど、美咲が断ったみたいで。だからあいつ、大学の頃から生活費と学費稼ぐためにだいぶ無理してバイト掛け持ってたんです」


いつアパートに行っても、美咲はいなかった。

働き通しで、俺んちの両親が援助を申し出ても絶対に承諾しなかった。

「でも、だからこそ……気持ちというか心の整理がつかないまま、ここまできたんじゃないかと。

変な話、人の気持ち……っていうか自分の気持ちを凄い汚いものだと思ってる。

信じられないんですよ、目に見えない心ってもんが」



でも――



「信じられないからこそ、誰よりもそれを望んでると、俺は思ってるんですけどね――」



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