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「瑞貴! 久我は……」
家に戻ると玄関先に斉藤さんと真崎がいて、課長は俺の車に荷物を入れているところだった。
「その、ちょっと今は……。課長、すみません。美咲を車に乗せてもらっていいですか?」
腰をかがめていた課長は、俺の後ろに座っている美咲を見て動きを止めた。
「――課長、こいつすげぇ冷えてるんで。お願いします」
「あ、あぁ」
急かすように声を掛けると、大股で駆け寄ってきた課長が美咲の背中に手を添える。
「久我?」
「……」
声を掛けても、美咲は何も答えない。
……課長でも、ダメなのか。
もしかして課長なら……声が届くと思ったけれど――
課長は苦しそうに顔を歪めると、美咲を横抱きにして車の後部座席に座らせた。
「すぐ車出しますんで、ちょっと待っててください」
俺は自転車を脇に止めると、玄関のドアを開けた。
「哲……っ」
そこには、目を真っ赤にしたお袋の姿。
見たことがないくらい、憔悴しきっていて。
腕をまわせば思ったよりも小さな身体に、思わず背中を軽く叩く。
子供を宥めるように。
「お袋の気持ち、分からなくもない。でも、タイミングが悪かったんだ。あいつ、いろいろあって……」
お袋は、頭を小刻みに縦に振った。
「さっき真崎さんに聞いたわ。私、なんてことを……」
良かれと思ってしたことが、裏目に出てしまうことほど辛い事はない。
「このまま、美咲を連れてくから。お袋は予定通り、明日親父の所に行って。
じゃないと、美咲が気にするからさ」
「でも……、一言謝りた……」
「お袋」
言いかけた言葉を遮る。
「今は、そっとしといてやって。大丈夫だから」
本当は大丈夫じゃないけれど、今の美咲をお袋に見せるのは酷過ぎる……
「明日、ちゃんと戸締りしていってくれよ。忘れ物もないようにな」
もう一度背中を叩いて、身体を離した。
「お袋、元気でな。親父によろしく」
お袋は顔を俯けて、歩き出そうとした俺を呼び止めた。
「哲……、私がいなくなるからあなたに伝えておきたいことがあるの……」
「え?」
そう言って、お袋が話した内容は、俺にとって衝撃的で。
美咲の心が両親の離婚に囚われていたその理由を、初めてそこに見つけた。
「すみません、待たせて」
車に行くと、暖房の効いた車内はとても静かで。
運転席に座って、シートベルトをつけた。
「とりあえず、一番近い斉藤さんちからでいいですか?」
「瑞貴」
助手席に座った斉藤さんが、押し殺したような声を上げた。
「この状態で、帰れねぇって……。てか、お前今からどこに行くつもりだ」
「――皆さんを送った後、美咲のアパートに」
「瑞貴」
今度は、後ろから課長の声。
「うちに、来い」
――え?
顔を、後ろに向ける。
真ん中に美咲を座らせて、課長がその身体を片手で支えている。
上から被せてあるのは、課長のコートのようだ。
美咲は、目を閉じて課長の身体にもたれていた。
「久我が目覚めれば、アパートに戻るのもいい。が、覚めなければ会社に近いうちが、一番都合いいだろう」
それは、そうかもしれない……でも……
「それに、女の住むアパートに男が出入りするのも、周りから見てどうかと思うしな。とりあえず全員うちに泊まっていけ。これで帰れと言っても、無理な話だぞ。瑞貴」
真崎と斉藤さんの、無言の賛同。
俺は一つ溜息をついて、アクセルを踏んだ。




