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それから四人で飲んでいたけれど、斉藤さんと真崎が先に帰っていき、しばらくして私たちも店を後にした。




駅まで送るという課長の申し出を懸命に断ったけれど、受け入れられず。

送らせないならうちに直行といわれて、諦めて一緒に歩き出した。

外回りとかで一緒に歩くことはあっても、意識が変化した後に横を歩くのはどきどきで。

内心、ものすごく緊張しながら来る時の道を逆に辿っていく。


「久我」

しばらくして、ぽつりと課長が私を呼んだ。

斜め上にある課長を見上げる。

課長は視線は前に固定したまま、少し複雑そうな顔をしていた。

「どうしたんですか、課長」

不思議な表情に、つい怪訝そうな声音で聞き返す。


課長は一度口をあけて、再び噤む。

すると足を止めて、ふぅっと息を吐いた。


私も続いて足を止める。

「あのな、久我」

「はい?」

右手で口を押さえる課長は、お酒のせいか少し赤くなっているのが新鮮。

珍しいものをみた気分で、次の言葉を待つ。

「その……、俺のこと、名前で呼んでみないか?」

「――は?」


ナマエ?


言われた言葉と意味が重ならずじっと見返す。

ナマエって……名前?


「え? 課長?」

一体何を……と思いつつ、さっきの真崎の言葉を思い出す。

「え、って……真崎さんの言葉に変に触発されちゃったんですか?」

課長は少しむすっとした表情で、一度私に向けた視線をそらす。


「――悪いか」


拗ねたような声音に、思わず噴出してしまった。

「ちょっ、課長ってば。そんな子供っぽい……っ」


顔と言葉と行動が、合ってないから!


押さえようと口に当てた手のひらはあまりにも感情に弱く、漏れ出した笑い声が路地裏に響く。

三十歳の大の男が、名前で呼んでなんて……!

しかも、課長が!

わっ笑いが止まんないっ


笑いすぎて痛くなってきたお腹を両手で押さえながら、それでも止まらない笑い声を上げ続ける。


「はーっ、あーもーダメ! お腹イタイ……っ」


涙まで出てきた顔で、課長を見上げる。

途端、視界が真っ暗になった。


「っ、え?! なに……」


慌てて両手で目の前にある“もの”を押すと、その手を取られ簡単に動きが封じられた。


「俺が、恋する男で、何が悪い」

低く、ドスの聞いた声。

それと一緒の振動が、目の前から伝わってくる。



業を煮やした課長に、笑い声ごと抱きしめられていた。



「ちょっ……、あのっ」

離して欲しくて身を捩れば、それ以上の力で抑え込まれ。

両腕とも一緒に抱きこまれている状態では、他に何も出来ない。



「……美咲」


ドスのきいた声ではなく少し甘さの含まれたそれで名を呼ばれて、一瞬肩を竦める。

背中が、ぞわりと痺れる。


頭の上から響いてくる声は、スイッチの入った課長の感情が含まれていて。

日常とのギャップに、少し慣れたとはいえやっぱり緊張してしまう。


「瑞貴や真崎がお前のことをそう呼ぶのを聞いていて、内心、軽く嫉妬していた。せめて二人だけの時でもいい、俺の名前を呼んでくれないか?」


「え、と……その」


名前って、加倉井? それとも、その……下の名前?


「か……加倉井課長……?」

「ここまで頼んで、そっちだと思うか?」


え、下の名前って……


「そ……」


最初の一文字を口にしてみる。


そ……そ……そう……


「だぁぁあっ、無理!」

一刀両断、切り捨てました。

一瞬にして静まり返った路地裏に、課長の押し殺したような苦笑いが漏れる。

「叫ばなくても」

柔らかくなった口調に、全身に入っていた力が少し和らぐ。

「だって、ほら、その……。ずっと課長って呼んできたから、いきなり変えるのは難しいというか恥ずかしいというか……」

未だに緩まない腕の中で、ピタッと課長の胸に顔をくっつけながら言い訳のようにぶつぶつと口の中で呟く。


すると課長は少し驚いたように、腕の力を弱めて私の顔を上から見下ろした。

「呼びたくないわけじゃないのか」

「――」

それを聞いて、引いたばかりだというのに一気に顔に血が上る。

そうか! そう取れるよね、今の言葉!!


目を何度も瞬きながら必死に言い訳を考えようとする私を、にやにやと普段見ることのない表情で課長が見ていて。

頭に血が上った私は、得意技を無意識に繰り出しました!


いぇーい、クリーンヒット!



くぐもった音と、一瞬にして腹筋に力を入れた課長の息を詰めた音が耳に入る。

「……お前、ホント手の早い……」

私の右手をぐっと掴んで引き剥がしながら、あいている片手を頭にのせた。

「だって課長、からかうから」


ぐぐっと力を入れて上向かされた視線の先には、課長の顔。

「からかっているつもりはない。前向きな言葉を聞いて、だいぶ浮かれているが」

浮かれてる?

「浮かれてる顔ですかー? それ」

「お前、それって」

俺の顔のことか、と肩を竦めて私から身体を離す。

……が、課長は少し驚いたように体の動きを止めた。

「……久我?」

「え?」

課長の言葉に、視線を落として自分の手元を見る。


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