32. 廃棄王女、小さな灯火を拾う
「アルバート殿下」
顔を険しくしたデュマン卿の鋭い目がさらに鋭さを増す。
「メディア王女がシヴァ殿下の来国を知っていた理由については私から話す」
「それはいったい?」
「ここで話せる内容ではない」
アル様は場所を変えようとデュマン卿に扉の方に視線を送って見せる。
「シヴァ殿下もご同道願えるか?」
「俺は貴殿らと色気の無い談合をするより、美しきカザリアの花を愛でていたいのだが……」
色気たっぷりの微笑みをシヴァ殿下が向けてくる。私はぷいっと視線を外しました。どうにもシヴァ殿下の黒い瞳を見ているとペースを乱されそうになるからです。
ですが、花ですか……
そう言えば、カルミアには野心や野望などの花言葉がありましたね。横目でちらりとシヴァ殿下を窺い見れば、苦笑いして肩をすくめられました。
「ふふ、花の方からは拒絶されてしまったか」
仕方がないとシヴァ殿下もデュマン卿と共に、アル様に連れられて会場から退出されました。
途端、私の周囲から人が去っていく。
私の周りは騒ぎの渦中にあったとは思えぬ静けさです。先ほどのご婦人方も懲りたのか、近づいてくる気配はありません。
ただ、敵意ある視線は未だ衰えず、戦場に一人取り残された気分です。私もアル様について行けば良かったでしょうか?
いえ、何を話されるかは想像がつきますし、私が彼らの中に入ってもあまり有意義とは言えないでしょう。さりとて、このまま壁の花となるのも時間の無駄です。
できれば、目星を付けている貴族と知己を得たいところですが……アル様がいなければ紹介してもらえる人がいません。
だからと言って、こちらからアプローチをかけるのは良い手段ではありません。ロオカで王族から忌避されている私が公然と接触するのは、相手の迷惑になるでしょうから。
心証を悪くすれば倦厭されるだけではなく、敵に回りかねません。
さて、どうしたものでしょう……
「突然お声をおかけするご無礼をお許しください」
私が思案しているところに救いの手が差し伸べられました。
「私はルッツ・ヤウロ。ロオカ王家より伯爵位を賜わっております」
それは年齢は六十前後くらい。かくしゃくとされた初老の男性でした。
――ルッツ・ヤウロ伯爵
シャノンの情報から、ロオカの中道派の中で目をつけていた貴族です。
「これはこれはヤウロ伯爵様、私はカザリアの第二王女メディアと申します」
「遠国よりはるばるよう来られましたな。こたびのロオカへの輿入れ、メディア王女殿下には言祝ぎ申し上げます」
「これはご丁寧にありがとう存じます」
ロオカに来てから、初めて貴族から常識的な対応を受けたような気がします。
「ご存知のこととは思われますが、私は敵の多い身です」
と言うより、ここ王都では敵しかいません。はっきり言って孤立無縁状態です。
「このような場で私に話しかければ、王都の貴族から良く思われないですよ?」
「はっはっは、私は北西部を所領とする田舎貴族です」
私が探りを入れれば、ヤウロ伯爵はまったく意に返さず大笑なさいました。
「ご懸念には及びません」
今さら王都の木端どもを気にする必要もないと、ヤウロ伯爵は私に優しい目を向ける。気宇の大きな方ですね。どうやら人物はいるところにはいるものです。
話していて分かります。ヤウロ伯爵はロオカにおける貴族の良心。心ある貴族になら、それを理解しているでしょう。
だから、ヤウロ伯爵と知己を得て好印象を持たれる必要があります。
「それより、私のような枯れた老人が相手でよろしいので? あなたのように若く美しい姫君には退屈かもしれません」
「私はまだ右も左も分からぬ若輩の身なれば、是非に伯爵のご指導をお受けしたいものです」
私がにっこり笑って応じれば、一瞬だけヤウロ伯爵は値踏みするような目をしました。が、すぐに破顔されました。
「失礼、アルバート殿下にエスコートされてきたあなたを見損なっていたようです」
私もまだまだのようだとヤウロ伯爵が笑う。ギルス殿下以外の男性にエスコートされた私を噂の悪女だと思われたのでしょう。
「ですが、先ほどの騒動で理解しました。我が国があなたに無礼を働いたようで、なんと申し上げればよいか。まったく恥じ入るばかりです」
「無礼は無礼を働いた者の責。伯爵が気に病む必要はございません」
「デュマンの奴も昔はあんな分からず屋ではなかったのですが……」
「ヤウロ伯爵はデュマン卿のご友人なのですか?」
「ええ……」
アル様に連れられデュマン卿が出て行った方向に、ヤウロ伯爵がちらりと顔を向けられました。その横顔が何だか少し寂しそうです。
「ですが、今回の件で奴との関係を少し見直さねばなりませんな」
「デュマン卿はどうして私を目の敵にされるのでしょう?」
「殿下ではなく、カザリアを恨んでいるのですよ」
「カザリアを……そうですか……」
長年、ロオカで骨身を惜しまず宰相職を務めてこられた方です。きっと、我が国に煮え湯を飲まされたことは、一度や二度ではないでしょう。
「デュマン卿のお気持ちはお察しします。ですが、デュマン卿の私怨は国政を預かる首長としては問題です」
デュマン卿の動機を理解できても、無条件で全てを水に流すつもりはありません。私の心情や立場の問題ではなく、私が折れれば東方諸国全体に不利益をもたらすのですから。
「私とて婚約者を奪われ、ロオカへと追いやられたのですから。しかし、それを嘆いている状況ではないのです。今は個人の感情を殺してでも、帝国に対抗しなければならないのですから」
少し熱くなりすぎたでしょうか?
ヤウロ伯爵がふっと笑われました。心の内を曝け出す私を若いと思われたのかもしれません。
「失礼ですが、王女殿下はお幾つであられますか?」
「今年で十九になりましたが……それが何か?」
ヤウロ伯爵はスッと目を細め嘆息されました――どうかなさったのでしょうか?
「その若さでずいぶん大成なさっておいでだ」
「私などまだまだです」
「いやいや、無駄に歳だけ重ねた我が国の貴族どもに、殿下の爪の垢を煎じて飲ませたいものです」
情け無い限りです、とヤウロ伯爵は愁眉に沈む。
「どこの国にも経験を糧にできない者はいるものです」
「殿下もカザリアで苦労させられた口ですか」
苦笑いするヤウロ伯爵に、私はクスッと悪戯っぽく笑う。
「そうでなければ、私が婚約者を捨てロオカへ嫁ぐこともありませんでした」
「はは、それもそうですな」
ヤウロ伯爵の笑顔から全ての壁が取り払われたように感じます。どうやら私は合格したようですね。
「王女殿下には是非、引き合わせたい者達がおりますが、会ってやってくださいますか?」
「ヤウロ伯爵のご紹介とあらば、お会いするにやぶさかではございません」
ヤウロ伯爵は頷くと、こちらを窺い見ていた小さな集団の一つを手招きなさいました。彼らはパーティーの間、周囲に迎合せず私をじっと観察していた貴族達。
そして、彼らこそ私がロオカで頼むべき国士と目していた人達です。
「メディア王女殿下に言祝ぎ申し上げます」
彼らは中道派の面々。それが私に一礼した瞬間、その立場は鮮明となる。それは周囲を敵に回すことと同義です。その覚悟を彼らは示してくれた。
「私はカザリアの王女です……」
その宣言にも彼らは何も言わず私の次の言葉を待っている。軽々な人物ではないと、このことだけでもわかります。
「ですがロオカに嫁した以上、この国は私が守るべき地であり、そこに住まう民草もまた私の庇護すべき臣民です」
きっと彼らは今のロオカを憂い、しかし少数の力無い自分達ではどうすることもできずに、鬱憤を抱えていたのでしょう。
ロオカには帝国の脅威が迫り、カザリアの圧力に晒され、その命運は風前の灯火。もはや、一刻の猶予もありません。
「しかし、その決意はあっても、私はロオカへ訪れ日も浅く、とても心細くありました」
彼らは身命を賭して私へ恭順を示した。その決意に私は報いなければならない。
「ですが、国を想う皆様とお会いできて安堵に胸を撫で下ろしました」
きっと、私の言葉の意味を彼らなら理解できるでしょう。
「ロオカの未来には東方より昇る陽の光が差すでしょう」




