#069 草食系男子との交際ゼロ日結婚
今回もよろしくお願い致します。
誰か、満点回答をくれる人はいないだろうか。尊敬していたお兄ちゃんがある日突然この世を去り、2年かけてようやく吹っ切れたと思ったら、嫁入り先の旦那様が死んだはずのお兄ちゃんと瓜二つだった時の対処法。
そんな事ある訳ないって?あるんだな、それが。
実際、私がこれから結婚する予定の今川五郎氏真殿は――今は亡き天用院殿、北条新九郎氏親にそっくりだったのだから。
義元殿達との会食を終え、寝所で着替えと歯磨きを済ませた私は、主に精神的な疲労から早く就寝したいと願いながら、目がさえて眠れないというジレンマに陥った。
フカフカの敷布団に慣れない枕、そして明日に控えた婚礼と、心身ともにストレスを抱えた私が、安眠を求めてすがったのは愛刀『東条源九郎』だった。ぬいぐるみとかならまだ可愛げもあるんだろうけど、私の場合はこれを握っている時が一番落ち着くんだから仕方がない。
こういうの、前世ではなんて言ってたっけ。確か…『マイナスの豆腐』だっけ?意味分かんないけど。
そんな事を考えている間にも意識は遠のき、私は一定の睡眠時間を確保することに成功したのだった。
翌朝も天気は晴れ。
侍女に起こされて朝食を取った私は、いよいよ婚礼の儀に臨むべく、何時間もかけてお化粧と着付けを施される事になった。
顔全体を白粉で覆い、太眉を書いて、口紅はとびきり赤いやつ。衣装はもちろん白無垢。
前世ではどちらかというと教会での指輪交換に憧れていたけど、パラレル戦国時代でそれは高望みが過ぎるというものだろう。
ともあれ、着付けを終えた私は広間に誘導され…そこで初めてこれから夫となる人、今川五郎氏真殿と顔を合わせた。
そして混乱した。
私と同様、白い着物に烏帽子を被り、向かいの席に座った青年は、2年前にこの世を去った兄、天用院殿と瓜二つだったからだ。
思わず大声を上げずに済んだのは、昨夜の太助丸兄者のアドバイスを思い出したからだ。
『明日、若君の顔を見ても、驚いてはならぬぞ。』
成程、これは太助丸兄者に感謝しなくては。お陰でビックリはしたけど、動揺を表に出す事は避けられた。
新郎新婦の着席を合図に婚礼の儀が始まり、義元殿を始めとしたごく近しい人々が見守る中、五郎殿と向かい合って盃を交わし、清酒を口にする。
小田原で婚礼の儀の内容を概ね聞かされていたから抵抗はないけれど、やっぱり小学生相当の女児にお酒を飲ませるのはいかがなものだろうか。幸いお酒の量は少なめだったし、飲んでも苦い後味が残っただけで、急に酔っ払う事にはならなかった。
私は正直お酒よりも、私の顔を見てもなんの反応も示さない『五郎殿』の方が気になっていた。
確かに私は兄者――天用院殿の最期に立ち会った訳じゃない。でも親戚一同総出でお葬式もしたし、今年の春には三回忌法要でお別れもして来た。目の前にいるのは紛れもなく今川家の嫡男、五郎氏真殿。そのはずだ。
理性ではそう思いながらも、私は、目の前にいるのが複雑な経緯を経て今川の御曹司となった天用院殿である、という荒唐無稽なストーリーを、無意識のうちに描き出していた。
婚礼の儀が終わると、大広間で披露宴に移る。
今川家の重臣や駿府に居住するお公家様、他国からのお客様達に私達の婚姻――即ち、今川と北条の同盟が成立した事をハッキリと示すのだ。
本来であれば、私が駿府館に到着してからこうして大勢の人の前に出るまでに多くのステップと日時を必要とするのだが、世は乱世、義元殿の後継候補もただ一人という事情も手伝って、こうして日程を圧縮して実施されたらしい。私としても、あまり長時間拘束されたくはなかったので言う事なしだ。
それはそれとして、ケーキ入刀の代わりに新婚夫婦でやらなければならない共同作業がある。大広間の上座に、五郎殿と私の二人で並んで座り、お客様達に応接しなければならないのだ。
今日をもって正式に私の義父となる義元殿、姑役の寿桂様…この辺は良い。
朝比奈、岡部といった今川家中の方々も、あごひげや口ひげを震わせながら、ぎこちない言い回しで祝福してくれたが、ついこの間まで小田原で生活していた私からすれば、むしろ親しみやすかった。
厄介だったのは意外にもお公家様だ。総じて酔っ払った状態で私達の前にやって来て、でかい声で調子っぱずれの歌を詠んだり、覚束ない足取りで舞を踊ったりするものだから、対応に困る。
一人、あまりに迷惑な人がいたため堪忍袋の緒が切れた私は、後方に控えていた百ちゃんに頼んで『お水』を汲んで来てもらった。その『お水』を飲んだお客様は、急に悪酔いしたのか、床に倒れて寝息を立て始めてしまった。私は側付きに百ちゃんがいてくれた事に、改めて感謝したのだった。
私にとって大切な出会いを連れて来たのは、昨夜の夕食で同席した関口刑部少輔殿だった。
「この度は誠にお目出度うございまする。この良き門出の日に、お二方にお目見えさせたい者どもがおりますゆえ、罷り越しましてございまする。」
関口殿はそう言って、少年少女をそれぞれ二人、私達に紹介した。
「まずは北条太助丸殿。お二方には申すまでもない事にございましょうが、二年前より北条よりお越しいただきましてございます。近頃は日を追うごとに逞しくなられて…下の娘も憎からず思うておるようにございます。」
太助丸兄者は、関口殿の解説に異議を唱える事もなく、鎮座していた。
しかし関口殿の口ぶりだと、将来的には兄者を婿養子として迎え入れたいみたいだ。
「続いて、こちらが…。」
関口殿に促されて、太助丸兄者より幾分年上の若武者が、私達に向かってお辞儀をする。
「三河の国衆の倅、松平竹千代と申します。この度はご婚礼、誠にお目出度うございまする。」
この時の対応について、私は後年、死ぬほど後悔する事になる。
前世でもっと戦国史を学んでいれば、松平竹千代の正体に気付けたはずだったのだ。そして気付いていれば、ここぞとばかりに竹千代殿を持ち上げて、第一印象を良好にしたまま交流を深める事も出来た。
けれど、その時の私は、五郎氏真殿の事で頭がいっぱいで、なぜ三河の国衆の息子が兄者に次ぐ厚遇を受けているのかという疑問を抱えたまま、黙ってお辞儀を返す事しかしなかった。
「続きましては、我が娘達にございまする。」
「瀬名と申します。この度はご婚礼、誠にお目出度うございまする。」
「紫吹ともうします。このたびはこ…ごこんれい、まこと、に、おめでとおございます。」
随分年の離れた姉妹だな、というのが私の率直な感想だった。外見からして、姉の瀬名殿は私より年上で、中学校三年生か高校生くらいだが、妹の紫吹殿は幼稚園か保育園に通っていた方が自然に見える。
さっき関口殿は紫吹殿が太助丸兄者を慕っているような事を言っていたけど、十中八九政略結婚の下準備だろう。…という事は、瀬名殿が竹千代殿に、紫吹殿が太助丸兄者に嫁ぐ事が内定しつつある、という事か。
私同様に親や主君の都合で決められた結婚が、姉妹にとって幸せなものになる事を、私は心の中で祈った。
夕刻、右も左も入り乱れてのどんちゃん騒ぎの体を成してきた大広間を後にした私と五郎殿は、それぞれ身を清め、いよいよ初夜を共にする事になった。
駿府館は全体を囲う外壁と、敷地内で屋敷や施設を囲う内壁で区切られている。敷地内で世代ごとに屋敷を構えるとか、スケールの大きい三世代住宅って感じだ。
私は昨夜義元殿の屋敷の一角を間借りしたが、今夜からは五郎殿の屋敷で生活する事になるのだ。
まずは顔の化粧を落として風呂で汗を流し、浮いた垢をこすり落として行水で流す。仕上げに髪に香油を塗り込んで、寝間着に着替えて寝所で五郎殿を待つ。もちろん歯磨きも忘れずに。
灯台が照らす部屋で、畳に並べられた布団を見ながら正座していると、何だかどうしようもなく逃げ出したくなって来た。
何度も言うが、私は男性とお付き合いした経験が無いのだ、前世も含めて。こればっかりは毒親のせいにも出来ない。さすがに学校で保健体育の授業は受けたが、実際に出産した事はおろか、異性と交際した経験すら無いのだ。
一応言っておくが、同性との交際経験ならあるとか、そういう意味ではない。
ともかく、これが交際経験ゼロの私が迎える、人生初の――そして恐らく最後の――結婚初夜という事になる。
もし五郎殿が強引に肉体関係を迫って来たらどうしよう、やっぱり『東条源九郎』を持って来るべきだったろうか…。
私の思考が堂々巡りを繰り返している内に、寝所に近付く複数の足音が聞こえた。
「ご無礼仕ります。若奥様、若君がお越しにございます。」
侍女の声に続いて、障子が静かに開かれる。そこには天用院殿――いや、五郎殿が立っていた。
素早く三つ指をついてお辞儀をすると、五郎殿が入室する足音と、障子が閉じる音がした。
五郎殿が近付くにつれ、頭の中が真っ白になっていく。
ヤバいヤバいヤバい。
どうするどうするどうする――。
「面を上げられよ、結殿。」
優しい声色に勢い良く頭を上げると、五郎殿が心配そうに私を見下ろしていた。
「長旅で疲れたであろう。儂と同室では落ち着かぬかもしれぬが、今宵はしっかり体を休めるが良い。」
五郎殿はそう言って、私が入りやすいように掛け布団をめくり上げ、床に入るよう促して来る。手慣れた様子に、私は抱いた疑念を思わず口にした。
「五郎殿は、もしや多くの女性と床を共にした事がおありで?」
まさか、この歳で結構なプレイボーイなのでは?そんな私の疑いの眼に、五郎殿は微笑んで首を横に振った。
「儂には妹が二人おっての。一人は母上に先立って亡うなってしもうたが、もう一人は四つ年下でのう、一昨年武田に嫁ぐまで、この駿府館に暮らしておった。それゆえであろうか、お主の事は妻というより、歳の離れた妹のように思えるのじゃ。」
妹のよう、と言われて、私の胸に鋭い痛みが走った。
「申し上げます。何を隠そうわたくしも、五郎殿を兄のように感じておりました。今は亡き兄、天用院殿とよく似ておられますゆえ…。」
「なんと。珍しき事もあるものよのう…。」
「されど。」
私は五郎殿にというより、自分に言い聞かせるように言った。
「本日よりわたくしどもは夫婦にございます。わたくしはまだ幼うございますゆえ、お子を成す事は当分叶いませぬが、きっと今川のしきたりを身に付け、五郎殿の妻として恥ずかしくない女子になってご覧に入れます。願わくば五郎殿も、わたくしを妹ではなく、妻としてお取り計らいくださいますよう…。」
「…うむ、齢十足らずにしてその覚悟、お見逸れ致した。儂も出来る限りの事を致そう。」
五郎殿はそう言って、私の頭を優しく撫でた。私はと言うと、もうちょっとはっきり約束してもらいたいという不満と、やはり妹をなだめるように頭に置かれた手の平の暖かさがごちゃ混ぜになって、それきり何も言えなくなっていた。
「さあ、明日も早い。床に入られよ。暑いからと言って、腹を冷やしてはならぬぞ。」
促されるまま布団に入ると、五郎殿は灯台の火を吹き消し、隣の布団に入って間も無く、静かな寝息を立て始めた。
私は暗くなった部屋の天井を見つめながら、五郎殿に初日から体を求められずに済んだ安心と、一人の女性として見られていない――いとこ同士だし、歳が八つも離れてはいるが――現状を打開出来るのだろうかという不安を、交互に味わっていた。
お読みいただきありがとうございました。




