#058 望月(もちづき)に叢雲(むらくも)かけて
今回もよろしくお願い致します。
「どういう事か、得心の行く説明をしてもらえるかしら。」
早雲寺の一室で、私は下座の百ちゃんに問い質した。
「どうかご容赦を。今は子細を申し上げる事は致しかねます。」
「私の頼みが聞けないと言うの?」
「恐れながら…。」
それだけ言うと、百ちゃんは平伏して微動だにしなくなってしまった。
これは手強そうだ。
私はため息をつきながら、早雲寺に到着してから現在までの事を思い出していた。
早雲寺門前で輿と馬を降りた私達は、山門をくぐり、住職への挨拶に向かった。
専ら母上が話し手になって聞き出した所によれば、既に遠方から来た参列者の方々はお寺の周辺に建つ宿に泊まっており、私達一家は警護や側付きの面々と一緒に本堂の一室をお借り出来るとの事だった。
「天用院殿の三回忌法要は明日、執り行われまする。まずは裏手の湧湯にて身体をお清めくだされ。」
わきゆ、って何?と思って聞いていると、どうやら温泉の事らしい。
温泉!久し振りに温かいお湯にどっぷり浸かれる!
転生してこの方、体を洗う術と言えば蒸し風呂か水浴びだった事に密かにストレスを感じていた私は、荷物を運んでおくという侍女達の申し出に感謝しつつ、ウッキウキで浴場に向かった。
百ちゃん達が、やけに大きな木製の箱――長持を運び込んでいる事に疑問を抱く事もなく。
違和感を覚えたのは、母上や姉上達と一緒に温泉に浸かり、身も心もホクホクで境内に戻って来た辺りからだった。
母上はいわば父上の代理として来ている訳だから、温泉旅行客みたいに遊んでいる訳にもいかない。住職と明日の打ち合わせ等をしなければならない以上、私達姉妹と一旦別れるのは当然の事だ。
しかし私まで菜々姉様、蘭姉様、凛姉様と離れ離れになるのは、完全に予想外だった。側付きの一人、小春に案内されて向かった先は、本堂から渡り廊下を渡った先にある離れの間だったのだ。
次に不審を覚えたのは、離れの間に着いた時、縁側に立っていた三人の侍の姿を目にした時だった。
三人の内、二人には見覚えがある。足腰の鍛錬のために日課にしている小田原城一周ウォーキングの際、いつも通る門を警備している牛吉さんと馬蔵さんだ。
問題はもう一人だ。
北条の家紋である三つ鱗の紋付袴、腰には刀と脇差をぶら下げている。それだけなら至って普通の、城内でよく見かけるお侍さんだ。
しかし、日も照っていないのに笠を被り、顔全体を包帯でぐるぐる巻きにしているのはどう見ても怪しい。怪しすぎる。
額を寄せて何やら話し込んでいた三人は、私が来た事に気付いて慌てて地面に膝をついた。
「お役目ご苦労様です。牛吉殿、馬蔵殿、それに…そちらの方にはお会いした事があったかしら。」
縁側に腰かけて質問すると、包帯ぐるぐる侍に代わって馬蔵さんが答えた。
「姫様におかれましてはご機嫌麗しゅう、悦ばしゅう存じます。拙者どもの名をご記憶くださり、感謝の念に堪えませぬ。」
うん、そういう社交辞令も大事だけど、早くその不審者の情報をくれないかな。
私が内心焦れていると、馬蔵さんが包帯ぐるぐる侍の方を一瞬見てから、紹介してくれた。
「これなるは東条源九郎と申しまして、我ら城内警固役の筆頭格にございます。こたびの法要においても、皆様の警護を仰せつかっておりますが、恥ずかしながら昨日、転んで顔を強か打ちまして…お役目を疎かには出来ぬが、顔の傷をお見せするも憚られる、といった次第で、かような有様に。」
うーん、馬蔵さんが言うのならそうなんだろう、けど…。
「それはご立派な心掛け。東条源九郎殿、お大事になさってください。もしよろしければ、傷によく効く膏薬を持っている者が側付きにおります。お呼びしましょうか?」
不信半分、心配半分で私が申し出ると、東条源九郎は黙ったまま、首を勢いよく左右に振った。やっぱり馬蔵さんが代わりに答える。
「そ、それには及びませぬ。この程度の傷、数日で治りましょう。源九郎は、その…己の声が女性のようだ、と評された事をひどく気に病んでおりまして、以来、口数も甚だ減り申した。直にお答えせぬ無礼、平にお許し願いたく。」
女性並みのハイトーンボイスって、現代日本だったら普通に才能だと思うけど、まあここはパラレル戦国時代だし、仕方ないか。
どうしても顔を見せたがらない東条源九郎の事は気になったが、私にこれ以上追求する権限は無い。
「いえ、わたくしこそ立ち入った事をお聞きしました。引き続き、お務めに励んでくださいませ。」
「勿体ないお言葉。さすれば、今宵はこの離れの間にて、不寝番を務めさせていただき申す。無論、姫様の床とは襖を二つ隔てておりますゆえ、ご心配なく。」
「はぇ?」
私が間抜けな声を漏らして固まっている内に、三人は立ち上がり、離れの間の裏手に行ってしまった。
え、え、どういう事?三人が今夜離れの間に泊まるっていう事?どうして?
「何度も申しておりましょう!これ以上の立ち入りは無用にございます!」
パニック状態の私に追い打ちをかけたのは、本堂の方から響いた百ちゃんの怒声だった。思わず立ち上がって見ると、渡り廊下の向こう側に、こちらに背を向けて立つ百ちゃんと、その向こうにつるっとした頭が見えた。
早雲寺のお坊さん?
百ちゃんが怒鳴るなんて珍しい。
「じ、住職より、結姫様にお菓子と白湯をお届けせよとのご用命で…。」
「姫様は輿入れを控えた大事なお体。仏門と言えど、殿方が近付く事は許されませぬ。これよりはわたくしがお運びします。夕餉はわたくし共が厨に取りに伺います。ご住職にも確とお伝えくださいますよう!」
若く気弱そうなお坊さんを押し切ると、百ちゃんはその手にお盆を抱えて、こちらに戻って来た。お坊さんはこっちを恨めしそうな目で見た後、とぼとぼと引き返して行く。
「姫様、お待たせ致しました。お菓子と白湯にございます。」
「まあ、可愛らしい。折角だから中でいただこうかしら。…百、あなたも来なさい。」
後半、意識して声のトーンを落としながら、私は百ちゃんを室内に引きずり込んだ。
そして冒頭に戻る。
離れの間は襖で四つの長方形に区切られていて、一つを私が、隣の二つを側付きのみんなが、対角線上の一室をさっきの三人組が使っている。
現在その私に割り当てられた部屋で、お菓子そっちのけで百ちゃんを問い詰めている真っ最中だ。
「一つ、私だけ母上達とは別の部屋に通された事。一つ、早雲寺の周りは北条の兵が警護しているにもかかわらず、私に不寝番が付く事。一つ、さっきから襖の向こうで薙刀の刃先が触れ合う音が聞こえる事。」
頭を床にこすり付けて微動だにしない百ちゃんを前に、一つ一つ数え上げる。
いくら戦国の常識に疎い私でも、ある程度見当はつく。
「何者かに狙われている。そういう事ね?」
「…何卒、何卒お許しくださいませ。姫様の御身をお守りしつつ、天用院殿の三回忌法要を平穏無事に終わらせるためには、これより他に手立てが…。」
絞り出すような百ちゃんの声に、私はため息をついた。
「…言い過ぎたわ、顔を上げて頂戴。敵は何者?数は?襲撃はいつ?私は何をすれば良いの?」
私の許しを得て、百ちゃんはようやく顔を上げた。
「先月、風魔党と小田原の市中警固役が、渇魂党なる一味を捕らえました。されど頭領を含め、十人ほどが未だ野放しに。かの者の中には他国の乱破くずれも混じっているとのよし、よって討ち入りがあるとすれば、今宵から明日の夜明けの間になるかと。姫様におかれましては…。」
スラスラ答えていた百ちゃんが、一旦言葉を区切った。
「明朝まで、この離れにて、平常通りにお過ごしいただきたく存じます。ただ、床に入られる際には枕元に短刀を忍ばせておかれますよう。側付き一同、不寝番と力を合わせて、賊を姫様の床に近づけぬよう死力を尽くしますが、万が一、という事もございますれば…。」
「厠は?」
「本堂にございますれば、必ずやわたくし共が付き添いまする。」
「…もう一つ、あの東条源九郎なるお方は信用しても良いのかしら?」
「勿論にございます。」
百ちゃんの即答に、私は面食らった。
「かつてわたくしは東条殿と陣を同じくした事がございます。知勇兼備、篤実なお方にございますれば、安心して背中を任せる事が出来まする。」
私は東条源九郎を知らない。
スマホもインターネットも無いから、検索して調べる事も出来ない。
けれど、私を信じて打ち明けてくれた百ちゃんを信じるなら――百ちゃんが信じる東条源九郎を、信じてみようと思った。
その後、私は百ちゃんの言う通り、意識して普段通りに過ごした。と言っても、もう日も暮れかかっていたので、後は運ばれて来た夕ご飯を食べて、歯磨きをしてから寝間着に着替えて布団に入るだけだ。ちなみに、お梅以下侍女達はすでに髪を結い上げ、袖をたくし上げて臨戦態勢に入っている。
これから交代で私の部屋の前を警備してくれるとの事だ。日中あんなに歩いて来たのに、本当にありがたい。
布団に入ったものの、全く寝付けなかった。本番は明日なんだから、出来れば早く寝たいのだが、いつそのカッコン党が殴り込んで来るか分からない状況でグースカ眠れるほど、私の神経は太くない。
思わず枕元の短刀――先月、父上から頂戴したものだ――を手繰り寄せると、ずっしりとした手応えに、少し心が落ち着くのを感じた。そのまま握っていると、体温が伝わったのか、短刀が熱を帯びてきたような錯覚を覚える。
思わずウトウトしかけた、その時。
「曲者!出会え出会え!」
侍女の声に跳ね起き、短刀を鞘から抜き放って構える。
外では怒号や金属がぶつかり合う音が連続し、何が起こっているのか全く分からない。
次の瞬間、縁側に面した障子が蹴破られた。
とっさに両手を掲げてガードするが、自分にダメージが無い事に気付いて構え直し、縁側の方を見る。
「てこずらせてくれたなあ、姫さんよぉ。まあ、運が悪かったと思って死んでくれや。」
小汚い格好の男がそう言って刀を振り上げると、私は短刀の切っ先をそいつに向けた。
かかってこい。
こんな所で、死んでたまるか!
お読みいただきありがとうございました。




