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#137 Mission is possible!

いよいよ私の妄想の産物、今川忍者『沓谷衆』がその全貌を明らかにします。

ジャパニーズNINJAは世界的に有名な存在ですが、戦国時代の忍者については未だに不明な点が多いため、その点を全力で利用させていただきました。

永禄4年(西暦1561年)正月 駿府館


 今年のお正月は、例年とは違った雰囲気で始まり、終わった。理由は幾つか、いや幾つもあるが…要約すると、桶狭間での大敗のせいだ。

 義元殿と重鎮多数が討死した結果、年明けの宴会に出席するメンバーの顔ぶれは一気に若返ってしまった。それだけならまだしも…彼らのおよそ半数は当主の二文字に『カッコカリ』が付いている状態である。血筋や年齢など、跡継ぎとしての条件を満たしてはいるものの、五郎殿の承認が間に合っていない若君がゴロゴロしているのだ。

 あえて例えるならば、会長と重役多数が不幸な事故に巻き込まれて死亡してしまい、急遽中間管理職を昇進させた大企業の役員会議、といった感じだろうか。

 その中には、数え三つの松平竹千代殿が、関口刑部少輔殿に抱えられて出席していた。それもそのはず、父親にして『準』御一家衆である松平元康殿が、三河で織田と交戦中につき、現地を離れられないためだ。

 そんな経験の浅いメンツで、しかも昨年大敗を喫したとなれば…宴席がお通夜ムードで始まるのも無理はない。


「案ずるな…と申しても詮無き事よな。父上は海道一の弓取りの名に恥じぬ武士(もののふ)であられた。皆が今川の行く末を憂うも当然の事…。」


 宴会が始まって間も無く、五郎殿がそう語りかけると、家臣達は一斉に目と耳を向けた。


「されど…儂は惑うてはおらぬ。父上の偉業を継ぎ、織田を討ち、東海を安んじる。この志に一片の迷いも無い。ゆえに、命じよう…皆の者、儂に続け!新たな道を儂が(ひら)く!」


 五郎殿が飛ばした檄に、出席者の反応は…様々だった。

 当主(仮)の若手は総じて素直に――悪く言えば思考停止気味に――「応」と喊声を上げながら片腕を突き上げていた。

 遠江掛川城主、朝比奈泰朝殿を始め、実戦経験をそれなりに積みながらも比較的若い武将は、ややためらいがちではあったものの、同様に檄に応じてくれていた。

 しかし、御一家衆にして駿東の国衆である葛山氏元殿や、お公家様といった、いかにも人生経験が豊富そうな面々は、そんなコール&レスポンスをどこか冷めた目で見ていた。それは関口刑部少輔殿も例外ではなく…竹千代殿を抱えているため、腕を上げられないと、無言でアピールしているようにも見えた。


「無理もない。威勢のよい事を声高に申した所で、それを裏付ける武威を持たぬ儂に心服せぬ者は少なからずおろう。」


 その夜、床の間で、五郎殿は苦笑いしながら反省を口にした。

 同じ事を私の父――歴戦の猛者である北条氏康が言っていたら、出席者の反応は全く違っていただろう、とも。




永禄4年(西暦1561年)2月 駿府


 年始の行事が終わり、夫婦共働きの慌ただしい日常が戻って来て早一か月、私は寿桂様から久し振りの呼び出しを食らった。

 こういう時は大事な話と相場が決まっている。手紙で済む話なら手紙を送ってくるはずだからだ。随伴する侍女に百ちゃんを指定しているとあれば、なおさらだ。

 …という訳で、輿に揺られて竜雲寺へ。

 今更だが、お寺の周りは鬱蒼(うっそう)とした森林に囲まれていて、冬でも薄暗い。不気味に思いつつも山門をくぐり…相変わらず落ち着いた造りの、寿桂様のお家を訪問する。

 いつもの部屋に向かうと、なんと寿桂様が、雪の払われた庭先に立って私を待っていた。その場で平伏しようとすると――


「そのままで結構。今日は貴方に見せておきたいものがあります。側付き共々、わたくしの側から離れないように。」


 寿桂様はそう言って、庭の片隅へと歩を進める。

 私は戸惑いながらも百ちゃんに草履を出してもらい、それを履いて後に続いた。


「こちらへ。」


 寿桂様に促されて木戸をくぐった、次の瞬間。

 百ちゃんが腰帯から短刀を抜き放ち、私をかばうように立った。


「百⁉」

「ご無礼。危急の段にございますれば、わたくしの側を離れる事の無きよう…。」


 突然の非常事態宣言に心臓バクバクになりつつ、百ちゃんの背中からそっと前方を窺う。

 すると、寿桂様も私と同じように、町人風の女性にかばわれるように立っていた。


「寿桂様に刃を向けるとは…無礼者め。相模の山猿は躾が足りんな。」


 町人風の女性が、百ちゃん同様に短刀を逆手に構えながら、ドスの効いた声で言った。


「わたくしが刃を向けるのは(あるじ)(あだ)なす者のみ。そんな事も分からないとは…駿府のネズミは知恵が足りないと見える。」


 百ちゃんが負けず劣らずの罵詈雑言(ばりぞうごん)を返すと、二人の間に張り詰めた空気が漂い始め――


「おやめなさい、七緒(ななお)。…(ゆい)。あなたも刃を収めるように、その子に命じなさい。」


 緊張を遮ったのは、寿桂様の一声だった。それを聞いた女性――七緒さんが苦々しい表情で短刀を収める。


「も、百。私の身を案じてくれるのは有難いけれど…寿桂様が私を害する訳が無いでしょう。向こうも刀を収めた訳だし…こちらも引きなさい。」

「…承知。重ね重ね、ご無礼仕りましてございます。」


 百ちゃんが納刀すると、寿桂様が七緒さんの前に立ち、私に向かって手招きをした。


「貴方達を招いたのは他でもありません。今川存亡の危機に際して、より一層の働きを求めての事。…わたくしが先頭を歩きます。貴方達はその後に続き、決して道を外れない事。わたくしと、後背から貴方達を見張る七緒がいる限り、危害を加える者はおりません。」


 促されるまま、寿桂様、私、百ちゃん、七緒さんの順で森の中に踏み入っていく。

 …どうしよう、いきなりシークレットエリアに連れ込まれてしまったらしい。




 寿桂様に先導されて踏み入った森の中で見たのは、明らかに怪しい光景だった。


「もっと早く!(ましら)の如く行き来せよ!」


 年端も行かない子供達が、大人に怒鳴られながら木々の間に渡した綱の上を歩いていたり。


「始め!…攻め手は拍子(リズム)をずらし、手数を重んじよ!一太刀にて勝とうなどと、考えるな!守り手は顔を動かすな、目を動かせ!一方が目に入らぬなら、入るように立ち回るのだ!」


 町人風の格好をした少年少女が、木製の短刀を手に、二対一の模擬戦をしていたり。


「もっと腰を低く、せわしなく辺りを見回すのだ。渡りの商人(あきんど)が背を伸ばし、真っ直ぐ歩いては不審を招く。隙あらば雑兵足軽、侍にも何か売りつけようと思うておる…そう見えるように、顔付きから足取りまで…うむ、その調子だ。」


 商人の格好をした青年が、所作の指導を受けていたり…これはもしかして、もしかしなくとも…。


「結。ここを如何なる場所と見ます。」


 前を歩く寿桂様に問われて、一瞬言葉に詰まりながら、返答する。


「忍びの調練場…左様にお見受け致しました。」

「その通りです。ここは今川が…いいえ、わたくしが抱える忍び衆の調練場です。特に定まった呼び名はありませんが…当地の名を取って、沓谷衆と呼んでいます。」


 私はかつて百ちゃんからもたらされた情報を思い出した。輿入れのために今川領内に入って以来、ずっと私を監視している連中がいる、と。…それが彼ら、沓谷衆だったのか。




「元を辿れば、戦乱で両親(ふたおや)を喪った孤児(みなしご)を引き取り、独り立ちするまで衣食、読み書きの面倒を見た事が始まりです。」


 沓谷衆の皆さんの鋭い視線を浴びながら森の中を歩く事しばし、到着した小屋の上座に腰掛けると、寿桂様はそう切り出した。私は七緒さんに促されて寿桂様の前に座り、その背後に七緒さんと百ちゃんが立って待機している。

 …私と寿桂様は囲炉裏の火に当たれるから寒くてもまだマシだが、七緒さんと百ちゃんが正直可哀想である。


「わたくしを実の母のように思った子供達が、奉公先で見聞きした事を手紙で知らせてくれるようになり…それが太守様(今川義元)の(まつりごと)(はかりごと)(かて)になる事がしばしばありました。やがて調略や物見にも用いる事が増え…いつしかこの沓谷の森を拠り所に、忍び働きを務めるようになったのです。」

「今も暮らしの一切を、寿桂様が世話しておられるので?」


 私の質問に、寿桂様は首を横に振った。


「沓谷衆の者は、常は百姓町民、渡りの商人などに扮し、己の生計を己で立てています。忍び働きについてわたくしや上役から務めを申し渡した時に限り、銭を与えているのです。」

「忍び働きとは、どのような…?」

「奉公先、旅先で見聞きした事を知らせる事に始まり…敵陣、要害に紛れての物見。調略の書状を密かに運ぶ他…領内の様子を探らせ、他国の忍びや謀反の(きざ)しがありはしないかと、目を光らせています。」


 寿桂様の話を聞く限り、沓谷衆が暗殺や放火などの破壊工作に加担していないと分かり、私は少しホッとした。

 一般人に紛れ込んで領内を監視している、だけでも限りなく(ブラック)に近い灰色(グレー)だが…風魔党のように殺人や略奪、破壊工作に関与していたら、沓谷衆、ひいてはそのボスである寿桂様とどう接すればいいか、見当も付かなかっただろう。


「…軽蔑しますか?名門今川の血脈に名を連ねながら、外道に手を染めたわたくしを…。」


 どこか悲しげな寿桂様の問い掛けを、私は慌てて打ち消した。


「滅相もございません!坂東三か国の主、北条さえ風魔党を用いております。また聞く所によれば、甲斐源氏武田家も忍びを抱えておられるとか。それを思えば、沓谷衆を外道などと、呼べる訳が――」


 次の瞬間、寿桂様がうつむき、僅かに微笑んだ――ような気がした。

 確かめようと目を凝らした時には、寿桂様は顔を上げ、いつもの厳しい顔付きで私を見据えていた。


「そう心得ているのであれば、話は早い。貴方には沓谷衆の忍び働きに助力し、いずれはわたくしの跡を継いで、沓谷衆をまとめ上げてもらいます。」


 沓谷衆の活動をサポートし、いずれは寿桂様の跡を継ぐ。

 その言葉の重さを測りかねて沈黙する私に構わず、寿桂様は続けた。


「桶狭間での敗戦、太守様の討死なかりせば…沓谷衆の事はわたくしの胸の内に留め、そのままこの世を去る積もりでした。ですが…今川の行く手に厚い暗雲が立ち込めている以上、左様な事を言ってはおれません。」

「暗雲…。」

「知っての通り、三河衆は織田との戦で苦境に陥っています。そこに此度の、御屋形様(氏真)の北条への加勢…今川が当てにならぬと踏んだ国衆が、織田に(なび)いているのです…岡崎の松平蔵人佐(元康)殿までも。」


 …は?

 え、噓…でしょ?


「左様な…左様な筈は!蔵人佐殿は御屋形様と兄弟も同然の間柄!太守様の厚恩に報いんと仇討ちを誓っておいでで…それに、御一家衆の瀬名殿を妻に――!」

「それで?」


 寿桂様に一言で切り捨てられて、私は絶句した。追い打ちをかけるように、斜め後ろから――位置的に七緒さんの方だ――冒頭部分が紐解かれた巻物が差し込まれる。

 真っ先に目に入ったのは…『永禄三年、三河国衆之表裏忠節探ル之事』。つまり、三河国衆が今川を裏切っていないかどうかの内部監査に関する報告書だ。


「かねてより、今川は尾張に、織田は三河に、調略の手を伸ばしていました。沓谷衆は尾張勢に寝返りを誘う書状を届けると同時に、織田の誘いに乗る者がいないかを見張っていたのです。それは昨年の一部始終をまとめたもの…桶狭間合戦の後、六月以降の部分をご覧なさい。」


 寿桂様に言われた通り、巻物を繰って目当ての部分を探す――あった。

 …やはり義元殿が討死した影響は大きかったらしい。五郎殿が父親の仇を討つ姿勢を明らかにした後も三河の動揺は完全には収まらず、吉田城で謀反を起こす計画すらあったようだ。

 それに気付き、寿桂様に知らせたのが他ならぬ沓谷衆。そして寿桂様が五郎殿に報告した事で、謀反は未然に鎮圧された、と。

 …今更だが、これはつまり五郎殿も沓谷衆の存在を知っている事になる。いくら寿桂様の進言とは言え、根拠も無く裏切り者を処罰なんか出来っこないし。薄々気付いていたか、義元殿が討死した後に寿桂様から聞いたか…まあ、今はそれは置いといて。


「水野藤四郎(信元)、松平蔵人佐の母の兄なり。清洲織田と岡崎松平の仲立ちをせんと思い立ち、清洲と岡崎に(よしみ)を通ず。尾張勢、岡崎城に間近く攻め寄せければ、岡崎の内にも織田と和睦せんとの声広く…。」

「確かに蔵人佐殿は、御一家衆に劣らぬ厚遇を受けて来ました。太守様の仇を討つと仰ったのも、虚言ではないでしょう。ですが…今の蔵人佐殿は岡崎城の主。直臣や他の国衆の意向を無視できないのです。」


 状況は極めて厳しい。その現実を、私は受け入れるしかなかった。


「…寿桂様の仰せの通り、事は一刻を争うかと。されば…私はどのように働けばよろしゅうございましょう。」

「…結構。わたくしは引き続き沓谷衆を指図し、三河衆の動向を探ると共に織田の調略を妨げます。貴方は蔵人佐殿を始め、三河衆の引き留めに専念なさい。」

「三河衆の引き留め…恐れながら、いつまで、どのように…?」

「三河衆が織田に心を寄せるのは、御屋形様の助勢を得られないから。であれば…御屋形様が北条の後詰よりお戻りになるまで、三河衆を引き留めればよいのです。」


 な、成程ぉ~。完ッ璧な計画だぜぇ~。肝心の、五郎殿がいつ戻るか分からないという点を除けば、よぉ~…。


「どのように、と申しましたが…それは貴方に任せます。これまで便宜を図った事を恩に着せ、忠節を誓わせるも良し。国衆の間に虚言をばらまき、互いに疑わせるも良し。…よもや、左様な外道に手を染められぬ、などと…戯言(たわごと)を申したりはしないでしょうね。」


 ぎろり、と音がしそうなくらい強く睨み付けられて、私は全身を強張らせながらツバを飲み込むと…ゆっくりと、しっかりと、頷いた。


「私は御屋形様の妻にございます。三河衆に忌み嫌われようとも…きっと務めを果たしてご覧に入れます。」


 …半分は噓だ。

 好き好んで他人から嫌われようとする人間なんて、いないだろう。

 寿桂様が抱えて来たグレーゾーンに踏み込む恐怖心も、少なからずある。

 でも、それ以上に。

 女だから、権力を持たない立場だから、と。

 これまで五郎殿を見守る事しか出来なかった私が、戦局を変えられるかも知れない、という期待が…確かに、ある。


「…良い心掛けです。では、子細について詰めましょう。」


 私の覚悟を十分と見て取ったのか、寿桂様は改めて、情報の管理規定や、沓谷衆との連絡手段について話し始めたのだった。

風魔忍者の出身である百が沓谷衆のナワバリに入っても大丈夫だろうか…と悩みましたが、結が今後沓谷衆と連絡を取り続ける以上、忍者同士の暗黙の了解を熟知している人材が適切だろう、と考えて今回の内容になりました。

今後の頭脳戦、情報戦において、沓谷衆には大いに活躍してもらう予定です。

…その功績が世に出る事はありませんが。

『我々の成功は誰にも知られる事は無いが、失敗はすぐに世間に知れ渡ってしまう』――CIAのモットー(?)

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