88 出征を前に4
以前は、今のようにそつなくシェルダンからの『注文』をこなせるわけではなかった。判断のことでは事細かに怒られた上、足りない技能についても、容赦なく指摘されたものだ。
(足りないから妥協するってこと、俺にだけはなかったもんなぁ)
シェルダンからすれば期待の裏返しだったのだろう。
(言われてみれば、俺も苦労人だ。ははっ)
他の分隊長たちと自分とでは明らかに扱いが違った。叩き上げで出世頭のシェルダンを英雄視するような他の軍人からのやっかみも一切ではない。数年前から今に至るまで。
「本当に大変だったみたいですね」
珍しくいたわるような苦笑いとともにエレインが言う。
顔に出てしまったらしい。
「いえ、おっしゃるとおりだから。シェルダン隊長としては気心のしれた腕利きが分隊長ぐらいのところに欲しかったのでしょう。何かと便利に使えるから。現にそうされてますし」
バーンズも苦笑いで応じる。
「何それ、ひどいことだから、私、文句を言います」
プンプンと分かりやすく腹を立てながら、エレインがコーヒーを口に含む。熱いのが苦手なのか、フウフウと長く息を吹きかけていた。
(氷、次からは入れてもらおう)
バーンズは頭に刻み込んでおくのだった。
「残業代や出張費、危険手当なんかを手厚くつけてもらっているので、分隊長としては破格に貰ってはいるようなので、文句も言いづらいんですよ」
一度、同世代の分隊長と給与明細を見せあったのだ。あまりに違うのでお互いに驚き、以降は一切していない。
(シェルダン隊長らしいっちゃ、らしいけど)
周囲からも自分のことは普通の分隊長だとは思ってもらえないのだった。
「そして、とうとう魔塔にまで上がることとなってしまいました。エレイン殿も、というのは驚きましたが」
バーンズもコーヒーを口に含んだ。苦味が今は美味く感じられる。
「私がお話したかったのは、その魔塔のことです。フェルテアのこととかはもちろん、私、医療のこと以外からきしだから。それが不安で。ううん、そうでなくとも不安で怖くて、だって危ないらしいし。一緒に行くなら、バーンズさんとお話したくて」
ヒソヒソとエレインが顔を近づけて告げる。話が魔塔のことになったので、周囲を気にしだしたのだ。
「具体的な質問とかも思い浮かばなくて」
つまりは頼られているのだ。
バーンズは少々思案した。具体的な仕事や魔塔について、まだルフィナから何も言われていないらしい。
(下手すれば、ずっと何も言われないかも)
自分のほうが少々恵まれている。フェルテアの魔塔について、出そうな魔物は既に分かっているのだから。
上司がよく言えばおおらかで優しく、悪く言えば大雑把なルフィナではなく、几帳面なシェルダンなのだ。
(あの人らしいよな。資料集の冊子なんて)
いつも何の任務でもそうしているが、バーンズはすでに頭の中には叩き込んである。
並大抵の量ではなかったが。それもいつもどおりだ。
「私の方はシェルダン隊長から、かなり以前に話をされていて、資料も渡されました」
あの段階でシェルダンの方は送り込む部下を自分と決めていたということでもあった。
「魔塔での立ち回りについての助言も受けましたし、心構えなんかも荷造りも終えました」
地図を描くノートに鉛筆、非常用の兵糧に水筒、オーラが切れた時用の聖木など。第2階層より上での軽装歩兵としての任務に必要なものだ。
「いいなぁ、ルフィナ様も見習ってほしいぐらい」
ようやく冷めたコーヒーを大胆に口へ運んでエレインが言う。
「シェルダン隊長の部下は部下で大変ですよ。頭に入れた冊子をご覧いただきたいぐらいです」
苦笑いで、バーンズは言う。
理不尽ではないが、信頼されたら最後、次から次へと秘密の特命が降ってくる。結果、恐ろしく忙しい。
「うーん、確かに私は耐えらんないかも。怖そうだし怒られそうだし」
見るからに相性の悪そうなエレインが素直に頷く。想像しただけで嫌になったらしい。なお、シェルダンもおそらくエレインのように闊達すぎる女性は苦手だろう。
「話を戻しますが」
バーンズは深呼吸した。少し、思い切った言葉を吐こうと思ったのだ。
「だから、然るべき準備もしっかりしてありますから、あなたのことは、俺が何が何でも守ります」
顔を近づけて、エレインの顔を正面から見据えて、バーンズは、言い切った。
「え、なんで、そんな、急に。ずるいです」
珍しくエレインをドギマギさせることに成功した。いつもは自分が逆の立場なのだが。
「なら、私はバーンズさんが怪我したらすぐに治します。他の人が怪我しても、バーンズさんが先です」
治癒術士としてはどうかと思うが、本当にそうしそうなのがエレインである。
「そこは、公平にしましょう。やっかみで我々がむしろ見殺しにされかねない」
笑ってバーンズは返す。
「あっ、そっか。それはそれでマズイですね」
そして真剣な顔でエレインが悩みだす。だが。悲壮なものは解消出来たようだ。
バーンズは席を立って支払いを済ませる。
日が傾き始めていた。もう一箇所、戦いの前、2人で訪れたい場所がある。
エレインも理解していて、神妙な顔だ。
やがて皇都グルーン東部神聖教会へと至る。閑静な住宅地の片隅にあり、この時間帯は人が少ないのだ。
「お互いの無事を祈りたくて」
言い訳がましくバーンズが言う。
「分かってます。わたしも、そうしたかったから」
照れくさそうに笑ってエレインも言う。
(次に来る時は、2人共無事で、絶対にプロポーズだ)
バーンズは御神体の前にて、跪いて無事を祈りつつ、一方では固く決意するのであった。




