80 治癒術士エレイン1
第1ファルマー軍団の軽装歩兵連隊に付随して動いていた治癒術士団は、任務の長期化に伴い、一旦交代となった。よって、エレインもまた皇都グルーンに帰還している。
(フェルテアもやっと、落ち着いたみたい、バーンズさんのおかげで)
思い、エレインはぽっと頬を赤らめる。
今は治療院にて院長ルフィナの招集に応じて、その執務室へと急いでいるところだ。
(本当は私、休暇中なのに)
そして不満な点にはきちんと頬をふくらませる。
長期の過酷な軍隊との任務につき、7日間の休暇が認められたのだ。早速、初日から呼び出されて、制服のローブを身に着けることになるとは思わなかった。本当は初日からバーンズをデートに誘おうと思っていたのである。
(でも、陣地で洗うより綺麗になった気がするから不思議)
制服について、皇都グルーンで洗うほうが、着ていてさっぱりとなった気がするのだった。
そこには今度は上機嫌になるエレインである。
「入りますっ!」
宣言して、エレインはルフィナの執務室前に至る。そしてノックもせずにその扉を開け放ってやった。
(どうせ、誰かいるとしてもゴドヴァン様だもん)
夫からして遠慮の要らないのがルフィナという女性なのだ。そしてエレインは凍りつく。
中にはルフィナ以外の人がいた。だが、ゴドヴァンではない男性だ。
(あっ、戦友の人だ。バーンズさんの上司のシェルダン隊長さん)
エレインは全く知らないでもない相手をまじまじと眺めた。
出張した陣営でも何度か見ている。端正な顔立ちだが、いつも黄土色の軍服を着ていて無表情だった。
びっくりした自分に対して、相手は不躾な自分の行動にかなり気を悪くした様子だ。胡乱げな視線を突き刺してくる。
「まったく、ここの治癒術士はどうなっているのですか?部屋を開けるのにノックもなしですか?私の部下のバーンズですら、ノックぐらいはしますよ」
ルフィナに向かってシェルダンがボヤく。自分に対して直接は文句を言ってこない辺りが、いかにもシェルダンらしい。バーンズの名前をわざわざ出してきたのも確信犯だろう。当てつけなのだ。
「あら、元気があっていいでしょう?愛嬌で許されるのよ、この子の場合は」
微笑んでルフィナが返す。庇っているのだから謗っているのだか分からないような言葉だ。
「私は不安になってしまいましたよ」
にべもなく、すかさずシェルダンが告げる。
頭の回転も早いのだろう。瞬時に嫌なことを言えるのである。
(相手はルフィナ様なのに)
騎士団長ゴドヴァンの妻にして、自身もドレシア帝国最高の治癒術士と誉れ高い女性だ。聖騎士セニアやクリフォード皇弟とも並ぶ『魔塔の勇者』でもある。
そんな相手にも容赦のない言葉を浴びせているのがシェルダンという男なのだ。かえってエレインは感心させられてしまう。
「腕は確かよ。私が保証する」
更に肩をすくめてルフィナが返す。
「腕前だけで、どうにかなる環境ではないと、よくご存知かと私は思っておりましたが。まして、治癒術士のお立場では、組む相手との連携が殊に大切でしょう」
ため息をついてシェルダンが言う。
(うーん、分かるような、分からないような)
エレインにもなんとなく分かる言葉だった。
戦場で治癒術士は自ら戦う力を持たない。守ってもらうしかない存在だ。
(ルフィナ様には、誰よりも信じられるゴドヴァン様がいた)
無条件で背中を預け合える関係は羨ましくもあった。
「正論だけどね、何から何まで整えてあげられるわけでもないのよ」
苦笑いしてルフィナが返す。
「では、私のほうは、そのしっかりと組む相手の方を仕上げておきますので」
何やら意味深な言葉を残してシェルダンが一礼してルフィナの前を辞す。すたすたとエレインの横を素通りして、開けたままの扉から部屋を後にする。
(なにあれ、酷い態度)
腹立ち紛れにエレインはシェルダンの背中に向けて、舌を出してやった。
背中を向けたまま、シェルダンが片手を挙げる。
まるで見えているかのような所作だ。
見えていないはずなのに、幼稚な仕草を見られたかのような気がして、途端にエレインは気恥ずかしくなる。
振り向くとルフィナが苦笑いしていた。
「間が悪かったわねぇ。よりにもよって、機嫌が悪いときのシェルダンが来ている時に来ちゃうなんて」
ルフィナが告げて、対面の椅子を指し示す。
「機嫌の良いときって、無いんじゃないですか?いつも難しい顔して、嫌なことばっかり言ってる気がします」
ぷんぷんと腹を立ててエレインは文句を言った。
「そうでもないわよ?あれで、変な時に機嫌が良かったり、変なことで浮かれたりするのよ?後で聞いてから、驚いたり、呆れたり」
ころころとルフィナが笑って告げる。
「ゴドヴァン様と、アスロック王国の時からのお知り合いなんですよね?」
エレインは昔、聞かされた話をなんとか思い出して尋ねる。
「ええ、一緒に最古の魔塔を、最初に最上階まで上った、そんな戦友よ。本当に、誰よりも頼りになる軍人よ」
さらりとルフィナが言う。
「そんな人が、でも、なんで、あんな不機嫌に?」
エレインは驚きつつも首を傾げて尋ねるのであった。




