79 閑話 イリスの1日3
午後、昼食を取ってから、イリスはレルクを抱っこして走り、セニアの屋敷を訪れていた。
「お母様、速い、速い」
道中ずっと、キャッキャッと嬉しそうにレルクがはしゃいでいた。抱っこされた状態で走られるのが大好きなのだ。
「イリスッ、ようこそ!いらっしゃい!」
到着して正門で訪いを入れると、だいぶ腹の大きくなった聖騎士セニアが笑顔で出迎えに来てくれた。
「レルク君もこんにちは!」
セニアがレルクにも小さく手を振る。
「こんにちはっ!」
元気に応じるレルクにイリスは満足した。
「ね、レルク君を抱っこしてもいい?」
うずうずとした様子でセニアが尋ねてくる。
「だめ」
イリスは即答する。
「いや」
レルク本人も首を横に振ってイヤイヤである。
セニアの抱っこは荒っぽい上に振り回すので、親も不安だし本人も怖いのだ。おまけに抱きしめる力も強すぎる。
悪いところしかない。
「そう、ごめんなさい」
しょんぼりしたセニアが庭園へと案内する。
抱っこが下手なくせに抱っこをしたがるのだ。ある意味、昔から何も変わらないのだった。
「わっ、お菓子だ!」
家では体重と健康管理のため、あまり甘いお菓子を与えていないので、準備されていたお茶菓子にレルクが目を輝かせる。
「好きなのを食べていいのよ?」
セニアが自分たちに椅子を勧めてくれつつ告げる。
「ありがと」
そうは言われてもまだ我が子は1歳半である。イリスはレルクが食べても良いものを選り分け始めた。まだ、何でも食べられる年齢ではない。
(本当はもっといろいろ、わきまえなくちゃ?なのかしら)
友人だとは思っているし、言ってもくれるセニアだが、かつての主にして今も皇弟夫人でもある。身分としては明白に上なのだった。
「私、妊娠したから、これぐらいしかすることないの。魔塔との戦いはいよいよなのに、動いちゃ駄目なのよ。クリフォードが言うには我慢なんですって」
憮然とした顔で言うセニアを見ると遠慮なんぞ吹き飛んでしまう。
「あんたねぇ、ちゃんと出産する気ないの?魔塔のことばっか気にしてたら、お腹の子が可哀想よ」
ついイリスは昔のままに咎めてしまう。
「魔塔は他の人でも倒せるんだろうけど、その子を産んであげられるのは、あんただけなのよ?責任は重大、他所の魔塔なんかよりも、大事な仕事よ、はっきり言って」
イリスはセニアの大きくなったお腹を指さして言い、更には変わらない単細胞な頭を細く白い指でつつき倒してやった。
「イ、イリスだって、朝は走ってるのに」
セニアが不平を申し立てた。
「最初のうちだけよ。あんたぐらいになったら、私も大人しくするしかないの。レルクの時もそうしてたのよ?」
イリスは簡単に論破してやった。
「うん」
小麦のクッキーを頬張るレルクが知るわけもないのに頷く。
「よくモグモグして食べるのよ」
イリスはしっかりとたしなめる。間食も食事もしっかりと食べているのだが。お出かけ先でのおやつというのは格別に嬉しいらしい。
「もっと、言ってやってくれ、イリス。私が言ってもなぜだか信じてもらえないんだ」
困り顔のクリフォードが女子会に割り込んできた。気の使えない人間性は相変わらずである。
「殿下、女子会に割り込まないでください」
イリスはすかさず言い返す。
「あなたは結局、何かしらかを燃やすしかないって結論になるだけじゃない」
セニアですら、呆れ顔で言う。
「私の人生はそれでどうにかなってたしね」
肩をすくめてクリフォードが言う。いつもどおりの赤いローブ姿だ。
「それにその子は私の子でもある。法力はわからないが、きっと私に似て強烈な魔力を持つだろうから、きっと同じく燃やしたがりさ」
年を経て、自覚ありの燃やしたがりとなったクリフォードが誇らしげに言う。
「この子はきっと、私や父の系譜を継ぐ聖騎士になれるような法力を持ってます。聖騎士になりたがります。燃やしたがりにはなりません」
ツン、と横を向いてセニアが言う。
(別になりたいように、させたいようにさせてあげればいいじゃないのよ)
クッキーをむさぼる我が子を横目にイリスは思う。
実際のところは、セニアとクリフォードの子ども、という立場は一筋縄ではいかないだろう。生まれてくる子どもに、イリスは密かに同情した。
「とりあえず、今は、あんたは赤ちゃんのことだけ考えてればいいの。それに、いざとなったらメイスンさんもいるじゃないの?ますますおっかなくなってるじゃない、あの人」
メイスン・ブランダード、セニアの叔父にしてドレシア帝国きっての剣豪だ。おまけに神聖術まで駆使する化け物でもある。
「そうなんだけど」
セニアが口籠る。メイスンの名前を出したのは、思った以上に正解だったようだ。セニア自身も強者と認めているのだから。
さらにひとしきり屈託のない言葉をかわし、イリスはセニア邸を後にする。来た時と同じく、駆け足であった。
「ただいまー、今日も2人と、また会えて幸せ」
夫のペイドランが疲れ切った顔で帰宅する。
夕食を3人で摂ってから、自分でレルクを風呂に入れて寝かしつけた。
「今日はどういうことしたの?」
ニコニコと笑顔を浮かべて、居間で大の字に寛いでいたペイドランが尋ねてくる。
「働いて走りまくって、楽しんできたわ」
イリスは胸を張って答えた。
朝の走行訓練から始まって、退屈しない日中を過ごし、夜には夫とくつろいだり、息子の寝顔を楽しんだりする。
イリスにとっては、日々の暮らしが楽しいのだった。




