67 使者〜失墜1
ドレシア帝国からの使節団がフェルテア大公国に到着した。合計2000名もの歩兵の軍団なのだという。
首都フェリスでは異様なものものしさと緊張感が溢れていた。民も息を潜めて家から出ないのだという。
(くそっ、ほとんど恫喝ではないか)
ミュデスは執務室から軍勢の一端を見て思う。
失踪した恋人のラミアを探して人を出していた。今は報せを待っているところだ。本当は使節の相手などしている場合ではない。
(だが、良い話のわけがない。軍隊まで同伴してくるなど)
フェルテア大公国の魔塔から魔物がドレシア帝国に流れてしまったというから、その陳情だろうとミュデスは読んでいた。
(どうとでも言い逃れできる材料で、私の時間と労力を割く羽目になろうとは。おのれ、ドレシアめ)
ミュデスとしては、極めて腹立たしい。
「ミュデス様、大公閣下がお呼びです。『麗晴の間』に来るように、と」
名も知らぬ従者が告げる。まだ20歳にもならない若造だ。
出向かないわけにはいかない。突っぱねれば愚図な父はともかく、さすがにドレシア軍が捕縛の兵を寄越してくるだろう。
「分かっているっ!やかましいっ!」
怒鳴りつけるも、嫌な笑みとともに従者がどこかへ姿を消した。いつもなら恐縮して怯え、涙目になるというのに。
(くっ、あんなやつにまで)
馬鹿にされ、侮られてしまった。
ミュデスは自力で身なりを整えると唇を噛んで、応接用の間『麗晴の間』へと向かう。最早、呼んでも侍女すら来なくなったのだ。
なぜかは分からない。いつしか自分が失脚すると噂が流れるようになった。
首都フェリスではまことしやかに囁かれているのだが。
(下手すれば廃嫡されると。ふんっ、馬鹿馬鹿しい)
ズンズンと一人、拳を握りしめて廊下を進み、ミュデスは『麗晴の間』に至るや、その両開きの木製戸を勢いよく開け放った。
「ようやく、本題の到着か」
ボソッと無愛想な男が振り向いて呟く。灰色の髪であり、いかにも愛想のなさそうな男だ。
奥の玉座に父のフェルテア大公が座り、手前側には自分を『本題』と名すら呼ばない男が立つ。男が身に着けているのは黄土色の軍服だ。灰色の髪色だからアスロック王国出身者かもしれない。
(なんだ、ドレシアはこんな下郎を寄越したのか)
見るからに身分の低そうな相手の風貌を見てミュデスは思う。他に客はいない。使節というのはこの男だろう。
(所詮、噂などそんなものなのだ)
用件の軽重は使節の身分に比例する。ミュデスは安堵した。ドレシア帝国の用件など大したことでも悪いことでもないのだろう。
「ミュデス、こちらはドレシア帝国軍第1ファルマー軍団軽装歩兵連隊総隊長のシェルダン・ビーズリー子爵だ」
フェルテア大公が一向に自己紹介しない使者を紹介した。
たかだか子爵を大公自らが紹介するなど異様なことだ。相手が『当然だ』という顔をしていることも気に入らない。
「父上、国家元首としてのご自覚をお持ちくださいと、かねてより申し上げて」
気に入らなさに任せて、ミュデスは口を開く。
かつてない強い視線で父に睨まれてすぐに口をつぐむ。初めてのことだ。
「黙れ、ミュデス。シェルダン殿はドレシア帝国からの正式な使者だ。非礼は許さん。不出来なお前の不始末を全て、詳らかにしてくださるという」
フェルテア大公が厳しい口調で告げる。
反論しようとミュデスは思った。だが、胡乱な眼差しをシェルダンに向けられて、圧倒されて黙ってしまう。
「ミュデス様がこの国の基準かと思って危惧しておりました。大公閣下はきちんとしておられて安堵しております。わざわざ軍まで連れてこざるを得なかったほど、信用できませんでしたのでね」
シェルダンが馬鹿にしたような口調で皮肉を言う。
言い返そうにも睨みつけると睨み返される。無機質な視線を受けて、ミュデスの背筋に寒さが走る。
生まれて初めての恐怖だ。遠回しに『馬鹿だ』と言われているのに、何も言えなかった。
「いえ、シェルダン殿、そのような非礼を我が国は致しません」
壁際にガズスもいた。巨体が見えないほど、自分はシェルダンに圧倒されていたのだ。
「そう願いますな。たかだか使いっ走りで、危険を冒したくはありませんのでね」
素っ気なくシェルダンが言う。
そして見るからに分厚い冊子を懐から取り出した。
あまりの重量感にミュデスは目を見張る。この期に及んで何だと言うのか。
「とりあえず、我が国がミュデスという愚かな人物のせいでどれだけの迷惑と被害を被ったのか。一通り纏めてきましたのでご覧ください」
何食わぬ顔でシェルダンが説明した。『愚か』と言われてカッとなりかけたが、やはり睨まれるとミュデスとしては何も言えない。
初老の父が持って読むには重すぎる。小間使いが書見用の机をバタバタと持ってきた。
父が恐る恐るページをめくり、目を通していく。そしてシェルダンへと恐怖の視線を向ける。
「これは。倒した魔物の種類に数、倒した場所と時間に負傷者の数に負傷状況まで」
父の大公が呟く。
静々とミュデスもガズスとともに冊子を覗き込む。
そして、細かい文字の羅列にうんざりとしてしまうのであった。




