66 リオル・トラッド
北の戦線にてフェルテア大公国の兵士たちが数名、兵糧庫や武器庫への略奪を犯し、とうとう捕らえられたのだという。
数日経って、その知らせを受けたリオルは、皇帝シオンに呼び出されて、執務室を訪れていた。第4ギブラス軍団の指揮官であり、シェルダンとも親しい。自軍もまた、シェルダン率いる軽装歩兵隊の少し南方に築陣している。
(ちゃっかり、私を利用しているんじゃないか)
この場にいない友人に、心の内でリオルは語りかけた。
シェルダンが帰ったことで、自分の方は北へ帰りづらくなったのである。
皇帝シオンから呼び出されたというのに、用件が済むなり、早々に帰陣した。なんでも即答で断ったらしい。それですぐ帰ってしまう。不敬ではないが、普通はしない。
(シオン陛下から戻れなり、なんなり言われて脱するものだ)
リオルは苦笑いである。ただ、聖女クラリスと親睦を深めたいだけではなかったのだ。皇都に残って、取りなしてきたのである。
「彼らしいな。現地で着々と調略を進めてくれているよ」
シオンの第一声である。細い、怖い、険しいと三拍子揃った政治家であり、向き合っていると、誰しもが緊張させられる。遠縁の親戚であるリオルとて例外ではない。
「とうとう、武器庫や兵糧庫を襲うミュデス配下の者を生け捕りにした、と、私にも報せが来ております」
一応、リオルは立ったまま報告する。おそらくは口ぶりからしてシオンもすでに知っているのだろう。それでも言うか言わないか、は時として、大きな違いを生む。
「私には、わざと襲わせていたようにしか、思えないんですがね」
さらにリオルは加えた。
「そのとおりだ。彼なら、それぐらいはやる、か」
シオンが目を細めて言う。
「いよいよ、ミュデスを追いやる材料が揃った。これは駄目押しかな」
手元の資料に視線を落とし、シオンが加えた。シェルダンのことを、アンス侯爵とともに気に入っている様子だ。2人でよく、平時でも悪巧みをしている。
(この場に、アンス侯爵とシェルダン本人が加わるともっと大変なこととなる)
3人とも口論にはめっぽう強く、自分にも他人にも厳しい。
「ミュデスさえいなければ、聖女クラリスは清廉な人物です。神聖魔術の訓練も始められました。懸命に努力されていますよ」
リオルは聖女クラリスの努力を伝えることとした。
時折、自分も顔を出している。いつも嫌な顔をシャットンに、怪訝な顔をクラリス本人からされるのだが。
「それが、この調略となんの関係があるのかな?」
合理主義者のシオンが首を傾げている。
つくづく、自分は損な役回りなのだった。
(だが、近くにいることで分かった。あのシャットンという護衛。本当に護衛だ。私が言い寄って口説いても、つれなく袖にされるということはなさそうだ)
リオルもただでは転ばないのである。
クラリスとシャットンについては、何かきっかけがあれば、恋仲となっていたのかもしれない。
(だが、そのきっかけが、何も起きなかったのだな。あれは)
まるで兄と妹のように見える、というのがリオルの印象だった。
「努力は悪くないし、当たり前に必要なものだが、あればいいというものでもない。今、すぐには魔塔で戦えないのだろう?被害が少しでも減らせるよう、懸命に努め続けて欲しいものだな」
さらには素っ気なくシオンが言い放つ。言いたいことは分かるが、やはり厳しいのだった。
(これで、当人たちの前では、普通の顔をしているからたちが悪い)
リオルは苦笑いだ。
「セニア殿もかつては、剣技のほうはともかく、神聖術を実戦で使えるようになるほどに至るまでは、かなりの時間を要していたからな」
当時を思い出す、遠い目をしてシオンが告げる。
「そのセニア殿も、素質は天才的であったとシェルダンから聞かされていますよ、私は」
笑ってリオルは告げた。
すぐには戦えないかもしれない聖女クラリスである。ならば自分としては助けてやりたいのであった。
(当時、実力不足だった分を補って、とうとう夫にまでおさまったのが、あなたの弟じゃないですか)
羨ましさとともにリオルは思う。本人たちとしては紆余曲折があったのかもしれないが、今の姿を見るにつけて。
「私もだ。だが、どうもシェルダンとしては、とにかくまず、ミュデスを排除したいらしい。遠回しに、呼び出しが調略を遅らせたのだ、と報告で伝えてきている」
苦笑いしてシオンが告げる。不敬にはあたらぬよう本当に遠回しなのだろう。そのあたりの器用さをシェルダンが天性で持ち合わせているのは知っていた。
「無論、ミュデス排除の必要性については私も、シェルダンの上司のアンス侯爵も認めているが」
実際は水面下でシェルダンが調略を進めていることは容易に想像がつく。
(この3人は水面下でコトを進めるのが得意だからな。アンス侯爵閣下は後任探しを。シェルダンは魔塔のことを、そして陛下はフェルテアとの外交について。それぞれ考えているはずだ)
いずれも国益、ひいては民のために冷徹に判断を下しているのだ。ある意味では人間離れしていた。
「シェルダンが排除したいというからには、確実に排除するのでしょうね」
リオルはこれまでのシェルダンの成した仕事を思い、告げる。
「既に、奴は詰んでいる」
冷たくシオンが言い放つ。
「皇城に刺客を放っただけではなく、我軍にまで手を出したことが明白となった以上、責任からは逃れられない」
本来は同盟国なのだから、とんだ裏切りの連続だ。
シェルダンもシオンもミュデス自身の名でそれを為したという裏付けを得ている。
「シェルダンに訴追の使者をやらせる。どう言い訳してくるのか。あのシェルダンを相手に見ものだ」
薄く笑ってシオンが言う。シェルダンに詰められるのは自分でも怖い。リオルは密かにミュデスに同情した。
「ミュデスを追い落としてから、ようやく聖女クラリスの出番となる。シェルダンとしては、神聖魔術の修練はそこからで良いと考えているのかもしれないな」
シオンが事務的な口調で告げる。
「君はそれまで、護衛も兼ねて聖女クラリスとともに過ごせば良い。脈はあるのだろう?」
ここで皮肉な笑みとともにシオンが言う。
「私の滞在を黙認してくれているのは、それが理由ですか?」
今度はリオルが苦笑する番だった。
「むしろ、そちらが聖女目当てで来たのだろう?まったく、呼び出したわけでもないのに便乗して、シェルダン自身も逃げたというのに」
笑ってシオンが尋ねてくる。全てお見通しなのだ。自分の恋心まで含めて。
「なかなか、警戒されて上手くいかないのですがね」
リオルは力なく笑って零す。
「露骨に好意を剥き出しにして近づいていけば当然だろう。まったく、私の周りには女性に恋をすると、真っ直ぐに突っ込んでいく奴しかいないのか。従者といい弟といい」
シオンがボヤく。
「いずれも上手くいっている例ではないですか」
リオルは羨ましさとともに指摘せずにはいられなかった。
(陛下は奥手過ぎるのさ)
逆にペイドランという従者に背中を押されてやっと結婚したのがシオンなのであった。
「ミュデスを追い出したのが確認出来たら、すぐにでも聖女クラリスを戻す。そうしたら忙しくなって口説くどころではなくなるぞ」
しかし、既婚者の余裕なのか、先輩ぶってシオンが言うのであった。




