60 お墨付き
(シェルダンって人、ここまで読んでいたのかしら?)
聖山ランゲルにて、大神官レンフィルは微笑む。
目の前で跪くのは聖女クラリスの護衛シャットンだ。灰色の髪で分かる通り、旧アスロック王国の出身である。かつて王太子エヴァンズの従者をしていたらしい。
(最初は、なんでここへ参拝に来たのかと思ったけど)
レンフィルは手振りで、シャットンを案内してきた禿頭の神官ポートを下がらせる。
愛しいガードナー・ブロングを持っていかれた北の戦地を経て、どういう意図なのか。シャットンが寄ったのが聖山ランゲルである。方向としては皇都と戦地を繋ぐ道からは大きく外れるどころではない。戦地から見て、皇都より更に先にある場所なのだ。
「シェルダン・ビーズリーさんにここへ寄れと?そう言われたのね?」
レンフィルは薄く笑ってシャットンに尋ねる。
神聖教会の宗教的権威である大神官の自分に対し、当然、緊張した面持ちのシャットンだ。心を読むに、あくまで立ち寄るだけのつもりだったらしい。なぜ呼び出されたのか想像もつかないのだろう。
「ええ、その教練書を渡す条件だと」
気不味そうな顔のシャットンが、入ってきて早々に差し出させられた教練書を見る。
驚くほどに重かったので、レンフィルは受け取ってすぐに手に持つことを諦め、神官ポートに書見机を持ってこさせたほどだった。
「てっきり私は教練書の出処を隠すための、偽装をしろと言われたのだと解釈していましたが」
シャットンが正直に思ったままを告げる。旧アスロック王国の出身であり、王太子エヴァンズに近かったのだ。思考を隠そうとしても無意味だと、分かりすぎるぐらいに分かっているのだ。
「1つのことを1つの目的ではしない人種のようよ。シェルダン・ビーズリーという人は」
レンフィルは言いながら右手を伸ばして、教練書の頁をめくる。素早く右上から左下へと目を通していく。
(シャットンがこの聖山ランゲルに来れば、当然、私は思考を読む。そして教練書のことを知れば興味を引かれる。そこまで考えてこの妙な条件をつけた)
レンフィルはシェルダンの考えをそう解釈していた。当然、出処を偽装したい、という意図もあるのだろう。
(そして、この教練書、資料よ)
読めば読むほどに呆れてしまう。
レンフィルはとっつきづらい達筆で書かれた教練書をパラパラと読み進めていく。一度は見たことのある文面や既に知っていることばかりだから、早く読み進められるのだ。
「文字にも個性は出るものだけど」
読みながらレンフィルは零す。
「シェルダン殿本人が書かれたもののようです。文字もシェルダン殿の筆跡のものでしょう」
独り言にシャットンが遠慮がちに答えた。
つくづく、あの無礼なエヴァンズの下についていたにしては、礼儀を弁えている。
「でしょうね。なんでかしら?読みやすくてきれいな字なのに、読もうっていう気持ちがどんどん失せていくのよね」
レンフィルは淡々と告げる。
(これ、あのクラリスさんがちゃんと活用出来るのかしら?)
頭を抱えながら読むことになるであろうクラリスを想像し、レンフィルは笑いたくなってしまう。
神聖魔術の遣い手としての素質はあるものの、また、善意と気概こそあるものの、知識と行動の足りないクラリスのため、シャットンが動いたのだった。
(魔塔をなんとかしようって、気持ち自体はとても健全。聖女としての自覚はちゃんとあったみたいね)
厳しいことも言ったが、そこにはレンフィルも感心していた。その気になれば、聖女クラリスには亡命という選択肢もあるのだから。
「では、文章が読みづらいとかですか?」
シャットンが首を傾げて尋ねる。
門外漢だから気にもかけないということをしない姿勢には、レンフィルも好感を覚えた。
「そうねぇ。文章もね、とても素っ気ないけど、分かりやすいわね」
レンフィルは認めざるを得なかった。
字も読みやすく、文章もとても分かりやすい。
(それに、軽装歩兵という軍人の家系で、なぜこんな詳しく、神聖魔術について情報を?)
分かりやすいということは、しっかり体系立てて書かれているということでもある。
つまり神聖魔術を習得するために必要な手順を把握しているということだ。読んでいて、レンフィルは得体のしれない恐怖を覚えるほどだった。
「これは、本当にシェルダン・ビーズリーという人が?」
レンフィルは確認せずにはいられなくなる。
「はい。ご子息に伝授するためのものだと」
シャットンが跪いたまま答える。嘘をついているようには見えないし、つく意味もない。さらには自分に対しては、ここ聖山ランゲルで嘘をつくことも出来ない。
(こんな人材がいれば、私のところに来なかったのもよくわかる)
レンフィルは苦笑いである。
一度、聖騎士セニアを頼ろうとした情けない姿に激怒して追い返した。
(ちょうど、ガードナー様を戦地へ持っていかれるとなって苛立っていた時期ではあったけど)
当然、そのせいではないと自分では思っている。
ただ、レンフィルの機嫌が間違いなく悪い時期ではあった。
神聖魔術については、聖山ランゲルにも代々、大神官に伝わる資料と修練の場所もある。ここ聖山ランゲルが本家本元なのだ。
(だから、私のところへ頭を下げに来るか。ミュデスとかいう人の自滅待ちだと思っていたのだけれど)
ミュデスがいなくなれば、聖女クラリスのフェルテア大公国への帰還も叶う。
(あっちの聖教会でも多分、学べなくはないと思うのよね。ま、技術としては廃れているのだろうけど)
レンフィルはここまでなんとか考えつつ、一通り、シェルダン・ビーズリーの資料に目を通り終えたのであった。
朝早くに来たシャットンに対し、読み終えた今、日が沈みかけている。
(疲れた)
バタンッと音を立ててレンフィルは分厚い教練書の冊子を閉じる。
「いかがでしたか?」
シャットンが身を乗り出して尋ねてくる。
自分が内容を精査したことぐらいは察したようだ。
「すごいわね、これを書いた人は」
レンフィルはため息をついた。
「そのままこれ、寄贈してもらって。もう少し親しみの持てる文章に書き換えて、うちの蔵書にしたいぐらい」
人を拒む独特の雰囲気以外は何も問題は無い。
「それほどですか。しかし、当人との約定もありますし、クラリス様にも必要ですので」
困惑した顔でシャットンが遠慮がちに拒もうとする。
「ええ、分かっているわ。とりあえず、この教練書の存在は私の心に留めておくとするわ」
レンフィルは機嫌よく応じた。
少々意外そうな顔をシャットンがしている。無理もない。聖山ランゲルの司る神聖魔術について、黙認すると言っているのだから。
(もともと秘密主義のビーズリー家だから、そう問題はないし)
レンフィルは思うのだった。
「それのとおり、素直に修練すれば、聖女クラリスも神聖魔術を使えるようになるでしょう」
さらにレンフィルは太鼓判まで押してやった。
(私に内容の確認までさせるだなんてね)
呆れるほどに合理的なシェルダン・ビーズリーの思考なのであった。
一番末尾には1枚の手紙も添えてある、というおまけ付きだ。
(本当に気が利いているわね。一緒に仕事をしたら楽をさせてもらえそう)
シャットンに気付かれないよう、こっそりとローブの袖に手紙を隠した。
おそらくはシェルダンが書かせたであろう、ガードナー・ブロングからの手紙である。
想い人からの手紙を楽しみにしつつ、レンフィルはシャットンを聖山ランゲルから出発させるのであった。




