53 不本意な再会2
庇うようにペイドランが自分と来訪者の間に立つ。
(本来なら、前衛は私でしょ)
イリスは思い、すかさず横に立つ。
「イリス・レイノル嬢、いや、いまはイリス・ヒュム男爵夫人ですよね。ご無沙汰しております。シャットンと名乗れば思い出していただけますか?」
元エヴァンズの従者シャットンだ。
(気持ち悪っ!)
丁重なシャットンを前にしてイリスはまず思ってしまった。
自分をかつて『平民』と散々、馬鹿にしてきた相手だ。アスロック王国王太子のエヴァンズが上にいるからという理由で、自分に対して偉そうだった記憶しかない。
(レルクがいるけど、二人がかりならやっつけられるかな?)
イリスは細剣の柄に手をやりつつ思案する。向き合っている限り、ただ威張っていた昔と違い、ゾッとする程の腕利きになっていた。
夫のペイドランがじぃっと抜き身の短剣を眺めている。一体、いつの間に取り出したのだろうか。
「イリスちゃんを、処刑しようとしていた人の、その従者だった人。皇城では陛下に言われて駄目だったけど、ノコノコ、こんなところに来たんなら」
今にも『飛刀を投げます』宣言しそうな夫のペイドランである。
過保護な夫を見ると、イリスのほうが落ち着いてしまう。まるで今のシャットンからは、敵意を感じないのである。
(もう、怒るに怒れないじゃないの)
レルクもシャットンを睨みつけていることにイリスは気付く。可愛いことに父親の真似をしているのだ。
「あなたにも、アスロック王国時代のことは、謝罪しなくてはならない。申し訳なかった。あなたにもセニア様にも、大変な無礼を。私もかつて、貴方達の処刑を止めようともしなかった人間だ」
平伏してシャットンが静かに言う。やはり、かつての傲慢な姿など欠片もない。
「あたしもセニアも、死ぬとこだったんだけど?処刑しようとしてたじゃない。分かる?理不尽なことで殺されるのを待つ日々が。今更、ノコノコあらわれて、何だってのよ」
心底忌々しくなってイリスはシャットンの後頭部に言葉を浴びせる。
今、自分はペイドランのおかげで、平和で幸せなのだ。
(何、今更、蒸し返してくれてんのよ)
どこか見えないところで勝手に生きている分には別にいい。存在を知らなければ憎たらしくも腹立たしくもならないのだから。
「あなたとセニア様には、たとえ首を討たれても文句は言えない」
平伏したままシャットンが言う。
「そりゃ、首から上がなくなったら、文句を言えるわけがないでしょ、あんた、昔から馬鹿なのね」
呆れてイリスは告げる。
『2歳にもならない幼児の前で物騒な発言をするな』と言うのだ。
「そういう貴女も、口が悪い」
シャットンに指摘されてしまった。
本当は平伏したまま笑っているのではないか。イリスは勘繰っていた。
ペイドランが右腕でレルクを抱っこしたまま、残る左腕でイリスをギュッと抱き寄せる。いつの間にか短剣はしまったらしい。
「飛刀で仕留めちゃっていい?仲良さそうに1文字話すだけでも許せない」
とんでもなく物騒な睦言をペイドランが囁く。
(もうっ!)
自分に男性と一切、話をするなと言うのだろうか。
(可愛いんだから)
夫が愛おしくなりすぎてイリスはシャットンなどどうでも良くなってきた。
独占欲がむき出しだ。つまり独占したい。愛されている、という頭の中での変換が瞬時にイリスも成されるようになっていた。
恨むべき出来事からは、既に5年も経っている。自分は今、どう考えても幸せなのだ。可愛い夫に息子もいて、お腹には次の子も授かっている。生活にもまるで困っていない。
「だーめ、こんなやつ、今更、どうってことないわ」
イリスも背伸びしてペイドランの耳元で囁き返す。
「私にはペッドだけ。ずーっと変わらないよ」
心の底から思うことを、そのまま言葉にして、相手の耳に入れる。
今度はペイドランが赤面する番だった。
「昔のことだから、許したげるからとっとと消えてちょうだい。じゃないと、私と旦那様の2人がかりで叩きのめしちゃうんだから。腕を上げたみたいだけど、私の旦那様には敵わないわよ」
イリスは胸を張って断言する。特に中距離戦ではシェルダン並みの実力者なのだ。
(私だって、錆ついちゃいない)
腰には細剣を吊っている。
たまたま近くを通りかかって、罪の意識から逃れるため、自分の許しを乞おうと思った。それで楽になろうという安直な考えだろう。
「私の旦那様の寛大さに感謝して、とっとと消えてちょうだい」
更にイリスは言い放つ。
「寛大なのはイリスちゃんだよ、俺はもう投げる気満々」
ペイドランが埒もないことを言うのだった。
「そうはいかない。実はここに来たのは頼みたいことがあって、それで来たのだから」
それでも平伏したまま、シャットンがそんなことを言う。
「イリスちゃンに、ひどいことを、しておいて。お願いとか図々しい。虫が良すぎる」
言葉通り、ペイドランは『投げる気満々』なのである。すぐにイリスも思い知らされた。
「投げる」
父親に倣ってレルクも宣言する。
思った時にはもう、本当にシャットンの頭すれすれを掠めて、地面に飛刀が突き立っていた。
シャットンの頬を血が一筋、つぅっと流れる。
「そういうこと。さすがに頼み事まで聞いてやる義理はないわね。身体中に剣を刺される前に逃げたほうがいいわよ?」
イリスも殺気を籠めて告げる。憎たらしいは憎たらしいのであった。
「お母さん、怖い」
おまけにレルクに怯えられてしまった。
(あんたのせいだかんね)
イリスは自分のことを棚に上げて、シャットンを睨みつけるのであった。




