52 不本意な再会1
橋脚が少し心もとない。
領地に辿り着いて早々に、領土の北を流れる川の巡視にイリスは訪れていた。上流にかかる橋が領内の物流を支える要所なのだ。
「結構、古くなってるわね。工事したほうがいいかも」
腕組みしてイリスは言う。
隣には神妙な顔の長男レルクを、神妙な顔で抱っこした夫のペイドランが立っている。
真剣な話中の自分に何か合わせようとしてくれているらしい。可笑しくてしょうがなかった。イリスは笑いを噛み殺す。
「あと、冬の備えとかどうしよ。いつも難しいのよね、作物の出来不出来とかも読みきれないし」
イリスは悩ましくて首を傾げた。シオンなどからも助言してもらっているが、現地のことはやはり自分で判断しなくてはならない。
(ただいっぱい溜め込めばいいってもんでもないし)
倉庫の中で腐らせるよりも、流通させたほうが良い場合もあるのだ。
「いろいろ、今年は備えておいたほうがいいと思う。なんとなく。何でかは分かんないけど」
同じく首を傾げて、しかし極めて有用な助言をペイドランが与えてくれた。
「つまり、今年は不作で寒さがキツいと。分かったわよ、ペッド。ありがとう」
夫のペイドランの『なんとなく』は実によく当たる。
(むしろ、怖いぐらいに当たる)
イリスはちらりと頼れる夫の横顔を見上げる。可愛いものを抱っこしていてなお、凛々しいとは、一体どういう造形をしているのだろうか。
(レルクもよく、勘とか当たるようになるかしら?)
直感というのは親子で引き継がれるのだろうか。もしいつか行方しれずのペイドランの父母が存命で、会うことが出来たなら、聞いてみたいとイリスは思う。
「そうだね。あと、この橋、なんでか狭すぎる気がする。いっぱい、人とか馬車、通るのにね」
言ってから、またペイドランが首を傾げる。自分でもなぜそう感じたのかは分からない。これまた直感なのだろう。
「あっ!お魚っ!」
レルクが楽しそうに身を乗り出す。
「あっ、だめっ、危ないんだよ」
過保護のペイドランが、川に落ちることを危惧してギュッと力を入れて抱き締めてしまう。
「痛いよお」
痛かったレルクが涙目である。
「大丈夫よ、ペッド。あんたがしっかり抱っこしてるんだから」
笑ってイリスはたしなめるのだった。
妻の自分といい、妹のシエラといい、息子のレルクといい、ペイドランが過剰なぐらいに心配するのはいつものことだ。
(そういえば、シエラには、こういう直感は無いみたい。やっぱりペッドが特別なのかなぁ)
義妹のことをイリスは思い出すのであった。
「少し、のんびりしましょ。レルクにもお魚を見せてあげたいし」
イリスはペイドランに告げ、3人でなんとなく川を眺めていた。両側に草地が広がる、深さはないが幅広い川である。
「うんっ!」
嬉しそうなレルクがじいっと川を見つめる。
夫のペイドランが自分に見惚れては、レルクを心配になって、を繰り返していた。
のどかな光景だ。皇都ではこうはいかない。
(あー、来て良かった)
イリスは伸びを1つして思う。
(一段落ついたら、3人でお出かけしようかしら。お弁当とかもって、一日がかりで)
天気もよく、風も心地よい。夏と冬の間の、一番過ごしやすい時期なのだ。
皇都ばかりに滞在していては気が塞ぐし、レルクの発育にもよろしくない。
人の気配が近づいてくる。振り向くと自分たちの屋敷がある方から、若い女性が駆けてくるところだった。
「奥様」
自分たちの近くに来るや立ち止まり、折り目正しく頭を下げたのは、女中頭のメリアである。
「屋敷にて、お食事の準備が。執事のハドル様がお呼びするように、と」
急いできてくれたらしく、告げるメリアの肩がかすかに上下している。
(大声出してくれれば走って行くのに)
自分ならばメリアよりも遥かに速く走ることが出来る。足腰の強度は昔と変わらない。暇さえあれば、いつも走り込んでいる。時にはレルクをおんぶして走行訓練に励むこともあった。
(むしろ、セニアについて、従者で。自分が走り回る立場だったのになぁ)
イリスはいろいろな思いの代わりに、顔をあげたメリアに頷いてみせた。
「すぐ行きますって、ハドルさんに伝えてください。もうちょっと川をレルクに見せてあげたいし、俺はイリスちゃんを見ていたいし」
イリスのことを好き過ぎるペイドランが丁寧に告げてしまう。
メリアが思わずプッと吹き出し、すぐに真面目な顔を作った。有り難いのは使用人の立場の人たちが皆、自分とペイドランの仲睦まじさを喜んでくれていることだ。
(シオン陛下が選んでくれた人たちだから、かしらねぇ)
イリスは苦笑いである。
一方で、平民の感覚が一向に抜けないことは自分もペイドランも、しばしば使用人の人たちからたしなめられてしまうのだった。
今回のペイドランも後でメリアやハドルから怒られてしまうに違いない。
だが、ひとまずは家族の団欒を尊重することとしてくれたようだ。メリアが一礼して屋敷へと戻る。
「ペッド、雇われてくれてる人にはわざと偉そうにするのよ。一応、お貴族様だもん。ハドルさんとメリアさんがそうしなきゃダメです、って煩いじゃないの」
よく弁えているつもりのイリスは胸を張ってペイドランに説く。
「イリスちゃんだって、あんまり出来てないよ。こないだも、メリアさんにお辞儀してたもん」
珍しく、ペイドランが指摘してきた。
一方、長男のレルクが魚影に大喜びだ。見つけてははしゃいで声を上げている。
「そうかしら?」
自覚がないのでイリスは頭を下げる。初老のハドルはもちろん、メリアも一回り年上なのだ。反射的に頭ぐらいは会話の中で下げていても、おかしくはない。
「レル、お家に帰るよ、美味しいご飯ができてるって」
イリスはペイドランからレルクを受け取って抱っこする。自分も息子を抱っこして密着したいのだ。
「ご飯っ!」
大喜び中のレルクを抱いて、イリスは屋敷へと戻る。ペイドランと取り留めのない話をしながら、だ。
「むっ」
正門に近づくとペイドランが唸って足を止めた。あまり見せない反応である。
原因はすぐイリスにも分かった。
灰色の髪の若者が一人、立っている。
「げ」
顔を見てイリスも声を上げた。
「なんで、あんたがここにいるのよ」
告げるイリスの前に庇うようにペイドランが立つのであった。




