44 ガードナー・ブロング
視界の隅まですべてが山だ。地の果てが見えない海にも驚かされたが、山というのも見ていて面白いとガードナーは思っている。
(聖山ランゲルとはまた違う)
ガードナーはぼんやりと山並みを眺める。
口の中で素早く詠唱した。黄色い魔法陣がバチバチと音を立てて中空に浮かぶ。
「ライトニングアロー」
ほとばしる雷が矢となって飛んでいく。昔よりも当然に大きく威力も高い。
「グケェ」
遠く断末魔の鳴き声が響く。
フェルテア大公国側だが、木々の間にカモのような魔物が走っていたのだ。近くで見れば、さぞ圧倒されるであろう、そんな速さで走っていた。だが、遠くにいる分にはただの的である。
(久しぶりに、魔塔の魔物を倒した。シェルダン隊長なら、名前も知ってたのかな)
自分にとっては今でも怖い名前だ。そして恩人なのである。
ガードナーはまた撃ってもいい敵を探して、飽きもせずに山を眺め続けていた。
「ブロング伯爵閣下」
従者の人が駆け寄ってきた。
従者のつく身分となってしまったのである。元来、人と話すのが苦手なガードナーとしては、嫌なことだ。
「困ります、お一人でこのような」
苦々しい顔で言う。灰色の髪を短く刈り込んだ若者だ。自分より1つ年上だという。
名前が覚えられていない。
「すいません」
素直に謝りつつも、山を眺めることをガードナーは止めない。そもそも一人ではない。第1ファルマー軍団の陣営からさほど離れていないのだから。
「セイクです、閣下。私の名前はセイクです」
大真面目な顔で、セイクが何度目かになる自己紹介をする。
「我々も大神官レンフィル様から、くれぐれも閣下に無茶をさせるな、と厳命されているのです」
なぜ自分の従者にレンフィルが厳命出来て、かつ従者たちも言うことを聞くのかが謎だ。一応、主人は自分なのである。
(せっかくの魔塔だけど、今回は誰が上がるんだろう)
ガードナーはなんとなく頷くと、魔塔のある方角を見やる。
当然、自分が上がりたいのであった。
「閣下」
自分の前に回り込んで、セイクがじとりとした眼差しを向けてくる。
(俺、閣下って呼ばれるようになった)
ガードナーはまだ戸惑っている。
シェルダンのように実力で昇進した、軍人伯爵ではない。
第2皇子クリフォードが強権により、無能な父親達を廃し、自分を魔導の名門ブロング家の当主に据え置いたのである。
雷魔術の腕前を評価され、さらにはアスロック王国のエヴァンズ王子を直接討ち取ったことや、魔塔攻略に寄与した功績などを、最大限に活用してくれたらしい。
「まさか魔塔に直接乗り込もうなどと考えてはいらっしゃいませんよね?」
セイクがさらに問いを発する。
「違うけどごめんなさい」
ガードナーは即答する。魔術師1人ではどうにもならないのが魔塔だ、と自分はセイクよりも知っているのだ。
さすがに単身では上らない。
「閣下、私などに謝ってはなりません。まぁ、大神官様はそこが良いなどと仰ってますが」
今度はそう言って、セイクが苦笑いを浮かべる。
伯爵にされたところ、領地をミルロ地方の北部とされた。ちょうど聖山ランゲルの麓である。空気の綺麗なところで良いなどと思っていたところ、参拝へ行った聖山ランゲルで大神官レンフィルと出会った。
「俺なんかの良いところを見つけてもらえて、畏れ多い」
赤面してガードナーは口ごもる。
3歳年下の女性から、よくかまわれるようになってしまった。
「また、そういう反応をご本人の前ですると、喜ばれますよ」
げんなりした顔でセイクが告げる。
「つまり、からかわれてる」
ガードナーは怯えて告げる。自分などに大神官が構ってくるなど恐ろしいことだ。まして、大神官レンフィルが、かなりの実力を持つ女性であるのは会えば分かる。
「違いますよ。私が惚気話を聞かされるのです」
時折、セイクがわけの分からないことを言うのだった。
ガードナーは首を傾げて、再び周囲の散策を始める。
セイクが付き纏って何やらうるさいが無視だ。自分も数年前まで同じ境遇だった軽装歩兵たちがいる。
大神官レンフィルのつけてくれた自分の私兵だという人たちも50人ほどいた。なぜだか私兵の差配まで大神官レンフィルがしてくれるのである。
(私兵って、自分の兵士ってことのはずだけど)
だが、自分でするより、何かと大神官レンフィルにしてもらったことのほうが、上手くいくのである。最初は恐縮していたが、最近では甘えてばかりだ。
陣営の中はおおむね落ち着いている。だが、肝心のシェルダンが皇都に行っていて不在なのであった。
(すっかり、入れ違いになっちゃった)
会えると思っていたのに残念ではあった。
シェルダンの留守を守っているデレクやラッドには挨拶は済ませている。
(2人とも、あんまり変わってなかった)
デレクからは筋力強化訓練を久しぶりにどうかと誘われたし、ラッドは相変わらず気さくだが、腹の底までは読ませない。
「聖山ランゲルは静か過ぎた」
独り、ガードナーはボヤく。
自分にここへ来るよう依頼したのはクリフォードであり、自分はそれに飛びついた。
大神官レンフィルからは、かなり強く引き止められたのだが、魔塔攻略時からのよしみがある旨を説明して、ようやく解放してもらえたのである。
(隊長からも怒られるだろうな)
つまり呼んだのがシェルダンではない。
未だにあまり魔塔へ興味を持つことを、良しとはしないだろう。
(説得力が、全然ない)
そのくせシェルダン自身も、第1ファルマー軍団の軽装歩兵の総隊長にまでなっていて、皇帝やアンス侯爵のもとで忙しくしているのだから。
ふと、陣営の南方が騒がしくなる。
「総隊長が戻られたぞぉ」
兵士の誰かが叫んでいる。
なんとなくガードナーは歩をそちらへ向けてしまう。
「ガードナーッ!」
デレク、ラッド2人の副官と話し込んでいたシェルダンが自分に気づいて声を上げた。
「ひいいいぃっ!シェルダン隊長っ!ご、ごふっ、ご無沙汰してます、お疲れさまですっ!」
部下だった頃と、つい同じ反応をガードナーはしてしまい、せっかく『伯爵閣下』にまでなったというのに、頭を下げる。パコン、とシェルダンに叩かれてしまう。
「まったく、なんだってんだ。もうお前のほうが爵位も上だって言うのに」
黄土色の軍服を身に纏い、シェルダン・ビーズリーがゲンナリした顔で立っていた。
「す、すいません」
16歳に戻ったような気分だ。どもりながらガードナーは謝る。
「それを言うならシェルダン、俺達は爵位が下だから、もっとガードナー・ブロング伯爵閣下を畏れ敬い、奉らないといけないぜ」
皮肉な笑みとともにラッドが口を挟む。
「うん?あぁ、しまった。言われてみればそのとおりだな」
生真面目な顔でシェルダンが、はたと気づいて頷く。
丁重にされても戸惑うし怖いのでやめてほしい。ガードナーは切実に思う。
「隊長、昔通りでいいじゃねぇですか。その方がお互いに気が楽ですよ」
黒い鎧姿のデレクが真っ当なことを言う。ラッドとは立場が逆転してしまったらしい。昔は無茶を言うのがデレクで、まともなのがラッドだった。
「まったく、冗談の通じねぇ隊長様だ」
言った本人のラッドにまでからかわれて、シェルダンが苦虫を噛み潰したような顔だ。
「まったく、ただの警戒で待機しているだけなのに、どんどんややこしくなるな。お前はクリフォード殿下の差配か?」
シェルダンがうんざりした様子で告げる。
「は、はいっ!でも具体的に何をすればいいかは」
ガードナーは3人を見比べて告げる。
「魔物が来たら倒すのを手伝ってくれ。だが最低限でいい。いいか、最低限だ。お前はいつもやり過ぎる」
シェルダンがしつこいぐらいに念を押して言う。
昔と同じく仏頂面だ
「あの、ところで隊長。あの魔塔、誰が倒すんですか?」
ガードナーは尋ねてみる。すると、シェルダンが思ったとおりに苦々しい顔となり、デレクとラッドが爆笑した。
「変わらねぇなぁ」
特にラッドが大笑いである。
「そんなものはフェルテアの連中にさせればいい」
シェルダンがにべもなく告げる。
「別に大した魔塔じゃないんだからな」
そして吐き捨てるようにシェルダンが続けて言う。
正直、ガードナーも同感だった。
(それこそ、セニア様がいれば、それで終わりだった)




