33 出征前に
エレインとのデート翌日、バーンズは軍営で思わぬ来客を受けていた。朝、気分良く自らの執務室に仕事をしようと入ると、上司のシェルダン・ビーズリーが来客用のソファに腰掛けていたのである。
(相変わらず気配を消すのが上手い)
今日は、明日の出陣に当たっての準備としていた日だった。分隊員たちも出勤していて、各自が備品の確認を始めているころだろう。
「どうしたんですか?隊長が戦線を離れるなんて」
バーンズは驚きを抑えつつ、自分の方を一瞥したシェルダンに問う。不機嫌なようではなく、むしろ上機嫌なようだ。
(それは良かったけど)
責任感が強く生真面目な上司である。部隊だけを残して、皇都にいるというのが意外でならなかった。
「厄介事に巻き込まれた」
苦虫を噛み潰したような顔でシェルダンが吐き捨てる。機嫌が良くても文句や愚痴は多いのだった。
「あぁ、皇帝陛下とかアンス侯爵とか聖騎士様とかクリフォード殿下とか、どなたかですか?」
我ながらよくも次から次へと並べられるものだとバーンズは呆れてしまう。シェルダンの有能さと活躍とを改めて認識した。
なお、どれだけ煩わしくてもシェルダンの場合、妻のカティア関連だけは面倒や厄介事とは思わないのである。だからカティアの名前は最初から挙げない。酷いときは怒られるのだ。
「言うな。まったく」
忌々しげにシェルダンが言う。
「嫌なら、何もしなきゃいいのに。何も隊長がしなかったら、今頃、世界中、魔塔だらけですけど」
肩をすくめてバーンズは告げる。
皮肉ととられてしまったらしい。胡乱な眼差しで睨まれてしまう。
シェルダンを知る人はこの目で睨まれることを極度に嫌がる。恥の感覚と申し訳ないという気持ちにさせられてしまうからだろう、とバーンズは思っていた。
「褒めてますからね、一応」
バーンズは念押しのつもりで付け加えておくのだった。素直な反応をすると、この上司には堪えるのだ。
シェルダンがため息をつく。
「俺はまだ皇都に引き止められることとなるだろう。お前に言われなくとも、本当はとっとと戦線に戻りたいんだがな。ラッドやデレクに任せきりじゃ悪い」
その2人なら喜んでシェルダンを助けるだろう。気を使い合う仲でもないだろうに、シェルダンが気遣っていた。
「お前達、第6分隊は予定通り、北へ出征しろ。実戦の面では、お前はデレクなんかには良い助けになる」
与えられた部下は少ないが、信頼を寄せてくれているのが、バーンズにとっては素直に嬉しい。
「了解しました」
バーンズは頷く。
「だが、その前にお前、俺に報告することがあるだろう?」
何のことについてかは分かる。シェルダンも面白がっている顔だ。ルフィナあたりから聞いたのかもしれない。
バーンズ個人としては、もう少し仲が進展してから報告すべきだと思っていた。だが、ちょうどいいのかもしれないと思い直す。
「今後、交際に至るかもしれない女性のことですか?」
だが、いざ口に出してみるとまどろっこしい言いまわしとなった。
まだ結婚の約束も何もしていない。交際を互いに明言し合ったわけでもなかった。
「エレイン殿という治癒術士です。可愛い娘ですよ。でもまだ、ただデートを2回しただけなんです。報告すべき人なのか、ちょっと、まだ迷ってました」
正直に、バーンズはエレインとのことについて述べる。別に隠し立てをしようという気もないのだが、シェルダン相手に不確定なことを報告して、本当に良いのか、とも思ってしまう。
「ルフィナ様の部下だな。お前もやるじゃないか。と言いたいが、2回もデートをしたんなら相応の関係性だ。将来の約束ぐらいお前の方からちゃんと切り出すんだ」
なぜだか呆れ顔のシェルダンに妙な点を叱責されてしまった。
「隊長とカティア様みたいにはいきませんよ。俺もエレイン殿も、隊長たちとは違う人間なんだから」
同じく呆れ顔を返してバーンズは言う。
「恋愛ってみんな同じになるものじゃないんでしょう?」
ごく一般論について、重ねてバーンズは言及する。
「まぁ、それもそうかもしれんな」
常識的なことをいうと、きちんと納得してくれるのもシェルダンの良いところだった。
「無礼と粗相だけは無いようにな、っていうのは当たり前だが」
シェルダンのこの言葉に、既に若干の粗相はあったので、バーンズは内心でヒヤリとした。
「例えばな、相手の女性が自分ではない、別の誰かと結婚する。それを想像してみて、嫌だと感じるなら、間違いなく惹かれているから、仲を進展させたほうがいい。俺はカティア殿とのとき、ハンターからそう言われた。金言だと思ったよ。後悔しないようにしていくには。だから俺もお前に同じ言葉を送る」
生真面目なシェルダンが、大真面目な顔で恋愛を説明するのがおかしくてしょうがない反面、やはり自分を思っての言葉なので嬉しかった。
ハンターについてはバーンズも覚えている。初めて赴任した、シェルダン率いる第7分隊の副官だった。よく面倒を見てもらった、という印象もある。もうすぐ退役なのだという。
「ありがとうございます。心します。ハンターさんにも直接、お礼を述べたいぐらいです」
笑ってバーンズは告げた。
エレインが自分以外の誰かにあの笑顔を向けていて、笑いあい、くっつくというのは確かに辛い。
(辛いんだから、確かに少なくとも俺の側は惚れてるんだ)
自覚はしっかりとバーンズにもあるのだった。既にエレインの兄マキニスからも、腰を据えて話をされているのだから。
今はシェルダンが気にかけてくれているというのが素直に嬉しい。
「そのうち、ルベントに行く機会があったら、3人で呑もう」
シェルダンが手をひらひらと振って告げる。とうとう話をしていて照れくさくなってしまったようだ。
「デレクさんにラッドさんも。それにロウエンさんだって」
どうせ呑むなら、かつての全員でバーンズは呑みたかった。
「そうだな」
シェルダンも頷くのだった。ハンターやロウエンとも未だに連絡を取り合っている様子だ。
人との付き合いは昔から大切にしている。
「ところで、あの魔塔はどうも鳥が多い」
急にシェルダンが話題を変えた。
「今、立っている、フェルテア大公国の魔塔のことですか?」
バーンズもすぐに頭を切り替えて尋ねる。
「あぁ」
シェルダンが頷く。
「鳥だからな。行動範囲が広い。それで距離の割にはうちの国に飛来してくる数も多い。どこまでも迷惑な国だ」
そしてシェルダンの話はフェルテア大公国への文句に落ち着いた。
心底うんざりしている顔である。
「お前も、死ぬわけにはいかないだろうから、これを」
シェルダンが懐から分厚い冊子を2冊取り出す。黒い無地の表紙であり、題名も何も無い。
「これは?」
一体、服のどこにこんなものを隠していたのか訝しみつつバーンズは尋ねる。
「鳥型魔物の一覧だ。対策まで含めて纏めてきたから、全部頭に叩き込め」
シェルダンが容赦なく命じてくる。本人は既に今更、覚えるまでもなく、頭に刷り込んであるのだろう。一緒にいると生きた魔物図鑑のようなのだ。
「分かりました」
自分のためにもなることだから、バーンズは頷いた。
厳しいのは自分を死なせたくないからだ、ともう知っている。恨むのは筋違いだ。嫌なのだとしたら、それはシェルダン本人ではなく、覚えるための頭脳労働だけだ。
「そう、気落ちするな」
なぜたか勝手に気落ちしていると決めつけてシェルダンが言う。このあたりはシェルダンなのであった。
「ルフィナ様の話では、エレイン嬢も戦地へ、治癒術士としての実地経験を積ませるために送り込むらしいからな。必死で戦うのは自分のためばかりではないさ」
とんでもないことをシェルダンにさらりと言われ、バーンズは冊子の中身を頭に齧りついてでも叩き込むことを、決意するのであった。




