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76.ランチを一緒に

 少し歩いた先に、ちょっとした広場が整えられていた。


 木陰のベンチに二人ならんで腰かけ、持ってきたグラスにお茶を注ぐ。


 バスケットの中身をみて、シルヴィオさんは顔を綻ばせた。


「これはすごい。ぜんぶきみが作ったのか?」


「はい」


「俺の好物ばかりだ。一緒に食べよう」


「きゅー、きゅー!


 パンの香りにポンポンが興奮してる。


「はいはい、どうぞ」


 パンをひとかけらちぎってあげると、ベンチの上にちょこんと座って夢中でもぐもぐしはじめた。


 シルヴィオさんはというと、ポンポンに負けないくらい、嬉しそうに食べてくれた。


「美味しい! 生き返る思いだよ」


「安心しました。ちゃんとお食事できてるかなって心配だったから、少しでもお役に立ちたくて。でも……」


「でも?」


 いざ食べてもらえるという時になって、改めて小さな粗が気になる。

 パンの切り口とか、玉子はもうすこし茹で時間を短くしたらよかったかもとか……。

 こんなこと、今まで考えたことなかったのに。


「あの、あまり上手に出来てないなあ、って」


「なんだ、そんなことか」


 二つめのパンを手に取りながら、シルヴィオさんは声を出して笑った。


「見栄えなんてどうでもいい。いや、充分おいしそうだと思うが……アリッサが俺のためにしてくれたことが嬉しいんだ。考えて、時間をかけて、ここへ来てくれたことが。ありがとう」


「……はい!」


「何度だって食べたいよ、きみが作ってくれたものなら」


 やわらかい陽ざしの下で、シルヴィオさんが優しく微笑んだ。

 そして次のパンに手をのばし、また美味しいと言ってくれる。


(ちょっとは役に立てたかな……)


 やっぱり今日、来てよかった。激務の最中にいるシルヴィオさんに、ひと息ついてもらえたなら。


 どうしようもなく嬉しくなって、思わず笑みを返してしまう。


「……それで、アリッサ」


 シルヴィオさんが、急に小さな咳払いをした。


「この前の続きなんだが」


「この前の?」


「ああ、夜会のときの」


 どきん、と胸が鳴る。


(あの夜、彼が言いかけたことの続き?)


「きみも今の暮らしに慣れてきた頃だと思う。屋敷の者たちとも打ち解けているようだし」


「はい。みなさん良くしてくださいます」


「このまま我が家で暮らさないか。その……一年間の婚約期間が終わったあとも」


「……え?」


「もちろん、きみさえよければの話だ」


 唖然とするわたしの顔を見て、シルヴィオさんが慌てたように付け足した。


「……」


 すぐに言葉が浮かばなかった。

 そんな選択肢、予想していなかったから。


(偽装婚約が終わったあとも、リーンフェルト邸で暮らす?)


 シルヴィオさんは、わたしのためを思って提案してくれている。それはわかる。

 だけど……実現したとして、どんな生活が待っているだろう?


 わたしにはユストさんみたいな料理の腕はない。

 付き人の経験があるといってもエイダさんほど有能なメイドになれる自信もないから、雑用係として残ることになると思う。


 そうだとして……少し前まで「当主の婚約者」だったわたしと立場を変えて付きあうことになるお屋敷のみんなは? 

 気を遣って複雑なんじゃないだろうか?


 それに、イルレーネ王女様の気持ちは――。


「アリッサ、俺は」


 言葉を紡ぎかけたシルヴィオさんが、わたしの肩越しに誰かを見た。

 その視線を追うと、少し離れたところから敬礼をする若い騎士たちが目に入る。

 シルヴィオさんの部下のようだった。

 会釈するわたしにも礼をして、足早に歩き去っていく。


 シルヴィオさんが片目を細めた。なぜか少し悔しそうにみえる表情だ。


「すまない。落ち着かないところで、こんな」


「いいえ……」


「返事は急がない。だから……考えてみてくれ」


 はい、と答えて、視線を手元のグラスに落とした。

 飴色に透き通るお茶。その表面にきらきらと踊る木洩れ陽が、妙に目に沁みた。


 偽装婚約が終わっても、シルヴィオさんのそばにいられる選択肢の提示。

 惹かれないといえば嘘になる。

 ……だけど。

 

 シルヴィオさんに出会えただけで、わたしは幸せだ。

 これ以上は望まない。望んじゃ、いけない。




♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦




「来てくれてありがとう。楽しかった」


 再び戻った騎士団本部の正門前で、シルヴィオさんが言う。


「僕らも楽しかったですよねー、エイダさん?」


「ご馳走さまでした。あのお店のガレット、美味しかったですわ」


 ハンスさんはニコニコだ。エイダさんの答えがちょっとズレてるのは、たぶん、わざと。


「今夜も戻れそうにない。エイダ、屋敷の皆によろしく伝えてくれ」

 

「畏まりました、旦那様。お帰りをお待ちしております」


「シルヴィオさん、お仕事頑張ってくださいね」


 言いながら、次に顔を合わせられるのはいつかと考える。

 あと何回、会えるだろう、と。

 

 馬車に乗りこんだところで、


「アリッサ!」


 シルヴィオさんに呼び止められた。

 扉に手をかけた彼が、真剣な表情でこちらを見ている。


「シルヴィオさん?」

 

「不安にさせてすまない。星祭りの夜に帰るから。診療所の夕食会、俺も手伝わせてくれ。日暮れまでには合流できると思う」


 年に一度、大流星群が現れる夜のことを、プレスターナでは「星祭り」と呼ぶ。


 来週に迫ったその日、デニス先生の診療所では子供たちを集めて夕食会を開く計画を立てていた。

 折よくイルレーネ王女様が寄付をしてくれたので、資金は充分。

 シルヴィオさんの計らいで、今回もユストさんがゲストシェフとして参加してくれることになっている。


「お忙しいのに……お気持ちだけでじゅうぶんです。ご無理なさらないでください」


「無理なんかしてない。俺もアリッサの力になりたいんだ」


 力強く言い切ったあと、シルヴィオさんの目もとが、ふっと緩む。


「流星群も一緒に見たい。いいだろ?」


「……」


 どきん、と胸が高鳴った。


 断らなきゃ、と理性が告げる一方で、弱い自分が顔をだす。

 想いが理性を押しのけてしまう。


 秋の夜空を覆う流星群。

 シルヴィオさんと見上げたら、どんなに美しい光景になるだろう。


(彼と一緒に、流星を見てみたい……)


「じゃあ、また。気をつけて帰りなさい」


 口もとに笑みを刷いて、シルヴィオさんが扉から手を放した。沈黙を同意と理解したみたいだ。

 タイミングを見計らってくれていただろうエイダさんが、するりと馬車に乗り込んでくる。


「エイダ、アリッサを頼む」


「お任せくださいませ、旦那様」


「エイダさん! またお会いしましょうね!」


 シルヴィオさんの後ろでハンスさんが叫んでる。

 エイダさんはにっこり微笑んだだけで、「出してください」と御者に告げた。


「来てよかったですわね、アリッサ様。旦那様、とっても嬉しそうでしたわよ!」


 走り出した馬車の中で、エイダさんが明るく言う。


「ありがとうございます、エイダさん」


「あら、わたくしは何も。ただ、ハンス様とカフェに行ったことは内緒にしてくださいませ」


 唇の前で人差し指を立てるエイダさん。

 みんなに内緒、の意味だと思うけど、本当に知られたくない相手は一人だろう。


「ええ、もちろん」


 わたしが言うと、エイダさんはふふっと可愛いらしく笑った。


 ……何かを隠したり、演じてみたり。

 小さな秘密を持つことは、どんな人にもあるだろう。

 誰かを、何かを守るための嘘もある。だけど。

 わたしの嘘は、わたしの大切な人を傷つけてしまう嘘だ。


「ああ、星祭りが楽しみですこと! ユストも張り切ってますし。あ、今回はわたくしもお手伝いさせていただきますからね」


「はい、よろしくお願いします」


「まずは晴れてくれるようにお祈りしなくちゃ、ですわ!」


 来週に迫った星祭り。

 夕食会は賑やかなものになりそうだ。子供たちの喜ぶ顔が目に浮かぶ。


(どうか晴れて。最後だから)


 デニス先生、ユストさん、エイダさん。そしてシルヴィオさんも。同じ時を過ごして、同じ空を見て。

 

 一緒に流星群を見たいと言ってくれたシルヴィオさん。

 その優しさに、いつまでも甘えてはいられない。彼の心にはイルレーネ様がいるんだから。


 わたしがシルヴィオさんのためにできる、最良の贈りもの。

 それは、彼から離れること。偽りの婚約から解放してあげることだ。


 そう。

 星祭りで、最後。


 一緒に夜空を見上げて、たくさん笑って。

 いい思い出を持って、リーンフェルト家を出よう。

 

 ――これ以上、シルヴィオさんのそばにいたら。

 わたしは、本当に彼を好きになってしまう。

 

 

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