46.「妹じゃない」
「どんなお医者様にも治せない病って、聞いたことありますか?」
ナイトドレスに着替えた後の、寝室でのひととき。
鏡台の前で、わたしの髪を梳かしてくれていたエイダさんに尋ねてみる。
「どういう症状が出る病ですの?」
「胸が苦しくなったり、眠れなくなったりするそうです。人によっては命に関わることもあるんですって。なのに薬になるのは時間だけだってデニス先生が……エイダさん、何の病気かわかります?」
鏡の中のわたしと目を合わせ、エイダさんは可笑しそうに吹き出した。
「わたくし、答えがわかりましたわ」
「本当ですか!? 教えてください!」
「んー、こればかりはどういたしましょう、アリッサ様がご自分で正解を見つけられるのがよろしいような」
「エイダさんまでそんなー!」
「ヒントをさしあげましょうか?」
「お願いします!」
もともと部屋には二人きりなのに、エイダさんは小声になって囁いた。
「その病、旦那様も患っておられるかもしれません」
「え……えええ!? 大変……エイダさん? どうして笑ってるんです!?」
「旦那様は助かる望みがあるからですわ。ちょっと長くかかりそうで、お気の毒ですけれど」
「どうしたらシルヴィオさんは助かりますか? わたしにできることは? やっぱり時間だけが薬なんですか!?」
「ふふふ、ヒントはここまでです。うーんとお考えくださいなっ! ではアリッサ様、おやすみなさいませー」
詰め寄るわたしを軽くかわし、目を三日月型にして笑いながら、エイダさんは部屋を出て行ってしまった。
「もう……どうしてみんな教えてくれないの……」
シルヴィオさんもバウマン男爵令嬢も、一見とても元気そうだ。
そんな二人が患っている病気って、何だろう?
ポンポンは興味なさそうに欠伸をして、勝手にベッド代わりのバスケットに入ってしまう。
仕方なく、わたしも寝ることにした。
ガウンを脱ぎ、燭台の火を消そうとしたとき。
――コン、コン。
遠慮がちなノックの音が響いた。
「きゅ?」
半分おねむのポンポンが、バスケットから頭をのぞかせる。
「エイダさん? やっぱり答えを教えてくれるのかも!」
ナイトドレスのまま走ってドアを開けたら、そこには意外な人物が立っていた。
「……シルヴィオさん!?」
「あ、す、すまない、こんな時間に!」
自分から訪ねてきたのに、なぜか慌てふためくシルヴィオさん。
彼がひとりで部屋に来るなんて初めてだ。しかも、こんなに夜おそく。
頬が紅潮している。まさか……!
「シルヴィオさん! もしかして胸が苦しいんですか? 眠れなかったりします?」
「な、なぜ知って……!?」
「やっぱりそうなんですね!」
エイダさんの言ったとおり、シルヴィオさんもバウマン男爵令嬢と同じ病に罹っているのかも!
「今すぐ横になって熱を測りましょう! デニス先生に診ていただかなくちゃ! ああでもどうしよう、こんな時間に……!」
「大丈夫だアリッサ、俺は健康だよ」
「でも、お顔が赤いですよ?」
「こ、これは発熱しているわけじゃ……頼むアリッサ、何か上に着てくれないか!?」
言われて初めて、自分がナイトドレス姿で立っていることに気づいた。
「ご、ご、ごめんなさい!」
大慌てでガウンを羽織る。
(大失敗……恥ずかしい!)
シルヴィオさんが、ようやくこちらを見てくれた。
腕を引いて室内へ誘導する。
「どうぞ中へ。ベッドで休んでください、氷を持ってきます!」
「どうして俺を病人扱いするんだ? ここでいい、すぐに済む」
「そう……ですか?」
入室を固辞するシルヴィオさんは、確かに元気そうだ。
でもエイダさんは、「旦那様は病気かもしれない」と言っていたし……。
謎の病、謎すぎる。
「驚かせて悪かった。どうしても訂正しておきたいことがあって、無礼を承知で訪ねたんだ」
「訂正しておきたいこと?」
「ああ、一刻も早く」
呼吸を整えるように大きく息を吸って、彼は続けた。
「さっき、アリッサとソフィアには共通するところがあると言ったが。きみを妹だと思ったことはない」
「……は、い……?」
「つまりその……もしもソフィアが生きていたら、アリッサとは良い友達になっていたと思うよ。でも俺は……きみのことは、妹とはまったく別の、一人の女性だと認識している。それだけは知っていてほしい」
……ああ、そうか。
彼は、それを言いにきたんだ。
「わかりました」
「そうか、わかってくれるか」
シルヴィオさんが安堵したように微笑む。
と思ったら、また目を逸らし、わたしを部屋の中へと押し戻した。
「シルヴィオさん?」
「それはそうと、きみは無防備すぎる! 夜遅く相手を確認もせずにドアを開けてはダメだ」
「でも、ここはシルヴィオさんのお家ですし……」
「そういう問題じゃない。どこにいたって用心は大切だ。就寝前には必ず鍵をかけて、ノックが聞こえても外にいるのが誰か判るまで開錠しないこと! 自分を大切にしなさい」
「はい、ごめんなさい」
「悪いのは俺だ、謝らなくていい! おやすみ!」
バタンとドアが閉まる。
早足に廊下を遠ざかる足音を聞きながら、吐息と笑みが同時にこぼれた。
(シルヴィオさん、本当に真面目)
翼で宙を飛んで、ポンポンが肩にとまる。
「……わかってるわ。わたしは他人、よね」
「きゅぅ……」
わたしの言葉に、ポンポンは何故か不満そうに鼻を鳴らした。
「なあに? もうおやすみの時間よ、眠たいんでしょ?」
じたじた身を捩るポンポンをバスケットに戻す。
「きゅー!」
不本意全開の鳴き声をあげて、ポンポンは不貞寝でもするように仰向けになった。
(――何をがっかりしてるの、わたし)
彼にとって、わたしは家族じゃないことなんて。
わざわざ言われなくたって、わかってた。
シルヴィオさんは誠実な人だ。ソフィアさんの死後も彼女を守っている。彼女の代わりには誰にもなれない。
ただ――わたしのことも、一人の人間として認めてくれている。
そのことを彼は言いたかったのだと思う。
「自分を大切にしなさい」っていう言葉は、とても嬉しかった。
(あんなことを言ってくれた人、今まで一人もいなかった……)
今度こそ燭台の火を消す。
暗くなった部屋で目を閉じると、瞼の裏にシルヴィオさんの顔が浮かんできた。
胸の奥が、なぜかきゅっと狭くなった感じがする。
心臓の音がうるさくて、しばらく寝付けそうにない。
……これって、例の病の症状と似てる、ような。
(まさか、ね?)
人によっては命に関わり、時間だけが薬になるという「謎の病」。
結局、その病名は分からずじまいだ。




