04.本物とは
「オリヴィエと言うのは、俺の幼馴染の名前だ。」
目の前で心配そうに顔を歪めるリアに、俺は重たい口を開いた。
オリヴィエとの関係を他の人にするのはこれが初めてだった。
前はあいつとはずっと一緒に居たから話す必要はなかったし、別れてからは口にもしたくなかったから。
でも、リアになら。
「幼馴染? 知り合いの息子じゃなかったのか?」
「そうだ。俺の知り合い……俺の“師匠”の息子であって俺の幼馴染。そして真の勇者。」
「真の勇者?」
俺の言葉に、彼女が怪訝そうに顔を歪める。
リアは俺が本当の勇者でない事を知ると、残念がるだろうか。
俺はじっと彼女の目を見つめながら喋った。
「そう。この事は、リアの母上、王妃様なら知っているかもしれませんが。」
そういって俺は王妃に向き直る。
「……。」
だが彼女はじっと俺の様子を窺うだけで、何も言葉は発さない。
「なあ、ルイ。ひとつ聞いていいか?」
「なんだい?」
俺は再びリアに身体を向けた。
そこには神妙に考え込む可愛らしい少女が一人いて。
……美味しそう。はっ!
だがそんな俺の邪心は、至近距離から放たれる鋭い視線に打ち砕かれた。
俺はピシリと体を硬直させて身構える。
「勇者は、一つの世界、一つの時代には一人しかいないのだろう?」
「え?」
王妃に注意を向けるあまり、俺は答えに手間取ってしまったようだ。
「……人の話を聞いていなかったのか? ルイ。」
そんな俺にリアが睨みをきかせてくる。
「あ、いや。聞いていたぞ。そうだ、そう言われている。だからそれが俺の幼馴染であるオリヴィエで。」
「だが、お前が魔王を倒したのだよな?」
俺の答えに納得がいかないのか、リアは更に突っ込んで来た。
「ああそうだ。そうだからこそ、並々ならぬ努力を必要としたのだが。」
「ん――。過程ウンヌンはこの際、置いといて。私の意見を言わせてもらえれば、最終的に魔王を倒したのがお前であるならば、真の勇者と言うのもお前であるのだと思うのだが。」
「え?」
俺が真の勇者?
でもオリヴィエの方が俺より強い。
強い者の方が勇者であろう?
そうでなくては魔王は倒せない。
まあ、今は俺の方が強いが。
“今は”?
もしかして、俺が勇者だから魔王を倒せるほどの力を手に入れる事が出来た?
そしてそうではないオリヴィエはどんなに努力しても強くなるのには限界があって……。
だからこそ今は俺の方が強いのか!?
オリヴィエはその事に始めから気付いていて……。
それでも、もしかしたらという思いであいつは俺と共に鍛錬を続けてたのか?
いつかは抜かされるかもしれない、弱い勇者の俺に稽古を付けながら。
そしてあの日、あいつは“お前は勇者ではない”とはっきりと勧告された。
あいつはあの時、どれだけの焦燥感とやるせなさを抱えていたのだろうか。
こんなくそ弱い、俺に世界の未来を託すなど。
それなのに俺はあいつに裏切られたと勝手に思い込んで、酷い態度をとっていた。
俺が魔王を倒して城に戻って来た時、オリヴィエはどんな顔をしていた?
“強くなったな”と声を掛けてくれた時は寂しい表情をしていなかったか?
そんなあいつに……俺は……。
“あたり前だっ! 俺は努力したのだっっっ!!”
自分の口にした言葉を思い出し、俺はごくりと唾を呑む。
そして、膝に置いていた拳を力強く握りしめた。
フワっ
そんな俺の手をリアが庇うように優しく撫でる。
「誤解が……あったのだな。」
そう言って彼女は俺の手を両手で包み込んだ。
そしてリアは、それを表に返してそっと開くよう促してくる。
俺は彼女に言われるがまま手を広げた。
俺の掌にはくっきりと残る擦り傷が八つ。
余程強い力が籠っていたらしいと、俺は爪が食い込んで出来た傷を見て思わず顔を歪ませる。
そんな俺の罪の傷を、リアがゆっくりと人差し指でなぞった。
「イタっ。」
俺は思わず声をあげる。
だがその小さな痛みが次第に心地よく変わり、彼女のなぞる指がくすぐったくて俺は思わず身を捩った。
「痛みが癒えぬ内に、早く謝って来い。」
リアが下を向いたままそう呟く。
泣いて、る?
俯かれていては表情も分からないと、俺は顔を傾かせた。
するとそこには涙を浮かべる可憐な少女が居て。
「リア?」
俺は彼女の様子を窺う。
「な……なんでもない。」
「何でもなくはないだろう?」
そう言って顔を反らそうとするリアの肩を掴み、俺は自分の胸に導いた。
彼女の背中に腕を回し、がっちりと抱え込む。
「うう……。」
リアが呻いた。
「どうしたんだい?」
「だって……ルイが傷ついてるから……。」
俺の質問に、涙まじりの声で彼女が返すのが分かる。
「俺は傷ついていない。傷ついているのはあいついの方だ。俺が……傷つけた。」
「ルイも傷ついてるっっっ。」
「……。」
そんな彼女の優しい答えに、俺は返す言葉が見つからなかった。
「ねえ、私もいるってば。」
そんな中、再び放たれたのは王妃の軽やかな叱責とどす黒いオーラ。
俺は急いでリアから手を離して彼女を解放した。
目の前に居るリアはまだ俺の事を思って泣いてくれているのに、手を触れられない焦燥感。
うん。辛い。
俺は空いた手を空中で固まらせたまま、リアと王妃様を交互に見やるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
私はルイの去った扉をじっと見つめていた。
「リ――ア。もう国に帰すの?」
母が私に問いかける。
「うん、いいのだ、誤解は出来るだけ早く解いた方がいいのだから。」
「そう?」
「ああ。……それにしても母さん。」
「ん? なに?」
「私が言いたい事、分かるよねえ?」
そう言って私はぐるりと首を回した。
そんな私に肩をビクリと震わせた母親は、顎の下で拳を二つ作ってひ弱なポーズを模す。
「だって試してみたかったんだもん。」
そう甘えた口調で駄々を捏ねる母親。
「“だもん”ってあなたいくつですか!?」
「秘密。」
「あっそ。じゃあ、もうそれは良いです。それよりも早く孔を閉じて下さいっっっ!」
私は鼻を摘んで抗議した。
母親の色香が強くて堪らないのだ。
私はそのまま立ち上がって部屋の窓と言う窓を全てを開けて回った。
「はいは――い。」
軽く返事を返してくる母親だが、すぐにそれは実行されたようだ。
匂いの発信源が一瞬にして立ち切られる。
「さすが……。」
私は母親に背を向けならがポツリと呟く。
いつになったら少しは追いつけるのだろうと、私は彼女の力に嫉妬した。
「それにしてもあの子、本当に効かないのね――。」
そんな中、母親が流暢に言ってのける。
「ああ、そうだな。」
私は肩を下ろして身体の力を抜くと、先程のルイの態度を思い返した。
母さんの色香にも全く靡かなかった。
ルイは本当に凄いのだな。
彼を思い浮かべると、強ばった私の心が解される。
「キャ――。」
その時、すぐ傍から母親の叫び声が聞こえた。
「か、母さん、どうし……。」
「まあ! リアちゃん可愛い。顔を真っ赤にして微笑むなんてっっっ。」
「えっ!?」
いつの間にか傍に来ていた母親が、私の顔を覗き込みながらはしゃいでいた。
「可愛い可愛い可愛い。」
「かっ母さんっっっ……。」
なおも身体をくっつけなが揶揄してくる彼女を、私はひっぺがそうと必死になる。
バンっ
その時、勢いよく開かれる部屋の扉。
「ティナっ!」
そう叫びながら、父親が部屋に飛び込んで来た。
あ、ちなみにティナと言うのは私の母親の愛称である。
「……。」
目を細めて私を見てくる母親。
私はニタリと顔を歪ませた。
仕返しだ。
全くあれでルイが壊れてしまったらどうする所だったんだ。
ルイに色香を試した報いであると、私はほくそ笑む。
そんな母娘の無言のやりとりに痺れを切らした父親が口を開いた。
「ティナ。どうしてこんなに色香を放出させているんだ。窓から漏れてきていたぞ?」
「これには訳があって……。」
と、一応言い訳をしようとした母親だが、途中で止めてしまう。
どんないい訳をしようとも、最終的な結果は同じでああるのだと悟ったようだ。
「分かった。話の続きは寝室で聞く。」
そう言って強制的に連行される母親を、私は暖かく見守るのだった。
「リ――ア――。明日は我が身だからねっ!」
そして、そんな母親の戯言を右から左に聞き流した。
信じたくなかったのだ。




