02.恐れる者
俺は物心ついた頃から年の離れた男と二人で暮らしていた。
そのおっさんの名前はアドルフ・リオネル・ナタナエル・リシャール。
俺よりふたまわりぐらい上のその男は、甲斐甲斐しく俺の世話をしてくれていたのだと思う。
その証拠に俺はおっさんの事が大好きだったし、近所の人達には本当の仲の良い親子だと思われていた。
だが俺がおっさんを親父だと勘違いしなかったのは、アドルフがよく俺の両親の話をしてくれたからだ。
おっさんは酒が入ると必ず彼らの話をした。
“二人とも凄い奴でな――。”とか“ほんと俺の手に負えないぐらい馬鹿で――。”とか愉快そうに酒の肴としてよく聞かされたものだ。
だから俺には男親が二人もいるのだと、幼心に胸中で自慢していた。
アドルフは飲めば毎回酒に潰れる。
そんなおっさんが酔って寝る前に発する言葉は、必ず決まっていた。
“お前は勇者になる素質がある。あいつらに代わって、俺が必ずお前を立派な勇者にしてやるからなっ!”
と、豪語するのだ。
そんなおっさんの言葉に、俺の胸は……いつも強い焦燥感に駆られていた……。
だからどんなに厳しい訓練にも弱音を吐かなかった。
たとへ理不尽な事を押しつけられようとも、おっさんの熱意に答える事が育ててくれた恩を返す唯一の方法なのだと俺は常に自分に言い聞かせていた。
そしていつか、世界に名高い勇者になってルドルフに親孝行をするのだと。
そんなある日、そろそろ森に籠るかとアドルフが提案してきた。
その日は俺が生まれてから八回目の誕生日だった。
いつもおっさんは家に居たので、きっと生活資金が底を尽きたのだろうと俺は納得する。
それなのに、こんなに豪勢なご馳走を用意して貰って申し訳ないと、誕生日の食事を前に俺は背を丸めた。
そんな縮こまった俺の背中をアドルフが強く叩く。
そして“最後の晩餐だ――っ”とおっさんは豪快に笑い出したのだった。
その日は朝まで、新たな門出として二人で騒いだものだ。
アドルフに連れられて森に入れば、そこにはそれなりに年季の入った小屋が一つあり、雑草に埋もれかかっていた。
ちょうど暖かくなりだした季節だ。
外壁のそこらじゅうから新芽が生え始めていた。
だがその秘密基地の様な風情に、自分は幼心にワクワクしたのを今でも覚えている。
そしてそんなことよりも、もっと俺の心を躍らせる出来事が起きた。
その小屋の中には、なんと俺よりちょっと年上ぐらいの男の子がすでに居たのである。
名をオリヴィエ。
金髪青目の天使のような彼は、くしゃりと顔を歪ませて俺に笑いかけて来た。
聞けばそいつもアドルフの知り合いの子供らしい。
その縁で、これから一緒に暮らすことになった俺らの事をここで待っていたのだそうだ。
俺はオリヴィエを前に飛び上がった。
前に居た村にも同じ年の子が居ない訳ではなかったのだが、なにせ鍛錬鍛錬で遊ぶ暇がなかったのだ。
そうなれば自然と溝は深くなるばかり。
久しぶりにできた友達に、俺は舞いあがっていた。
だがその日の夜、おっさんが俺に静かに解いた。
“勇者に慣れるかは、お前の頑張り次第だ。”
ルドルフからそんな後ろ向きな発言を聞いたのは、それが始めてだった。
次の日、オリヴィエと手合わせをしてその理由が分かった。
あいつは強かったのだ。
何度挑戦してもほんの僅差で俺は負けてしまう。
それは数カ月後も、数年後も変わらず……。
それは些細な力加減とかタイミングの差とかかもしれないが、俺は決してオリヴィエに勝つことはなかった。
俺は勇者ではなかった。
長い月日を経て、やっと俺はその考えを受け入れた。
でも俺は悲観しなかった。
きっとオリヴィエが勇者になるのだろう。
そうすれば、おっさんも喜ぶだろうと。
なに、暗く考えることはない。
オリヴィエを勇者として送り出したら、またアドルフとの二人の生活が始まるだけだ。
おっさんの酒癖に一人で対処するのは骨が折れるが、此処に来るまでは一人でやって来たのだ。
なんとかなるだろう。
そしてその時は、おっさんの事を……親父と呼んでやろう……。
俺は心を切り替えた。
それからはオリヴィエの為だけに、俺は鍛錬を行った。
少しでもあいつのいい対戦相手になろうと、オリヴィエのためなら単なるサンドバッグでも構わないと、今まで以上に辛く苦しい事にも率先して挑むようになった。
そんな年月が過ぎたある日、おっさんが真剣な表情で俺らの前に立ちはだかった。
その頃には俺はすでに十五になっていた。
アドルフは言う。
“今からお前らには真剣勝負をして貰う。これが手合わせする最後の機会になる。”
と。
俺はその意味がよく理解できなかった。
だがオリヴィエには伝わったのか、あいつがいきなり殺気を放ち出した。
俺は咄嗟に防御の態勢を整える。
だが次の瞬間、目の前に居たはずの彼の姿がなくなり、後に残ったのは俺の首筋に走る鋭い痛み。
見えなかったのだ。
オリヴィエの攻撃を止めるどころか、あいつの動きを目視する事さえ俺には全く出来なかったのである。
俺は打ちひしがれた。
力の差は歴然。
“頑張れば”と言うレベルではない。
サンドバックでもではない、サンドバッグにしか俺はなれなかったのだ。
いや、それすらもきちんと役割を果たせていたのかも危うい。
今まで、俺のせいで完全に手を抜かさせていたのだ。
茫然とその場に佇んでいると、俺らの元に高貴な身なりの人物が訪れた。
“勇者を迎えに来た”と言っている。
だからこそ、最後の本気の手合わせだったのだと、その時になって俺はようやく気付いた。
アドルフは俺らを選別したかったのだろうか……。
「勇者はこの人物で間違いないのでしょうか?」
その年若い男がおっさんに尋ねた。
「ああ、勿論だ。」
「そうですか。今まで世話になりました。おい、行くぞっ。」
男がオリヴィエに声を掛ける。
でも、あいつがそれに従わなかったのか、ズカズカとその男の方がこちらに歩いて来た。
ぐいっ
だが、手首を掴まれたのは俺だった。
「え? あの……。」
俺は戸惑いながらその男を見上げる。
そしてそのままオリヴィエを見やるが、そこにはもうあいつの姿はなかった。
「大丈夫か?」
男が心配そうに俺の顔色を覗き込んで来る。
「え? ああ、まあ。」
急に間近に現れた男の顔に、俺はたじろいだ。
心配してくれたのだろうか?
だが、ならばと俺はおっさんに尋ねる。
「おっさん、オリヴィエは何処だ?」
「んあ? あいつか? そうだなあ……旅にでも出たのだろうなあ……。」
そういっておっさんは遠くを見つめた。
……は?
どう言う事だ?
俺は今の状況が全く理解できなかった。
迎えに来た人物が“勇者はどいつだ?”と聞く。
するとおっさんが“こいつだ”と答える。
だがオリヴィエはもう此処には居ない。
そんな中、驚く言葉が目の前の高貴な男から放たれる。
「勇者殿。いえ、ルイと呼び捨てさせて頂きたい。私のことも気軽にレオンと呼んで構わないですから。これからは私共とご一緒に行動して頂きますね。」
そう言って、聡明そうな男は俺に優しく笑いかけたのだった。




