第177話 コロネ、太陽の日の営業準備をする
「あれ? リリック、おはよう。随分と早いね」
まだ、夜も明けていない早朝だと言うのに、身支度を整えたリリックが三階の厨房の方で待っていた。
確かに、前日のうちに、朝の六時には準備を始めるとは言っておいたけど、今の時刻って、まだ五時前だよ?
まあ、コロネ自身も、今日は色々と作業が残っているため、すでに制服に着替えて、調理を始めようかって感じではあるんだけど、それは今日が初めての午前中からのお店の営業だからで、こっちでの時間配分をつかむ意味で、ってところなのに。
事実、時間が時間なだけに、ショコラはまだクッションの上で寝ている。
起こすのがかわいそうなので、かごごとテーブルの上で、すやすやという感じだ。
「おはようございます、コロネ先生。いえ、私は朝のお祈りをしていたんですよ。ほら、教会ですと、早寝早起きが基本ですし。早朝には、お祈りとかバターとかの販売もありましたし。もう、この時間に目が覚めるのは習慣ですね」
「あ、そう言えば、そうだったね」
忘れてた。
教会って、乳製品の販売とかも早朝にやっていたものね。
リリックの場合、孤児のころから、バターの販売のお仕事を手伝っていたため、夜になるとすぐ眠くなって、ものすごく朝が早いのだとか。
そういうところは、ピーニャに似ているね。
パン工房も朝が早いし。
まあ、そう言う意味では、パティシエの朝も早い。
当日用の仕込みというのが色々あるため、いざ午前中から、お店に商品を出すとなると、自然と朝が早くなってしまうのだ。
実際、向こうのお店でも、開店時間が十時半ごろだったけど、それでも、お客さんが来店するのを見計らって、ちょうどいいタイミングで商品をそろえるのは、けっこう大変だったんだよね。
ほんと、朝早くから無駄なく、テキパキと動かないといけなかったし。
「子供たちも、もうこのくらいには起きていたの?」
「ですね。お祈りと、朝のお仕事と言いますか。この町の教会の場合、ホルスンと挨拶をして、そのミルクをもらったり、バターやチーズとかの販売準備をしたり、まあ、他にも色々とありますけど、そんな感じです。大きい子が小さい子の面倒を見たりとか、シスターのお手伝いとか、一応、朝食の準備ってのもありましたね」
へえ、そうなんだ。
さすがは、働かざる者食うべからず、の教会だね。
朝の五時から、子供たちにもどんどん働かせているとは、すごい。
ああ、でも、農家関係の家の子にとっては、普通なのかな。
家で牛や鶏を飼っていたりすると、どうしても、生活のペースがそっちに合わせないといけないものね。
酪農家のタイムスケジュールって、けっこうすごいもの。
「もう、私の方はお祈りも終わってますから、いつでもお仕事に取り掛かれますよ。何でも言ってください。コロネ先生」
「ありがとう、リリック。うん、そうだね。アノンさんはどうなのかな? まだ、寝てるなら、簡単な準備だけでも済ませちゃおうか」
密着取材とは言っていたけど、さすがにこんな朝早くから付き合ってもらうのもねえ。
いや、向こうもお仕事だから、あえて起こした方がいいのかな?
まだ、お部屋の方で寝ているのかな。
「あ、コロネ先生。アノンさんなら、ほら、あそこで寝てますよ」
「へっ!? え? あれ、どうやって寝てるの?」
リリックが指差した方を見ると、三階の厨房の入り口付近、その天井の辺りで、網というかハンモックというか、そういうものにくるまった謎の物体が浮いていた。
いや、本当に浮いているのだ。
網が天井とか、壁のどこの部分にも結ばれていないのに、普通に浮いたままになっている。わずかに網が右へ左へと揺れているから、空中に固定されている感じではなさそうだけど。
というか、言われないと、あれが人だとは気付かないよね。
ここ、けっこう天井が高いから、入ってくるときにも気付かなかったよ。
「さあ……? ただ、私がここに来た時にはすでにアノンさんもあそこにいましたよ。なんでも、ものすごく寝相が悪いんですって」
リリックが声をかけた時には、一度目を覚ましたらしいのだが、お祈りをしている間に、またあの状態になってしまったのだとか。
というか、リリック、ここでお祈りしてたのか。
いや、アノンはアノンで、色々と突っ込みどころがあるんだけど。
「いや、寝相って、どうやったら、部屋からここまで来るんだか。まあ、それなら、声をかけちゃってもいいよね……アノンさん! アノンさん! おはようございます!」
コロネの声に対して、浮かんでいた網が、ビクンと反応したかと思うと、そのままの状態で、床まで降りてきた。
何というか、すごい寝かただね。
「ああ、コロネ、おはよう……ふわぁ……いや、ごめんね。一度は起きたんだけど、ちょっと早かったから二度寝しちゃった。うん……うん、よし、ちょっと待ってね」
網にくるまっていたのは、コロネの小さい時の姿で、しかもパジャマ姿のままのアノンだ。
いや、花柄のパジャマとか、どこから出したんだか。
ともかく、こちらに声をかけつつ、すぐさまアノンが別の姿へと変化した。
と言っても、小さなコロネなのはそのままで、服装とか髪型が、パティシエの制服っぽい姿へと整えられたって感じかな。
あ、すごい。
寝起きで、身支度が一瞬で終わるって、便利だね。
特に、髪の毛とか、整容関係が一瞬でってのは、ちょっとうらやましい。
これなら、ギリギリまで寝ていられるよね。
「はい、これでオッケー。改めまして、おはよう、コロネにリリック。て言うか、まだ五時前じゃない。もうお仕事始めるの?」
ふわぁと小さいあくびをしながら、アノンが小首をかしげる。
昨日伝えていた時間より、ちょっと早いものね。
まあ、こっちとしても、もう少しゆっくりのつもりだったけど、リリックもやる気だしね。実際、やることも多いから、早めに始めてしまおうかな、と。
「そうですね。わたしも、オサムさんのお店が午前中からオープンするのって初めてですので、ちょっとだけ、余裕を持って、準備をしておきたいですし。時間が余ったら、パン工房の方もお手伝いすればいいんじゃないですかね」
元々、コロネの立ち位置はパン工房のヘルプって感じだからね。
今日は、パン工房も二階での営業になるから、そこで売るパンをしっかりと用意しておかないといけないだろうし。
特に、白パンは。
昨日の段階で、オサムからもそれとなく言われてはいるのだ。
ごはんの定食は別だが、パンに合うメニューに関しては、白パンもお店で提供したいんだって。
そういうことなら、ひとりでもパン作りを手伝える人間が多い方がいいものね。
一応、本日のアイスとプリンの仕込みをやりつつ、パン工房にも行ったり来たりという感じになりそうかな。
その旨、リリックとアノンにも伝える。
「あ、わかりました、コロネ先生。つまり、プリンやアイスの仕込みをして、冷やしている間に、パン作りっていう風なんですね」
「うん、そういうことだね。待ち時間を有効活用ってところかな」
「了解。で、ちなみにコロネ、プリンとアイスはどういうのを作るの? 今日作るのは基本のものだけってことでいいのかな?」
「いえ、もちろん、基本のものも作りますよ? ですが、今日は、調理依頼がいくつかありますので、アイスについては、基本のミルクアイスとは別のものも作っていこうかなと考えてます。基本のアイスと、バナナを使ったものと、サンベリーを使ったものですね。プリンについては、お店で出すというよりも、クエストの引換券との交換用とかですから、そっちは基本の二種類って感じです」
後は、フレンチトーストとかも作るから、それらと並行しても破綻しない程度の種類にとどめておく。
バナナはリディアからの、サンベリーはアルルやウルルたちの、って感じだ。
「え!? コロネ先生、今日は新しいアイスも作るんですか!?」
ちょっとだけ、リリックが嬉しそうに聞いてくる。
まあ、新しいと言っても、基本のやつにそれぞれの果物を加えるだけだけどね。
「うん、ただ、それほど難しい感じじゃないよ。昨日、作ったアングレーズソースがあるでしょ? あれに、分量のバランスを考えて、果物を混ぜていくだけだもの。サンベリーの方は、味見がてらに昨日のうちに、ちょっとだけ下処理はしてあるけどね。後で、作る時に一緒に説明するね」
イチゴのアイスなどでは、風味を移すのに、一晩牛乳に漬けたりするから、同じベリー系ということで、サンベリーもその方法を試してある。
バナナは、バナナプリンを作ったときと同様に、ピュレ状というか、トロトロの状態にした後で、普通にアングレーズソースに混ぜるだけだ。
ちょっとだけ、果肉の食感が残るくらいが美味しいアイスになるって感じかな。
ちなみに、サンベリーの味だけど、ベリー系の甘酸っぱさに、わずかにオレンジのような柑橘系の風味を加えた味という感じだった。
ちょっと違うけど、イメージとしてはイチゴ多めにみかんをちょっと足したみたいな味というか。一種類でフルーツミックスのような味だ。
いや、このサンベリーって面白い味だね。
「果物を加えると新しいアイスになるんですね?」
「そうそう。まあ、必要に応じて、アングレーズソースの配分も変えていく必要もあるけど、基本のやり方を覚えてしまえば、あとは、果物とかのフレーバーとの足し算で、飛躍的に種類が増やせるからね。後は、どういう味が好まれるか、お客さんの意見とか、売上とかを参考にして、種類をしぼっていくって感じかな」
さすがにアイス専門店にしても、無尽蔵に種類だけ増やしても売れ残るだけだしね。
その辺りは、教会の方でも注意してもらった方がいいかな。
今のところは、アングレーズを使ったアイスクリームだけだけど、それでも種類は無限大だ。色々とこっちの果物と合わせてもらって、美味しい組み合わせを見つけて欲しいものだよ。
そうすれば、教えた側としてもうれしいし。
「ふふ、コロネのレパートリーに比べれば、まだまだほんの小手調べって感じだものね。ほんと、すごいなあ。オサムは甘いものはそこそこだしねえ」
あれ、と思う。
今のアノンの言葉にちょっとだけ違和感があるかな。
あ、ひょっとして。
「アノンさん。もしかして、わたしの記憶って」
「うん、大分、変化してたからね。簡単な部分については、って感じかな。少なくとも、プリンとアイスの作り方については、説明不要だよ。ま、心配しなくても、誰かに作り方を教えるとかは絶対にしないから。だから、他の人に教える作業だけは、一切引き受けるつもりはないからね。最初に言っておくけど。それは、ドッペルゲンガーの誇りに反する行為だから」
そう言って、アノンが笑う。
コロネの手伝いには、知識を使うけど、それ以外では一切使うつもりはないとのこと。
誰かに知識を教導するっていうのもダメってわけだ。
うん、逆にそういうのはありがたいかな。
その辺が、アノンへの信頼につながっているんだろうけど。
「はい、それでお願いします。そういうことでしたら、けっこう色々なことができそうですね。では、リリックにとっても、昨日の復習がてら、まずはプリン作りの方に取り掛かろうか。材料と容器、あるだけ準備って感じだね」
「わかりました。頑張ります!」
「はいはい、っと。せいぜい、足を引っ張らないようにするね」
多めに作っても、いざとなれば、お店の営業でも出せるしね。
その辺は、臨機応変にいけばいいか。
そんなこんなで、まずはプリン作りに取り掛かるコロネたちなのだった。




