第121話 コロネ、教会に相談する
「あ、ピーニャ、そのくらいでストップ。その色合いで大体八十三度だから、火を止めて、そこから先の作業を続けてね」
「はいなのです」
「おっ、と、カウベルさん、もう少し鍋の底からかき混ぜる感じです。火力はそのままで大丈夫ですので、焦げないように注意で、あと一分くらいですかね」
「わかりました」
「リリックのは、火力が弱すぎかな? あ、でも、七十度くらいでじっくり作ると、たまご臭さを飛ばせるかな。そのまま、ゆっくり行ってみよう。それで、七十度前後だからね」
「あ、はい。このままでいいんですね」
「パンナの場合は、少しかき混ぜすぎかな。もう少しゆっくりめね。まあ、あんまりゆっくり過ぎると焦げるか、分離しちゃうから難しいんだけど」
「えっ!? あっ、はい、ええと……こんな感じですか?」
「うん、それで、もうちょっとって感じかな……あ、そろそろ八十三度くらいかな。火を止めてね」
「わかりましたー」
「コロネ先生、自分のはどうですか?」
「うん、さっきから見てたけど、シズネのはまったく問題ないよ。というか、わたしがやっているのを鏡で見ているみたい。動きとか、タイミングとか。うん、何というか、すごいね」
「一応、クウガ流にそういう技術もあるのですよ。真似は割と得意です」
うん、何とか、みんな、大きな失敗なく、アングレーズまでたどり着けたかな。
まあ、手順としては簡単だけど、温度計がないと初見で、適温を見切るのは難しいからね。その辺りはちょっと考えが甘かったかも。
ごめんね、みんな。
この工程だけは、もうちょっと練習が必要かな。
ただ、幸いだったのは、シズネがわたしの手順を、ほぼ完全にコピーしてくれたことだ。これなら、リリック以外は、教会に戻っても彼女のタイミングでやれば大丈夫かな。
というか、冷静に考えると、動きのコピーってすごいね。
ほんと、どうやってやっているんだろ?
クウガ流、おそるべし、だよ。
「はい、みんな、お疲れ様ー。何とか、アングレーズをこすところまでは終わったみたいだね。後は、冷凍庫で冷やしていくだけだよ」
「なのですか。ということは、プリンみたいに冷えるのを待つ感じなのですか?」
「ところが、アイスクリームの場合、ここからが面倒な工程が待っているのね。いや、ほとんどは冷やすだけなんだけど、ここからは約一時間に一回くらい、固まってきたかなあ、って思った時に、固まりかけのアイスをかき混ぜる工程があるんだよ。目安としては三回くらいかな。だから、アイスが完成するまで、三時間ちょっとかかるの」
ソルベマシン、いわゆるアイスクリームメーカーを使えば、物によるけど、十分から三十分で作ることができるんだけど、手作りの場合、空気を含ませる必要があるんだよね。
「コロネ先生、一度に凍らせない理由はどうしてですか?」
「良い質問だね、リリック。たぶん、この間、アイスを食べたのって、この中だとリリックだけだと思うけど、あの時の口溶けについては覚えているかな?」
確か、リディアが食べつくしちゃったのと、わたしはわたしで衣装の件で動揺してたから、ピーニャもアイスは食べられなかったはずだ。
後で、取っておかなかったことを反省したしね。
「ええと、あの、口の中でふわっと溶ける感じですか?」
「うん、そうそう。その溶けるための条件が空気を含むことなのね。この空気の含有量のことをオーバーランって言うんだけど、その空気の量によって、アイスクリームの口溶けや食感、風味なんかがまったく違っちゃうんだよ。最低でもオーバーランが二十パーセント、つまり、アングレーズの五分の一の量の空気は含ませないと、あんまり美味しくないアイスクリームになっちゃうって感じかな」
目安としては、オーバーランが二十パーセントから百パーセントで、お店売っているアイスは作られているはずだ。
アングレーズが一リットルに対して、空気が一リットル入った状態で百パーセントだね。まあ、空気の含有率は高ければ高いほど、口当たりが軽くなるんだけど、その分、味がぼやけてしまうという欠点もあるので、基本は三十パーセント前後かな。
お店で出すアイスって、フレーバーにもよるけど、大体そのくらいが美味しい基準値のはずだ。まあ、これにしたところで、好みの問題だけどね。
「なのですか。空気が混ざった方が美味しくなるのですね。それはちょっと驚きなのですよ」
「そうだね、せっかくだから、一切混ぜないアイスも作ってみようか。味はおんなじのはずなのに、明らかに食感が違うから。同じ材料で、同じ手順でここまで作ったのに、ここまで違うのかって驚くはずだよ」
うん、やっぱり食べ比べてもらったほうがいいかな。
成功例だけだと、どうしてここで手間暇かけるのか、その意味がわからないだろうし。
「ところで、コロネさん。凍りかけのものを混ぜるのって、どのように行なうのでしょうか? 固体の撹拌は土魔法でしたよね? わたしも水は得意なのですが、土はちょっと……」
「え? あ、いえ、カウベルさん。魔法は使いませんよ。さっきかき混ぜる時にも使った泡だて器で大丈夫です。あれを使って、まぜまぜするだけですから」
「あ、そうなんですか。すみません、早合点してしまったようですね」
いや、でも、カウベルの質問はちょっと面白かったかも。
なるほど、固体の撹拌の魔法なんてあるんだ。
「ちなみに、土魔法には、撹拌の魔法があるんですか?」
「そうですね。気体の撹拌は風魔法、液体の撹拌は水魔法、固体の撹拌は土魔法という感じですかね。わたしが使えるのは水魔法のものだけですが。それを使って、バターを作ったりするわけですよ。撹拌して、水魔法が効かなくなったら、固体化した証ですので、そこでバターが完成という感じですね」
へえ、そうなんだ。
教会で、バターを作る時はそういうやり方なんだね。
確かにバター作りって、手だけでたくさん作るとなると重労働だもんね。
「あれ? ということは、シスターさんは皆さん、水魔法が使えるんですか?」
「いえ、コロネ先生。そういうわけではないですよ。それぞれに得意分野があるって感じですね。わたしも水魔法系ですが」
リリックは確かに見るからに水って感じの容姿だものね。
青い髪に青い目、これで土魔法が得意だって言ったら、少し違和感があるかも。
「えと、パンナが得意なのは歌唱スキルですので、どちらかと言えば、音関係です。基本属性で得意なものは、ごめんなさいという感じです」
「自分は風魔法ですね。クウガ流は、風と空間なのですが、自分の場合、まだ未熟ですので、風だけというところです」
「ちなみに、ピーニャは火魔法なのです。まあ、これはコロネさんも知っているとは思うのですが」
やっぱり、それぞれで得意なものが違うんだね。
この中には土魔法が得意な人はいないかあ。
残念、アイスの撹拌を試してもらおうと思っていたのに。
コロネが知っている中で、土魔法と言えば、セモリナちゃんかな。
まあ、さすがにあの子に色々お願いするのは悪いから、そこはそこ、なんだけど。
「でも、そうなると、バター作りはちょっと大変じゃないですか? リリックがシスターを抜けちゃうんですよね」
「はい。ですので、コロネ先生。塔に住み込みになったところで申し訳ないのですが、夜と早朝だけは、バター作りを手伝うことをお許しください。新しい水魔法の使い手にバトンタッチできるまで、ですが」
「うん、別に一日中付きっきりでいる必要もないしね。問題ないよ。というか、リリックも塔に住み込みになったんだね。知らなかったよ」
「え!? オサムさんからは許可を頂いてますよ? シスターカミュと話を持ち掛けたその日に、そういうことで話がついていたと思いますけど」
「あー、リリックさん、オサムさんが話していないだけなのですよ。たぶん、忘れていたか、コロネさんを驚かせるためか、どっちかなのです。外から見ているとわからないかも知れないのですが、オサムさんはそういう人なのですよ。もちろん、ピーニャも聞いていないのです」
「えー!? そうなんですか!?」
リリックは驚いているけど、ピーニャはそんなのいつものことだと、淡々としている感じだ。いや、コロネもオサムのそういう性格については薄々は気付いていたけど、そういう大事なことは、きちんと教えてほしいんだけど。
相変わらず、細かいことには大雑把というか。
いや、これも含めて、さすがに細かくないことまで大雑把だよね。
その割に、色々とマメなところがあるからタチが悪い。
いや、これは一応、褒め言葉だよ?
「はいなのです。まあ、いちいち真に受けていたら疲れるだけなのですよ。もう少し肩の力を抜いてリラックスなのです」
「そうそう。あ、そうだ。ちなみに、カウベルさん。カミュさんの得意なことって何なんですか?」
ふと、その辺が不思議だったので聞いてみた。
一瞬、カウベルが驚いたような表情を浮かべたが、すぐに笑顔になって。
「シスターカミュは色々、ですね。ほら、以前、子供たちに魔法を教えていましたよね? 身体強化や同調の付与はシスターカミュによるものですよ。巡礼シスターには相応の能力が求められますので、実は結構な魔法の使い手なんです」
そこまで言って、ふぅとため息をつくカウベル。
あれで、もう少しちゃんとしてくれれば、ということらしい。
相変わらずの苦労人だね。
それにしても、付与魔法か。
すごいね。確か、メルでも、ものによっては使えないって聞いていたけど、カミュもフィナと同じようなことができるんだ。
言動とか、行動に目が行きがちだけど、やっぱりすごい人なんだね。
「それはそうと、コロネさん。このアングレーズを冷やさなくていいのですか?」
「あ、そうだったね。ごめんごめん。それじゃあ、みんなで冷凍庫の区画まで持っていこうか。ここからは一時間おきの作業になるから、その間でちょっと手伝ってほしいことがあるんだよ」
「えと、コロネ先生。お手伝いすることって何ですか?」
「うん、プリンの作り方を教えるから、プリン作りを手伝ってほしいのね。実は、これから、午後のクエストの報酬として、プリンを用意しないといけないんだけど、初回だから、どのくらい必要なのか分からなくて。アイスのついでに、製法を教えるから、ちょっと手伝ってもらいたいなあって」
「え!? コロネさん、大丈夫なのですか? それはつまり教会に、ということですよね?」
驚いたように、コロネを見返すカウベル。
そんな彼女に対して、こちらもはっきりと頷き返す。
「はい。そういうことです。プリンに関しても、教会で作って販売して構いません。というか、できれば、協力してください。お願いします」
これについては、最初から考えていたことだ。
プリンの希少価値が上がってきて、かなりまずいことになってきているしね。
小麦に関しては、土魔法が得意な人を探す方向で切り替える感じだ。というか、早い段階で、プリンを流通させないと危険だもの。
特に、メイドのプリムが何をしているのかわからないし。
「教会の方でも、生産体制が整ったら、ぜひ販売の方をお願いします。正直、今のままですと、どういうトラブルに発展するのかわからなくてこわいんですよ」
「いえ、ちょっとびっくりしただけですので。むしろ教会としては助かります。アイスに加えて、プリンもとなりますと、これで新しい子供たちの受け入れもスムーズにいきますからね。コロネさん、ありがとうございます」
そう言って、慈愛の笑みを浮かべるカウベル。
やっぱり、この人はシスターの鑑みたいな人だよね。
まあ、とりあえず、これで、問題のひとつを切り抜けることができそうだ。
よかったよかった。
どうにか、プリンパラダイスとやらの建設を未然に防げそうで、ホッとするコロネなのだった。




