茉莉歌と雹
「でも焔浄院さん、そういう観点でみると、もっと歴代プリキュアとか海賊団とかLBXとかアベンジャーズとかフリーザとかが沢山出てきてもいいような気がするんですが?」
「そのへんは不勉強だからよく知らないんだ。フリーザは収集つかなくなるし。」
理事長はすまなそうに答えた。
「ガンダムは?ガンダムはどうなんです?進化する奴とか」
「宇宙世紀以外はゴミだ!」
理事長が吐き捨てた。
リュウジと理事長が駄話を繰り広げている頃、二人の後部座席に座った茉莉歌は、同じ聖痕十文字学園の初等部に通う小学一年生の少年、大神雹とあやとりで遊んでいた。
雹もまた、茉莉歌と同じ境遇だった。
勤めに出ている母親の消息がわからないのだ……。
「うう……目がまわる~(けぽっ)」
茉莉歌渾身の新作あやとり『ギャラクシー』を目の当たりにした雹は、ショックで小ゲロを吐きそうになった。
幾何学的に狂った角度で構成されたこのおぞましいあやとりは、見る者を深淵に引きずり込みそうになる名状し難い『何か』だった。
「ごめんね雹くん、つい本気出しちゃった」
茉莉歌は笑って雹の背中をさすった。
「ら…『ライダー』くらい、いいじゃないですか見たって! もう十年おっかけてるんだし!」
「如月君、君の特殊な嗜好の是非を論じてるんじゃないんだ。そういう嗜好の副産物を『例外』としてキャッチしない『そいつ』の杜撰さが今の事態を招いていると言っているだけだ!」
前の席ではリュウジと理事長が口角泡を飛ばしてわけのわからない議論をしていた。
「ねえお姉ちゃん…前の席の人、変なこと大声で話してて、なんか怖いんだけど。お姉ちゃんの知り合いなんでしょ大丈夫かな……」
雹は不安そうに茉莉歌をつついた。
「う~ん…そうね~」
茉莉歌は困り顔で笑いながらリュウジの方を見た。
小さい頃、茉莉歌にとってリュウジは『大好きな近所のおじさん』だった。
母親のように口うるさくないし、神話や漫画やアニメの話をよくしてくれた。
父親のように仕事に追われず、なんだか『のんびり』しているところも好きだった。
アクションフィギュアを弄らせてくれたり、モデルガンを撃たせてくれたこともあった。
ところが学校に上がって何年か経つ頃には、茉莉歌も分かってきた。
のんびりしているのは両親のように毎日勤めに出ていないからだし、茉莉歌にやさしいのは、彼女を育てる責任がないからだ。
だから今では『はずかしい近所のおじさん』のポジションだし、できれば近寄らないようにしていたのだ。
それでも……
茉莉歌は思った。
今朝起きた『あれ』で母親の連絡が途絶え、周囲におかしなことが起こり始めた時、彼女は不安と恐怖で足元の床が崩れ落ちるように感じた。
そこにリュウジが飛び込んできた時、どれだけホッとしただろう。
恐竜が出てきた時もそうだった。助けてくれたのは理事長だったが、リュウジは保護者として体を張って彼女を守ろうとしてくれたのだ。
だからさ……
「大丈夫だよ雹くん。ちょっとキモいけどさ、いいおじさんだし、一緒にいようよ。」
茉莉歌は雹に笑いかけた。
「でも僕…」
雹は泣きそうな顔で言った。
「お母さんが心配だよ、お母さんに会いたい!お姉ちゃんもあの『声』を聞いたでしょ?お母さんに会えるようにお願いしたら、叶えてくれるかな……?」
「それはだめ!!」
茉莉歌は思わず声を荒げた。雹は驚いて彼女を見上げた。そして切実な顔で聞いた。
「だめかな……なんで?」
「…………」
茉莉歌は言葉を失った。彼女は知っていた。雹には父親がいない。家族は母親だけなのだ。
だめだと答えた理由は、茉莉歌自身にもわからなかった。彼女も両親に会いたくてたまらない。
だが雹の言葉が意味するものに得体の知れない恐怖を感じたのだ。
……しばらく沈黙が続いた後、茉莉歌は雹の肩を抱いた。
「雹くん、お母さんはきっと大丈夫だよ、学校で待ってれば絶対迎えに来てくれるから、そうしたら、お母さんと相談して、なにをお願いするか決めようよ、よく考えてさ。一人一回なんだしさ!」
「……うん、わかった」
分厚い雲が空を覆い、雷鳴が響いている。
茉莉歌はぼんやりと、風にきしむ車窓をながめていた。あやとりで疲れた雹が、気がつけば彼女にもたれて眠っている。
「なんで『だめ』なんだろう……」
茉莉歌は雹の問いに感じた恐怖の理由に、ぼんやりと思いを巡らせていた。
雹の問いかけは、茉莉歌が無意識に考えまいとしていた恐ろしい可能性を彼女に突きつけたのだ。
「もし、このままずっと、お父さんとお母さんに会えなかったら…」
その時は、茉莉歌も雹と同じことを願うのだろうか。
だが……茉莉歌は最悪の想像をした。
既に両親が命を落としていたとしたら、一体茉莉歌が会うのは『誰』なのだろう……?
「わからない……わからない……怖いよ……」
茉莉歌は頭を抱えた。
「お姉ちゃん?お姉ちゃん?」
茉莉歌は雹の方見た。いつの間にか目をさましていた雹が、茉莉歌の脇腹をつついていた。
「大丈夫?気分悪いの?」
「んーちょっと。バスとか久しぶりに乗ったけどやっぱ酔うわー。」
「じゃあこれあげるよ。」
雹はトラベルミンレモン味を茉莉歌に手渡した。
「そんなことよりさ、お姉ちゃん、学校に着いたら、さっきのあやとりの『あれ』、やり方教えてよ!なんかクラクラきてハイになって超クールだったんだけど!」
そうだね。
茉莉歌は思った。
願い事とか、キツイ系の事を考えるのは今じゃない。雹くんと自分の面倒をしっかり見ないと。リュウジおじさんだけじゃ頼りないもんね。
「いいよ、雹くん」
茉莉歌はニヤリと笑った。
「ただし修業は厳しいよ~!」
『ギャラクシー』は両小指を自ら脱臼させないと完成しない、恐るべき秘戯なのだ。
「到着するぞ、『学園』だ」
理事長が言う。茉莉歌は窓に目を遣った。
暗雲を背に聳え立ち、金色の稲妻にそのシルエットを浮き立たせた学園は、普段とはガラリと雰囲気を変え、何か中世の古城のようにも思えた。




