リュウジ煩悶
「リュウジ、ごめん、結局、約束破っちゃったな……絶交かな……?」
コータが顔を伏せて言った。
「…………」
リュウジは返事に詰まった。
コータは、やることなすこと間違いだらけだった。
それでも、彼の『願い』を責められる奴が、どこにいるだろう。
「……何言ってんだコータ、謝るのは後だ」
リュウジはコータに言った。
「それより、早く傷の手当てをしないと、服が血まみれだぞ。」
「え……ほんとだ血……うぎゃ痛ってーー!」
コータが卒倒した。
日が沈んだ。
校舎から逃れた人々が、暗い顔でタニタさん達の準備した炊き出しに並んでいた。
黒石さんや薔薇十字さんは、怪我をした人達の手当てに忙殺されていた。
幸いにも校舎の崩壊と火災による死者はいなかった。『隊員』達の迅速な避難誘導が功を奏したのだ。
だがトライポッドとの戦いで物部老人は凄惨な死を遂げた。そして雹は……
「茉莉歌ちゃん……」
事の顛末を鳳乱流から聞いたリュウジは、いたたまれない顔で、塞ぎこむ茉莉歌の背中を見た。
あれ以来、茉莉歌は一言も話せず、食事も口にしていないのだ。
リュウジにはかける言葉が見つからなかった。
「やはり狂っている……」
リュウジは暗澹とした気持で空を仰いだ。
この混乱と狂騒はいつまで続くのだろう。
対症療法を以って世界を正常に戻さんとする理事長の願いは、彼の家族の願いにより、絶望的な形で幕を閉じた。
リュウジは、哀れなエナの運命や、雹の行方、そして失意の茉莉歌の事を思った。
エナや茉莉歌に手をさしのべる、どんな『願い』があるというのだろう。
いっそ、この事件を『無かったこと』にしてほしい、そう願うのはどうだろう?
気の滅入っているリュウジに、それは意外な名案に思われた。
あの『声』が聞こえず、怪奇現象や災害の起きていない状態に、世界を『戻す』のだ。
リュウジと茉莉歌は、こんな目にあうことなく、安穏とした日常に帰れるかもしれない……。
いや、待て。
リュウジの中の何かが、それを制した。
彼は消えた雹の事を思い返した。
たしかにリュウジがそれを願えば、『正常』な世界がリュウジの前に現れるかもしれない。
だが、それはリュウジにとっての話だ。
『ここ』に居る茉莉歌やコータ、理事長、エナにとって、今の苦境は変わらない。
ただリュウジが『ここ』から消え去ったという事実が残るだけだ。
ではこういうのはどうだろう?
『自分』と『茉莉歌』を平和な世界に帰してほしい、雹のいる世界に。
そう願うのだ。茉莉歌は雹に会える。
リュウジも、このプレッシャーから開放されるだろう。
いや、待て。
リュウジは混乱した。
仮に、リュウジと茉莉歌が雹の居る世界に移動できたとして、その雹は、昼間の戦いで茉莉歌が守ろうとした雹と同じ雹なのだろうか?
いや、待て。
そもそも、リュウジと一緒に別世界に移動した茉莉歌が『ここ』に居る茉莉歌と同じ茉莉歌であると、どうしてリュウジが知り得るだろう。
『ここ』にいる茉莉歌は、ただ取り残され、さらなる苦境に立たされる可能性が無いと誰に分かる?
「………………!」
これまで考えたこともない思考の迷路に迷い込み、リュウジは吐気を覚えた。
「いかんいかん!しっかりしろ俺!」
リュウジは頭を振った。
ある日突然、家族や親しい人間と永遠に別れなければならない。
つらい事だ。耐えがたい事だ。
だが、それは世界がこんな風になる前から、変わらない事じゃないか。
茉莉歌にとって、不幸にも今日がその日だったのだ。
これは茉莉歌が乗り越えるべき悲しみなのだ。
それを俺は願い事でどうにかしようなんて……茉莉歌と俺だけ別の世界に行く?馬鹿!馬鹿!馬鹿!
リュウジは、自分のアブノーマルな嗜好が願望に反映されていたことに気付き、ポカポカ自分を殴りたくなった。
「茉莉歌ちゃん!」
昼間の戦いの後から、リュウジは初めて茉莉歌に声をかけた。
「わかったよ、おじさん……」
茉莉歌が振り向いた。その目には涙があった。
だが、声には気魄があった。
「ある日突然、親しい人と離れ離れにならなきゃいけない、でもこれは今までも同じだったし、願い事でどうにかすることじゃない」
彼女はリュウジをまっすぐに見た。
「やっと気付いたの、自分が恥ずかしい……願い事で雹くんを取り返そうなんて、そんな事を考えていたの、馬鹿だった……しっかりしなくちゃ」
「え……そうなの……?いや、うん、それならいいんだけど、うん。」
茉莉歌を叱咤しようとしていたリュウジは、彼女に言おうと思っていたことを全部先に言われてしまい、ちょっとがっかりした。
だが、心は軽くなった。
そして、これまで後回しにしていた問題が頭をもたげてきた。
「これを、茉莉歌に知らせるべきだろうか……」
リュウジは6日間鳴ることのなかった携帯を手にしていた。
携帯の液晶には、ついさっき受信したメールが表示されていた。
「新宿、十文字大学」
メールには、ただこう記されていた。
発信者は、彼の姉で茉莉歌の母、結衣だった。




