目覚め
私に私が集まってくる。
まだ27%の私が冷たい肌にそれを感じる。
曠野を吹き荒ぶ砂塵
路地に転げた屍を焼いた灰
暗い波間に燐光を瞬かす夜光虫
かつて私であった私の断片が私に収束してゆく。
時が逆さに流れる。
無であった私が無を思う何かに退行する。
だめ、もう起きたくない。
私は呟く。
生きることは狂うこと。
現世は絶えず血が通い流れ続ける混乱と惨苦。
闇と静謐に満たされた『ここ』で無限に広がり漂うことを
どうしてやめねばならぬのか。
起きろ、お前には仕事がある。
出来たばかりの私の耳に、誰かが囁く。
私は半透明の瞼を開く。闇の中で何かが煌く。
虹だ。しじまに光る七色の燦爛。
虹は見る間に捻じくれ丸まり幾つにも千切れると
細かいビーズのように輝いて暗黒に浮ぶ円環を形作る。
光の門がゆっくり開いて行く。門の向こうから何かが私を覗く。
眼だ。緑色に燃えさかる巨大な焔の眼。
いやだ、あんなものとは関わりたくない!
私は必死に目をそらす。でも、もう遅かった。
眼は私の内にあった。
私の心臓を緑色の焔が燃やす。
#
「好きな時に願い事をしてください♪どんな願いでも現実になります。ただし、一人一回なのでよく考えて決めてね!」
闇の中で声が聞こえた。
エナが我に返った時、彼女は見知らぬ病院の一室に立っていた。
ベッドには、衰弱した様子の母親の那美が横たわっている。
「エナ……」
那美は涙を流して、リネンのベッドから身を乗り出して、彼女に手をのばした。
「よかった……最後の最後に、奇跡が起きた……願いが叶った、お願い、もうどこにも行かないで……」
「母さん……」
エナは母親の手を握りながら、混乱していた。
母さん、なんだかずいぶん弱々しく見える。
今朝はこんなじゃなかったのに。
……今朝?
エナは思い出した。
あの朝、自転車に乗って学校に向かっていた彼女は、信号無視で突っ込んできた自動車にはねられそうになったのだ。
エナの記憶はそこで途絶えていた。
なんで、母さんの方が入院しているんだろう?
ゴオオ!!
突然、轟音と衝撃が二人を襲った。
地震!?カーテンを開けて窓の外を見たエナは、外で起きていることがよく理解できなかった。
信じられない!黒山のように大きな、ゴツゴツした、蠢く『何か』が病院に、この病室に向かって倒れてくる。
天井にひびが入り、壁が崩れ始めた。
「 母 さ ん ! 」
エナは叫んだ。
#
闇の中で声が聞こえた。
エナが次に目を覚ました時、彼女は瓦礫の山と化した病院の跡地に立っていた。
周囲のビルも半壊したり、大穴があいたり。
至る所で火の手が上がり、悲鳴が聞こえる。
ここは……新宿の十文字病院?さっきの地震で気を失っていたのだろうか?
でも母さんは?母さんは無事なの!?
「母さん!どこ?返事をしてよ!」
エナは泣きながら母親の姿を探した。急に、あたりが暗くなった。
どおん!
空を仰いだエナは、病院を破壊した者の正体を知った。まさか、そんなことが!
山のように巨大な黒い怪物が、エナの頭上を跨いだ。
エナは目をこらした。岩のような怪物の皮膚から、何かがはがれおちてきた。動いている。
「ひッ!」
エナは息をのんだ。エナの周りに落ちてきた、大型犬ほどもあるフナムシの様な怪物が、節足を震わせながら何匹も、何匹もエナに飛びかかってきたのだ。
#
闇の中で声が聞こえた。
エナが次に目を覚ました時、あたりは暗くなっていた。
人通りのない明治通りを、何かが行進していく。
ろくろくび、ぬっぺらぼう、竈神、しろうねり、ぬらりひょん……
人魂の提灯をともした妖怪たちの百鬼夜行が、彼女の前を通り過ぎて行くのだ。
ああ、これは夢だ、はやく覚めろ、覚めろ!エナは頭を抱えた。
ぎゃあぎゃあぎゃあ!
頭上から奇怪な鳴き声が響く。思わず空を見上げるエナ。
街灯の周囲を、人間ほどもある大蝙蝠が飛びまわり、エナを見つけると歓喜の奇声を上げて、飛びかかってきた。
#
何度も何度も死の恐怖を味わい、そのたびに闇の声を聞き、見知らぬ場所で覚醒するうちに、エナは自分の呪われた運命を知った。
あの『声』は彼女だけではなく、全ての人間に聞こえていたのだ。
そして母親の那美は、死の間際、エナの再生を願ったのだ。
三年前に交通事故で死んだ、かつての彼女の再生を。
もはや、エナは死ぬことができなかった。
死の顎に捕われる度に、それは『なかったこと』にされ、死の直前の記憶を宿したエナが『ここ』に再生されるのだ。
母親の強固な愛がそれを願ったのだ。
母親は『ここ』ではない『どこか』へ行ってしまったというのに!
エナは母を呪った。自身の『願い事』で母を蘇らせ、問い詰めたいと何度も思った。
だが、そのたびに死の間際の母の笑顔が瞼に浮かび、エナは必死で思いとどまった。
その『願い』は、さらなる地獄の創出に他ならないからだ。
「母さん、なんでこんなことを……! 何で…………!」
人通りのない暗い路地で、横転した都バスに身を潜めながら、エナは泣いた。




