FILE086:のばら園に行きたい
熱海から帰ってきた翌々日、自宅でしっかり休んでからのこと。アデリーンは肩を出した色っぽい私服姿に着替えると、蜜月も誘って浦和家を訪れる。蜜月はというと、赤黒のボーダーシャツとダークグレーのサスペンダーと同色のズボン、というコーデで行くつもりだったようだ。
「こんにちは! おうちの整理整頓は済んでたかしら?」
「アデリーンに蜜月さん! まあ、だいたい、ね」
笑顔であいさつを交わし、浦和一家の前で2人は紙袋とカバンの中に可能な限り詰め込んだ土産物を見せはじめる。
「おみやげどうぞ。これが『福ノ湯』の入浴剤で……」
「うんうん」
「こっちは『こよみ屋』の入浴剤よー」
「へぇ……」
「おせんべいとフィナンシェとマドレーヌもあるのよ」
次から次に買ってきた土産を取り出しては見せる。竜平も、綾女も、小百合も、そろって興味津々だ。
「これはインスタントだけど、朝潮の『斜炉』ってカフェーで使われてたのと同じブレンドなんよ」
「それいいね! 私飲みたい! リュウは?」
「俺コーヒーはあんまり……やっぱ飲みます」
朝潮区まで行かねば飲むことができない味という意味ではレアものであり、綾女にとってはいただかない手はない。蜜月も綾女と竜平に快く譲った。ほかにも、まんじゅうやラングドシャと、果ては茶碗に湯呑みまでいろいろと渡して机いっぱいに置いたところで、小百合は嬉々としてお辞儀をする。
「こんなにくれてありがとねぇ」
「いーえー。日頃からのお礼なんで遠慮なさらず」
蜜月にとってはカメレオンガイストの事件の際に、浦和家と梶原家を騙してしまった件での詫びをし足りないというニュアンスも含まれていた。彼女の胸中を察したアデリーンは、「引きずらなくていいのよ」と励ますように彼女の肩を持ち、顔を上げさせる。
「……あっ、そうだ。蜜月ちゃんにアデリンさん」
そんな仲の良い2人をまじまじと見て、綾女はあることを思い出す。それを口に出そうともしていた。
「おっ、なんだい? 綾さん?」
「私、『のばら園』に行きたい。もっと蜜月ちゃんのこと知りたくて……」
綾女からの予想外な言葉に驚いた蜜月は口の前に手のひらを向けて驚くが、直後、口の端を吊り上げて、返事をする前に一呼吸置く。
「……おっしゃ、わかった。綾さんの頼みだもんね。場所も教えてあげるから準備しといで」
「いいの? ありがとうね! ちょっと待ってて……」
綾女は部屋まで身支度をしに行く。が――その時、彼女も気付かぬうちにポケットから1枚のブロマイドが落ちた。アデリーンはそのブロマイドを拾い上げ、一同に見せる。夕方の遊園地の城をバックに、綾女が若い男性と肩を並べて一緒にピースサインをしている姿が写されていた。情報通の蜜月もさすがに知らなかったし、竜平と小百合は一応知ってはいたが、気まずそうだ。
「もしかして……アヤメ姉さんのコレですか!?」
「まあ、そう……だね。嫌な事件だったわ」
「う、うん。気にしないほうがいいぜ」
触れてはいけないことだったのだということを察して、多くは聞かないことにしておこう、と、アデリーンも蜜月も反省した。そんな折、綾女が部屋から戻ってくる。
「アヤメ姉さん、写真落ちてましたよ!」
「ああ、それ破って捨てちゃって。もう過去のことだからいいの!」
「えーっ。大切な思い出を記録したものじゃ……」
笑顔でサラッとは言及したが、それでいいのかとアデリーンは心配になった。しかし、すぐに綾女は「なんてね、冗談冗談。あまり気にしなくていいんだよ」と、アデリーンにフォローを入れると彼女から写真を受け取ってカバンに収納する。そうして、アデリーンと蜜月は綾女の車に乗せてもらい、綾女が運転席に乗り込んでハンドルを握り、竜平と小百合から笑顔で爽やかな見送られて、彼女らもほがらかに微笑みを返してから――出発した。
「ここで曲がって……」
「それじゃルートは、これであってたかな」
「正解!」
「スペイン語かーい」
助手席に座った蜜月があれこれとカーナビ内の地図を指差し、綾女はその通りに従って道筋を辿って行く。無論交通ルールも守って――カーナビがしっかりと役目を果たしているゆえ、つくまでの間は暇な2人を思って、綾女は何か話題を振ろうとする。他愛のないものでもよかったのだが、綾女には2人に知ってもらいたいことがあった。
「さっきの写真に写ってた元カレはね、大毅君って言ってね。悪い人じゃあなかったんだけど、大学に行く前にお互いのためを思って別れたの」
「ダイキさんね。どんな人だったの?」
「うーん、優しいっちゃ優しかったんだけど、反面独占欲や束縛が強くて……」
途中、信号が赤信号に変わったため、綾女はブレーキをかける。
「あちゃー、それじゃあ、お別れしても仕方がないですよね。アヤメ姉さんも辛かったと思うし、深入りはしないでおきます」
「えー、いいのよ。むしろ聞いてってちょうだいよ」
「元カレさんとのおのろけ話を、のばら園に着くまでずっと~!? それはさすがの蜜月お姉さんもちょいとキツイな……」
「まあ、無理矢理聞かせたくもないからね」
信号が青に変わったので、前にも後ろにも、横にも気を付けて綾女は車を走らせる。まるで過去のしがらみを振り切るようだった。
「メールでのばら園にアポとっといたよ。すぐに返事も来た」
「ダメだった?」
「んにゃ、オッケー」
蜜月から吉報を聞いて、3人で「ヤッター」と喜んでいるうちに件ののばらこと『のばら園』に辿り着き、守衛の案内に従って付近の駐車場へと車を停めて、全員降りてから、蜜月が守衛にあいさつし、その後足を踏み入れた。児童養護施設ではあるが、見た目はモダンな雰囲気の4F建てだ。正門に入ってすぐにコンクリートの中庭と子どもたちが遊ぶためのグランドや遊具もあり、噴水とそれを囲う色とりどりの花が咲く花壇が中庭の真ん中に据えられている。そして今は自由時間なのか、敷地内のそこかしこで子どもたちが思い思いの時間を過ごしていた。それぞれ事情はあれど、元気いっぱいに過ごす彼らの姿を見てアデリーンたちは癒されたし、元気も分けてもらえた。
「とってもいいところね。空気もきれいだし……」
「子どももみんな喜んでるもんね」
「だろ~? ワタシの師匠が生前、将来を背負う子どもたちの未来のために命がけで守ってきた場所からね。見て回る前にまずはあいさつと……コレコレ、おみやげをやっちゃん園長にあげるのだあ」
興味津々なアデリーンと綾女に気持ちを抑えるよう、蜜月がおどけながら呼びかける。玄関に上がると、下駄箱で靴を脱いで、職員や警備員にもあいさつするなどして、来客用のスリッパを借りさせてもらった。
「ここで引き取られた子たちはね、中学や高校のどっちかを卒業する時に一緒にここも出る決まりになってんの。けど、自立できるだけの力も知識も身につけてからだよ」
「高3まではのばら園にいられるってことかな?」
「高校上がる前に出るのも、高校出てからやめるのも、その子たち次第だなっ」
「蜜月ちゃん、お詳しーっ」
2Fにある職員室に向かっている途中で蜜月からのばら園のことを聞きながら、3人は談笑し合う。この中では一般人と言えるのは綾女のみなのだが、とてもそうとは思えないような和気あいあいとしたムードを漂わせている。そのうち、2Fの東側階段の近くにある職員室に着いた。
「こんちゃー、蜂須賀です!」
「あっ! こんにちは! ハチさんとご友人の方々!」
空気は清潔、理路整然としたその職員室に入って早速、蜜月ら3人に職員の1人であるベテランの男性が起立して声をかける。それを合図にほかの職員一同も立って、3人とあいさつとお辞儀をし合った。
「ささ、こちらへ……」
設備やデスクの上に並べられたファイルなどが目に入り、目元と口を緩めて懐かしむ綾女とアデリーンだったが、今はそれよりも優先するべきことがある。ベテラン職員に職員室の奥の扉まで案内してもらい、蜜月が率先して扉を開く。目に優しい配色のカーペットが敷かれ、おしゃれなインテリアも飾られたその部屋のスチールデスクに園長が座っていた。蜜月より少し下くらいの年齢の女性で、ふんわりとした髪を右下で編み込んでくくっている。服装は白いブラウスに淡く落ち着いた桜色のフレアスカートだ。彼女とは知己であった蜜月はその顔を見て口元を手で覆うほど喜び、アデリーンと綾女も蜜月がたびたび話題に出していた彼女に、こうして会うことが叶って嬉しくなった。
「やっちゃ~~~~ん、お待たせ!」
「蜜月さん! さあさあ、おかけになって」
立ち上がって熱く抱擁を交わすと、『やっちゃん』はふかふかの漆を塗ったように黒いソファーに3人を案内する。ほかにも会議をする用の机も設置されていた。
「のばら園の園長を務めさせていただいております、草刈八千代と申します」
「ヤチヨさん、はじめまして。アデリーン・クラリティアナと言います。よろしくお願いします」
「私は浦和綾女です。蜜月ちゃんにはいつもお世話になっています」
やっちゃんこと八千代へと、2人はソファーに腰かけたまま簡単な自己紹介をする。それに応えて八千代もお辞儀を返す。そのあとアデリーンと蜜月のほうから熱海土産が出された。
「まあ。こんなにもらっちゃっていいのかな」
「遠慮すんなし。ワタシとやっちゃんの仲だ」
「ありがとうね」
1つ1つ見ていっている八千代が、独り占めするのではなく、施設の子どもたちや職員全員で分け合って味わおうと考えていることは、蜜月だけでなく、今日が初対面の2人にもなんとなく分かった。茶碗や湯呑みにマグカップなどについては、これから検討するのだろう。
「そうだ、フェイたんは今日来てる?」
フェイたんとは、かつて蜜月がヘリックスにいた頃に不憫に思って匿ったプロのダンサーを目指す外国人の女性であり、現在は母国から共に引っ越してきた両親と暮らしている。本名はフェイ。
「園長ー、年少組のトモちゃんとフクシくんを保健室に連れて……」
そこに入って来たのは、プラチナブロンドの髪を編み込んだ髪型で瞳はヘーゼル色の女性だ。薄手のセーターの上にかわいらしいエプロンも羽織っていた。その女性は、アデリーンたちの姿を見て驚き、すぐに感動で目を潤す。
「って蜜月さんにアデリーンさん?」
「噂をすればフェイたん!」
「おいっすー☆ 私たち、あなたにまた会ってみたかったの。お土産もあるわよ」
なんだかファンキーな様子の2人に手招きされて、フェイは恐る恐るソファーにかける。面識のなかった綾女にももちろん目を向けた。
「浦和綾女です。あなたがフェイちゃん?」
「はい。よ、よろしくお願いします」
「いーえー、こちらこそ!」
綾女は満面の笑みで、フェイは少しはにかんで。握手した2人は、この場で新しく友となった。偶然にもフェイも加わったことで、会話は弾みを増し始めることとなる。
「今日はダンスのお稽古行かなくていいのかい?」
「ダンス教室がお休みなので。エヘヘ……」
「だからちょっと手伝ってもらってたの。それにフェイさんには、ウチの子どもたちとももっとお近づきになってほしかったし――」
アデリーンと綾女は、3人の話に聞き入っている。どの辺で自分たちも混ぜてもらうかも考えながらだ。
「園長先生……ステキですっ!!」
「いや、それほどでも~。ありがとうございます。フェイさんは以前蜜月さんから紹介してもらって、たまにこうして来てもらっているんですが、本当に子どもたちとは懇意にしてくださっていて……」
アデリーンと綾女は、八千代からフェイのこののばら園での経歴を聞くと、手を合わせて自分たちの事のように喜び、ほろりと涙する。現代っ子風に言うならば、「エモい……」とそう思ったのだ。
「ワタシは別にここの出身ってわけじゃあないんだけどさ、亡くなった師匠がやっちゃん園長と一緒に遺していった大切な場所なんだわ。だからみんな守って行かないとな、っていつも思ってる」
綾女は、そう語る蜜月の横顔から切ないものを感じ取る。蜜月がヘリックス絡みで後ろ暗いことをやってきたことは知っていたし、けれども本人の前ではあまり触れなかった。人には誰しも表と裏があり、良い面も悪い面も持っているということを知っていたからだ。彼女の人となりはよく知っているし、今更責めようとはこれっぽっちも思ってはいない。まだ知り合ったばかりだし、だからこそ何があっても彼女の友でいたいと――そう願っていた。
「蜜月さん――」
「綾さん? な、泣くなよ~~」
感極まった彼女が蜜月を想って流した涙を、その蜜月はかわいらしいミツバチの絵がプリントされたハンカチで拭う。すぐ隣に座っているアデリーンが綾女の肩を持ち、微笑みかけた。
「……ふふふ」
「ヤチヨさん?」
「蜜月さんは本当に良いお友達をもったなー、って思ったんです」
「そういうやっちゃんもね。優しいやっちゃんにのばら園を継いでもらえて、師匠も鼻が高いだろう」
「もう、ふふふふ……」
しばらく、親しい者同士の談笑が続き――そして終わった頃には、蜜月が「せっかくだ、おチビちゃんたちと遊んでいこーかいっ!」と気を利かせたことで、施設の子どもたちとのびのびと触れ合い、向き合う時間が作られ、一同は子どもたちと遊んで勉強も教え、ときには導いたのだった。




