FILE019:メンテは大事ナンス
『それでは、次のニュースです。昨晩より都内各地で謎のネバネバした液体が目撃されていますが……』
「液体……ネバネバ、粘液……? ヘリックスの仕業ね!?」
朝食後に歯みがきと洗顔を済ませて、くつろいでいた時のこと。まだそうと決まったわけではないのに。つい大声を出して断定してしまったアデリーンは、咳払いしてごまかす。アロンソもマーサもこれには少し困った。
「いやいや、そんなわけ。ささ、お笑い番組とかバラエティでも見ましょう」
照れ隠しで笑いながらリモコン片手に、間もなくチャンネルを変更したアデリーンだが――次の瞬間。
『神奈川や千葉でも同様の事件が発生し、警察は――……』
「え~~~~っ。テレビあるあるだわ……」
先ほど見たものと同じニュースが流れて、彼女は肩をがっくり落として辟易。次にチャンネルを変えたら今度はちゃんとお笑い番組だった。2人組がひたすらすれ違い誤解が誤解を生み続けるという、もどかしくも笑いを誘う漫才の王道だ。
「アハハハハハハハハ~~~~っ」
「あなたも結構ヤンチャよね。嫌なことがあったら思い切り笑うのが一番」
いつもいつも冷静沈着なアデリーンだが、笑う時は笑うタイプであるし、このコントについてはツボにはまったようで腹を抱え、テレビ画面を指差して大笑いだ。とはいえさすがに、誰にでもこういった側面を見せられるわけではない。そんな娘の姿を暖かい目で、マーサは見守る。
「ああ、あの子だってよく笑ってくれていたからね……」
意味深なことをつぶやくアロンソに対し、急に冷静さを取り戻したアデリーンが食い気味に、「父さん! 今ぐらいそういう話はやめやめ」と制止する。
「お姉ちゃんだってそのほうがいいはずです!」
「す、すまなかった。アデリーン」
「私、これ見終わったらメンテしに行きますから! ね!」
こうしてお笑い番組の視聴を再開して、アデリーンはマーサとともに多種多様なコントの数々を見て笑い続けた。唐突な言い回しをした彼女ではあったが、メンテナンスは大事なことだ。その方法は――。
◆
あれからしばらく経った後、一家はクラリティアナ邸の地下へと降りた。そこには秘密基地が人知れず建造されていた。このことは、他に誰も知らないから秘密基地なのだ。床や壁から天井、インテリア、その他設備まで、SF映画に出てきても何もおかしくはない。その秘密基地の中の一角、ガラス越しの部屋に一家は足を踏み入れた。
「ボディチェックマシーン、起動! これよりメンテナンスを行ないます」
メンテナンス用のその部屋で、両親がガラス越しに見守る中、自分自身で設備の電源を入れてボディ・メンテナンスを決行するアデリーン。と言っても自身の解体が必要だったりはしない。ベッドや机と同じ向きに設置されている培養槽に入り、機械にスキャニングしてもらうだけだ。
「では……」
衣服を脱ぎ、桶の中に置いて、まずは片足から。――しかしこれでは、湯船やプールに浸かるときと変わらない。裸だが、巧妙に髪の毛で隠しながらアデリーンは照れ笑いする。「は、はしたない!」「早く入りなさい!」とアロンソとマーサが呼びかけた。
「失礼しました。改めて……」
備え付けてある階段を登ってから息を止めて、アデリーンは培養槽に浸かる。長い髪の毛で隠れるので何も問題は無い。
『ブレインとチタニウム合金骨格に問題なし。両目ともに視力2.0、視界は依然として良好。両肩・両アーム問題なし。筋肉痛と運動不足にお気をつけて。バストまだまだ成長中。ボディ、この場合は胴体のバランス良好。両足問題なしですが、太ももが少しプヨプヨ。相変わらずナイスバディ、ナイスヒップ! フィジカルオールグリーン。メンタルオールグリーン。オールOK、メンテナンス終了。お疲れ様でした』
スキャン中、基地の管理も担当しているスーパーコンピュータ・通称『ナンシー』が女性の声で淡々と、時々人間くさく陽気にアナウンスしていた。
(一言余計よ……。まったくこのドスケベAI)
メンテ終了につき、培養槽から上がるアデリーン。バスタオルでしっかり拭いてキャミソールを着て、ズボンを穿いていく。上着はもう少し乾かしてからだ。――電源をオフにして培養槽の部屋から出たとき、アロンソがチラチラと彼女を見ており、マーサはそんな夫を見て恥ずかしく思っていた。
「父さん、鼻の下伸ばさないでください! 母さんだって見てるんですよ」
「す、すまない」
スケベ心丸出しだったのでちょっと怒ったが、アデリーンもマーサもアロンソのことを笑って許した。ただ、彼としては逆にあとが怖い。とくにアデリーンは笑顔が少し、張り付いているようにも見えた。
「ところで。『ナンシー』の人格プログラムを上書き修正させてほしいんですが……」
「まあまあ、アデリーン。その辺で」
マーサが彼女を落ち着かせて止めなければ、彼女はきっと更にとんでもないことを口にしていただろう。ストッパーになってやらなければ本当に危ないところであった。
◆◆
「あはは! あはは! おもしろーい! あはは!」
それからアデリーンは何をしていたかと言えば、部屋を少し片づけてから、ベッドの上でゴロゴロしながらマンガを読んで笑い転げていた。こうした私生活でのハジケぶりも、普段まじめに振る舞っている反動であろう。
「こらっ! アデリーン、ゆっくりして行ってとは言ったけど、一日中ゴロゴロしていいとは言ってないわよ。お散歩ぐらいはしてきなさい」
「いいじゃないですかー。メンテナンスでもとくに異常は出なかったんですし……」
叱られてしまったアデリーンは、マンガの単行本を片手に母としゃべりながら階段を降りて1階のリビングへ移動。不本意な顔をしていたが、怒られたのでは仕方がない。
「せっかくお日さまが出てるんだから、外に出て陽の光を浴びないとくさっちゃうわよ」
「適度な運動は大事なんだぞ! 何も買ってこなくていいから、行ってきなさい」
正しい。両親の言い分のほうが正しくはある。が、久々に自宅に帰って来られたのだから家の中にいさせてほしい。そう考えていたため、まだ不満げだったが、一瞬納得するような素振りを見せた――。
「……それもそうですねー。失礼しました、って! 何も追い出しにかかることないじゃない!」
「別にそういうわけじゃないんだ、お前を出不精にしたくないってだけで……」
言いすぎたと思ったか、「あー、そゆことね、そうだよね」と言いそうな顔をして頷くと、アデリーンは単行本の表紙を閉じ、テーブルの上に置いてまた移動する。
「アデリーン?」
向かった先は和室。その和室の奥には――仏壇。遺影が立ててあり、穏やかに微笑んでいる15歳ほどの少女が写っていた。
「『カタリナ』お姉ちゃん。私は大丈夫ですから、父さんと母さんをお守りください……」
亡くなった義姉に思いを馳せて、手を合わせてそう祈った後、アデリーンは部屋に戻って身支度をする。ちょっとオシャレした雰囲気の服装に着替えたが、もちろん散歩しに出かけるためだ。悲しいのは振り切って前を向いていたい。そして荷物を持って1階に降りた。
「それじゃ、その辺でも適当に散歩してきます」
「いってらっしゃい」
ウインクして、両親にそう告げるアデリーン。血はつながっていなくとも、間違いなく家族なのだ。彼らも、浦和家の皆も。そして彼女は家を出た。
「ふふふ。本当に、立派になったわね。カタリナもきっと喜んでるわ」
「ああ……!」
見送ったアロンソもマーサも、暖かい笑みを浮かべてしみじみと語らう。――アデリーンは元々不死ではあるが、それに加えて早くに天国に旅立ったカタリナの分も、彼女は生き続ける。生きねばならない。




