FILE140:明日が楽しみな者たち
キュイジーネと出くわした挙句、翻弄されきって疲れた蜜月が部屋に戻った時、虎姫も環ももう戻って、就寝する前に明日の準備をしていた。信頼できる相手だったので、軽く挨拶と状況報告をしてからパジャマに着替え、ベッドの上に突っ伏す。――意外ッ! それはネグリジェ!
「はぁ~~~~散々だった……」
こうして枕を抱きかかえて顔をうずめ、気だるそうに声を出すのも、相手のことを信頼に値すると認識しているから。暗殺者だった女の姿か、これが。そう思うと信じられない光景だが、虎姫も環も暖かい目で見ている。
「会われたそうですね、ヘリックスのキュイジーネ・キャメロンに」
おちおちヘソを曲げてはいられないようだ。むすっとしていた表情をいつも通りのおどけたものに戻して、蜜月は振り向く。乾かしてきたばかりの髪が色っぽい。
「それも向こうからね。大変なんてもんじゃなかったです、おトラさんや梶原さんたちが既に上がっておられただけ良かったですが……」
ちょうど、虎姫たちとは入れ替わる形で、蜜月やアデリーンたちは大浴場に入って疲れを癒したのである。幸いにも、彼女が危惧した通り大事にはならずに済んだ。テイラーグループの現社長の身に何かあれば、もう大騒ぎになっていたからだ。
「蜂須賀さん。どうなされました?」
「…………いつものおトラさんたちもいいけど、これはこれで…………」
愚痴を聞いてもらうのも兼ねて、そのまま言葉を続けようとしたが――魔が差した蜜月は、じっくりと今の虎姫と環のことを見つめる。虎姫は、いつもまとめている髪をほどいて、腰上まで下ろしている。ソーシャルゲームなどによくいそうな、眉目麗しい女性がこうして現実にいるのである。
「磯村さんとの組み合わせは……、いい対比じゃないですか。眼福……」
「あー……その、蜂須賀さん、どうか穏便に」
蜜月は、黒いミディアムヘアーの環にももちろん注目している。白と黒でちょうど対照的となっていて、2人ともより美しく見えたのだ。両手を合わせてまで見とれているその姿は、実に淑女的。しかし、いつまでも相手を困らせては良くない。「ハッ」と、急に冷静になった蜜月が次に手を付けたのは、自分の荷物の周りに置いていた子バチ型のデバイス。
「頼むよ~」
「早速使いこなされているようで」
ベッドからいったん降りて、そのワーカービーをベランダから飛ばし、偵察に行かせる。背中の上まである紫がかった長髪が風になびいて、今度は虎姫とその秘書・環が蜜月に目を奪われる。
「あの子に情報を集めて来てもらいます。ワタシは、磯村さんやおトラさんとゆっくり――」
明日の朝には水族館に行くことが決まっていたが、それを前にちょっと気取ってみたい、蜜月なのだった。
◆
その頃――アデリーンは、自分や梶原親子が泊まる部屋に綾女と彩姫を招き、またもやガールズトークで盛り上がっていた。先ほど、キュイジーネと出会ってしまい怖かったはずなのに、綾女も葵もずっと明るい。「前向きに楽しいことを考えよう」と、彼女たちなりに己を奮い立たせたのだろう。それに、浦和家や梶原家を可能な限り支えてやりたいと思っているのは、アデリーンだけではなく、彩姫とて同じだった。
「じゃあ、おやすみなさい!」
「また明日ね!」
手を振って別れてから、明日の準備や歯磨きなどを済ませ――消灯。ちなみに彼女らのパジャマ姿だが、アデリーンは大胆にも露出が多めの下着で、葵は長袖のシャツとジャージのズボン、春子はノースリーブのシャツと長ズボンであった。
「寝れない」
葵が目を見開いてそうつぶやいたのは、1時間ほど経った時のこと。それがなぜか、というと、理由は単純明快。明日行くことになっている水族館が楽しみで仕方なく、興奮しているため。加えて、布団があたたかすぎるというのもある。別にうなされていたわけではないのだ。
「お母さん……」
そこで彼女は「添い寝しよう」と思いつく。すぐ隣のベッドへ忍び込んで、母の胸元で眠るのだ。単身赴任中の父に「わたしだけ遊びに行っちゃってごめんなさい」と詫びながらも、幼かったあの頃のように。
「アデリーンさん……」
どうにも寝付けない。次は、畳の上に布団を敷いて眠っているアデリーンのもとへと場所替えだ。母と寝るのは気まずいが、アデリーンとならば添い寝しても後ろめたさは感じないはず。そう信じての行動。ふくよかで暖かい。葵から見れば、年上で美人で、快活で、慈しみの心も持ち合わせ、それだけでなく母性も感じられる。そんな女性なのだ。
「ロザリア……、エリスも……。激しすぎるんじゃない……?」
彼女の妹たちと間違えられたようだ。いったいどんな夢を見ているのだろう? よからぬ夢、きわどい夢なのか――と、気になってしまい、かえって眠れない。
「こ、これはいけない……。やっぱりママにしよう」
起こしてしまわぬように、忍び足でまた母の懐に入る。しかし、またも寝付けない。「やっぱアデリーンさんと寝たほうがいいんじゃないか?」と首をかしげた葵は、再びアデリーンのもとにお邪魔させてもらう。何度も行き来したが、結果は同じだった。そのうち体がへたってきたので、葵はしぶしぶあきらめて自分が寝ていたベッドで横になることに決めた。
「すい、ぞく……かん……」
これだけやって、ようやく眠れたのだ。




