Act:98
ウィル屋敷には、ブライトお父さまとマリアお母さまも来てくれていた。マリアお母さまは優しく、ブライトお父さまは力強く、オルヴァロン島の戦いを労ってくれた。
さすがに、陛下は来られないようだ。
オルヴァロン島の状況、それに黒騎士ヴァンを巡る事態は、決して終息したわけではない。事態への対応で、陛下もきっとご多忙なのだろうと思う。
俺たちには、それぞれに客間があてがわれた。色々とお世話してくれるリリアンナさんを押し返して、俺はその自室で、ベッドに腰掛ける。
ここでは、リリアンナさんも俺と同じお客さまなのだ。
いつも働いているリリアンナさんにも、お休みを取って欲しかった。
1人になり、ベッドの上に横になる。片腕を額に乗せながら天蓋を見つめていると、自然と笑顔になってしまう。
俺の大切な人たちと再会出来た事が、何より嬉しかった。どんな休養よりも、その事が、次への活力を与えてくれる。
シリスには、感謝しないといけないと思う。
そうして静かに落ち着いたのも束の間。
どかどかと、優人と夏奈、それに唯が、俺の部屋になだれ込んできた。
「俺の部屋より豪華だなぁ」
「そりゃ、カナデちゃんの部屋だもん」
「うおっ、湖が見えるぞ!」
「ホントだっ。私の部屋なんて、木しか見えないよ」
一時の平穏が……。
「カナデちゃんはこっちに。さぁ、寝転がって」
わいわいと賑やかな2人をよそに、ふわっと微笑んだ唯が俺を呼ぶ。
「何です、唯」
「治療。看てあげるわ」
俺は唯の言葉に大人しく従って、ぼすっとベッドの上に横になった。
唯が俺の上に手をかざした。
温かいものが、じわじわと全身を満たして行く。
唯の力。
銀気の癒しの力だ。
体の奥にこびり付いていた重いものが、すうっと洗い流されて行く不思議な感覚に包まれる。あれだけ眠ったのに、また心地の良い眠気に体を投げ出してしまいそうだった。
「私がね、ここに呼ばれたのは、カナデちゃんを治療して欲しいって殿下に依頼されたからなんだよ」
唯が静かに語る。俺はうっすらと目を開けて、唯を見ていた。
「前にカナデちゃん、魔獣の障気に当てられて、倒れた事があったでしょ。今回の戦いも激しくなって、カナデちゃんがまた倒れるといけないからって、殿下がね」
シリス……。
胸が熱くなる。
戦って戦って、何とか女王型を倒すことで頭が一杯だった俺とは違い、シリスはちゃんと周りの事も考えてくれている。
凄いな……。
……あれで、もう少し私をからかうのを止めてくれれば。
「ふふ。カナデちゃん、随分と女の子みたいに笑うようになったね」
「ふえっ!」
俺は思わず跳ね起きた。
「ゆ、唯。冗談は止めて下さい!」
俺の猛抗議にも、唯は柔らかく微笑むだけだ。
「はい、終わり。明日もだからね」
「……ありがとございます」
「でもカナデちゃん」
唯が表情を曇らせた。
「やっぱり、随分と体に障気が溜まってたわよ。倒れる寸前だったかも」
……少し疲れ易くなっていたのは、そのせいか。
「ありがとうございます、唯。お陰で、何だか少し体が軽くなった気がします」
お礼の気持ちを込めて、俺は微笑んだ。
そうだ。
せっかく唯がいるのだから……。
「優人。そういえば、リコットの姿が見えないですが。せっかくだから、唯に看てもらえば良いと思うんです」
リコット号が突撃した時、幸い軽傷ではあったが、リコットもラウル君も負傷している。唯に治してもらえれば、きっと治りも良いだろう。
「ああ、リコットならいないぞ」
飴色の巨大なクローゼットをしげしげと見ていた優人が、振り返った。
「何とか研究所の人について行った。ラウルも一緒だ」
研究所……。
ハインド主任かな?
またあの科学者チームは、何か企んでいるのかもしれない。負傷している身だ、あんまり無茶しないといいが。
「カナデちゃん、こっち来て。次はこれ」
優人の方を向いていた俺は、強制的に唯の方に引き戻された。
唯はどこから取り出したのか、櫛を持ち出し、俺の髪を丁寧に梳き始めた。
こうなると、唯はなかなか離してくれない。
俺も無駄な抵抗はしない事にする。
「カナデちゃん」
しばらく無言で櫛を動かしていた唯が、ぽつりと呟いた。
「聞いたわ、陸の事」
「……はい」
頭を動かせないので、唯の表情はわからない。
「唯?」
後ろでため息が聞こえた。
「陸が無事に見つかって嬉しいわ。でも、同じぐらい、怒ってあげなくちゃいけないと思う」
唯が怒ると恐いんだ。
陸、唯にみっちり叱ってもらおう。
「……あと、もう1つ残念な事があるの」
唯が少しだけ、言葉を切った。
「陸がそんな事になっていて、優人君や夏奈も辛い戦いをしてる。カナデちゃんだって、倒れそうになるくらい障気浴びて……。なのに、私だけ蚊帳の外なのは、ちょっと寂しいと思う」
「唯……」
唯は櫛を置くと、手櫛で俺の髪を梳かし始めた。
「だから、決めたの。今度は、絶対にみんなと一緒に行く。足手まといになるかもしれないけど……」
「そんなことないよ!」
そこに、勢い良く夏奈が飛び込んで来る。そのままガバッと唯に抱き付いた。その勢いに押された唯が、俺を押し倒した。
結果、3人でもつれるようにベッドに転がってしまう。
「夏奈、気をつけて下さいっ」
「えへへ、だって唯姉と冒険とか、嬉しくて!」
夏奈がくしゃっと笑った。
その夏奈の頭と俺の頭に腕を回した唯が、ぐいっと自分の胸に引き寄せた。
「じゃあまずは、みんなで陸に会いに行こ?」
唯が囁く。
「陸なら、今もシロクマ号の船室だ」
ベッドの前で腕組みした優人が、穏やかな笑みを浮かべていた。
何だかお父さんみたいな微笑みだ。
少し可笑しい。
「よし、行こ!」
夏奈が元気良く立ち上がった。
「みんなで、行きますか」
俺も笑いながら、しっかりと頷いた。
湖畔に向かって開け放たれ窓から、さらさらと気持ちの良い風が吹き込んで来る。夜の匂いが混じり始めた空気に、レースのカーテンがゆったりと揺れていた。
広い室内には、外の森と同じくらい、しんと静寂が満ちていた。
しかしそれは、決して気まずいものではない。俺にとっては、むしろ居心地が良い。
ソファーに座り、先ほど町で貰って来たララナウ観光マップをぼんやりと見ている俺。
隣に腰掛けて本に目を落としているお父さま。
何も考えずにのんびり出来る、家族の時間だ。
優人や夏奈がわいわい騒いでいた夕食の後、俺はお父さまの部屋にずっと居座っていた。
初めの内は、まくし立てるように、最近の出来事について話をした。お父さまは真剣に聞いてくれて、俺が戦場に出た場面では、ちくりと釘を刺されてしまった。
次に、お父さまがインベルストやリムウェア領のみんなの話をしてくれた。
俺は微笑んで相槌を打つ。
お互いが一通り話し尽くすと、俺たちは、こうしてただ一緒にいるだけの時間に浸っていた。
お父さまには、陸の事も報告した。
この世界に来て、お父さまの娘になると決めた時の交換条件の1つが、俺の親友たちを探して欲しいというお願いだったから。
陸には、まだ明るいうちに、唯も含め優人と夏奈と俺の4人で会いに行った。
シロクマ号船底の船室に入ると、それまで厳しい事を言っていた唯が、突然ぶわっと涙を溢れさせて、陸に抱き付いた。
「お、おい、唯姉、恥ずかしいよ。止めろよ。……な、泣くなよ」
驚きで目を丸くして、辛うじてそう言い返した陸の声も、震えていたと思う。
つられて、夏奈も泣いていた。
俺も溢れて来るものを必死にこらえて、そっと優人に並んだ。
「良かった。本当に、良かった……です」
人の事は言えなかった。
俺だって、声が震えていた。
ばれないように、口元を手で覆う。その俺の肩に、優人がそっと手を置いた。
「ああ。良かったな。みんなでまた集まれて、本当に良かった」
一通りみんなで泣いた後は、唯姉さんのお説教タイムが始まった。
ベッドの上に陸を正座させて、とくとくと他人様に迷惑をかけるとはなんたることかと語り聞かせる。
「……説教ババア」
「陸!」
せっかく唯のトーンが落ち着いて来た所で、陸がそんな事を呟いたものだから、再び唯が燃え上がってしまう。
永遠に続くかと思われた唯の説教の最後には、立っているこちらの足が辛くなってしまった。
隣で腕組みをしている優人は、さすが微動だにしていなかった。
凄いなぁ。
尊敬の眼差しで、俺はそっと優人を見上げる。
優人は、目を瞑ってゆらゆら揺れていた。
……こいつ、寝てやがる。
俺は半眼で、優人の頬をつんつんしてやるべく手を伸ばした。
その瞬間、がくっと揺れた優人が俺にぶつかる。
「きゃっ!」
「のわっ!」
バランスを崩して、2人でもつれるように倒れ込んでしまった。
「痛つっ、うう」
重い……。
優人が俺の上に乗っかってる。胸の上に優人の手が……。
「あー!!唯姉!優人がついにやっちまいやがりました!」
夏奈が叫んだ。
「ちがっ、違う、事故だ!」
優人が慌てて起き上がった。
俺も起き上がる。
……お尻、痛い。
「優人君!私が真剣なお話してる時に、何してんの!」
唯がぎろりと優人を睨んだ。
「優人も座りなさい!」
「な、何で俺が……」
「優人!」
みんな唯姉さんには逆らえない。
作り付けのベッドの上で、優人と陸が並んで説教される。
夏奈が後ろでゲラゲラ笑うジェスチャーをしていた。
優人には悪いと思うが……。
ふふっ。
俺も少し笑ってしまう。
その時の事を思い出して、お父さまの隣で、俺はやっぱり少し笑ってしまった。
「カナデ。何か良いことがあったかな?」
本を閉じ、お父さまが俺を見た。
「いえ」
俺は笑いながら首を振った。
「そういえばカナデ。休暇はどれくらい取れるのだ?」
俺は首を傾げた。
そういえば、半ば拉致されるように連れて来られたから、何日間休みとか詳しい話は全く聞いていない。というか、そもそもこの休み、上司の参謀部長とかに話は通っているのだろうか……。
楽しい気分から一転。
俺は眉をひそめた。
「……シリスと一緒の間です」
多分。
そういう事になるだろうが、大丈夫なんだろうか、休み。
「……そうか。カナデはあくまでも、殿下とご一緒したいのか」
お父さまが何か呟いている。
「カナデ。良い機会だ。ここに居る間に、一度話をしよう。前王陛下とマリア妃殿下、シリスティエール殿下でな」
そうか。
なるほど
「はいっ、そうですね!」
俺は笑顔で肯いた。
現在俺は、ブライトお父さまとマリアお母さまの家に間借りさせていただいている。だから、実父たるお父さまから先方にご挨拶したい、ということに違いない。もったいない事に、シリスにまで。
さすが、義理堅く律儀なお父さまだ。
住まわせてもらっている俺としても、面目が立つというものだ。
俺は何だか嬉しくなって、お父さまに微笑みかけた。
「よろしくお願いします、お父さま!」
「う、うむ」
しかしお父さまは、何故か複雑そうな顔をして、頷いた。
お父さまと話をしていると、ノックの音が響き、夏奈が顔を出した。
「カナデちゃん、あ、すみません、お話中に」
夏奈がお父さまにきちんと断っているのが、少し意外だ。
「何です、夏奈?」
「カナデちゃん、お風呂行かない?このお屋敷、大浴場があるんだって!」
おっきいお風呂……。
最近までずっと戦場暮らしだったので、お風呂にはゆっくり入れていなかった。
大きなお風呂で手足を伸ばしてのんびりするのには、むむ、心引かれる。
しかも温泉だ。
「お父さま?」
「うむ。わしの事は気にせず、行ってきなさい」
「はい、失礼します!」
俺はお父さまの部屋を後にすると、夏奈と一旦別れて入浴の準備をすることにした。
いつの間にか控えていたリリアンナさんが、着替えやタオルなんかを用意してくれる。
「リリアンナさんも、一緒に行きませんか?」
リリアンナさんも誘ってみた。
リリアンナさんもお休みなんだから、やっぱり温泉を満喫して欲しいと思う。
初めは遠慮していたリリアンナさんだったが、渋々頷いてくれた。
俺たちは連れ立って浴場を目指す。
途中、騎士服姿のレティシアと出会った。
「レティシア!」
「あら、カナデさま。こんばんは」
レティシアが頭を下げた。
「もしかして、お仕事ですか?」
俺の質問に、レティシアは苦笑する。
「部隊の逗留先や部屋割りなどを、シリスティエール殿下にご報告です」
こんな時間まで、公務、ご苦労さまだ。
そうだ……!
「レティシアも一緒に温泉、行きませんか?」
俺は微笑みながら、提案してみる。
「あの、しかし私は……」
「大丈夫です。シリスには、後で言っておきます。着替えなんかは……」
「無論、ご用意させていただきます」
俺の言葉を次いで、すかさずリリアンナさんが頷いてくれた。
初めは思案していたレティシアだったが、やはり最後には笑って頷いてくれた。
せっかくの大きなお風呂なんだ。
みんなでわいわい入った方が、きっと楽しいに決まっている。
胸を弾ませながら、俺は2人を従えて大浴場に向かった。
その手間の最後の角で、アリサが壁にもたれ掛っていた。
「むふふふ、ごほん。……カナデさま。私もご一緒してもよろしいでしょうか?よろしいですよね?」
真剣な顔のアリサが俺の前に立つ。というか、立ちふさがる。
「えっと……よろしくお願いします」
俺はその静かな迫力に、一瞬で屈してしまった。
大浴場の前で待っていた夏奈、唯、シズナさんと合流した時には、俺の後ろに3人が付いて来る形になっていた。
みんなでわいわい騒ぎながら、女湯に入る。
やはり、想像していた通りの広い脱衣場だった。
普段は住んでいる人もいない別荘なのに、隅々まで綺麗に掃除されている。
板張りの床に沢山並ぶ籐の脱衣籠。
しっとりと感じる湯気と微かなお湯の匂い。
ああ、温泉に来たんだな。
そう思うと、胸も高鳴ってしまう。
唯、夏奈、その隣に俺の順に並んで、服を脱ぐ。
俺の隣にはアリサ(強引に割り込んで来た)、背中合わせの反対側には、レティシアが服を脱いでいた。
ワンピースを脱いで、ひらりと籠へ投げ込む。
「カナデちゃん」
夏奈が俺の方を見る。顔、そして首から下へ、しげしげと。
「うう……。で、でも……」
悔しそうに俯く夏奈。
「マダダ。マダ、マケタワケデハナイ!」
そして意味不明の事を言っている。
「ふふ、でも、カナデさまが羨ましいですよ。スタイル良くて。私なんて、騎士団に入ってから、筋肉ばかり付いて、ダメですね」
レティシアが苦笑いを浮かべながら、振り向いた。
「えっと、そんなことないですよ」
俺も苦笑しながら、頭を振った。
「でも、カナデさまとお風呂なんて嬉しいです。以前、インベルストで剣の手合わせをさせていただいた時には、カナデさま、恥ずかしがられて、頑強にシャワーをご一緒するの、拒まれたから。私、嫌われてるのかなぁって」
……。
恥ずかし……?
拒む……?
うん?
俺は、下着に掛けていた手をピタリと止めた。
「ま、まずいよ、唯姉!カナデちゃん、思い出しちゃったんじゃ……」
「大丈夫、夏奈。誤魔化すのよ。カナデちゃん、可愛いわ。とっても可愛いわよ」
……恥ずかしくて、レティシアとのシャワーを拒んだ。
それはつまり、私が俺だから、女湯は、私が良くても、俺はダメで……。
……。
ぁぁぁぁああああ!
そうだ!
俺は、ばばばばっと脱いだ服や着替えをひっ掴み、胸に掻き抱くと、一目散に女湯を逃げ出した。
「カナデちゃん!」
「カナデさま!」
すっかり場に流されてしまって、俺はなんて恥ずかしい事をしようとしていたんだ!
夏奈と!唯と!女性陣みんなと、お、お、お、お風呂だなんて!
恥ずかしさで肩が震える。
でも温泉……。
入りたい……。
立ち止まる。
服を脱いでいたみんなは、直ぐには追ってこれない。
ちらりと見る。
未練がましく、女湯の反対側を。
俺は恐る恐る、勇気を振り絞って、男湯を覗いてみた。
中の作りは、女湯と同じ……。
「のわっ、カ、カナデ!」
優人がいた。パンツ一丁だった。
「おう、何だ、カナデ。俺と一緒に入るか?」
シャツを脱いだところのシリスが、歯を見せて、ニヤッと笑った。
その隅で、ブライトお父さまと禿頭さんが、裸でマッスルポーズを取っていた。
ばぼんっと顔が赤くなる。
恥ずかしさに圧倒されて、全身がガクガク震えたまま、俺は身動きが出来なくなった。
俺にとっては、こっちが本当の筈なのに。
あわわわ……。
と、どうしよう。
わ、私、とんでもない所に……!
その場で、ぺたんとへたり込みそうになった時。
「カナデちゃん!こっち!」
唯が俺を助けてくれた。
「ゆ、唯」
「カナデちゃんはこっちだから。大丈夫だから、ね?」
唯に肩を抱かれ、その中で小さくなって、私はそっと頷いた。唯に誘われて、そのまま女湯に戻って行く。
温泉は、とても温かくて、凄く気持ちよくて、楽しかった……。
シリアス回でもないのに、長くなってしまいました。
温泉の所為です。
読んでいただき、ありがとうございました!




