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雪色エトランゼ  作者:
第2部
97/115

Act:97

 気が付くと、船室の無機質な天井が目に入った。

 シロクマ号だろうか。リコット号だろうか。

 いや、リコット号は沈んだんだっけ……。

 いつの間にかパジャマに着替えていた俺のベッドの隣では、リリアンナさんが本を読んでいた。

 リリアンナさんはオレグーの町で待機していた筈なんだが、いつの間にオルヴァロン島に来たのだろうか。

「……リリアンナさん」

 声が掠れる。

「カナデさま、お目覚めですか」

 リリアンナさんがぽんっと本を閉じた。

「リリアンナさん、いったい何が……」

 起き上がり、目を擦る。

 リリアンナさんがくいっと眼鏡を押し上げた。光が反射して、レンズがきらりと光る。

「まったく、あの秘書官気取りの変態女」

 へ、変態……。

 秘書官って、アリサか……?

「いくら、カナデさまがご自分の事は二の次にされる、その癖周りの心配には気付いて下さらない、見てるこちらがいつもハラハラしてしまうような御方であろうとも」

 えっと……す、すみません。

 俺は肩を落として、隠れるように掛け布団をたくし上げた。

「いくら何でも薬を盛って眠らすなんて、やりすぎにも程があります!」

 薬?

「どれくらい寝てましたか、私?」

 リリアンナさんが真っ直ぐに俺を見て、優しく微笑んだ。

「2日程。よほどお疲れだったのでしょう。今、何か食べるものをご用意して参りますから、少々お待ち下さい」

 そう言うと、リリアンナさんが部屋を出て行った。

 俺はぼんやりする頭で考える。

 そうか、2日か。

 仕事、溜まってるよな。

 仕事……仕事!

 俺はベッドから飛び起きると、用意されていた私服の白いワンピースに手早く着替えた。

 備え付けの小さな鏡の前で、手早く髪を梳かす。左のぴょんと跳ねた寝癖がどうしても直らないが、致し方ない。

 諦めて、俺は外に出た。

 早く執務室に戻らなければ。

 さすがに2日も空けてしまえば、周りに色々迷惑をかけているに違いない。

 しかしパタパタと通路を走っていて、ふと気が付いた。

 この振動と機関音。陸上船には間違いないが、航行中なのか?

 俺は気を取り直し、甲板に通じる扉を開いた。

 光が溢れる。

 少し肌寒いくらいの冷ややかな空気が流れ込んでくる。濃い水の匂いが、ふっと鼻に香る。

「わぁ……」

 自然と感嘆の声が漏れた。

 視界に飛び込んで来たのは、青々とした山肌とその先端に輝く残雪のコントラスト。鮮やかで峻険な山並みだ。その麓になだらかに広がるのは、緑の濃い森。開けた場所に明るい緑が見えるのは、牧草地だろうか。そして緑の陸からこの船まで続いているのは、透き通る青が複雑な色合いで陽光に煌めいている湖だった。

 俺が乗っている船は、まさにその湖の上を白波を立てて進んでいた。

「凄い……。綺麗……」

 俺は思わず舷側の手摺りまで進むと、360度広がるその雄大な景色に目も心も奪われてしまう。

 穏やかな日の光はちょうど天頂。

 初夏の力強い日差しが、あまねくこの素晴らしい世界に降り注いでいる。

 灰色の海と雨が滴る重い空が続いていた北の島とは、正反対の鮮やかな風景だった。

「カナデさま。このような場所に。お食事の準備が出来ましたので、どうぞお部屋に」

 ガチャリと扉の音がして、リリアンナさんが背後からやって来た。吹き付ける風に、俺とリリアンナさんのスカートがふわっと広がる。

「リリアンナさん、ここは?」

 思わず声が弾んでしまった。我ながら情けないが、今は仕事の事よりも、目の前の風景に興味津々だ。

「申し訳ありません。私も、カナデさまを静養にお連れするから、ついて来るようにと仰せつかっただけですので」

 リリアンナさんが困ったように首を傾げた。

 静養……。

「ふふふふ」

 そこに、静かだが、勝ち誇ったような笑い声が響く。

「これほどの景勝地、他に、王国のどこにありましょうか」

 扉にもたれかかって笑っていたアリサが、やれやれと肩を竦めながらやって来る。

「これだから眼鏡メイド風情は……。無学を恥じるならば、下がっていなさい」

 アリサがふんっと鼻で笑う。

「なんですって」

 リリアンナさんがびしっとアリサを睨んだ。

 ははっ、はははっ……。ヴァンとドラゴン型と禍ツ魔獣が塊でやって来た並みにおっかないよ……。

「ア、アリサ。状況を説明してもらえますか?」

 俺の問いに、リリアンナさんと睨み合っていたアリサがこちらを向き、大仰に頭を下げた。

「シリスティエール殿下のお取り計らいです。現在シロクマ号は、カナデさま以下にご静養いただくため、あの町を目指しております」

 やっぱりこの船はシロクマ号だったのか。

 町というと……。

 俺はシロクマ号の進路上に目を凝らした。

 クリスタルのような湖面の向こう。山と森に挟まれた間に、小さな赤い三角屋根が幾つもの並んでいるのが見えた。まるで物語に出て来そうな、こぢんまりとした可愛い建物ばかりだ。

 アリサが誇らしげに手を振りかざした。

「あれこそが王国随一の保養地にして、温泉の郷、ララナウの町です!」



 大小様々なヨットが並ぶ桟橋に、明らかにオーバーサイズなシロクマ号が入港した。さっそく、わらわらと騎士や兵たちが下船して行く。

 その中には、知っている顔が沢山あった。主にグラスとメヴィンの部隊がいる様だ。

 同乗してたのか。

「いや、カナデさま~」

 振り返ると、ニヤニヤしたグラスと真面目な表情のメヴィンが立っていた。

「我々までお招きいただいてよろしいのでしょうか」

 深刻そうな声のメヴィン。

「我々はカナデさまのお邪魔はしませんのでぇ」

 気楽に手を上げるグラス。

 俺は、はぁと頷くしかない。

 俺も騎士たちの流れに乗って下船してみた。後ろから荷物を持ったシュバルツとリリアンナさんが付いて来た。

 桟橋は、表情の明るい騎士たちで溢れていた。

 みんな、これからこのララナウで休暇、という事なのだろう。

 俺は、まずは自分の状況を把握しなければ……。

「どうだ、カナデ。良い場所だろ?」

 そんな俺の背後から、今一番聞きたい声が聞こえた。

「シリス、いったいこれはなんの……」

 振り返る。その瞬間、シリスが俺の手をガシッと握り、さっさと歩き出した。

「シ、シリスって、うわ」

 顔が赤くなる。

 こ、こんな人目がある場所で……。

 ぐいぐいと私を引っ張って行くシリス。

 もぞもぞと振り払おうとする私。

 しかし大きく温かい手は、びくともしない。

 お、おおお……。

 案の定、周囲にいる騎士たちからヒューヒューと安っぽい冷かしの声が上がった。

 そうだ、リリアンナさんに助けを……。

 微笑ましそうな笑顔で手を振るリリアンナさん。

 ダメだ!

 桟橋の向こうには、数台の馬車が止まっていた。抵抗むなしく、私はずりずりとそちらに引っ張られて行く。

「うぉ、カナデがおっさんに誘拐されてる!」

 その時、驚きの声を上げ、シロクマ号から飛び降りた優人が、桟橋に着地した。

「カナデ!」

 優人がこちらに走り寄ろうとする。しかしその前に、同じく船から飛び降りて来た夏奈とシズナさんが立ち塞がった。

「ん、空気読もうね、優人」

「ユウトはあちらへ。私たちと一緒に、ね」

「まっ、ちょっと、まっ……!」

 優人が抑えされている間に、私は馬車に乗せられた。その優人たちも、大騒ぎしながら後ろの馬車に乗り込んだようだった。

 馬車が軽やかに走り出す。

 私は、隣からこちらを面白そうに見ているシリスを、むうっと見上げた。

「シリス、これはどういう事ですか?」

「どういうも何も」

 シリスがひょいと肩を竦めた。

「休暇だ。俺たちと冒険者の少年たち。それに部下を招いて、な」

「でも、オルヴァロン島の復興処理がまだ残っています」

 そうだ、仕事はまだ沢山あった。

「それは、然るべき人員に任せてきた」

「しかし」

 私は顔を曇らせ、シリスから視線を外した。

「まだ困難に直面している人は沢山います。私たちだけ遊んでいる訳には……」

 声が小さくなる。

 それに、陸の処断の件もまだ決していないのだ。

 しかしシリスは、ふうっと息を吐いた。

「カナデ。お前のそういう民を思う姿は、好ましく思う。しかしな、視野をもう少し広く持て」

「えっ?」

 私は再びシリスを見上げた。

「世の中にこんなに沢山の人間がいるのは、それぞれが助け合うためだ。それぞれが様々な役割を帯びていて、無自覚の内にも互いを支える。それが家族であり、果てには国というものだ」

 家族……。

「お前は周りに求められる役割を十二分に果たしている。後は、別の者に任せ、お前は休め。まだお前を必要とする局面は、必ずやって来る。そこで力を尽くすのが、お前の役割だ」

 私の……。

「役割、果たせているんでしょうか……」

 私はぽつりと呟いた。

 シリスは、一瞬目を丸くすると、可笑しくて堪らないと言うように、声を上げて笑った。

「はははっ、カナデ、無自覚は罪だぞ。戦場で輝くお前の存在が、どれほど将兵を鼓舞していることか。書類1枚1枚に丁寧に取り組むお前を、事務方がどれほど頼りにしているか」

 うむむ……。

 ま、真面目に誉められても……照れる……。

「で、でも、薬盛るとか、やり過ぎだと思うんです」

 私は唇を尖らせて抗議した。

「ばれたか」

 シリスが苦笑いを浮かべた。

「アリサに吐かせました。全く、人の秘書官を丸め込んで……」

「ははっ、すまない。しかし、カナデのためにと言ったら、喜んで協力してくれたよ、彼女」

 アリサも、俺を心配しての行動だと承知している。だから、あんまり滅茶苦茶すると嫌いになりますよと軽く抗議しただけだ。

 ……土下座して謝っていたが。

「でも、お休みならいずれ取るつもりでした。何もわざわざこんな遠い所に連れてこなくても」

 ララナウと言えば、王都から北東の高山地帯。オルヴァロン島からの帰り道とは言えない程の寄り道だ。

「それは、俺がここで休暇をと決めたからだ」

 シリスが悪戯っぽくニヤリと笑う。

「私、巻き込まれたんですか?」

「それはそうだろう」

 シリスがぐぐっと顔を近づけてきた。

 瞬間的に顔が熱くなり、鼓動が跳ね上がる。

 私は、おずおずと逃げる様に身を引くしか出来なかった。

「お前のいない休暇に何の意味がある?」

 何か言い返さなければ……。

 しかし、わなわなと口元を震わせるだけで、何も言えない。

 私は、言葉を諦めて目を伏せ、シリスの視線から逃げた。

 ……うう。

 握られた手が熱い。

 もう、いい加減、手、離してもいいと思う……。



 カッポカッポと軽快な足音を響かせて、俺たちを乗せた馬車はララナウの町を進んで行く。

 シリスと話していても、馬鹿にされるか気恥ずかしくなるだけなので、俺は顔を背け、窓枠に両手を掛けて車窓からの風景をじっと見ていた。

 綺麗に整えられた石畳の通りが、うねうねと家並みの間を登って行く。その両側には鳥がデザインされた可愛らしい街灯と、小さな家々がぎゅっと建ち並んでいた。

 細々とした土産物を売る商店と、間口が広く、立派な看板を掲げた宿屋が幾つも立ち並ぶ。側溝を温泉が流れているのだろうか、うっすらと湯気が立ち上っていた。

 そんな町並みを、笑みを浮かべてゆっくり歩く旅行客。

 まさに、温泉地と言える光景が広がっていた。

 賑やかで楽しそうな街の雰囲気に、もし時間があるなら、ちょっと出かけてみたいなと思ってしまう。

 左右に大きくて立派なお屋敷が並ぶ一画に入る。恐らく貴族の別荘地だろう。その中を、さらに小高い丘の上までやって来ると、馬車はそのまま巨大な鉄扉の中へ吸い込まれて行った。

 鬱蒼と茂る針葉樹林の森。

 馬車の音に混じって、幾重にも重なる小鳥のさえずりが聞こえた。

 俺はその光景にぼけっと見入る。それを見て、隣でシリスがくくっと笑った。

 ……悔しいので、慌てて表情を引き締める。

 やがて深い森が切れ、光が差し込んだ。

 その先に現れたのは、端正に手入れされた庭園と深い森に囲まれた白亜のお屋敷だった。

「ここがリングドワイスの別邸、ウィリアスライク離宮だ。俺たちは、ウィル屋敷と呼んでいる」

「別荘、ですか」

「まぁ、そうだな。バカンスなんかで利用する」

 バカンス……。

 やはりシリス、良いところの坊ちゃんなんだ……。

 そんな今更の事を、俺はひしひしと感じてしまう。

 馬車を降り立つと、大勢の使用人さんたちが一斉に頭を下げてくれた。

 インベルストの我が家で慣れたとはいえ、やはりリングドワイス。規模が違う。

 俺たちの馬車に続いて、優人たちを乗せた馬車、リリアンナさんやシュバルツ、アリサを乗せた馬車もウィル屋敷の車寄せに続々と到着した。

 俺でも圧倒されたお出迎えに、優人や夏奈は随分と気圧されているようだ。

「カナデちゃん!優人君!夏奈!」

 その時、使用人さんたちの列の中から懐かしい声が響いた。

 黒の僧服をはためかせた少女が、俺の前に駆けて来る。

「唯!」

 唯はにこっと笑うと、がばっと俺を抱き締めた。

「カナデちゃん!髪伸びたね!うん、また一段と美人さんになっちゃって!」

「うひ、むごむご……」

「唯、どうしたんだ?」

「唯姉、ひっさしぶり!」

「優人君、益々逞しくなったね。夏奈も、すっかり大人びて」

「唯姉、何だか台詞がババ臭いよ」

「ははははっ、唯、いつ以来だ?」

 親友達の再会を喜ぶ会話の間中拘束されていた俺は、やっとの事で唯の腕から逃げ出した。

「けほっ、けほっ……。唯、でも突然こんな場所にどうして?」

 俺は少し涙目で唯を見た。

「あははっ、ごめんね。実は、そちらのシリスティエール殿下にお招き頂きまして」

 馬車にもたれかかり、楽しそうにこちらを見ていたシリスが、頭を下げる唯に軽く手を上げた。

「それで、侯爵さまのご一行に同行させていただいたの」

 侯爵?

 振り返ると、使用人さんたちの隊列が、ささっと後方に下がった。

「カナデ。久しいな。怪我もなく、何よりだ」

 優しい声が俺の耳朶を撫でる。

 使用人さんたちの向こうから、穏やかな微笑みを浮かべたお父さまが進み出てきた。

「お父さま……」

 俺は引き寄せられるように数歩進む。そしてその顔をまじまじと見つめた。

 お父さまが頷く。

「……お父さま!お久しぶりです!」

 自然と溢れて来るものが、俺の顔を満面の笑顔にする。

 お父さまに駆け寄る。隣に、シリスもやって来た。

「息災で何よりだ、レグルス侯」

「殿下。娘がお世話になっております」

 お父さまがすっと頭を下げた。

 しかしシリスは首を振ると、ちらりと俺を一瞥した。

 ……危険だ。

 あれはいつも俺をからかう時の目だ。

「父上、に、頭など下げられては困る」

 あれ、特段爆弾でもないぞ?

 お父さまお父さま言う俺を茶化しているのか?

 訝しむ俺の後ろで、しかし優人や唯たちがざわつき始めた。

「まぁ」

 頬に手を当てる唯。

「おおおっ!」

 顔を輝かせてブンブン手を振る夏奈。

 優人は……。

 何故か全身から銀の光を立ち上らせていた。

「……おい、おっさん。冗談にも程があるぞ」

 ぎしっと音を立て、優人の手の中にエシュリンの楔が現れる。

「ゆ、優人君!落ち着いて!」

「優人、空気読むんだよ、空気を!」

 慌てて唯と夏奈が止めに入った。シズナさんも走って来る。

「はは、はっはっはっはっ!元気な連中だ」

 お父さまが声を上げて笑った。

 俺もつられて、ふふっと笑ってしまった。

 仲間に必死でなだめられている優人を見て、やはり笑いを噛み締めたシリスが、そっと私に囁いた。

「楽しい休暇になるといいな」

 笑顔のまま、私はそっと頷いた。

 休暇の回、その1でした。


 ご一読、ありがとうございました!

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