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雪色エトランゼ  作者:
第2部
96/115

Act:96

 禍ツ魔獣が夜空に消えたあの瞬間を境に、魔獣群の姿が消えた。

 優人たちと共に遺跡の瓦礫の下から救出された後、シリスに聞いたところによると、さらなる攻勢を持って押し寄せていた魔獣群が停止。一転して西の海に向かって進み始めたという。

 全ての個体が、突然に、である。

 その夜が明けてから、幾度も偵察隊を出した。しかし、オルヴァロン島内には狼型一匹すら発見出来なかった。

 島から魔獣を駆逐するという目的を果たした騎士団は、勝利に湧いた。

 領都オルヴァンに入った俺たちは、熱烈な歓迎を持って迎え入れられた。

 しかし、魔獣被害の傷跡は、あまりに大きかった。

 ウェラシア貴族連盟軍はオルヴァンを解放すべく奮戦したが、やはり敵魔獣群の主力はこちらにいたようだった。ウェラシアは戦力の30%を喪失していた。さらに、オルヴァロン島を治めるラクシータ侯爵も、魔獣の侵攻が始まった初期に自ら出陣。討ち死にをされていたとのことだった。その後の統治は、主席執政官が行っていたようだ。

 そのため、オルヴァロン島の治安回復、復興、傷付いた騎士団の再編と撤退準備、それにオルヴァロン遺跡の調査という戦後処理は、オルヴァンに進駐した俺たちがそのまま担う事となった。

 俺はラクシータ侯爵の行政府に一室をもらい、膨大な量の書類と事務処理に対峙することになった。

 戦いから一週間。

 はっきり言って、つらい……。

 寝る時間もあまりなくて、今朝鏡を見た時には目の下に酷い隈が出来ていた。

 戦闘のストレスと連日の業務の疲れが、かなり溜まっているのは自覚している。イージーミスも増えている。アリサやシリスからは、再三王都に帰還するか、休養を取るように促されている。

 しかし……。

 俺は髪を揺らして頭を振った。

 つらいのは、騎士も島民も同じなのだ。いや、傷つき、生活の場を失った彼らこそ、本当につらいのだ。

 彼らのためにも、俺が仕事を疎かにするわけにはいかない。

 例えば、今俺の手元にあるのは、食糧支援物資の搬入承認届出書と分配計画だ。

 俺がこれを精査して早く決裁しないと、食糧支援が滞ることになる。

 でも……。

 数字の羅列を見つめるだけで、瞼が下がる。

 俺は両手で目をグリグリと擦った。そしてばしばしと頬を叩いた。

 ……よし!

 俺が気合いを入れた瞬間、ノックも何もなく、執務室の扉がカバッと開いた。

「おう、お嬢さま、いるか?」

 シュバルツ、声がでかい……。

「レティシアの隊の奴が、ピルコを狩って来たんだ。今中庭で焼き肉やってんだが、食うか?肉食うか?」

 シュバルツは両手に持った肉串をぐいっと差し出した。

 俺は半眼でシュバルツを見る。

「……ありがと。でもいいです」

 肉なんて食べられる体調じゃないし。

 それにピルコって何だ?

「ああ、そうか?しっかり食わねえと大きくなれんぜ。色々、な!」

 がははははと盛大な笑い声を上げて、シュバルツが去って行く。

 俺はペタンと机に突っ伏した。

 ……なんかどっと疲れた。このままずっとうつ伏せでいたい……。

 しかし……。

 そうはいかない。

 諦め溜め息と共に、ゆっくりと身を起こす。

 そこで目が合った。

 シュバルツが開けっ放しにした扉から、アリサがこちらをじっと見ていた。

 ぐ、ぐうたらしていたの、見られたのか……?

「カナデさま」

「は、はい」

「お疲れのようですね。仕事の能率を上げるためにも、静養を取られては?」

 ここ最近頻繁に耳にする言葉だ。

 俺は困ったように笑う。なかなかそうもいかないのだ。

「では、少し外の空気でもお吸い下さい」

 何だか真面目なアリサだ。

 ……いつもと違う。

 俺は眉をひそめて、むむむと少し警戒する。

 しかし、確かにアリサの言う事にも理はある。このままでは、作業効率は落ちる一方だし。

「……では、お言葉に甘えて少し出ます。後をお願い出来ますか?」

「もちろんです、カナデさま。ところで、どこに行かれるのですか?」

 俺は目だけで天井を見た。

「シロクマ号に行って、物資の集積状況と捕虜尋問の進捗でも確認してきますか」

 そう言うと、何故かアリサが、がくりと肩を落とした。

「庭園でお散歩、とか、テラスでお茶、とか期待した私が浅慮でした……」

 ごにょごにょ言っているアリサに、俺はこくりと首を傾げた。



 手早く軍務省の軍装に着替える。

 タイトスカートを履き、ブラウスにタイを締める。そして、参謀飾緒の付いたテールコートを羽織った。季節柄少し暑苦しいが、街は一応軍政下。治安維持のため、不要な外出を控えるようにとのお達しを出している側の人間が、ワンピースでうろうろしていられない。きっちりしなければ。

 しかしまぁ、俺はこういうフォーマルな格好は嫌いじゃない。

 タイトスカートのぴっちり感には、あまり慣れないが……。

 俺は、街の外に停泊するシロクマ号に向かった。そこに拘留している捕虜の様子を窺うためだ。

 船まで乗せてくれる馬車の車窓から、騎士や兵たちが慌ただしく行き来している街の風景を、俺はぼんやりと見つめる。

 捕虜とは即ち、陸の事だ。

 夏奈にフルボッコにされた陸は、体がボロボロだったのもあるだろうが、急に大人しくなった。

 優人には相変わらず挑発的だが、俺と夏奈、特に夏奈には極めて従順になった。

 俺たちは陸を捕らえ、シロクマ号の船室に監禁した。

 夏奈は陸の捕縛に不満を表した。

 俺だって、友達である陸にそんな事はしたくない。

 しかし、あいつがしでかした事は、到底見逃すことは出来ない。

 突然異世界に飛ばされて、独りきりで放り出されて。

 きっと寂しくて怖くて心細かったに違いない。

 そこに声をかけてくれたのが悪人の類なら、陸が間違った道に進んでしまったのも致し方ない事なのかもしれない。あるいは、あのゲームに例えた言動は、ノエル・スフィアが所詮虚構の世界だと思う事で、不安や孤独から自分の心を守る無意識のバリアーだったのかもしれない。

 しかし、自分の置かれた状況が、他人に迷惑をかけ、他人を傷付ける事へのエクスキューズにはならないと思うし、そういう言い訳はしてはいけないと思う。

 陸は償いをしなければいけない。

 戦いの後の会議で、先輩参謀からは公開処刑などの極刑をという声も上がったし、そう望む上層部の声は今もある。

 しかし俺は、それには頑として反対している。

 陸が友達だから、という理由からではない。陸にはきちんとこの世界の人と向き合い、地道に償いをして欲しいと思うから。

 その具体的な方法は、奴の友達でもある俺や優人や夏奈、みんなで考えてやればいいと思う。

 シロクマ号に乗船した俺は、少し目を伏せながら、カツカツと船の通路を進んでいた。

「カ、カナデさま!」

 作業服を着た若いクルーが道を譲ってくれた。所狭しと物資を積み込んでいるシロクマ号の通路は、人とすれ違う事も難しいのだ。

「ありがとう」

 すれ違いざまに、俺はにっこりと彼に微笑みかけた。

「はっ!」

 気合いの入った声が響き渡った。

 ははっ、元気だな。

 俺は、また思考の中に沈み込む。

「やった……!声かけてもらった……!」

 背後で彼が走り去る足音が響いた。

 陸をこの船に拘留しているのには、もう1つ理由がある。

 陸を操っていた黒幕を特定するためだ。

 まんまと黒騎士の甘言に乗り、魔獣を使役出来るという妄想を持ち、ラブレを利用して女王型を生み出した者たち。

 陸の責任を問うならば、同時に彼らの責任も大なのだ。

 きちんと真実を白日の下にさらけ出し、裁きを受けさせなければならない。

 そのためには陸の情報が必要だ。

 さらに、オルヴァロン遺跡にも騎士団とマームステン博士を派遣し、遺跡を占拠していた勢力の痕跡がないかを調査してもらっている。

 禍ツ魔獣と黒騎士が健在の今、俺たち人間は、今こそ一致団結しなければならい。次にあの禍々しい存在に対峙する時こそ、この長く苦しい戦いが決着する時だと感じるから。

 そして多分それは、そう遠い話ではない筈……。

 俺はカンカンッと勢い良く階段を下り、シロクマ号最下層の部屋の前にたどり着いた。普段は倉庫に使われている部屋だ。

 警備の騎士が俺を見て姿勢を正した。

「お疲れさまです。捕虜は大人しくしていますか?」

「はっ。ずっとナツナ殿に監視していただいているお陰か、静かなものです」

 夏奈……。

 やっぱり、家族だしな。

「少し尋問します。開けてください」

「はっ……。しかしお1人では……」

 俺はにっこり微笑む。

「大丈夫。夏奈は強いですよ」

 本来、優人並みに強い力を持つ陸を閉じ込めておく事は、意味がない。拘束する意味もない。どんなにグルグルのす巻きにしても、ヤツの力なら容易く打ち破ってしまうだろうから。

 だから俺は、優人と夏奈に、なるべくどちらかが陸に付いてくれるようお願いしてあった。

 陸が暴れたら、止められるのはあの2人だけだ。

 しかし、夏奈と陸、仲良くしてるといいが……。

 ガチャリと水密扉が開けられる。



 部屋に入ると、ベッドに座った陸と丸椅子に腰掛けた夏奈が、熱心に何やら話し込んでいた。

 よかった。険悪な雰囲気ではない。

 2人が同時にこちらを見た。

「よおっ、奏士……」

 陸がそう口にした瞬間、ドカッと夏奈が床を踏み鳴らした。

 陸がビクッと肩を震わせる。

「陸!カ、ナ、デ、ちゃん!カナデちゃんって呼ぶ!」

 夏奈……。

 陸にも、俺の立場を言い含めてくれたのか……。

「こんな可愛いんだよ?奏士じゃ無粋だよ。カナデちゃん、って呼ばないと」

 夏奈……。

 俺は力説する夏奈を半眼で睨みつけた。

 こいつは放っておくか。

「陸、体の具合はどうですか?」

「ああ、もう大丈夫だよ。ったく、夏奈め。マジにボコリやがって」

 俺は陸をきっと睨んだ。

「陸、反省してるんでしょうね。陸がやってきたことで、どれだけの人が傷付いたことか!」

 俺は腰に手を当てる。

「そもそもですね、陸、昔から短慮で……」

「だああぁぁ!わかってます。わかりました!……その説教くさいところ、間違い無く奏士だな……」

 陸が頭をボリボリ掻きながら、下を向いた。

「カナデちゃん、どーぞ」

 俺は、夏奈が用意してくれた椅子に足を揃えて座った。

 陸がチラチラとこちらを見て来る。

「どうしました?」

「いや、足、綺麗だよな」

 陸がニヤリと笑った。

「そんな短いスカート履いて、ノリノリだよな、そ……カナデちゃん」

 俺は息を呑んで固まった。

 羞恥心とか腹立たしさとかで、顔が真っ赤を通り越し真っ青になるのがわかった。

 さ、最近すっかり忘れていた事を……!

 俺はスカートの裾をぎゅっと握って、なるべく足を隠そうと試みる。

 そして陸を上目遣いに睨む。

「陸も色々あったんでしょうけど!わ、私だって大変だったんですからね!こんな姿になって……」

 陸が何故か微笑ましそうにはははっと笑った。夏奈も笑って、俺の頭を撫でる。

 止めい!

「しかし、言葉遣いも女の子だな。私、とか」

 安い挑発だ、陸。

 そうだ。この場には、俺たちしかいないのだから……。

 普通に。

 普通に……。

「何を言ってるんです……だ、陸。わ……おれはおれです、だぜ」

 また笑われる。

 俺は失意と精神的疲労の下に、肩を落として椅子を立った。



 向け場のない怒りを抱いて、俺は足早に執務室に戻る。

 そうだ。

 陸は死刑だ。

 そうしよう!

 侯爵行政府の廊下にカツカツと忙しない俺のヒールの音が響き渡った。

 前方に見慣れた後ろ姿が見えた。

 あ、シリスだ。

 そうだ、あいつに八つ当たりしてやろう!

「あの、シリ……」

 声をかけようとして、シリスが誰かと話し込んでいるのに気がついた。

 誰だ……?

「わかった。ではアリサ、手はず通りに」

「はっ。了解致しました!あ、カナデさま」

 アリサがこちらに気が付いて、頭を下げると、そそくさと立ち去った。シリスも俺を一瞥し、ふっと笑うと、手を上げて歩み去ってしまう。

 むっ、何だ?

 もう、ちょっと話しようと思ったのに……。

 俺はしゅんと肩を落として、あてがわれた執務室に戻った。

 物悲しい気持ちの後には、得体の知れない怒りが沸々と沸いてくる。

 シリスのバカ。

 今度はアリサにちょっかいか?

 いつもふっとどこかしらから沸いて来る癖に、色々話したい事がある時には近寄ってこないなんて……。

 どういう事?

 俺は指先でカツカツと机を叩く。

 その時、ノックが響いた。

「どうぞ!」

 思わず声が大きくなってしまった。

 ……いけない、いけない。

 部下や同僚に感情をぶつけては。上役のすることではない。

 俺はごほんと咳払いし、椅子の上で姿勢を正した。

 入って来たのは、グラスとメヴィンの両中隊長だった。

 2人が俺の机の前で並び、踵を鳴らして姿勢を正す。そして敬礼した。

 俺も立ち上がり、答礼する。

「カナデさま。我々の隊は、後任の部隊への引き継ぎが終わりましたので、明朝の便で王都に帰還致します。そのご挨拶に参りました」

 真面目なメヴィンが、よく通る声を張り上げた。

 そうだ、書類にちゃんとあったな。

 現在オルヴァロン島には、支援物資と同時に、従軍した部隊と交代する人員も送られて来ている。戦いで疲弊している部隊には、順次帰投命令が出ていた。

 俺は微笑む。

「両隊とも、目覚ましい活躍でした。まさに今日の勝利の原動力だと思います。隊のみんなを労い、ゆっくり休んで下さい」

 2人がまた姿勢を正して、頭を下げた。

「ところでカナデさま」

 砕けた態度で、グラスが手を上げる。

「カナデさまも、もう交代の要員が来られていると聞きました。どうですか、俺たちの便で一緒に帰りませんか?隊の皆も喜びます」

 確かにその通りだが……。

 俺は頭を振った。髪がその動きをトレースしてふわりと広がった。

 仕事は山ほどある。

 人手は多い方がいい。

 俺に手伝える事があるなら、残って手伝うつもりだった。

 アリサなんかからは、疲れているのだから帰還するべきだと再三進言されているが……。

「残念です。カナデさまも体調を崩されぬよう……」

 メヴィンが真面目な顔で言う。

「ありがとうございます」

 2人はもう一度礼をして、執務室を出て行った。

 俺はどさっと椅子に座り、息をつく。

 早くオルヴァンの街から全軍が撤退出来て、この島に再び平穏な生活が戻って来ればいいのに。

 よし。

 そのために、俺も頑張らなくては!

 机に積み上がった書類と資料の処理に取り掛かる。

 しばらくして、またノックが響いた。

 入って来たのは、お盆を抱えたアリサだった。

「カナデさま。お茶を入れますので、少し休憩されませんか?」

 アリサがお茶を用意してくれるなんて珍しい。

 俺は目頭をぎゅっぎゅと押さえた。

「ん、そうですね」

 席を立ち、ソファーの方へ。

 アリサがテーブルの上に手早くティーセットを広げていく。湯気と共に、心がすっと平らかになるような香しい芳香が、部屋に満ちた。

 おお、クッキーもあるじゃないか!

 俺はぽすっとソファーに座ると、早速クッキーをカリカリ齧り出した。

 ああ、美味しいなぁ。

 自然と笑顔になってしまう。

「カナデさまったら、ふふっ」

 アリサに笑われてしまうが、しょうがないじゃないか。

 好きなんだしっ。

 1枚平らげたところで、お茶に口を付けた。

 甘くて少し苦い。

 温かい液体が、すうっと体の奥に消えていく。

「ふふっ、カナデさま、ふふっ、むふふっ、むふ、むふふふふぅ」

 俺がお茶を啜った瞬間。アリサが先程の柔らかな笑みから一転して、不気味で邪悪な笑い声を上げた。

「アリサ、何ですか……あ、れ」

 尋ねようとした俺は、急に体の力がすっと抜けてしまう。

 上半身を起こしていられなくて、そのままくたっとソファーに横になってしまった。

「ア、リサ……」

 力が入らない。

 瞼が急激に重くなり、頭に靄がかかったようになる。

 なんだ、何が……。

「うふふっ、凄い効き目の薬ですね」

 達成感に溢れるアリサの声が、微かに聞こえた。

「しばらくカナデさまの寝顔を見ていたいところではありますが……」

 じゅるりと何かの音が聞こえた。

 ダメだ、わらしは、もう……。

「殿下にご報告しなければ」

 しりしゅ……。

 そして、俺は深い眠りの底に落ちた。

 戦いの後、の回でした。

 ご一読、ありがとうございます。

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