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雪色エトランゼ  作者:
第2部
90/115

Act:90

 ゆっくりと意識が浮かび上がる。

 さらさらとした枕とシーツの感触に包まれながら、俺は眠りの縁から覚醒した。

 目を開くとそこは、もう随分と見慣れて来たリコット号の船室だ。

 体を起こして目を擦る。前に落ちてくる髪を掻き上げ、欠伸を噛み殺した。そして、涙で濡れた後を隠すために、枕を裏返しにする。

 ぽふぽふと枕を叩いて、俺はベッドから出た。

 俺が起きたのを見計らったかのように、リリアンナさんがお湯の入った洗面器と着替えを用意してくれる。俺がブラウスのボタンを留めている間、リリアンナさんが髪を梳いてリボンで結わえてくれた。

「本日の予定でございますが、リコット嬢に確認致しましたところ、昼頃に一度ユウト様の休息と機械の点検を挟む以外は、真っ直ぐにオレグーに向かうとのことです」

「到着は予定通りですか?」

「はい。明日の正午になるかと」

 俺は七分丈のパンツに足を通して、ベルトをキュッと締めた。

 禍の祠での戦闘をどうにか乗り切った俺たちは、現在、オレグーの町に向かっていた。当初の予定通り、手に入れたエシュリンの楔で女王型を倒すためだ。

 あの地下の戦いで消耗した優人も、沢山食べてぐっすり寝たらあっという間に回復した様で、今は元気に船の燃料タンクをしている。

 マームステン博士が、あの屍と地下空間を調査したいと大騒ぎしていたが、それは俺が止めさせた。

 まだ危険があるかもしれないし、もしかしたらヴァンが戻って来るかもしれない。あそこの調査、分析は必要だが、然るべき規模の護衛団を編成する必要があると思う。

 取り敢えず現場を確保するようにと王都に使いは出したし、博士には女王型討伐の任が無事に終わった際には、改めて調査をお願いしようと思っていた。

「お嬢さま。そういえば、報告書がまだ出来ていないとあの自称秘書官が騒いでおりましたが……」

 リリアンナさんが俺の前に周り、襟とタイを整えてくれる。

「オレグーに着くのは明日。大丈夫ですか?いつも期日前にきっちり仕事こなされるお嬢さまにしては、珍しいことですが……」

 俺は目を伏せる。確かに、禍の祠での出来事に関する報告書を、まだ書き上げていなかった。

「……すみません。今日中に仕上げますから」

 リリアンナさんが心配そうに俺の顔を覗き込んだ。

「仕事の心配ではありません。どこかお怪我されたとか、体調がお悪いとか……」

 心配かけてすみません、リリアンナさん……。

 俺は顔を上げて、精一杯微笑み、頭を振った。

「朝食に行きましょう、リリアンナさん。そうだ、優人にも持って行ってあげなきゃ」

 俺はいそいそと通路に出た。

 食堂で、パンと目玉焼き、サラダの朝食を取る。その堅パンを両手で握り締めながら、俺はじっと考え込んでしまう。

 あの屍を仕留められたとは言え、悠々と去って言ったヴァンの様子からすると、恐らく俺たちは奴の思い通りに動いてしまった筈。

 今思い返せば、ウーベンスルトで奴が俺たちを誘うように動いたのも、俺たちをエシュリンの楔の手掛かりに到達させるという思惑があったのかもしれない。

 まんまと奴の掌で踊らされたわけだ……。

 はぁ……。

 パンを小さく千切って口に運ぶ。

 俯きながらもぞもぞと食べていると、夏奈やシズナさんたちもやって来た。

 俺はそそくさと自分の分を片付けると、キッチンを覗いた。

「ご馳走さまでした。優人の分はありますか?私、持って行きますから」

 包丁を片手にした禿頭さんが首を振った。

 まだ出来てないなら、俺が作るか。

 適当にパンを切り、野菜とベーコンを挟んで、マスタードと……。

「それでね、シズナさん。あたしたちがいたのは、日本って国でねっ」

「ナツ、わかったから、食べてから話して、ね?」

 ……。

 俺はぼんやりと夏奈の話に聞き入ってしまう。

 あの屍が断末魔の様に放った光の中。日本の景色を見たという夏奈は、あれ以来テンションが高い。優人もだいたいそんな感じだ。

 当たり前か。

 もとの世界に帰れる可能性が出てきたんだ。

 俺は……。

 胸の奥が痛い……。

 ……はぁ。

 駄目だ、駄目だ。

 俺は首を振る。

 優人たちに見えた日本の風景が、俺にはたまたま見ることが出来なかっただけではないか。

 それだけだ。

 それで、どうこうなったわけじゃない。

 私は私。

 今は出来る事を一生懸命やるだけだ!

 よし!

 手にぎゅっと力を込める。

「辛子……」

 何故か珍しく狼狽えている禿頭さんに背を向けて、俺はサンドイッチをバスケットに詰めると、たたたっと機関室に向かった。



「はぁ……」

 自室の作り付けの机に向かいながら、俺はため息を吐く。

 いつの間にか混入していた大量のマスタード入りサンドイッチで、俺は優人を悶絶させてしまった。

 おかげで機関出力が下がり、リコットに激しく怒られてしまった。優人が……。

 何度も頭を下げて誤って来たが、自分のミスで他人に迷惑をかけるのは辛い……。

 ダメだ、ダメだ。

 今は、目の前の報告書に集中しなければ。

 次元を操るあの屍。

 それを利用し、異世界からブレイバーを召還させていたのは黒騎士。その目的は、恐らく神話で語られる災厄であろう、あの屍の復活、心臓の入手。

 屍は、強い銀気の使い手しか抜けないエシュリンの楔で封印されていたから、黒騎士には手が出せない。だからブレイバーたちを召還して利用していたんだ。

 となると、奴がラブレや魔獣の利用を目論む人間をたぶらかして女王型を生み出したのは、召還されたブレイバーたちが、エシュリンの楔を抜かざるを得ないという状況を作り出すためだろうか。

 回りくどい手段だが、怪しい黒騎士にいきなりこの楔を抜いて下さいと言われるよりは、自然な流れではある。

 うむむ。

 俺はペンを走らせる。

 となると、奴に取って女王型はもう用済みなのか。

 それにしては、随分と執着していたように思えるが……。

 唐突に、ノックの音が響いた。

「失礼致します」

 顔を覗かせたのは、アリサだった。

「カナデさま。調子はいかがですか?あの眼鏡女中から、調子があまりよろしくないとお聞きしたものですから」

 アリサが眉をひそめた。

 はは……。

 また心配をかけてしまったみたいだ。申し訳ないです。

「大丈夫ですよ、アリサ」

 俺は努めてふわりと微笑む。部下に心配をかけるなんて、立場がある者のすることではない。

「そうであれば、いいのですが……」

 アリサが机の隣に立った。

「報告書を仕上げてらっしゃるのですか?」

「ええ。なかなか進まなくて……」

 俺は苦笑を浮かべて手元の紙に目を落とし、はっとした。

「おお!」

 何故かアリサが感嘆の声を上げる。

 紙面上の文字列は、いつの間にかにゃんこの絵に変わっていた。それも吹き出し付。その中には「まじゅう」と書き込んでしまっている。

 ……まずい。

 ついつい考え込みながら、落書きしてしまった。

 大丈夫とか言った手前言い訳できない。

 さっと隠そうとしたが、それよりも素早く伸びて来たアリサが、その紙を奪い取った。

「カナデさま!これは、カナデさまの作ですか!」

「え、ええ、はい、すみません……」

 俺は恥ずかしくなって、顔を伏せた。

「真面目に頑張りますから、捨てて下さい」

 俺がおずおずと上目遣いに見上げると、厳しい顔をしたアリサがその紙を綺麗に折りたたんで、ポケットにしまうところだった。

「これは没収致します。カナデさま。無理される事はありませんが、迅速丁寧な仕事をお願い致します」

 アリサは笑顔でそう言うと、うきうきとした足取りで部屋を出て行った。

 俺は、深くため息をついた。

 あの祠以来、本当に失敗ばかりだった。

 通路を歩いていたらパイプにぶつかって、おでこが赤くなる。

 気分転換に甲板で素振りをしていたら、すっぽ抜けた木剣が昼寝をしていたシュバルツに直撃する。

 他にも、カップを落として割ったり、打ち合わせ中にぼおっとしてリコットに睨まれたり……。

 もう、本当に泣いてしまいそうだった。

 それでも、成すべきことは成さなければならない。最低限の責任は果たさなければいけない。

 夜中。

 みんなが寝静まった後も、俺はランプを机に置いて、必死に報告書作成に取り組んだ。

 何度もミスをしてやり直し、うつらうつらしてインク染みを作っては書き直した。

 日が昇る前。

 ようやく報告書を書き終えた俺は、そのまま崩れ落ちるようにベッドに倒れ込んだ。



 オレグーの町の風景は、俺たちが出発した時とは一変していた。

 寂れた漁村といった雰囲気だったオレグーは、その周りを幾重もの天幕の群に囲まれていた。

 騎士団が野営に使うような正規の天幕から、どこかの倉庫に眠っていたような穴あきのものまで、とにかく集められるだけ集めたといった感じだった。

 その天幕群の間を歩くのは、騎士や兵ではない。疲れた顔をした市民たちだ。

 恐らくオルヴァロン島からの避難民たちだろう。女王型の支配しつつあるあの島から、シリスが救い出して来た人たちだ。

 俺はリコット号を降り、アリサや騎士たちと司令部に向かって歩きながらその天幕群が作る光景を見回していた。

 騎士や兵たちの士気は高そうだ。

 すれ違い様に挨拶してくれる彼らの目は、闘志にぎらついているように思える。

 逆に遠くに目をやると、シロクマ号と同型の黒い陸上船が3隻ほど停泊しているのが見えた。

 オルヴァロン島攻略のための戦力は、着実に整いつつあるようだ。

 しかしそれとは対象的に、島を脱出して来た市民たちの顔は暗い。

 彼らは、恐らくは全てを投げ出し、身一つで逃げ延びて来たのだろう。

 自分がそれまで培って来た生活を一瞬で失い、目の前に広がるのは、どうしたらいいのかわからないという大きな不安だけ。

 俺には、彼らの気持ちが痛いほど分かる……。

 帰る場所がなくなってしまった不安。自分を自分たらしめていた故郷という場所から切り離されてしまった孤独。

 それが、たまらなく心細くさせる。心細くて心細くてたまらない。故郷を失ってしまったと意識してしまえば、余計に。

 だから、オルヴァロン島民たちの暗い顔が良く理解出来る……。

 俺も……。

 いや、違う、違う。

 まだ可能性はきっとあるはず!

 シリスたちが司令部にしている行政府にたどり着くと、顔馴染みの騎士や司令部要員たちが、俺を労ってくれた。

 俺は彼らに礼を言いながら、目でシリスを探した。

「グラス!」

「おお、カナデさま。お戻りですか!」

 愛想の良い中年騎士は、俺が声を掛けると、ぱっと顔を輝かせた。

「シリスの姿が見えないのですが……」

 俺はきょろきょろと辺りを見回した。

 グラスがははんと顎に手をやり、ニヤリと笑う。

 生憎、今の俺にそのいやらしい笑みに突っ込む余裕はなかった。

「副大隊長なら、借り上げた屋敷で休息中かと」

「どこですか」

 俺はグラスを睨むようにてその場所を聞き出すと、今朝方仕上げたばかりの報告書の束を胸に抱いて、駆け出した。

 シリスが滞在中の居所として借りていたのは、この町を治める市民長の屋敷だった。この寂れた町には不釣り合いなほど立派なその建物は、遠くからでもって一目でわかった。

 俺は、玄関に差し掛かる前に、深呼吸する。

 そしてゆっくりとその屋敷に入った。

 警備の騎士たちに挨拶する。シリスの近従たちはだいたい顔馴染みなので、皆笑顔で通してくれた。

 一階の広い部屋を覗くと、レティシアと数人の騎士が談笑しているところだった。

「レティシア。シリスはどこですか」

「あら、カナデさま!いつ戻られたんですか?」

 レティシアが笑顔で駆け寄って来る。赤毛のポニーテールが揺れる。

「ついさっきです。急ぎ報告したい事があるんですが…」

 俺は胸に抱えた分厚い報告書を見せる。

「シリスティエールさまなら、二階の奥の部屋ですが……」

 俺は頷き、二階に駆け上がった。

「今お休みかも知れませんよっ!」

 レティシアの声を背にしながら、俺はシリスの部屋を探した。

 黒騎士ヴァンの目的。あの屍とエシュリンの楔の関係。

 色々とシリスに報告しておかなければいけない事が、沢山あるのだ。

 そう、報告だ。報告しなければ……。

 ぶつぶつ言いながら、俺はシリスがいると思われる部屋をノックした。

 反応はない。

 そっとノブを握る。

 扉は簡単に開いた。

 全く不用心な奴だ。

 俺は報告書を抱く腕にぎゅっと力を込めた。



 部屋の中は、上等な家具が並ぶ豪華な内装だった。王城の、とまでは言えないが、軍務省の応接間程度の風格はある。やはり、この町の雰囲気には不釣り合いだ。

 部屋に入って直ぐ、扉の近くに無造作に置かれた椅子に、見覚えのあるシリスのシャツがぞんざいに置かれていた。

 もう、だらしない。

 俺はそのシャツを手に取りながら、部屋の奥に入る。

「シリス、いますか?カナデです。報告したいことがあるんですが……」

 少し声が震える。

 大きな窓沿い、午後の日差しがちょうど降り注ぐソファーセットの前で、俺は足を止めた。

 ソファーの上で、シーツを被ったシリスが横になっていた。

 疲労のせいか。

 少し頬の痩けたシリスが、穏やかな寝息を立てている。

 その寝顔を見た瞬間。

 突然、何かが溢れてしまった。

 視界がぐにゃりと潤む。

 押さえきれない感情が込み上げて来る。

 私は、崩れ落ちるようにシリスの対面のソファーに座り込み、片手で口を覆った。

 力を込めすぎて少し皺の寄った報告書の束を、隣に投げ出す。

 そのまま俯き、洪水のように押し寄せて来る意味不明の感情に、必死に耐えた。

「うう、ううっ、うう、うう」

 口から漏れる嗚咽が、自分の声ではないみたいだった。

 膝の上には、ぽつぽつと水滴が落ちる。

「うううっ、っひく、うう、う」

 耐える。

 必死に耐える。

 黒騎士に踊らされた事。

 過去から続くブレイバーと魔獣の争い。

 殺されたエリーセお姉さま。

 そして、優人たちとは違ってしまったかもしれない自分。

 いろんな出来事が、ぐるぐると胸の中をかき回す。

 泣いてない。

 泣いてない。

 私は、泣いてなんかいない。

 認めてしまえば、もう歯止めが効かなくなりそうだから。

「どうした、カナデ」

 俯く私に、優しい声が響く。

 私は、はっと顔を上げた。

 目を開けたシリスが、真っ直ぐに私を見ていた。

 とっさに手にしていたシリスのシャツで顔を覆う。そしてそっと涙を拭う。

「ぐずっ、見ないで、見ないで、下さい……」

 こんなみっともないところ、誰にも見せられない。……シリスに見せられない。

 でも、嗚咽が止まらない。

「何があった。話して見ろ」

 その穏やかな声音に、何もかも叫んでしまいたくなる。

 私はブレイバーで!

 異世界の人間で!

 なのに、もう優人たちとは同じじゃないかもしれない!

 きっと元の世界にも帰れない!

 お父さまもシリスもリリアンナさんもシュバルツも、国王陛下もブライトお父さま、マリアお母さまだって大好きだ。

 でも、私はやっぱりあちらの人間なんだ!

 なのに、もう帰れない。きっと帰れない!

 そんなどうしようもなく弱い自分が、大声で泣きじゃくっている。そんな自分に身を委ねてしまいそうになる。

 でも、でも、駄目なんだ……。

 私の出自を語る事は、例えシリスでも、大切なお父さまを窮地に立たせる可能性があるから。

 だから私は、ただただ嗚咽を上げるしかない。

「……わかった」

 シリスは静かにそう言うと、私に背を向けた。

「俺は見ない。だから、思いっきり泣いていけ」

 私は涙に揺れる視界で、シリスを見た。

「言いたいことがあるなら聞いてやる。見るなと言うなら見ない。だから、俺の前でくらいは、思いっきり泣いて構わないんだ。カナデが泣き止むまで、待っててやるから……」

 私は目を見開いて、その背を見つめる。

 零れた涙が、つっと頬を伝う。

 シリスの言葉に、ぎゅっと胸が締め付けられる。

 胸が、一杯に、なってしまう……。

 うう、うううっ……。

 今まで、どんなにこの世界に安らぎを感じていても、いつかは元の世界に帰れるに違いないという気持ちがあった。

 あの時。

 優人や夏奈と私が違うと感じ、もう帰れないと感じてしまった時。

 私は、言いようのない心細さに包まれて、絶望した。そして、これから先、どう進んでいいかもわからなくなってしまった。何を頑張ればいいのかも分からなくなってしまった。

 でも。

 こう感じてしまった。

 この、こんな私を受け止めてくれる優しい人のために、頑張ればいいんじゃないかって。

 涙目で、シリスの大きな背中を見る。

 そして。

 悲しくて、でも、少し温かな気持ちになれて。

 私は、握り締めたシリスのシャツに顔を隠して、静かに肩を震わせる。

 読んでいただき、ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[良い点] これはまさにカナデにとっての救いそのものですね... 長らく胸の奥に押し込めていた、誰にも語れない弱さや不安、そして未来に対する漠然とした恐怖が、今この瞬間、一気に噴き出したかのようです。…
感想一覧
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