Act:84
王都の遥か北東。
北海の先にオルヴァロン島を望む港町、オレグーに俺たちの陸上船が到着したのは、出航してからおよそ5日後の事だった。
ちなみに、俺の必死の懇願により、あの破廉恥極まりない船名は取り下げられることになった。しかし、交換条件として新しい船名を付けて欲しいとハインド主任に迫られてしまう。
「う、うう……」
ハインド主任、ヘルミーナ、アリサ、その他の騎士たちに注目され、嫌な汗が額に滲む。
考えろ、考えろ、考えろ。
「あの、えっと……シ、シロクマ号?」
俺は笑う。
色々誤魔化すために。
よって、王国の試作陸上船は現在、シロクマ号と呼ばれていた。
あの時の、ヘルミーナの同情するような顔が忘れられない……。思い出すだけで、布団を被ってしまいたい。
俺命名のシロクマ号は、オレグーの町の外に停泊する。下船する俺たちは、まずシリスたち王直騎士団が司令部としているであろう建物を目指した。
さすがに北方。
船から降りると、インベルストから直行して来た俺には少し肌寒く感じてしまった。
オレグーは、恐らく普段はひなびた寒村なのだろう。朽ちかけた建物が並ぶ、灰色のレンガで出来た町だった。
その寒々とした町が、王直騎士団の部隊を受け入れ、俄かに活気づいていた。
町の至る所に物資が集積され、その間を騎士や兵たちが慌ただしく行き来している。簡易に整えられた厩舎では馬たちがいななき、部隊随行の鍛冶士たちが俄か店舗を広げていた。さらに、この機を逃すまいとする商人たちが、たくましくその中に紛れ込んでいる。
王直騎士団だけではない。見慣れない鎧の騎士たちも混じっている。
近隣の貴族領の騎士だろうか。
町の賑わいからして、もしかしたら一個師団ほどの戦力が動員されているのかもしれない。
その中に埋もれるように、俺は進んで行く。
「カナデさま」
「カナデさま!」
時折俺を知っている騎士たちが声をかけてくれる。
俺は彼らに頷きかけながら、その間を通り抜けて行く。
シリスたちが司令部に選んだのは、オレグーの町の中でも比較的大きな、背の高い建物だった。この町の行政府だろうか。
入り口に立つ警備の騎士に挨拶して中に入ると、建物の内部は指揮官クラスや司令部要員たちが慌ただしく行き来する、さらに混沌とした様子だった。
その2階でやっとシリスを見つけた。
俺がパタパタと駆け寄ると、シリスは話していた中隊長に手をかざして会話を中断した。そして俺に微笑んだ。
「よく来たな、カナデ」
シリスが俺の頭に触れようと手を伸ばして来る。
回避。
成功。
俺は上目遣いにシリスを睨みつけた。
色々と言いたい事はあったが、ここはぐっと我慢だ。
まずは状況の確認をしなければならない。私事はその後だ。
「状況はどうですか?」
シリスは木製の床をぎしりと軋ませて、窓際に向かう。俺もその背について行く。
シリスが窓を開け放つと、騎士たちの熱気が詰まった室内に、潮の匂いを含んだひんやりとした空気が吹き込んできた。
窓の外は、緩やかに海辺へと下る街並み。その向こうに、陽光を受け鈍色に輝く灰色の海。目を凝らすと、水面にポツポツと白い三角が浮かんでいる。船の帆だろうか。
そして、そのくすんだ海面が空とぶつかる辺り。
靄がかかったような黒い塊が見えた。
「あれが、オルヴァロン島だ」
シリスが窓枠に腰掛けた。
「現在島内は魔獣の巣窟になりつつある。これは、ユウト少年たちの報告によれば、完全に再生した女王型の影響らしい。ベリルの時のように、魔獣を生み出しているんだろうな」
女王型……。
やはり復活したのか。
俺はぎゅっと拳を握りしめた。
あの島にも人は住んでいた。助けに行かねば……。
「内陸部には、既に魔獣が溢れている。侵攻は難しいな」
島を見遣りながら、シリスは俺の心を読んだかのようにそうこぼした。
「島民の方々は、優人たちは、無事なんですか?」
俺はシリスの目を見て、ずっと気になっていたことを口に出した。
「今は、沿岸まで逃れて来た島民たちを順次こちら側に搬送している最中だ」
あの波間に浮かぶ船は、避難民を乗せているのか。それとも、避難民を迎えに行くのか。
「それで、優人たちは?」
シリスが眉をひそめた。
え……。
「少年が負傷した」
優……人が……?
顔からさっと血が引いていく。
気を抜くと、全身がガタガタ震えそうになる。
優人が……。
ああ、優人が……。
「今は、この通りの先の民家を借りて、養生している、っておい、カナデ。そんなに慌てなくても容態は……」
私は踵を返して、だっと走り始めた。
優人!
優人っ!
人混みを縫って走り抜ける俺に、周りの兵や騎士たちが何事かと振り返る。
しかしそんなのは関係ない。
優人……!
大丈夫なのだろうか。
いや、大丈夫だ!
あいつが、あいつに限って……。
走りながら、俺はぎゅっと唇を噛み締めていた。
胸が激しく脈打ち、破裂しそうなほど苦しいのは、きっと走っているからばかりではないはずだ。
指定された家を探して、キョロキョロしながら行ったり来たりしていると、前方の建物からちょうど夏奈が出て来るのが見えた。
俺は全力で走り寄る。
「うわっ、カナデ、ちゃん?」
「はっ、はっ、夏奈、優人は!」
「えっと、二階で寝てると思うけど……」
夏奈の顔色も冴えない気がする。
きっと激しい戦いの疲労が残っているのだろう。
俺は夏奈に頷きかけると、その建物に飛び込んだ。
「カナデちゃん、そんなに慌てなくても、大丈……」
家の中は、くたびれた外観とは違い、小綺麗に整えられていた。煩くない程度の小物が室内を飾り、広くはないが座り心地の良さそうなソファーが置かれている。
俺は室内を見回して階段を探すと、勢い良く2階に駆け上がった。
2階には3部屋ばかりの部屋があった。それを片っ端から開けて行く。
「優人!」
そして最後のドアを開けた瞬間。
俺はベッドの上で身を起こす優人を見つけた。
しかし、扉を開けた状態のまま俺は硬直してしまう。
「はい、ユウト、あーんして」
ベッドの脇に腰掛けたシズナさんが、馬鹿みたいに赤くなっている優人にリンゴを差し出している瞬間だった。
「シズナさん、恥ずかしいって、カナデ!」
優人と目が合う。
「よ、よう、カナデ……さま」
優人がぎこちなく手を上げた。
取り敢えずは無事、みたいだ。
胸のドキドキが少し治まる。
熱くなっていた頭が、すっと冷たくなった。
「失礼致しました」
俺は丁寧に頭を下げると、バタンと扉を閉めた。
「ちょ、まっ、カナデ!」
優人の叫びが微かに聞こえた。
俺は肩に掛かった髪を払う。
俺もそこまで野暮ではない。
ただ、はぁっと大きく息を吐き、肩を落とした。
無事で良かったという安堵。
無意味に慌ててしまった事への恥ずかしさ。
そして得体の知れない怒り。
様々な感情が俺の胸の中で蠢いていて、どういう顔をしていいのか、正直良くわからなかった。
取り敢えず、胸に手を当てて大きく深呼吸してみる。
「あーあ、見ちゃったか」
そこに、苦笑いを浮かべた夏奈が階段を上がって来た。
「夏奈、あれは何なんですか」
俺は腕組みすると、口をへの字に曲げて夏奈を見た。
「はははっ……。実はね、優人が怪我したの、シズナさんを庇った時なんだ」
夏奈がニヒヒと笑う。
「それでね、責任感じたシズナさんが、もう付きっきり。ずっとあんな状態で、あたしにも優人の看病、代わってくれないの」
ふーん。
へー。
「ニヒヒ、実はね、前々から怪しいなとは思ってたんだ。シズナさん、たまにちらちらと優人を見てる時あったし、食事とか見張りのシフトとか、妙に優人をひいきする事もあってね。パーティーの方針だって、最近は殆ど優人が決めてるみたいなもんだったしぃ」
いいご身分ではないか。
俺はすうっと目を細めた。
夏奈が何故か慌てて手を振る。
「ああ、でも怪我が大変だったのは本当だよっ。優人、女王型にぶっすりお腹を刺し貫かれちゃって、みんな、もう駄目なんじゃないかって……」
夏奈が声を落とした。
そんな事が……。
その場を想像しただけでも、胸の奥が冷たくなるような気がした。
「でもさ、あたしたちって、銀気の力のおかげで治癒能力は高いんだ。擦り傷とかなら、直ぐ治っちゃうでしょ?」
ねっと同意を求める夏奈に、一瞬反応出来ない。
俺に、そんな便利能力はない。屋敷でラブレに襲われた傷だって、まだ消えてはいないのだ。
ブレイバーは、銀気の力を治癒に使える。唯みたいに、それを他人にまで施せるのは稀有な才能だが、優人や夏奈も、自分の傷は自分で癒すことが出来のだ。
確かに、腹を貫かれておいて、一週間たらずであんなに楽しそうにアーンしていられるなんて、並みの回復力ではないと思う。
しかし、優人……。
リコットにレミリアにインベルストのお屋敷のメイドさんたち(優人の噂をしていた)、それに王都の貴婦人方(ドラゴンスレイヤー優人の話を聞きたいとせがまれた)
好かれるのはいいが、少し手広く遣りすぎだ。
親友として、喜ぶべきか。
諫めるべきか。
うーむと思い悩む俺の後ろで、ギィと扉が開かれた。
振り返ると、少し困ったような顔をしたシズナさんが顔を出していた。
「カナデさん、ごめんね。どうぞ、入って」
優人の病室に入りながら、俺は内心驚いていた。
いつも泰然として涼やかに微笑んでいるお姉さん、という印象だったシズナさんが、まるで少女のように可愛らしい笑顔を浮かべて優人のベッドの傍らに腰掛けていた。
「カ、カナデ。来てくれたんだな」
対照的に、何故か優人が焦ったように声を上ずらせ、汗を浮かべていた。
やはり、傷がまだ痛むのだろうか。
俺はシズナさんとは反対側のベッドサイドの椅子に腰掛ける。
「優人、シズナさん。何があったんですか」
俺は膝の上で手を組んだ。
優人とシズナさんが目配せする。そして、神妙な顔で、オルヴァロン島に上陸した後の状況について話し始めた。
オルヴァロン島に上陸した優人たちは、まず遺跡近くの村々で情報収集を始めた。
やはり、王統府に申告されている遺跡とは随分と規模が違うようだった。さらに、定期的に何らかの作業に従事するために労働者を雇っているようだった。
何かしらの大規模な力が後ろにあるのは、明白なようだ。
周囲の偵察を終えた優人たちは、内部に潜入する事になった。
夜隠に紛れて遺跡に忍び込んだ優人たち。
遺跡上部は、認知されている通り古代都市の跡地だった。朽ちかけた遺構が残るだけの、人気のない寂しい場所だ。
しかし、次第にその地下に足を踏み入れて行くと、石やレンガ作りではない、のっぺりした金属の壁が現れる。そして優人たちは、統一されたデザインの金属鎧を身に付けた戦士たちが警備する区画に突入した。
のっぺりした金属の壁の遺跡……。
どこかで見た事がある……?
そうだ。
ローテンボーグのナユタウ研究所の奥。ゴーレム兵器を起動することが出来るあの遺跡と同じようなものだろうか。
警備を眠らせながら、優人たちは遺跡のさらに奥へと進んで行った。
遺跡の奥へ。そして地下へ、地下へ。
散発的な遭遇戦闘を経て、優人たちはとうとうオルヴァロン遺跡最深部にたどり着いた。
そこで優人たちが目撃したのは、ほぼ全身が再生を果たした女王型魔獣だった。
その体は屋敷程もあるらしい。
下半身は虫のような細長い足が無数に生え、その中にバッタのような巨大な足が1対飛び出ている。
上半身は筋骨隆々の人間のような形をしているが、奇妙なのはその頭部だ。
4対の目がある頭部からは、さらに通常の人間サイズの上半身が突き出ている。その部位がどこか女性のようなシルエットで、女王型の名前の由来と納得出来なくもなかった。
どちらにしても、既存の生物には当てはまらないおぞましい姿だ。言葉だけでは、とても想像できない。
しかし、体はほぼ再生しているように見えた女王型魔獣だったが、眠っているかのように全く動かなかった。
この機に、再び女王型を倒すべく動き出す優人たち。
しかし、その前に、魔獣ではなく、陸が立ちはだかった。
俺はそっと夏奈を見た。
夏奈は壁際にもたれながら、少し俯いていた。
その胸中では、何を思っているのだろうか。
優人たちは、陸と激しく剣を交えた。
しかしその戦いのせいで、警備にも侵入がばれてしまう。
陸の猛攻と警備兵の物量に押される優人たち。
しかしその窮地も、その強い銀気の力と、その力を振るう術を身に付け始めていた優人を止めることは出来なかった。
不利な戦いの局面を、陸の苛烈な攻撃を、追い込まれていた優人が凌駕し始めた。
優人のその剣がついに陸を捉える。
陸の2刀を弾き飛ばした瞬間が、優人が状況を覆した瞬間だった。
「その時、勝ったって思ったわ。ユウトがやってくれたって」
言葉とは裏腹に、シズナさんが肩を落とした。
「陸の、バカ……」
夏奈が吐き捨てるように小さく呟いた。
俺は、目線で優人に先を促した。
「武器を失って追い詰められた筈の陸は、それでも笑ってたよ。それで、動かない女王型の頭に飛び乗った」
女王型の頭、女性型の上半身が飛び出ている部位には、一振りの剣が突き立てられていた。
陸がその剣に手をかけた。
その瞬間、陸の銀気を受けて、剣が眩く輝き出した。
優人が、シズナさんたちが叫んだ。
「これが俺の最強武器だ!」
陸の笑いと共に、女王型に刺さった剣が光になって消える。
そして次の瞬間には、陸の両手に銀に輝く剣が握られていた。
そしてその背後で、女王型の4対の目に赤い輝が灯る。そして、ゆっくりと動き出した。
「楔、だったんだ」
俺はそう呟いていた。
陸が抜いてしまったのは、女性型の活動を止めていた楔……。
「その通りじゃ」
その時、背後のドアから、老人の嗄れた声が聞こえた。
振り返ると、そこには小柄な体が埋もれてしまいそうな豊かな髭を蓄えた老人が立っていた。
「マームステン博士!」
夏奈が声を上げる。
その老人の背後から、ラウル君、リコット。そしてシリスが現れた。
シリスが、2本指を立てた手をキザに振って笑った。
島での戦い回想編は、次話に渡ってしまいました。
読んでいただき、ありがとうございます。




