Act:76
夜の静寂を裂いて、ウーベンスルトの正門を封鎖すべく、騎士や兵達が慌ただしく動いていた。陛下の命令書を前に何とか引き下がった正門警備隊長が、そんな光景を不愉快そうに睨みつけていた。
俺はじっと街の方を窺う。
状況が気になる。
そこに、グラスが近付いて来た。
「カナデさま。兵の配置、完了しました。城壁の上にも物見を立たせてあります」
「わかりました」
俺は頷く。
「暗い街ですな。入り組んでいそうだし、朝を待たないと一帯の確認は……」
言葉の途中でグラスが沈黙する。俺は彼の顔を見てから、怪訝そうな表情を浮かべるその視線を追った。
なるほど。
密集する建物の上を、ぴょんぴょん飛びながらこちらに近付いて来る人影があった。
もちろんあんな動きは常人ではない。顔は見れなくとも、だいたい誰かは分かる。
案の定、長弓を背負った夏奈が、くるくると回りながらすたっと俺の前に着地した。
「カナデちゃん、シリスさんから、伝言だよ。えっと、対象の制圧に成功。カナデちゃんにも来て欲しいって」
俺はグラスと目配せした。
「ハワード小隊!カナデさまに従え!」
グラスが叫んだ。
「夏奈、状況はいかがですか?」
「今のところ問題無いみたい。拍子抜けだってシリスさんは言ってたよ」
夏奈の言葉に俺は眉をひそめた。
逃げられたか?
俺は馬首を回らせる。
「案内してもらえますか?」
「了〜解」
夏奈がふわりと俺の後ろに跨った。
「夏奈、自分で走った方が早いのでは?」
俺が半眼で睨むと、夏奈はにゃははっと笑った。
もう……しょうがないな。
「では、夏奈、案内を……ひゃ、そんなとこっ!」
突然ブレスプレートの切れ目から、夏奈が俺の腰に抱きついて来た。
「夏奈……!」
俺は取り落としそうになった手綱をきつく握り、夏奈を睨んだ。乗り手の動揺に、馬が不快そうに頭を振った。
「あの、カナデさま。よろしいんで……?」
グラスが何故か照れたように顔を背けていた。
「問題ありません!出ます。この場はよろしくお願いします、グラス」
俺はそう言い放つと、暗い街の中に駆け出す。俺に続いて、ハワード小隊9名が隊列を組んで走り出す。
狭い通りに、馬蹄の音が響いた。
ウーベンスルトの街並みは、予想していた通り入り組んだ構造をしていた。
細い通り、不規則な交差点。まばらな街灯が小さな光の円を街路に落とす。照らし出されているのは、ごく狭い空間だけ。
まるで石造りの迷宮のようだ。その奥底には魔人が潜んでいてもおかしくなさそうな……。
あるいは、深い夜の闇と静寂が、そんな感慨を抱かせたのかもしれない。
夏奈の指示に従い、俺たちはそんな街の中を駆け抜ける。
大通りすらも、しばらく進むと路地と変わらない道幅になってしまった。
「そこ左だよ。左入って真っ直ぐをまた左」
角を曲がる。
見通しの利かない狭い道は、俺たちのスピードを削いで行く。これなら、屋根の上を走れるブレイバー組の方が動きが早い。
実際はさほどでもない距離だろう。しかし体感的には随分と走った気がした。
目標の建物は、路地の中、少し道幅が広がり、小さな広場になった場所に面した普通の民家だった。今は、その前だけが煌々と明かりを灯され、鎧姿の騎士たちが慌ただしく動き回っていた。
シリスの先遣隊だ。
周辺警戒に当たっていた騎士が、暗闇から現れた俺たちに一瞬警戒を示す。しかし俺の顔を見ると、にっこり笑って頭を下げた。
確かに、さほど緊迫した感じは受けない。
俺たちは下馬する。夏奈は身軽に馬上から飛び降りた。
「ハワード、それぞれ通りを警戒しつつ待機」
「了解です」
ハワードは兜から見えるちょび髭が自慢の陽気なおじさんだ。
俺は馬を兵に預け、対象の建物に歩み寄った。
蹴破られたドアの前に騎士が2人、歩哨に立っていた。その中から、兜を脱いだ赤髪の女騎士、レティシアが出てくる。
レティシアは、俺を見ると、ぱっと顔を輝かせた。
「カナデさま!お疲れ様です!」
「お疲れ様、レティシア。状況は?」
「はい!」
レティシアが表情を引き締め、姿勢を正した。
「現在建物の上、3階は制圧しました。抵抗は微々たるものでした。3人仕留めました。6人を拘束。先ほど地下室が見つかったので、冒険者の少年と4名が突入中です」
優人……。
俺は一応ほっと息を吐く。
「こちらの損害は?」
「ありません」
負傷者がいないのは嬉しいが、やはり拠点にしては抵抗が無さ過ぎる。
俺は顎に手を当て、黙考する。
「カナデさま?」
やはり事前に作戦が漏洩していたか?しかし拘束者がいるという事は、完全な空振りでもないし……。
考え込む俺の前で、歩哨が姿勢を正した。顔を上げると、建物の入り口にシリスが姿を現す所だった。
鎧姿だ。
眉間にしわ寄せて真面目な表情を浮かべる姿は、見た目だけは凛々しい騎士さまに見えないこともない。ことも、ない。
「シリス!」
私は声を上げると、そちらにぱたぱたと歩み寄った。
「もう、カナデさまったら。シリスティエールさまを見た途端、生き生きされて……」
ぼそりとレティシアが呟くのが聞こえた。
……。
馬鹿な。
俺は一旦立ち止まる。
ふうっ。
そして意識してゆっくりとシリスに向かって歩いた。
「状況は聞いたか?」
シリスが俺を見て腕を組む。
「はい」
「カナデの考えは?」
俺は目だけでシリスを見上げた。
「作戦の漏洩。この程度の拠点だった、そして、ここが本命でない……とか」
シリスは我が意を得たとばかりに、にとと笑った。
「最後の案、賛成だ。ここが判明してから、内偵を張り付かせていたが、ここはどうも出城の感がある。詳細はもう少し調べてからだがな」
「でも本丸を見つけるには、私たちに土地勘はありません」
「だから土地勘のあるものに協力してもらう」
「ハスター男爵にお願いして、ウーベンスルトの部隊を市街の捜索に動員する?」
「ああ。リングドワイスと軍務省の参謀殿が揃ってお願いして、な」
俺は微笑んで頷いた。
「いずれにしても、夜が明けてからからですね」
「そうだな」
突然シリスが私の肩に手を置くと、ぐいっと引き寄せて来た。
うわっ。
私の鎧とシリスの鎧がかちゃんとぶつかる。
な、何を……!
「では俺は地下を見てくる。カナデ、ここは頼むぞ」
抗議しようとしたのに、シリスはさっさと身を翻して、再び建物に戻って行った。
私は胸の下で肘を抱いて、その背を睨みつける。
もうっ、びっくりさせる!
「そうそう、カナデ」
突然シリスが振り返った。
「拘束した者を……」
「尋問するから、場所の確保ですよね。わかってます!」
シリスの言葉をさらい、私はむうっと不満を込めてシリスにぶつけた。
シリスは楽しそうな笑顔で頷くと、建物の奥に消えていった。
うう……。
最近ますますシリスのペースに飲み込まれている気が……。
俺は額に手を当ててうなだれながら、任務を遂行すべく振り返った。
そこには、何故かほんわかした笑顔を浮かべる歩哨の騎士と、手を組んで憧れ視線を照射してくるレティシアがいた。
えっと……。
キラキラ目を輝かせるレティシアに声をかけようとした瞬間。
俺は驚愕に目を見開き、動けなくなった。
心臓が有り得ない速さで脈打つ。
全身から一気に汗が吹き出す。
足が震える。
手が震える。
見てはいけない。
でも、見えてしまう。
広場の反対側の建物。
その屋上。
黒に黒は見えなくなるはず。
しかし、漆黒の夜闇を背景にしたそれは、闇色の中でなお、浮かび上がって見えた。
赤い目が輝く。
禍々しい角が鋭角に尖る漆黒の鎧。
そこに、
黒騎士がいた。
震える俺の手が、半ば自動的に剣の柄を握った。
「カナデさま?」
レティシアの呟きが妙に大きく響く。
俺はそれではっと我に帰った。
「レティシア、黒騎士が出ました!優人を早く呼んで!シリスも!」
「えっ」
そしてレティシアから黒騎士に視線を戻した瞬間、黒騎士は身を翻して建物の向こうに消えようとしていた。
ダメだ!
この街に黒騎士がいるとわかった以上、姿を見失う訳にはいかない!
この街にも一般市民はいる。貴族も、子供も、老人も。そして街の出入り口を閉鎖し、襲撃犯の拠点を捜索中の仲間たちがいる。
黒騎士の存在は、みんなの脅威だ。
「ハワード、小隊集結!付いて来て下さい。レティシア、ハワード小隊と黒騎士を追います。私からの伝令があるまでここで待機を。優人の準備をお願いします!夏奈は連絡あるまで優人と待機!」
「えっと、カナデちゃん?」
突然の事に夏奈が呆然としている。俺はその脇を抜け、鞘に手を当て走り出した。
後ろからハワードたちの隊がついて来る。
「目標は黒騎士です。後を追います。みんな、絶対に手をだしてはいけないです」
俺が振り返ると、ハワード隊の面々が強張った顔で頷いた。みんなベリル戦役の報告書は読んでいる。黒騎士がいかに危険な相手かは承知している筈だ。
俺を追い抜いて先行したハワードが、曲がり角で壁に身を寄せる。そして手で停止のサインを出した。
ハワードが角から先を窺う。俺もその下から恐る恐る顔を出した。
黒騎士が、狭い路地の真ん中を悠然と歩いていた。俺たちには背を向けている。
気がつかれていないのか?
ハワードがハンドサインを送る。
2人の騎士が頷き、隣の路地に入って行った。別ルートから先回りしようというのだ。
黒騎士が角を曲がる。
漆黒のグリーヴが石畳を打つ音が甲高く響く。
十分に距離を取ったところで、俺達も次の角まで移動した。
黒騎士、どこに行くんだ……。
その繰り返しを数度。
そしていくつ目かの角を覗き込んだ時、ハワードがはっとするのが分かった。
俺も覗く。
路地の先。弱い光の街灯が照らす十字路があるだけだった。他には何もない。
黒騎士の姿が、完全に消えていた。
そんな……。
確かについさっき、この角を曲がっていったのに……。
「2人一組で周囲を探索。5分であの十字路に集合しろ。接敵しても戦うな。後退を許可する。行け」
ハワードが小声で指示を出した。
騎士たちが音を潜めて散会して行く。
俺とハワードは、辺りを警戒しながら、街路灯が照らす十字路に向かった。
ガチャリと音がする。
俺とハワードは即座に剣に手をかけ、辺りを窺った。
足音が近付いて来る。
汗が流れる。
ハワードが浅く何度も息を吸うのが聞こえた。
緊張しているのは俺だけじゃない。
鎧を鳴らし、十字路の街路灯の光の下に現れたのは、最初に別行動を取った騎士の2人だった。
俺は安堵で座り込みそうになる。
「お前らー」
ハワードが声をかける。
騎士たちがこちらを向く。
その時、街路灯の光の向こうから人影が現れた。
禿上がった頭の太った男。
「な、何だ、何で騎士がここに居やがる!こっちには来ねーからって話しじゃ!約束が違うぞ!」
街路灯の下で出くわしたその男は、焦ったように声を上げ身構える。そして腰の剣を抜いた。
こちらに気を取られていた2人の騎士が振り返ろうとする。しかし……。
「畜生!」
太った男が斬りかかって来た。
騎士はとっさに手を上げてガードした。
ガントレットに刃がぶつかる甲高い音。
刃は防ぐ。しかし、騎士は男に体当たり受け、倒れ込んでしまった。
「ゴルド!」
ハワードが叫ぶ。
路地から男がもう1人飛び出してくる。その手にはダガー。そして、倒れた騎士ゴルドの相方に斬りかかる。鍔迫り合いが始まる。
その間に、太った男は、倒れたゴルドに剣を振り下ろした。
赤い血が飛ぶ。
瞬間、俺は駆けだしていた。
マントを翻し、一気にトップスピードに。
同時に剣に手をかける。
浅く呼吸する。
男が再び剣を振り上げた。
駆け込む。
間に合え!
鞘走りに白刃が煌めく。
火花が飛んだ。
俺が抜きはなった刃は、振り下ろされる男の刃を弾き返した。
お互い小さく仰け反る。
しかし俺はその反動を殺して、再度だんっと踏み込んだ。
おのれっ!
剣を振るう。
男の喉元へ。
くっ……。
瞬間、刃を返した。
俺の剣は片刃。
剣の峰が激しく男の胸を打ち、弾き飛ばした。
男は石畳の上で悶絶する。
「う、嘘だろ!」
もう1人のダガーの男が、悲鳴に似た叫びを上げて逃げ出した。
ハワードが駆け寄って来る。
「ハワード追って!あれは」
騎士がどうしてここにいる。
ここには来ない筈。
約束。
俺は考える。
考える。
その言葉が意味する所は……。
「あれは、襲撃犯の仲間です!他にも拠点があるんです!それを突き止めて下さい!特定したら包囲、待機!」
「カナデさま!突撃します!ゴルドの仇だ、あいつら、よくも!」
俺は真っ直ぐにとハワードを見つめる。
「駄目です。拠点を特定したら、奴らを逃がさないように待機。応援を待ちなさい!敵は、ここで、確実に抑えます!これは厳命です!」
ハワードが獰猛に顔を歪めながら、逡巡した後、微かに頷いた。
ハワード達が男を追っていく。
俺は剣を納め、血を流して呻くゴルドに駆け寄った。
ゴルドは、肩部、運悪く鎧の隙間を刺された様だ。
俺は膝をつくと、ゴルドの鎧を外しに掛かる。取れないところは留め革をナイフで切った。
「ゴルド、大丈夫ですか?」
「うう、カナデさま……」
大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。
俺は必死に傷口を押さえる。コートが、鎧が、深紅に染まる。
「安心して、ゴルド。私がいますから」
俺は微笑んだ。
焦りと恐れと混乱で、ちゃんと笑えたかどうか保証はない。
足音が聞こえる。
先ほど散会した騎士達が戻って来たのだ。
「みんな!」
俺は叫んだ。
「早く!こっちに!」
俺は込み上げて来るものを必死に押し止めながら声を上げる。そして、騎士たちの姿を探して、周囲を見回した。
ふと、その視界に、またあの異形が映ってしまう。
隣の街路灯。
少し離れたその光の中。
真っ黒の鎧に赤い目を輝かせた黒騎士が、じっとこちらを見ていた。
真っ直ぐ。
じっと。
俺は睨み返す。
体は震えている。
呼吸が乱れる。
本当なら、逃げ出したい。逃げたい。
しかし、傷付いたゴルドを放ってはいけない。
仲間なのだ。
みんなで焚き火を囲んで笑いあった。
俺は血に濡れた手で剣の柄を握った。
「カナデさま!」
後ろから救援の騎士が迫る。
それでも俺は、真っ直ぐに黒騎士を睨み続けた。
そして。
黒騎士はゆっくり後ずさる。
街路灯の光の向こう。
闇の中に、溶ける様に消えていった。
戦闘になると、どうしても長くなってしまいますね。
余計なシーンが多いからでしょうか。
読んでいただき、ありがとうございました。




