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雪色エトランゼ  作者:
第2部
75/115

Act:75

 お茶会の数日後。

 ウーベンスルトの襲撃犯拠点を制圧する作戦が正式に許可された。

 ウーベンスルトは、ハスター男爵の領都であり、地方貴族の自治が認められる都市だ。しかし、参謀部並びに王統府は、事態の秘匿性の観点から、ハスター男爵には国王陛下の勅命により事後承諾を取るという形で、王直騎士団の派兵を決定した。これは、俺の進言が受け入れられた形だった。

 王命を用いる。

 それはつまり、収穫なし、または、失敗では済まされないという事だ。

 作戦指揮にはシリスが。参謀には俺。部隊は、メヴィンとグラスの2個中隊が動員される。そして俺の依頼により、優人たちも別動隊として参加してもらう事になっていた。

 優人たちを伴うのは、陸や黒騎士対策だ。もし女王核がそこにあるなら、そうした強敵と対峙する可能性がある。万が一には備えなければならない。

 ズキリと胸が痛む。

 陸を、親友を敵、と認識しなければならない事に……。

 作戦発動の翌日、早朝。

 久しぶりに鎧で武装した俺は、馬上で吹き抜ける風を感じていた。お父さまにいただいた白と緑のコートが、風をはらんで大きくはためく。

 手綱を握り締め、王都の外門を抜けた後は、平原を駆け抜ける。駈足の馬の振動が久しぶりだ。広い大地を駆け抜ける解放感を体全体で感じていた。 

 その俺の隣にはメヴィン、グラスが並んで馬を進める。そして俺たちの後ろには、2個中隊が隊列を作って追随していた。

 重なる馬蹄の轟の中に、機械音が響き始める。

 振り向くと、右後方からぐっとスピードを上げた陸上仕様のリコット号が俺たちに追いついて来るところだった。

 その甲板から、レティシアと夏奈、それに各中隊から選抜された騎士たちが、こちらに手を振っていた。後の隊のみんなも、声を上げ、手を振り返す。

 目を凝らすと、一段高い場所にある操舵席にシリスがいた。リコットと進路の確認をしているのだろうか。

 不意にシリスがこちらを向いた。

 笑っているように見えた。

 私も微笑んで、大きく手を振った。

 リコット号がさらに増速する。

 あっという間に俺たち騎馬隊を置いて、船影が遠ざかっていく。

 俺たち本隊は、このまま街道を北上。途中の山地を越えると、ウーベンスルトの街を遠巻きに包囲する。リコット号に乗ったシリスと選抜隊、優人たちは、一度ローテンボーグ方面に出て海から川を遡上。先行して徒歩で街に入る。内側のシリス達が目標を制圧し、同時に外側から俺たちが突入して敵の逃げ道を塞ぐ二段構えの作戦だ。

 ウーベンスルト到着は3日後を予定している。足は速いが遠回りのシリスたちは、恐らく1日先行して到着出来るだろう。

 いざ開いてみれば何が飛び出すのだろうか。

 俺は、遠く霞む山々をじっと見つめた。



 部隊は、夜になると簡易天幕を組んで野営地を形成した。

 リムウェアの白燐騎士団に比べれば、俺が王直騎士団と行動を共にした時間は遥かに短い。しかしその中でも、このメヴィンとグラスの部隊は、ベリル戦役を共にした馴染み深い部隊だった。

 そんな部隊と共にする夜。俺がメヴィンの中隊長天幕で今後のスケジュールについて打ち合わせをしていると、天幕の外が俄かに騒がしくなった。しばらくして、1人の騎士が恐る恐る天幕に入って来た。

「今は打ち合わせ中だ。下がりなさい」

 メヴィンが静かに告げるが、まだ若い騎士は顔を赤くして姿勢を正した。

「お、お願いがあります!」

「だから、打ち合わせ中だと……」

「まぁ、いいじゃないか、メヴィン」

 メヴィン中隊長とは対照的に、グラス中隊長がおどけたように肩を竦めた。

「何だ、言ってみろ」

「はっ、参謀殿を酒宴にお招き致したく!」

 俺?

 急に話が回って来た俺は、きょとんと首を傾げて騎士を見た。

 その騎士は、ますます顔を赤くする。

 グラスが悪戯を思い付いた子供の顔で騎士を見た。

「ほう、貴様はシリスティエール副大隊長閣下の許嫁を酒席に誘うと。見上げた根性だな」

 ひひひと笑うグラスを、俺は半眼で睨んだ。

 い、許嫁とかふざけたデマを広められては困る!

 顔色が赤から青に変わった騎士に、私はにっこり微笑みかけた。

「いいですよ。打ち合わせもここまでにしましょう。でも、お酒は飲めません、私」

「だ、大丈夫であります!」

 声が裏返っている。

「ではグラス、メヴィン。今日は解散ということで」

「承知致しました」

 淡々としているのはメヴィン。

「おい、お前。俺らも後で行くと周りに言っとけ」

 ニシシと笑うのはグラスだった。

 俺はそんな2人に苦笑を送りつつ、外に出る。

 途端に歓声が上がった。

 隊長の天幕に決死の突撃を成功させた若い騎士に、賞賛の声が浴びせられる。

 グラス、これを分かっていて、彼をいたぶっていたな……。

「ささ、カナデさま。こちらへ、こちらへ」

 俺は騎士たちに丁重に案内され、焚き火が照らす天幕群の中央に導かれた。

「汚いところですけど、どうぞ」

 熊のような体格の騎士がにっと笑う。俺は綺麗なハンカチが置かれた丸太の上に、コートの裾を折って座った。

 酒宴と言っても、騎士たちに配分されるのは、微々たる量の酒だ。しかしみんな陽気に、直ぐに俺を囲んでバカ話が始まった。

 主に、ベリル戦役での隊の勇戦を、古参の騎士が戦役後に入隊の新参者に語る。身振り手振りを加えて話すお調子者にどっと喝采と笑いが起こった。

 俺も、口に手を当てて笑った。

「その時カナデさまが言ったんだ。みんな、私について来なさい!」

 俺の真似をする騎士に「似てないぞ!」とヤジが飛ぶ。

 俺もやはり笑う。

「馬鹿者どもめ」

 いつの間にか隣に立っていたグラスがニヤニヤ笑っていた。

「皆嬉しいのです。カナデさまとご一緒出来て」

 反対側でメヴィンが珍しく笑った。

「あの激しい戦いを共にした。私達を指揮し、勝利へ導いた。あなたは、我々の勝利の女神です」

 メヴィンはそう言うと、恥ずかしそうに顔を背けた。そこを容赦なくグラスが弄りだす。

 恥ずかしい。

 でも、少し嬉しい。

 俺も、照れ隠しに微笑む。

 リムウェア領の皆と共に戦った白燐騎士団を離れ、新しい土地で知らない人に囲まれる。

 それは、とても不安な事だった。

 それに俺は、優人や夏奈みたいに強くない。

 シリスやお父さまのように熟練の指揮官でもない。

 ただの小娘が、お嬢さまとおだてられているだけではないか。

 そう思った事もあった。

 でもこうして新しい仲間と行動を共にして、その輪の中で笑っていられる。

 それが、とっても温かい。

 目の前で揺れる焚き火なんかよりもずっと温かい。

 この世界で生きていける。

 そんな確かなものを、温かさの中に感じることが出来る気がした。

 陸。

 陸にも早く来てほしい。

 この温かい輪の中へ。

 たき火の煙が、夜空に真っ直ぐ吸い込まれていく。 



 日が昇る。

 早朝。

 1日が始まる時間。

 微かに吹き抜ける微風に、夜に冷やされたしんと冷たい空気を感じる。

 シャツの上に愛用のコートだけを着た俺は、剣を片手に携え、野営地近くの低い丘にゆっくりと昇る。

 朝露を宿した草が、一歩踏み締める度にブーツを濡らした。

 丘の上には、見張りの騎士が所在なさげに座り込んでいた。

「お疲れ様です」

 声をかけると、騎士は驚いたように顔を上げた。

「少し代わりましょう」

 眠気で表情も虚ろな騎士は、しかしぶんぶんと顔をふった。

「カナデさまにそのようなこと……。私も隊長に叱られますから」

 俺はふふっと笑う。悪戯っぽく。そして指を立てて唇に当てた。

「じゃあ、内緒で」

 騎士はおずおずと立ち上がった。何故かぎくしゃくとした動きで頷くと、野営地に戻って行った。

 俺は手近にあった岩に腰を預ける。冷たい石の感触が、服越しにも伝わって来た。

 眼下に広がる風景に目を細める。

 荒野が、森が、小川が、山々が、日の光に照らされて輝き始めるまさにその瞬間。全てが、新しい1日を迎えて、動き出そうとしている。

 黎明。

 その世界に目を凝らす。

 遠くに、ごつごつとした岩山が見えた。あそこが目的地であるウーベンスルトの街だった。

 ウーベンスルトは、岩山の間の渓谷に作られた街だった。左右には、切り立った崖が迫り、その足元には南と北からそれぞれ川が流れ込んでいる。雪解けには北の川が、雨期には南の川が氾濫するという厳しい土地だ。

 ……全部事前に調べてきた地理書の暗記だが。

 今夜にはウーベンスルトに到着する。

 メヴィンからは、無用の混乱を防ぐためにも、作戦発動直前に街を統べるハスター男爵に承諾を取るべきだという進言があった。

 しかし俺は頷かなかった。

 ハスター男爵もウェラシア貴族連盟の1人だ。ロクシアン商会や、件の組織と繋がりがないとは断言できない。

 もしも女王核を逃がされたら。

 もしくは、女王核を守るために、こちらを妨害して来たら。

 嫌な予想だけは、何パターンも思う浮かべることが出来る。

 俺は、そっと群青の空を見上げた。

 人を疑うのは心が痛い。

 俺は胸に手を当て、目を伏せた。

 大を救うために小を切る。

 それは、政に携わる上でお父さまに最初に言われた心構えだ。

 大好きなお父さまの言葉だけど……嫌な言葉だと思う。

 しかし、全てを平らかに安らげることは、俺には出来ない。お父さまにも出来ない、きっと。

 ならば、俺たちに出来るのは、そのこぼれていく小を少しでも少なくする事だ。

 俺はハスター男爵を疑う。ウェラシア貴族連盟を疑う。疑って疑って……。

 でもそれで、ベリルの街のような黒海嘯を防げるなら……!

 俺を囲んで笑ってくれる温かい人たちの世界を守れるのなら……!

 でも。

 それでもやっぱり。

 胸に当てた手をぎゅっと握る。

 ずきずきするここは、痛い。痛いよ。

 ……。

 な!

 何故今私は、あいつの顔を思い浮かべた!

 天を仰いでむむむと眉をひそめる。

 うごごごご。

 苦悶する。

 そこに、ざわざわと茂みが揺れる音が聞こえた。俺はとっさに剣を引き寄せた。

「わぁ、ゴルトが見惚れ過ぎてのぼせてる!」

「おい、押すなよ!」

「可憐だ……」

「睫長っ!髪が朝日で光ってる!」

「ドレス着て着飾ってりゃいいってもんじゃないよな!俺、妹に言ってやるぜ」

「おい、だから、押すな!」

 がざっと茂みが割れた。

 俺は柄に手をかける。

「と、と、と……。やあ、おはようございます、カナデさま」

 茂みから転がりだしてきたのは、グラスだった。

 俺は剣を下ろしてきょとんとグラスを見つめる。

「何してるんですか?」

 グラスはわざとらしく咳払いした。

「美しいものを愛でるのは、貴族の嗜みです」

 精悍な顔で言い放つグラスに、俺は首を傾げた。

「はい?」



 夜風が頬をなぞる。

 やはり北部の夜は、王都のそれよりもずっと肌寒かった。

 虫たちが鳴き始めるにはまだまだ季節は早く、馬が身を震わせる音以外は、一切無音の夜だった。

 はっー。

 気がつくと微かに息が白い。

 どうりで冷えるわけだ。

 俺の目の前には、ウーベンスルトの街がシルエットとなって浮かび上がっていた。狭い土地に寄り添うように建物が密集し、重なり合っている。もう夜も遅い時間のためか、ここから見える明かりは、まばらだった。

 俺は街を一望出来る小高い丘を下り、闇に身をひそめるように待機している35騎に合流した。俺の代わりに見張りが丘に上がって行く。

「メヴィンの方は配置についたようです」

 兜の面防を下げたグラスが俺を見る。闇の中でその目は爛々と輝いていた。

 メヴィンの方も32騎を率い、街の反対側で息を潜めているはずだった。

「合図、来ました」

 丘の上から見張りの声が響いた。

 時間通りだ。

 俺は馬に跨る。

 グラスが振り返りハンドサインを送ると、5騎一組の隊が3つ、でそれぞれに散っていく。街の各門から同時に突入、街の出入り口を封鎖するのだ。

 俺はグラスを見る。

「では、私たちも」

 グラスが頷き、さっと手を振り下ろした。

 俺は手綱を打つ。馬がいななき、猛然と走り出した。

 馬蹄が土を蹴り上げる。マントが激しくはためく。

 俺の後に、ウーベンスルトの正門を押さえるべく17騎が続いた。

 身を潜めていた窪地を抜け街道に合流する。

 ランプを持って夜警をしていたウーベンスルト兵が、突然飛び出して来た騎馬集団に腰を抜かしたように尻餅をついた。

「はっ!」

 俺たちは、全速力で正門に向かって突撃する。

 既に夜も遅い時間だったが、未だに街に向かって歩く人影がちらほらあった。彼らは猛然と突進して来る騎馬に驚いたように、慌てて道を開けた。

 正門に突入すると、警備詰め所から慌てた様子で兵や騎士が走り出て来た。俺はその前で、手綱を引いて馬首を巡らせた。

「こちらは王統府です。国王陛下勅命により、一時この門を封鎖します」

 俺は、ここの隊長らしき羽根飾りの兜の騎士に、懐から取り出した書類を示した。

 御璽の押された陛下の命令書だ。

「な、どういうことだ!ここはウーベンスルトだぞ!何故王統府が!ハスター閣下の自治権というものが……」

 俺は馬上から警備隊長を見下ろす。うっと警備隊長がたじろぐ。

 俺が警備隊を押し留めている間、背後でグラスが指揮を取り、正門の封鎖に取りかかっていた。

 そっと街の様子を窺う。

 正門から続くということは、この先がウーベンスルトの街の大通りだろう。しかし、狭い。馬車がぎりぎりすれ違える程度の道幅だ。それに、両側の建物も間近に迫っていた。その家や商店から、騒ぎを聞きつけた人々が顔を覗かせ始めている。

 俺は警備隊長の抗議をいなしながら、そっとその通りの先を見遣った。

 王都や、インベルストより街路灯の数は遥かに少ない。暗闇の中に、重苦しい灰色の建物が連なる。

 その闇の中に何かが潜んでいるかもしれない街。

 そして、陸が一人で過ごしていたかもしれない街。

 俺は、じっとその通りの先睨みつける。

 今回は移動の間のお話。

 幕間の様なものでした。


 読んでいただき、ありがとうございました!

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