Act:70
王立騎士訓練校アントワリーゼは、山間の広い敷地に古い時計塔がそびえる伝統と格式のある名門校だ。もちろん校名の通り騎士を養成するのが目的ではあるが、教養や礼儀作法の修得もその大きな目標だった。そのため、騎士を目指す者だけでなく他の多くの貴族の子女たちも、アントワリーゼに入校していた。
結果この校内には、初等部から高等部まで数万の生徒が在籍していた。まるで学校自体が1つの街のような規模だった。
しかし、教育の目的や生徒数の大小はあっても、学校であることに変わりはない。
ここには、俺にとっては、もうどこか遠くになってしまった気がする懐かしい雰囲気が満ちていた。
友人たちとお喋りしながら廊下を歩く生徒たち、中庭のベンチに腰掛けている女子生徒たち。校内に響く運動部のかけ声に、廊下に漏れてくる教師の声。同じ年頃の少年少女が制服に身を包んで生活する場所。
俺は、学園長の執務室に案内される間、ずっとそんな空気にきゅっと胸を締め付けられていた。
俺も休み時間は優人と無駄話してたし、廊下ですれ違う唯に手を上げたり、部活でへとへとになったり……。
あの時の俺は、きっと今の私を想像も出来ないだろう。
窓からそっと空を見上げる。
「カナデさま?」
後ろからアリサが声をかけてくれた。
少し感傷的になっていた俺は、そっと微笑み返す。
「すみません、大丈夫です」
俺は少し歩く速度を落としてアリサに並ぶと、悪戯っぽく笑いながらアリサを見上げた。
「そういえばアリサ、近頃私をカナデって呼んでくれますね」
「あ、えっ、あの、ご不快でしたら止めます」
小さな声で呟いて顔を背けるアリサに、俺はふふっと笑う。
「いえ、嬉しいんですよっ」
ちょっと取っ付きにくかったアリサが身近になった気がして。
すれ違う生徒たちがそんな俺たちを興味深げに見ていた。
学生、特に全寮制の学生なんかは、きっと普段と違う外部の異分子に敏感なんだろう。
あの団体、何だろう。
転校生がいるって聞いたことあるわ。
あの銀の髪の子かな。
少し制服が違うぞ。
可愛いね。中等部生かしら。
中等部か。
はははっ……。
確かに、この学校の制服は騎士服に準じている。テールコートにタイトスカートの軍務省の正装とはよく似ていた。
まぁ、年齢的にも俺は、案内してくれている教師側よりは学生たちに近いわけだし。というか同世代だし。そういう勘違いされてもしょうがないか。
俺は、長い廊下を歩き、階段を登った先、学園長室に通された。
名門アントワリーゼの学園長は、顔も体もまん丸のおじさんだった。かけた眼鏡も丸いし、くせ毛の黒髪も丸くカールしている。
俺たちは互いに名乗り、挨拶を交わした。
俺の合図で、アリサが書類を学園長に差し出した。
「繰り上げ叙勲の生徒は、最終学年生となります」
学園長は書類をめくる。
「彼らの状況はいかがですか?」
「最終学年生は、ローテンボーグの街で実地演習中です。その課程が短くなりますが……」
「現場で覚えて行くしかないでしょう。運用に際しては参謀部でも考慮致しますので」
俺は努めて無表情を保った。
「であれば、問題は大きくありません」
年若い彼らを戦いに導かなくてはならないことは、心苦しい。
しかし今の状況は、1人でも多くの戦力が必要だった。誰かを守るために剣を取る事を決意した者の力が、だ。
「……承知致しました。教員会議で諮り、ご指定の期限内に叙勲を受けられるよう計らいましょう」
眼鏡が光を反射して、学園長の目は見えなかった。
「よろしく、お願いします」
俺はそっと頭を下げた。
そして視線を伏せ、スカートから出た自分の膝を見る。
……争いがなくなればいいのにな。
そっとそんな事を思う。
「カナデさま。ところでその最終学年生に対する講義の日程ですが……」
「はひっ!」
俺は思わず飛び上がりそうになった。
そうだった……!
それが待ちかまえているんだった……。
まるで目の前にグロウラー型が現れたような絶望感が広がる。
俺はあてがわれた部屋の中で講義の準備をしていた。
話すべき内容をまとめたメモ(かんばって作った)
魔獣関連の資料(軍務省から借りて来た)
あと、知らない単語に対応するための辞書(ずっと前からリリアンナさんに借りている)
よし、こんなものかな。
俺は息を吐くと、おもむろに鏡の前でスカーフタイを正す。髪を整える。そして部屋の中をうろうろし出した。
ノックが響く。
鼓動が跳ね上がる。
「ど、どうぞ」
入って来たのは、男性教師に引き連れられた3人の生徒だった。
「カナデさま。こちらが、当校ご滞在中の案内役を務めます生徒達です」
3人が並び、きびきびした動作で一礼した。そして自己紹介してくれる。
1人目が一番長身で金髪を短く揃えた男子学生、スライバー。2人目は長い金髪をアップに纏めている女の子、ヘルミーナ。そして3人目がくりくりした目が少し幼く見える男子、ジーム。3人とも最終学年生だった。
「「よろしくお願いします!」」
3人の声が重なる。みんな表情が硬い。彼らも緊張しているのだろう。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
俺は微笑んで頷いた。
「では、カナデさま。最初の講義が間もなく始まります。ご指導、よろしくお願いします」
「「よろしくお願いします!」」
教師に合わせて再び頭を下げる3人の息はぴったりだった。
さすが普段から厳しい訓練を繰り返している騎士の卵。動きも機敏で、お辞儀の角度なんかも揃っている。初々しい。今まで出会ってきた騎士たちのように、小慣れた感がない。
ずぼらなシュバルツにも見習って欲しいものだ。
いそいそと荷物を胸に抱いた俺は、3人に案内されて講義室に向かう。廊下にコツコツと俺のヒールの音が響いた。
「あのっ、カナデさま!」
耐えきれなくなったという風に、ジーム君が声を上げた。
「はい、なんですか?」
俺は内心ほっとする。
沈黙の中、じりじりと緊張に身を焦がすより、何か話していた方が楽だった。
「カナデさまは何歳なんですか?」
「こら、ジーム!失礼な事をお聞きするな!」
「ジーム、あなた、もう少しデリカシーというものを…」
即座に2人が突っ込む。
俺はその光景に胸が苦しくなる。
ああ、俺たちもこうだったよな。
俺に、優人に、唯。
「私は、17になりましたよ」
俺は微笑む。もう、この世界に来てから、一度誕生日を迎えていた。
「な、俺たちより年下でらっしゃる?」
スライバーが驚いたように目を丸くした。
資料によれば、繰り上げ叙勲が決まっている最終学年は概ね18歳だ。
「私とは同い年です」
ヘルミーナも驚いたように口に手を当てた。
「そのお年でもう実戦に出られたと?」
「ベリル戦役では、白銀の髪の少女が騎士団を指揮したと聞いたわ」
「うわー、凄いなぁ」
今まで押し殺していた好奇心が溢れ出したのか、生徒たちは矢継ぎ早に質問して来た。
「侯爵家のご令嬢ですよね?」
「そうですよ」
「剣術が得意でらっしゃるんですよね?」
「ん、そうですね」
「好きな食べ物何?」
「クッキーです。作るのが得意なのは味噌汁です」
「魔獣を斬られた事はあるんですよね?」
「はい、あります」
「私の剣も見ていただけませんか?」
「えっと、時間がありましたら」
「カナデさま、彼氏はいるの?」
「いま……せん。いませんよ。ああ、なんで。笑わないで下さいよ」
抗議しながら、俺も笑う。幾分打ち解けられたかな、と思う。
そう思えた時には、俺たちはもう講義室の前に到着していた。
遠く時計塔から講義時間開始の鐘が聞こえた。
よし。
緊張なんかするな。
今3人と話してたように、自然に。
「ではカナデさま。俺が号令かけますから」
スライバーが先に講義室に入る。
「カナデさま、お願い致します」
そしてヘルミーナが、扉を開いてくれた。
昼休みになると、驚くような数の生徒たちが講義室から一斉に溢れて来た。
庭のベンチや芝生でお弁当を広げる者、気が早い事にグランドに駆け出して行く者。そして、大多数の生徒たちは列を作って大食堂に流れていく。
美味しそうな匂いが広がる。生徒たちの喧騒が満ちる。そんな生徒たちでごった返す食堂の中、俺は案内役の3人に誘われてガラス張りの窓際の席に座っていた。
窓からは、緑の木々とレンガ造りの校舎が重なる風景が一望できた。
ぽかぽかと暖かな陽気と青い空とが相まって、穏やかなお昼の時間が目の前に広がる。
しかし、俺はどん底な気分だった。
恥ずかしさとか不甲斐なさとか、とにかく後ろめたい自虐的な感情が胸の内で渦巻いていた。
「はぁ……」
俺は、ヘルミーナが選んでくれた日替わりBセットのオムライスごはん少な目にスプーンを突き刺した。
「はぁ……」
「カ、カナデさま。お気になさらずに。とてもためになるお話でした」
スライバーがぎこちなくフォローしてくれる。
「そうですよ、カナデさま。みんな楽しくお話を聞けました」
ヘルミーナの笑顔が眩しい。
そして、生徒たちに慰められる自分が不甲斐ない……。
人目がなかったら、頭を抱えてのたうち回っているところだ。
「でも、いきなりつまずかれるとは思いませんでした!ウケ狙いですか?」
ジームの言葉に、スライバーとヘルミーナの顔が青くなった。
俺はかちゃりとスプーンを置いた。
ジームが2人に連れて行かれる。
俺はコーヒーに口をつけ、その苦味に眉をひそめて俯いた。
「はぁ……」
午前の第1回目の講義は大失敗だった。
失敗要因まず一つ目。
講義室に入り、教壇に登ろうとした瞬間。教壇の側面に思いっきりパンプスをぶつけてしまった。
静まりかえった室内にドカッという音が響いてしまう。
二つ目。
その拍子に胸に抱いていた資料を落としてしまった。
いそいそと拾う俺。少し涙目になってしまって周囲の様子を窺うと、最前列の生徒たちが慌てて助けに来てくれた。
三つ目。
色気を出して黒板を使おうとしたらチョークが見つからず、おたおたする。
四つ目……。
「はぁ……」
初めての講師だからとか、やったことないんだからとかいう言い訳は出来ない。
このお役目を下命された以上、訓練を切り上げて実戦部隊に向かう生徒たちにとって、なるべく役に立つような話をしてあげなければならないのだ。それが、まだ若い彼らの力をも利用しなければならない状況を生み出した俺達の責務だと思うから。
肩を落とすジームを連れて2人が帰って来た。
「みんな、早く食べないと冷めますよ」
俺は3人に微笑みかける。
「カナデさま……。私は、とってもいい講義だったと思いました」
隣の席のヘルミーナが俺を見据える。きらきらとした光の宿る真っ直ぐな目だ。
「カナデさまがおっしゃっていた、剣を手に取る覚悟。そして、守るべきものを胸に秘めた時に初めて生まれる折れない心。それが実戦ではとてつもない力になる、という事」
ヘルミーナが目を瞑り、胸に手を当てた。
「上手く言えないけど、本当に強い騎士の力の源は、そういうところなんだろうなって実感できました」
俺は頬が赤くなるのがわかった。
「わかるよ、ヘルミーナ。確かに学校じゃ型通りの騎士の心構えは教えてくれるけど、それとは違うよな」
スライバーとヘルミーナが頷き合いながら、俺の講義の話をする。それはそれで、失敗談を思い出すよりも違う意味で恥ずかしい。
でも、俺如きの話でも、こうして彼らに戦いについて考えるきっかけを与える事が出来たなら。そうして考えたことがこれから戦いに臨む彼らの力になることが出来たなら。
俺にとってこれほど嬉しいことはない。
意見交わす2人を微笑みながら見つめ、目を細める。
俺はスプーンを手に取り、一口オムライスを口に運んだ。
「うぁ、おいし」
思わず頬に手をあてる。
午後。
スライバーとジームの男子2人は体力トレーニングらしく、俺の案内から離れた。
俺はヘルミーナに校内の施設を案内してもらっていた。
女子も午後は儀礼の訓練があるそうだが、俺の案内が優先されるそうだ。
俺が恐縮すると、ヘルミーナは照れたように笑った。
「私、儀礼はもう単位が足りてますから。それに、カナデさまとお話する方が勉強になります」
そうまで言ってもらうと、俺も照れ笑いするしかない。
俺たちは互いにおしゃべりしながら校内を巡った。
「カナデさま。少しよろしいでしょうか」
「わ、アリサ!」
大図書館まで来た時、突然アリサが現れる。
俺はヘルミーナに断って、図書館の隅に移動した。
「カナデさま。ご報告です」
アリサがブリーフケースから書類を取り出した。俺はそれにさっと目を通す。
新規ゴーレム兵器の納入日程だ。騎士団のバートレット大隊長に要望されていた分について、先日ようやく発注の承認が下りたのだ。それがもう納入される。
「でも、早いですね。6日後に搬入前検査ですか」
俺はパラパラと書類を捲る。そして最後のページで目が止まった。
今回の納入業者は……ロクシアン商会!
「今回の先行して2機の導入には、北公さまの働きかけがあったようですね」
「北公さまの……」
どういうことだろう。
あの夜会で、俺がアプローチしてみたからだろうか。
確かにウェラシア貴族連盟の盟主たる北公さまが手を回してくれたなら、この迅速なゴーレム兵器の納入にも得心がいく。
価格も……適正帯だ。
しかしロクシアンか……。
「カナデさま。このゴーレム兵器の最終検査はローテンボーグの技術省で行われますが、立ち会われますか?」
「そうですね……」
ゴーレム兵器。
ロクシアン商会。
その単語の結びつきには不穏なものを感じる。
「立ち会います。手配をお願いします」
「承知しました」
ローテンボーグはこの学校からも近いし、6日後なら日程的にも大丈夫だ。
しかし、念のために……。
「アリサ。後で、手紙を出します。ローテンボーグの冒険者ギルドに届けてもらえますか?」
「冒険者ギルド、ですか?」
アリサが少し不思議そうな顔をする。
俺は頷いた。
念のためにあいつに来てもらおう。
別件で用事があったので、一度王都まで来てくれるように連絡してある最中だったが、あいつの足なら王都からローテンボーグまでなんか一瞬だろうし。
優人……。
「ではアリサ、後ほど」
俺はアリサに頷き、本棚の中をぱたぱたと駆ける。
本の海の中、ヘルミーナを探した。
学園編となりました。
しかし生徒で編入という展開はありません(笑)
読んでいただいて、ありがとうございました。




