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雪色エトランゼ  作者:
第2部
66/115

Act:66

 ふかふかのベッドからゆっくりと身を起こす。髪を掻き上げながら、ぼんやりした視界のまま辺りを見回した。

 あれ、ここは……。

 ああ、そうだ……。

 目を擦りながら窓際まで行くと、俺はさっとカーテンを開いた。

 眩しい朝日に、ベランダの手すりでさえずる小鳥。その向こうに広がる深い森が徐々に色彩を取り戻していく朝の景色。

 窓を開けると、素足に少しひんやりした空気が触れる。それを胸一杯に吸い込んで、俺は覚醒した。

 インベルストのお屋敷のように沢山のメイドさんたちがいる訳ではないので、身支度は全部自分でこなさなければならない。こちらまで連れてきたのは、リリアンナさんと護衛のシュバルツだけだ。あんまり大勢で押しかけては、静かな生活を好まれるこちらのお父さまとお母さまの迷惑になるから。

 髪を梳いてから、ほんの少しだけ化粧する。俺的には仕事に行くだけなのだから、何もしなくてもと思うのだが、リリアンナさんとお母さまに並んでレディの嗜みと言われてしまっては、逆らえない。

 今日もスカートでいいや。

 糊の効いたシャツにタイを締め、上着を羽織る。

 ううん、最近何だか胸が窮屈だな……。

 もう随分と春めいて来たとは言え、まだ朝夕は肌寒い。部屋を出際に、俺はベージュのスプリングコートを手に取った。

 トントンとリズミカルに階段を下りる。

 インベルストのお屋敷に比べれば遥かに狭い屋敷だった。しかしそのおかげで、お母さまとリリアンナさんが用意してくれている朝食の匂いがここまで漂って来ていた。

「おはようございます!」

「むっ、おはよう」

 すれ違ったブライトお父さまに元気良く挨拶する。こちらのお父さまは相変わらず口数が少ない。

「おはようございます!」

「カナデさま、おはようございます」

「あら、カナデさん。おはようございます」

 食堂をのぞき込むと、やはりリリアンナさんとマリアお母さまが朝食を準備していた。

 俺も腕まくりして手伝いに加わる。蒸気が籠ったキッチンは暖かい。

「ふふ、カナデさんがいると、女の子っていいなぁと思うわ。うちは息子ばかりだしね」

 マリアお母さまが柔らかく上品に笑った。

 確かに国王陛下とシリス。どちらの息子も進んで母の手伝いをするようには見えない。

「私、娘とこうしてキッチンに立つのが、実は夢だったのよ」

 前王妃殿下にしては、随分庶民的な夢だ。でも、そう言ってもらうと俺も嬉しい。

「お母さま、それは昨日もお聞きしましたよ」

「あら、そうだったかしら」

 俺たちは互いに見合い、ふわりと笑い合った。

「カナデさま。あまりごゆっくりされている時間はございませんよ」

 リリアンナさんが盆の上に食器を乗せてから、クールにメガネを押し上げた。

 そうだった。

 俺にはこれから仕事があり、王城まで行かなくてはならなかった。

「じゃあ朝ご飯にしましょうか」

「はい!」

 ブライトお父さまを呼び、3人で朝ご飯を済ませる。リリアンナさんが給仕してくれた。

 食事が終わると、俺はお父さまとお母さまに挨拶し、コートを手に外に出る。

 涼しげな春風に、ふっと香る花の匂いと濃い緑の香りが混じっていた。季節はもう春。桜が、ちょっと恋しい。

 コートに袖を通し、俺は馬車に乗り込む。

「グラン、おはようございます。お願いします」

 御者の老人に挨拶すると、長閑な馬蹄の音を響かせて馬が歩き出した。

 御者台に小柄なグラン老人と巨漢のシュバルツが並ぶ姿は、何だか微笑ましい。相変わらずシュバルツの私服はパッツンパッツンだが。

 俺は、ふふっと笑って2人から視線を外し、車窓を眺めた。

 俺たちがこの前国王陛下、つまりシリスのお父さまお母さまのお家に住まわせてもらってからもう一月程が立つだろうか。シリスの強引な誘いがあったとはいえ、大きな屋敷に使用人たちと住むだけよりは、新しい家族が出来たみたいでこちらに来て良かったなと思っていた。

 森の道。賑やかな鳥たちの声は姦しいほどだ。美しい木漏れ日が、馬車の行く手を輝かせる。

 あの灰色の空の下ばかりが記憶に残る真冬の戦いの後。膨大な事後処理に忙殺されていた俺の元に、国王陛下直々の召還状が来た。

 曰わく、軍務省の参謀部にポストを用意してあるから王都に出仕しろ、との命令だった。

 王の勅命を断れる筈もない。

 リムウェア侯爵家での戦後処理を一段落させた後にという条件で、俺はここ、王都エクス・クレアデスにやって来た。

 顔馴染みになった警備騎士に手を振り、いくつかの警備門を越える。馬車は、徐々に人家の集まる市街区に入る。

 満員の通勤巡回軌道に追い付き追い越されながら、俺は今日も王城クレアデスの偉容を見上げた。



「おはようございます」

「カナデさま、おはようございます」

 すれ違う職員に挨拶しながら、一階の食堂でもらったコーヒーを片手に軍務省4階の俺の執務室に向かった。

 鏡のような床にヒールを響かせて、扉の前に立つ。そこでしばらく黙考。右手のコーヒーを置くか左手のカバン類を置くか。

 むむむむ……。

「おはようございます、リムウェアさま。……何をされているのでしょうか?」

 隣の部屋から現れた俺付きの秘書官のアリサが、眉をひそめて扉を開けてくれた。

「今日の分の決裁書類です。あと手紙が来ております。午前中は、首都防衛大隊の中隊長から遠征帰還のご報告があるそうです。昼食時間にかかりそうですね」

 俺はコートを脱ぎ、椅子に腰かけると、書類を広げながらコーヒーに口をつける。

 ああ、1日の始まりの味がする。

「お昼は駄目ですね。シリスと約束があります」

「……はぁ。了解です。先方には伝えましょう。相変わらず仲睦まじくて羨ましい……」

「何か?」

 俺はごにょごにょと何か言っているアリサを見上げた。

「いえ。午後ですが、参謀部の会議が14時から、15時からは……」

 すらすらと報告してくれるアリサは、背の高いスラリとした女性だった。黒髪を短くまとめた姿は、出来る女性、という感じだ。最初に会った時は、その切れ長の鋭い目が少し怖かった。しかし、一緒に仕事をするうちに、ただ真面目な子なんだなということが分かってきた所だった。

 報告を終えたアリサが、ぴんっと背筋を伸ばし、一礼すると退室していく。

 俺にもあれだけ背があれば、あんまり子供扱いされないかな……。

 王都に来ても、上役のおじさま方からは会う度に飴やお菓子をもらったりする。子ども扱いだ。最近そこが少し悩みだ。

 手紙を開いていく。

 あ、インベルストのお父さまだ。

 最近は俺が返事を書くより早く次の手紙が来るようになった。

 内容はインベルストの街の様子、騎士団の再編成が遅れている話、先日ベリル戦役追悼式典を催した話、そして俺の体調を気遣う内容。

 最後には、辛くなったらいつでも帰ってこいという一文が添えられていた。

 お父さま……。

 胸の奥が熱くなる。

 少し、インベルストに帰りたくなってしまった。

 俺が王都に出発したあの日も、お父さま、目元を潤ませていた。つられて俺も泣きそうになったっけ。

 でも、今はここでの仕事がある。

 俺の力で役に立つならば、頑張らなくては。

 俺はまたコーヒーに口をつける。その苦味が、目の前の山積みになった課題を思い出させてくれた。

 王都に来ても書類の山に埋もれる仕事は変わらない。

 徴兵した兵の戦後補償や騎士たちの叙勲申請。騎士団の損耗品の補充に、作戦行動自体の報告評価。

 ヴッセン将軍を含め、司令部要員がドラゴン型襲撃により壊滅したため、参謀部や軍務省自体も手が足りていないのが実情だった。

 ベリル戦役に従軍していたというぐらいしか理由が思いつかない俺が王統府に招かれたのも、納得できる現状だった。

 ノックが響く。

「どうぞ」

 入室して来たのは、騎士服姿のメヴィン、グラス両中隊長だった。

 2人が俺の机の前に立ち、カツッと踵を合わせて一礼する。

 俺も立ち上がり返礼した。

「警戒遠征ご苦労様でした、グラス、メヴィン」

「いえ!」

「休んで下さい。どうでした?」

 グラスとメヴィンが交互に報告する。

 旧ラブレ領付近の残存魔獣の討伐は、戦争が終わってからしばらく経つ今もまだ続いていた。

「カナデさまのおっしゃったとおり、この地点とこの地点には魔獣が残っていました」

「グロウラー型も出現しましたが、魔獣群に連携はなく、各個撃破致しました」

「損害はありません」

 俺はあちこちにマークキングされた地図を睨んでから、顔を上げた。

「補充兵はいかがですか?」

 茶色の髪が少し薄くなりつつあるグラスがふっと笑った。

「今回の遠征が良い訓練になりました。古参との連携も問題ありません」

 それを聞いてほっとする。損耗した兵、騎士の戦力補充は、軍務省の抱える最大の問題点だった。

「副隊長にはもう報告を?」

「はい、すませてあります」

「わかりました。では私には以上で結構です。報告書は明後日までにお願いします」

 2人が再び敬礼した。

「あの、カナデさま」

 しかしそのまま退室せずに、くすんだ金髪と口ひげのメヴィンが声をかけてくる。

「何でしょう?」

 俺はきょとんと小首を傾げた。

「お時間のある時で構いません。中隊にお越しいただけませんか?」

 俺は反対側に首を傾げる。

「古参の騎士からも新参者からもカナデさまにお会いしたいと言う上申が後を断たず……」

 ははっとグラスが笑う。

「では自分の隊にも。カナデさま」

 そして便乗して来た。

 しょうがない。

 俺は苦笑いを返して頷いた。

 彼らの隊は、ベリル戦役で共に戦った縁がある。久しぶりに会うのもいいかもしれない。

 笑顔で頭を下げた2人が退室していく。



 昼の時報が響くと、俺はバスケットと水筒を持って執務室を出た。廊下に出ると、ちょうど対面の秘書室から顔を出したアリサに手を振る。

 給湯室で準備を終えた俺は、スカートを翻してパタパタ走った。

 食堂に流れて行く人たちとは別に、俺は外に出る。

 キラキラとした日差しが眩しい。爽やかな風が吹き抜け、ざざっと木立が揺れた。どこからかお昼ご飯のいい匂いが漂って来る。その中を、軍務省の建物や各省庁の間をすり抜け、王城を回り込んで、俺は駆けていく。

 王城の南側には、斜面を利用し遊歩道や森林に囲まれた芝生広場の公園が整備されていた。その広場脇の東屋に、俺は駆け込む。

「すみません、遅くなりましたっ」

 息を弾ませて対面に座ると、本を読んでいたシリスが顔を上げた。そしてふっと笑った。

「いや、俺も今来たところだ」

 バスケットからサンドイッチを取り出すと、東屋の石のテーブルに並べる。

「おっ、カナデの手製か?」

「マリアお母さまのですよ。お母さまが久しぶりに顔を見せなさいとおっしゃってましたよ」

「ん、まぁ、そのうちにな」

 シリスに続き、俺もサンドイッチを摘んだ。マスタードがピリッと美味しい。

 王都防衛大隊の再編の打ち合わせをしながら、俺たちはパクパクとサンドイッチを摘まんで行く。詰めなければいけない議題は沢山あった。

 私は徐に水筒を取り出すと、中身を注ぐ。そして、おずおずとシリスに差し出した。

「これは私が作りました」

 シリスが口をつけるのをそっと見つめる。上手くできたと思うが……。

「変わった味のスープだが、温かいな。まぁ、なかなかだな」

「予め温めてみましたから」

 唯直伝の味噌汁だ。この世界の保温水筒の性能はたかが知れているので、給湯室で温め直したのだ。

 喜んで貰えて良かった。

「あとな、女王核の行方だが……」

 俺は味噌汁をすする手を止めてシリスを見る。

「各領主に、リクという奴の手配が正式に回る事になった」

「見つかるでしょうか」

 俺は地面に目を落とす。

 陸……。

「あの戦い以来、俺たちが何度も調査した後だ。正規の通達で発見報告が上がって来るなら、もう既に見つかっているだろう」

「そうですね……」

「だからカナデは、あの少年たち冒険者に、非公式な捜索依頼を出しているんだろ?」

 優人……。

 今、シズナさんたちのパーティーには、北に向かってもらっている。もちろん、陸と持ち去られた女王型の核を探索するためだ。

 あの女王核を抑えなければ、魔獣群襲来の不安は拭う事が出来ない。

 だから、俺はさらにもう1手、打っておくつもりだった。

 そっと味噌汁を啜る。

 魔獣との戦いは、まだ終わっていない。

「ところでカナデ、今晩食事に行かないか」

 シリスがぐっと顔を近づけニヤリと笑う。

 ドキッとしてしまう。

 もうっ。

「今晩は予定があります」

 私は顔を背けた。

「何だ?」

「知人に会いに行きます」

 シリスが眉をひそめた。

「この間も食事会だと言っていたが?」

 声が怖い。

「この前はウエイン卿ですよ」

「何だ、あの爺さんか」

 シリスはふっと息を吐き、身を引いた。

「仕事の話でした。ご子息に会ってくれとか言われましたけど」

「何!」

 シリスの顔が、突如ぐわっと険しくなった。

 何だ、大げさな。リアクションの大きなヤツ。

 俺は食事の後片付けをして、バスケットをしまった。それから、シリスと午後の会議の打ち合わせをする。議題はやはり残存魔獣の討伐、旧ラブレ領の治安部隊の増強についてだろうな。

「では、そろそろ行くか」

 このままここで日向ぼっこしていたいが、お昼休みはあっという間に終わりを迎える。

 俺はバスケットを両手に持つと、シリスと並んで歩き始めた。

「シリス」

「ん、何だ?」

「明日ならどうです、食事」

 シリスが私を見下ろしてニヤッと笑う。

「ああ、そうするか」

 私は、嬉しそうに笑うシリスの顔を見るのが恥ずかしかったから、むうっと無表情を装ってただ前を見ていた。

 お話はもう少し続きます。

 今後もお付き合いいただければ幸いです。


 ありがとうございました。

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