Act:64
「陸……」
呆然と呟く俺の声は、魔獣群接近に混乱する本陣の喧騒に飲み込まれる。怒声。馬のいななき。鎧の音。鳴り響く警鐘。慌ただしく走り回る人の足音。その中に、さらなる悲鳴が重なった。
冬空の弱々しい日差しが遮られ、一瞬、辺りが暗くなる。
……何だ?
「お嬢さま!伏せろ!」
俺が振り向こうとした瞬間、シュバルツが俺を押し倒した。
そして猛烈な突風が吹き荒れる。
天幕がめきめきと音を発てて吹き飛ばされる。
逃げ惑う人々の悲鳴。
風が止む。
シュバルツに手を引かれて身を起こした俺が見た光景は、一瞬前とは一変してしまっていた。
惨たらしく破壊された陣地。
倒れ伏す馬や人たち。
いや、そんなことよりも……。
あれは、何だ?
陣地の奥に走って行った陸たち3騎の騎馬。そのうちの1人が、馬ごとその巨腕に押し潰されている。
他の2騎も、目の前に現れたそれの突風に押し倒されていた。
腹に響くような唸り声が低く長く響く。
立ち上がる強靭な後ろ足。突風を巻き起こした巨大な翼。馬ごと騎士を握り潰している腕は4本。長く伸びた首に、牙が並び、口腔からは炎の変わりに黒い霧がチラチラと溢れ出していた。
目はない。その代わり、頭部には赤い光を宿すラインが走っていた。
歪だ。しかしその姿は……。
「ドラゴン……型」
俺は小山ほどもある暗黒の巨体を見上げて、思わず呟く。
膝の力が抜け落ちそうになる。
恐怖はない。
それ以前に、あれに向かっていこうという気など、起りはしない……。
「おいおい……」
さすがのシュバルツも剣に手をかけたまま、呆然と呟くだけだった。
突風と共に空から舞い降りてきたドラゴン型魔獣は、標的を探すように、その無機質な光を宿す頭を巡らす。
その足元で、馬の下敷きになっていた騎士が抜け出し、逃げるように俺たちの方に向かって走り出した。
ドラゴン型の腕が素早く延びる。
1人が捕まる。しかし荷物を抱えた騎士、陸は、襲いかかる腕をひらひらと躱した。
常人ではない動きだ。やっぱり……。
ドラゴン型の腕を逃れた陸が近付いて来る。
しかし、ちょうど俺たちと陸の間に、ドラゴン型の背から跳躍した人影がガシャンと鎧を鳴らして降り立った。
漆黒の全身鎧、まがまがしく突き上がる角。面防の向こうで光る赤い目がすっと細まり、俺を一瞥した気がした。
それだけで、心臓が鷲掴みにされたかのように、冷や汗が吹き出した。
黒騎士が、着地姿勢からゆっくりと立ち上がる。
そして、あっさりと俺たちに背を向けると、陸の前に立ちはだかった。
「さぁ、児戯は終わりだ、人間」
何の揺らぎも感情も感じられない声が黒騎士から発せられる。
その恐ろしい声音に、しかし陸はふっと笑った。
「何だ、何だ」
ああ、懐かしい声。
間違いなく陸の声だ。
視界が潤む。
ああ……。
よかった、会えた。
会えたんだ。
目の前に黒騎士がいなければ、今すぐ駆け寄るのに。
「優人のやつ、足止めも出来ないのか?」
陸はにやりと笑うと、嘲るように顎を上げた。
優人……?
陸は、何を言ってるんだ?
「ふん、やっぱり悪の黒騎士には、俺クラスが相手してやらないとな」
陸は不敵に笑うと、抱えていた荷物を足元に転がした。そして、両腰に下げた長剣を抜く。二刀流だ。
「陸!」
俺は思わず叫んでいた。
駄目だ、黒騎士は並みの相手ではない。1人で戦って勝てる相手ではない。
陸が俺を一瞥する。
にやりと笑みを浮かべた顔のまま、両手の剣を振り上げると、黒騎士に斬りかかった。
甲高い金属音が響く。
銀の残光を引いて縦横無尽に翻る剣筋が、左右上下から黒騎士の漆黒の鎧を激しく攻め立てる。
速い!
「はっ!大したことねぇなぁ!中ボス!」
陸が吠えた。
黒騎士が一歩後退する。
「……消えろ、人間」
短い呟きとともに、黒騎士が陸の剣を弾き返した。
「返してもらうぞ。我らが人間などに頭を垂れてまで生み出したのだ。貴様などが触れて良いものではない」
黒騎士が剣を振るう。黒い一閃が、陸の防御する剣の上から強打する。その剛剣を受けた陸の二刀は、呆気なく四散した。
金属が砕ける甲高い音。舞い散る雪のように、刃の破片が飛び散る。
「ちっ、これだから、武器屋で売ってるような剣は駄目なんだ」
陸が笑う。
武器を失ったという窮地を、楽しんでいるような笑い顔だった。
しかし黒騎士は、飛び退く陸に追撃はかけずに、さっと手を振り下ろした。
その瞬間、握り潰した馬を弄んでいた巨体が跳ねる。
大地に影が落ちた。
巨躯からは信じられないほど飛び上がったドラゴン型が、陸目掛けて猛然と飛びかかってきた。
その咆哮が音圧となって襲って来た。四本の腕が陸に掴みかかる。しかし、布に包まれた荷をひょいっと持ち上げた陸は、軽快に体を捌き、その間をすり抜ける。捕まらない。
背を見せて、陸が走る。ドラゴン型は地響きを上げてその後を追う。しかし突然反転した陸は、そのまま跳躍するとドラゴン型の頭部を蹴り飛ばした。
ドラゴン型が唸る。その巨体が傾き、そして横倒しになりながら吹き飛んだ。
銀気の力か。
陸の動きを、俺は追いきれなかった。
目の前で繰り広げられる戦いに目を奪われていた俺は、しかしはっと我に返る。
「いけない!」
ドラゴン型が天幕群に突っ込み、土煙が上がった。
あそこにはまだ人が!
「シュバルツ!」
俺は叫びながらそちらに走り出した。
「陸、無茶な戦いはやめて!まだ避難していない人が!」
俺の叫びに、しかし陸は振り向かない。
ドラゴン型が身を起こし、再び陸に襲いかかる。
「ボス戦は燃えるな!ははっ!」
場違いなほど明るい陸の声が響いた。
何がどうなっているんだ!どうしてこうなってしまったんだ!
俺は混乱する頭を振って、とにかく全力で走った。
助けなければ。
そして、とにかくこの場から離れなくては……。
陸の方が気になってしまうのを、意識して押し止める。そして必死に天幕群に走り寄った。
ドラゴン型の引き起こした突風によって多くの天幕が傾いていた。その上、ドラゴン型にのし掛かられた一帯は完全に潰されている。
「誰か、誰かいませんか!」
絶望に染まってしまいそうな心を奮い立たせ、叫ぶ。
微かに……呻き声がが聞こえた。
「シュバルツ、あそこを!」
俺はシュバルツと協力して……いや、シュバルツが1人で倒れた天幕の支柱を持ち上げた。
地面に頬をついて、直ぐにその下を覗き込む。
王直騎士団の事務官服を来た者が5名、折り重なるように倒れていた。
「う、ううう…」
「こっちです!」
俺は1人の手を取り、引っ張り出す。
ううう!
歯を食いしばり、力を振り絞る。
こんなに!
こんなに自分の非力さが呪わしかった事はない!
「お嬢さま!隊長!」
馬の蹄の音が聞こえた。
ベルド以下シュバルツ隊のみんなが走り寄って来た。
「手伝って!怪我人がいます!」
俺の代わりに、頼もしい騎士たちがすぐさま怪我人を搬出していく。
「他のものは荷馬車か台車の確保を。怪我人を保護してこの場を離脱します」
「了解!」
数名の騎士が辺りに散っていく。
ドラゴン型が地を穿つ振動が大地を揺さぶる。
耳を澄ませば、陸が戦っている音以外に、遠くでも戦いの音が聞こえる。
ベリルの街から集まって来た魔獣群と本陣直援部隊が交戦し始めているのだ。しかし、この混乱で、正規の指揮系統が機能しているようには思えない。魔獣の大群を支えきれるだろうか?いや、難しいかもしれない。
焦れる気持ちをじっと抑える。
落ち着け。
落ち着け。
お父さまを思い出す。
立場あるものが取り乱してはいけない。
さらに3人を救出した俺たちは、騎士たちが調達して来た荷車に怪我人たちを乗せた。
「シュバルツ、3人連れて先に行って下さい。お父さまのもとへ。私はベルドたちと外の天幕を確認します」
「よし、了解だ」
手早く荷車を馬に連結したシュバルツが走り出す。
「ベルドはあちらを。私はこっちに」
俺がまた別の天幕に駆け寄ろうとした時、本陣の中に駆け込んで来る部隊が見えた。
剣や槍を構えた騎士たちと、バリスタを押した兵たちがずらりと横一列に展開していく。
援軍か!
「配置に付け!目標はあの大型魔獣だ!」
隊列の中央でドラゴン型を指差すのは、ヴィッセン将軍だった。
無事だったんだ。
「よし、放て!」
将軍の号令のもと、空を切る強弓が放たれる。
グロウラー型すら行動不能にする大槍が、ドラゴン型の巨影に吸い込まれて行く。陸を相手に腕を振るっていたドラゴン型のその側面に、音もなく、無数の大槍が突き刺さった。
黒霧が吹き上がる。濃い腐臭が漂う。
ドラゴン型の苦悶の唸りを轟かせ、身を捩った。
バリスタを放った将軍の部隊から、歓声が湧いた。
「浮かれるな。2射目、急ぎなさ……」
ヴィッセン将軍が命令するその声を掻き消すように、憎々しげに牙を剥いたドラゴン型が、咆哮を上げた。
太陽が爆発したのではないかと思えるような大音声が俺たちを襲う。
耐え切れなくなり、俺は思わず両手で耳を覆って膝を突いた。耳の奥がきんきんする。それを振り払おと頭を振って顔を上げた。
目、なのだろうか。ドラゴン型の赤く光るラインが輝きを増す。そしてその頭部が、のそりとヴィッセン将軍たちの部隊に向けられた。
低く腹に響いてくるような唸り声が高まっていく。
ドラゴン型がその恐ろしい牙が並ぶ口腔をぐわっと開いた。
暗黒の牙の内側に、光が宿る。
ドラゴン型の唸りが増々高まる。
いけない!
本能的にそう悟った。
まずい!
あれは、まずい!
まずい!
まずい!
まずい!
「将軍、退避を!」
俺は悲鳴を上げるように叫ぶ。
「何をしている!次で仕留める!早く準備をしなさい!」
しかし将軍の怒声と慌ただしく動く部隊の物音に、俺の声など容易くかき消されてしまう。
俺は剣を抜き放ち、構えた。
しかし俺に何が出来る?
「陸!止めて!」
ドラゴン型の背後で荷物を抱えたままの陸が、薄く笑っていた。俺は思わず陸に懇願した。
ああ、何でだ!
私はどうしたら!
足が震える。
斬りかかる。そしてこちらに注意を……そうすれば俺は死ぬ。
間違いなく、俺は死ぬ……。
「シュバルツ隊退避!ドラゴン型の後ろへ回り込んで!ヴィッセン将軍、退避です!逃げて!」
喉が潰れるほど、全力を振り絞って叫んだ。
構えた剣先がカタカタと震える。
「第2射、放て!」
ヴィッセン将軍が叫んだ。勝利を確信した愉悦が滲む声だ。
「駄目……!」
その瞬間。
大気が爆裂した。
ドラゴン型の咢から閃光が迸る。
膨れ上がり、そして収束した眩い光線が、高速で飛来する大槍を飲み込んだ。
蒸発する。
何もかもが!
「カナデ!」
「カナデ!」
空気が裂ける爆音の下、眩い光芒の向こう。
そんな声を聞いた気がした。
光線が伸びる。
ヴィッセン将軍の部隊が飲み込まれていく。
俺は、襲い来る衝撃波に必死に耐える。髪が熱風に炙られる。マントが激しくはためいた。
駄目だ!
でも、もう駄目だ!
そう思って目を瞑りかけた瞬間、体をガシッと掴まれた。そのまま馬上へと運ばれる。
そして、爆風から俺を守るように強く抱き締められた。
「何だ、俺に助けられるのが好きなのか?」
笑いを含んだ挑発的な声が近くで聞こえる。
顔を上げた。
爆風に髪を弄られながら、シリスが意地の悪そうな笑みを浮かべて俺を見つめていた。
「シリス!」
何だろうこの安堵感……。
何かがこみ上げてくるのを、手で口元を抑えて耐える。
「うおおおおおおぉ!」
俺を守るシリスの腕の中で、そんな雄叫びが聞こえた。
口から光線を放ち、ヴィッセン将軍の部隊を薙払うドラゴン型が大きく傾いた。
狙いがそれた光線は、地平線の彼方まで及んだ。
遥か彼方の山脈が吹き飛ばされる。
爆光が膨れ上がった。
「おおおおおっりゃ!」
跳躍し、ドラゴン型の側頭部を突き上げる人影。その力任せの一撃が、ドラゴン型の巨体を横倒しにした。
地響きと共に、天高く伸びた光線がすうっと途切れた。
「優人!」
体全体から銀の光を立ち上らせ、肩で息をしている優人がドラゴン型の上に立っていた。
俺は思わずシリスの腕をぎゅっと握り締める。
「カナデ、再会は喜ばしいが、とりあえずこの場を離脱する」
シリスが俺を見下ろし、手綱を持ち上げた。
「駄目です!隊のみんなを、閣下たちを救助しないと!」
俺はシリスの腕の中から身を乗り出した。
「おい、暴れるな」
シリスが大きな手で俺の頭をぎゅっと押さえた。
それでも身を乗り出した俺が見たのは、無残にも一面焼け爛れた大地だった。
俺は言葉を失う。
天幕の残骸が燃えている。荷馬車や防護柵の残骸からも、あちこちで煙が上がっていた。地面は溶け、光線が走った後の場所は、クレーターになっていた。
焦げ臭い。
シュバルツ隊のみんなは……。
大丈夫だろうか。
ベルド以下の隊員たちが、あちらこちらで身を起こしていた。どうやら爆風に吹き飛ばされただけのようだ。
良かった……。
しかし、将軍の隊は……?
部隊がいた場所は、溶けた大地と化していた。最後の瞬間、優人が射線をそらしてくれたおかげで、かろうじて全滅だけは免れていた。溶けて煙の上がる大地の淵に、倒れ伏す人々が見える。立っているものは、誰も、いない。
何人死んだ……。
いや、何百だ……。
シリスの腕を掴む俺の手は震えていた。
あまりの衝撃に、心が上手く動いてくれない。
「陸。いい加減にしろ。今すぐそれを潰せ」
怒気をはらんだ優人の声に、俺はそちらに目を向ける。
「優人……」
優人が俺を一瞥して頷いた。
「いや、やるじゃないか、優人。面白いイベントだったよ」
陸が楽しそうに笑った。
陸、何を言って……。
イベント……?
「陸!その女王型の核を潰せ!」
優人が陸に飛びかかった。しかし優人は、咄嗟に空中で剣を立てると、防御姿勢を取った。
甲高い響きと共に優人が弾き返された。
「潰してもらっては困るのだ」
優人を弾いた剣を振るったままの姿勢で、黒騎士が言い放つ。
そして、すぐさま陸の方にも剣を向けた。
「返してもらうぞ、人間」
肩で息をする優人、赤い目を爛々と輝かせる黒騎士、そして楽しそうに笑う陸。
三者が睨み合う。
優人……陸。
どうしたんだ。
どうしてしまったんだ……。
俺はぎゅっと唇を噛み締める。
やはりドラゴンと勇者の対決は外せないと思います。
ファンタジーなので。
読んでいただいてありがとうございました。
戦い絡みはもう少し続きます。
よければ、お付き合いください。




