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雪色エトランゼ  作者:
第1部
63/115

Act:63

 幾重にも重ねられた防護柵と、幾つも重なる天幕で形作られたラブレ領征伐軍本陣には、ひっきりなしに伝令の騎馬が出入りしていた。

 その陣中は、様々な鎧の兵や騎士たちで溢れていた。中でも、征伐軍の主力となっている王直騎士団の鎧がやはり一番目立つ。

 俺は慌ただしい陣中の光景から、前方に臨むベリルの街のシルエットに目を移した。

 ラブレ男爵の居城のものだろう高い尖塔を中心に、街自体が一つの城のように固まっていた。その街の裾野を、高い城壁がぐるりと取り囲んでいる。

 本来なら堅固な城塞都市なのだろう。

 しかし今は、見るも無残に破壊されていた。

 城壁はところどころが崩れ落ち、ここからでもわかる程街並みも瓦礫の山と化している。

 その惨状は、俺たち征伐軍の攻撃によるものではない。

 俺たちがここに布陣した時には、ベリルの街は既に破壊された状態だった。

 崩れた街。

 溢れ出る魔獣。

 ラブレ男爵領領都ベリルは、もはや人の住める場所ではなくなっていた。

 果たしてラブレ男爵は、あの魔獣の巣窟たる城の中に居るのだろうか。

 もし居たとしても、果たして彼は、まだ生きた人間、なのだろうか。

 ベリル攻略作戦の第1段階は既に発動していた。

 お父さまたち南軍を含む全軍が、現在、三方より全力攻勢を仕掛けている。

 お父さま。

 シリス。

 優人に夏奈。

 シズナさんたちパーティーのみんな。

 白燐騎士団のみんな。

 レティシア。

 みんなが戦っている……。

 ベリルから流れて来た腐臭混じりの風が吹き付ける。

 俺は、乱れる髪をそっと押さえた。

 戦場を見つめるそんな俺の視界の中に、こちらに走って来る騎馬が映る。

 鎧は見慣れた白燐騎士団だ。兜に伝令兵を示す真紅の羽根飾りが揺れていた。

 伝令兵は、そのまま本陣に駆け込んで来る。馬が激しく嘶いた。伝令兵は、俺の前で馬を回した。

「カナデお嬢さま!申し上げます!」

 俺は兜の下の若い顔を見上げて頷いた。

「南軍はベリル市中に進入、所定の位置を確保中!突入部隊も潜伏待機中!」

「了解しました。間もなく作戦は第2段階に移行します。本陣よりの合図があるまで現状を維持して下さい」

「了解しました!」

「戦況は、如何ですか?」

 伝令兵は顔を曇らせた。

「思いの外大型魔獣の数が多く、苦戦しております。その上新型の増援も後を絶たず…」

 俺は剣の柄を握る手に力を込めた。

「わかりました。第2段階の発動を早めましょう。お父さまには、もう少し持ちこたえて頂くように、と」

「了解しました!はっ!」

 伝令兵は馬に鞭を入れると、再び走り出した。

 俺はそれを見送らず、素早く身を翻すと、本陣の天幕に向けて足早に歩き出した。

「何だ、状況は良くないのか?」

 即座にシュバルツが後を付いて来る。

「ええ、まぁ」

 俺は眉を潜めてシュバルツを一瞥した。

「表情が固いぞ」

 不敵に笑うシュバルツに、俺は苦笑いを返すしかない。

「ここからが私の戦いですから。笑ってられないでしょう?」

「まぁ、手強そうな場所ではあるわな」

「シュバルツはあちらの方がいいのでは?」

 俺は視線でベリルを示した。

 シュバルツはふんっと鼻を鳴らす。

「今はお嬢さまの護衛だしな。お供するぜ」

 頼もしい、かな。

 俺はふふっと笑う。

 そして本陣の中でも一番巨大な天幕に入る。

 征伐軍の司令部が置かれている天幕だ。ここが、俺の戦場だ。



 外見からも分かる通り、司令部天幕の中は相当な広さだった。

 大きな机がいくつも並び、ベリルの地図や様々な書類が散乱していた。その間を、様々な軍装の各軍将校たちが慌ただしく行き来していた。

「けほっ、けほっ……」

 俺は思わず口に手を当てて咳き込んでしまう。

 薄暗い天幕の中には、葉巻の紫煙が濃厚に漂っていた。

 煙に涙目になりながらも、周囲を見回す。人だかりの中に作戦参謀長を見つけ、俺は人を掻い潜りながらそちらに向かった。

 金髪を綺麗に七三に分けた細面の参謀長は、一礼する俺を一瞥し、そのまま卓上の書類に目を戻した。

「リムウェア嬢。何だね?」

「はい、ご報告です。南軍は所定のポイントを確保中。突入部隊も待機に入りました」

「ふむ、さすが獅子候。時間通りだな」

 参謀長が懐中時計を一瞥し、部下に指示する。卓上のベリルの地図に置かれた南軍のマーカーが市内に進められた。

 地図を見る限り、北軍、西軍はまだ市内に突入していないようだった。

「参謀長、市内の大型魔獣の数が多いようです。狭い市街で戦線の維持は厳しいと思います」

 俺は参謀長の顔を見詰める。

 ベリルに来てから、俺たちはソブ型と呼ばれる新型魔獣と遭遇した。このソブ型は、歪な人型をした魔獣だった。大して素早いわけでも力が強いわけでもなかったが、人間と同程度には戦える。その上数が多い。

 そんなソブ型の相手をしながら、グロウラー型にも対処しなければならない。しかも狭い街路では、グロウラー型を近距離で相手しなければならないのだ。平野での戦いとは、危険度が段違いだった。

「参謀長、南軍の任務は達成しました。魔獣を引きつけつつの後退を許可してください」

 書類を隣の騎士に渡した参謀長が俺を見た。

「作戦の推移は順調である。予定外の行動は認められない」

「しかし」

 俺は自分を落ち着けるために、軽く深呼吸した。

「魔獣群の誘引と突入部隊の潜伏という第1段階の目標は果たしています。無理に止まる事は被害の拡大が……」

「おお、リムウェアのお嬢さま!」

 横を向いてしまった参謀長の前に回り込もうとした俺は、不意に呼び止められた。

 振り向くと、鎧姿ではなく、華美な平服姿の太った男が微笑んでいた。油で固められた髭が、少しグロテスクだ。

「お嬢さま。これをヴィッセン将軍閣下のもとへお願い致します」

 呆然としたままの俺に無理矢理ワインのボトルが手渡される。

「はっ……?」

「将軍閣下にお酌して差し上げて下さい」

 男はテカテカとした顔で笑う。

「はあ……?」

「閣下も、お嬢さまのようにお美しい方ならお喜びでしょう。では。ほほほ」

 太った男が奇怪な笑い声を上げて歩み去る。

 俺は手の中のボトルを見下ろした。

 何だ……?

「リムウェア嬢。君が受けた任務だ。行きたまえ」

 ぽかんとしている俺に、参謀長の平板な声が降って来た。

 くっ……。

 こうなったらヴィッセン将軍に直談判して、南軍の後退を早めるしかないか。

 俺は引き攣りそうになる顔を務めて無表情に保ち、参謀長に一礼する。そして、足早に将軍の指揮卓に向かった。

 王直騎士団の最高司令官は国王陛下だ。この戦いの指揮官も名目上は陛下だが、実地では王直騎士団の次席である将軍職が指揮を執る。

 司令官天幕の最奥部の将軍の指揮卓には、見事なフルーツの盛り付けや銀皿に盛られた各種オードブルが所狭しと並んでいた。

 一際濃い葉巻の匂いが鼻につく。

 数人の高級将校と談笑しながら生ハムを口に運んでいた将軍が、俺を見つけてニコリと笑った。

「おお、カナデ君。こちらへ、こちらへ」

 鏡のように眩しく磨き上げられた鎧を身に付けた将軍は、大きな手をすり合わせ体を揺すった。

 俺はテーブルの上にボトルをとんっと置いて、ヴィッセン将軍閣下に一礼した。

「うん、やっぱりカナデ君は愛らしいな。こちらに来なさい。どうだ、この果実は甘いぞ」

 将軍が人の良さそうな丸顔に満面の笑みを浮かべて、俺にフルーツの皿を差し出した。

 俺は脱力してしまいそうになるのを必死にこらえて、それを断った。

「将軍閣下。お願いしたい事があります」

「はいはい、何だね」

「南軍ですが、既に第1段階の目標は達しました。順次後退の許可をいただけませんか?」

 将軍はマカロンを口に放り込んだ。

「参謀長はなんと?」

「……作戦は予定通り、と」

「では、その通りだ。三軍の足並みが揃い次第2段階に移行する」

「しかし……」

 将軍の丸顔に似合わない鋭い眼光が俺を射竦める。

「カナデ君。これは王にご裁可いただいた作戦だ。よっぽどの事がない限り、変更は許されない」

 頬杖を突き俺を見上げる将軍は、人を従わせる無言の迫力があった。先ほどまでの人好きのする笑顔とのギャップが激しすぎる。

「……はい」

 俺は頭を下げた。そして勢い良く踵を返した。

 将軍に気圧されたのではない。

 予定を遵守する彼らを翻意させるのには、今以上に何かしらの材料が必要だ。

 ベリル市中の魔獣数が既に想定を上回っているはずだ。

 北軍や西軍が苦戦し遅延すれば、それだけ南軍の負担が増える。

 北軍や西軍の状況も確認しよう。各軍の連絡役を捕まえて、進捗状況を確かめる。その上で、再度参謀長に談判して、何とか犠牲を、消耗を少なくできる方向に……。

 薄暗い天幕の中を、俺は足早に歩き出した。



 作戦の第2段階は、結局想定時間よりやや遅れて発動された。

 本陣前方、小高い丘の上に設置された連絡部隊の陣地から、空中で赤の煙が吹き出す連絡弾が繰り返し打ち上げられていた。上空の風により煙が拡散し、灰色の空が朱に染まる。

 俺はそっとそれを見上げていた。

 ……犠牲をいとわず戦う南軍のみんなのために、俺は何も出来なかった。

 その無力感がこみ上げてくる。

 お父さまが、主席執政官が俺が適任だと推してくれたのに、俺は南軍の連絡役としての役割を果たせていない。

「はぁ……」

 でも、落ち込んでただじっとしている訳にはいかない。

 作戦経過はまだ半分といったところだ。

 現在は各軍が後退、ベリルの街の外で追撃して来る魔獣と交戦している。その隙を突いて突入部隊が城に潜入しているはず。突入のタイミングから、もうかなり時間が経っている。

 ラウル君の説が正しければ、女王型を倒した時点で魔獣間の意思疎通はなくなる筈だ。そうすれば後はただの獣の集団を各個撃破すればいいだけだ。

 胸がきゅっと苦しくなる。

 上手く……行けばいいのだが……。

 俺は自分のブレスプレートに触れ、そっと息を吐いた。

 その時、遠くに警鐘の響く音が聞こえた。

 その凶報を告げる音に、俺はさっと顔を上げて、辺りを見回す。

 何だ……。

 胸がざわざわする。

 本陣の左前方、連絡部隊の陣地周辺。丘の稜線に設置された物見櫓付近が急に慌ただしくなり始めていた。そちらから飛び出した数騎が、猛然と本陣にやって来る。

 騎馬がもうもうと土煙を上げ俺の前を通過する。馬を飛び降りた騎士が、転げるように司令部天幕に飛び込んでいった。

 俺も走り、その後を追った。

「魔獣集団が街の各所より集結!真っ直ぐにこちらを目指しています!」

 天幕に入ると、伝令兵の怒声にもにた報告が響いていた。

 途中からでもわかる。

 背筋に冷たいものが走った。

 緊急事態だ……。

「数は不明ですが、グロウラー型、スクリーマー型を含む大規模集団です!」

 司令部天幕が一瞬静まった。誰かがコップを落とす音が響いた。

「魔獣集団に先行して3騎が接近中。所属は、不明です」

 俺は眉間に皺を寄せて考える。

 三軍による魔獣の誘引は成功している筈。

 何故今頃こちらに集まって向かって来るんだ?

 先行する騎士……。

 その騎士を追っているのか?

 しかし、そんな連携が魔獣に出来るのか。いや、女王型がいるならあるいは……。

「ええい、狼狽えるな!」

 ヴィッセン将軍の一括が響く。それで、呆然としていた司令部要員たちが、はっと息を吹き返した。

 俺も顔を上げる。 

 さすがだ。

 ただの丸顔おじさんではない。

「本陣直援部隊を陣の前に。体制を整え迎え撃ちます。工兵にバリスタの準備を」

 将軍の後を参謀長が引き継ぎ、指示を飛ばした。

「申し上げます!」

 その瞬間、俺は思わず声を上げていた。司令部中の視線が一気に集まる。思ったよりも注目されてしまい、声が消え入りそうになるのをこらえて、俺は腹に力を入れた。

「本陣前ではスクリーマー型の砲撃がここまで届きます!前進して、なるべく前方で足止めを!」

 あの寒村でスクリーマー型の咆哮波をかいくぐった事を思い出す。

 司令部天幕には非戦闘員だっているのだ。あんな攻撃、それも複数くらったらひとたまりもない。

 参謀長の鋭い視線が突き刺さる。

 しかし俺は怯まずに睨み返した。

 こんなもの、主席執政官の氷のような突っ込みに比べたら、大したことない!

「ふっ、さすがカナデ君。聞き及ぶ実戦経験の賜か。頼もしいね。参謀長」

 将軍が俺に笑いかけると、直援部隊に前方に展開するように命じた。

「参謀長、重ねて申し上げます。各軍に援軍要請を」

「それは了解している。南軍には君が伝えたまえ」

 参謀長がふんっと鼻を鳴らした。

 俺は深く頭を下げ、身を翻して天幕を出た。

 シュバルツが駆け寄って来る。俺たちは俄かに慌ただしくなる陣中を、足早にシュバルツ隊が待機している場所に向かった。

「シュバルツ、本陣に大規模な魔獣集団が接近中です。南軍に援軍の伝令を」

「承知!」

 シュバルツが獰猛に笑った。戦士の経験が、こうなれば一戦交えずにはいられない事を悟っているのだろう。

「しかしどうする、お嬢さま。ここの部隊は実戦経験のないエリートさまばかりみたいだぜ。見ろよ、出陣だってのに、落ち着きのねぇ」

 本陣の簡易門が開かれ、騎馬の一隊が出陣するところだった。しかし隊列は乱れ、遅々として行軍スピードは上がらない。

「いざとなったら、俺たちで敵中突っ切って、白燐騎士団に合流するか」

 俺はその言葉に、シュバルツをきっと睨み上げた。

「北軍、西軍にも援軍伝令は出ています。私たちだけ逃げるなんて……」

 その瞬間、耳をつんざくような咆哮が響き渡った。

 とっさに音の方に顔を向ける。

 本陣の前方、丘の稜線の物見櫓が、咆哮波を受けて吹き飛んだ。

 木片が激しく飛び散る。

 丘を転がるのは、人、だろうか……。

 どこからか悲鳴が聞こえ、興奮した馬が激しく嘶く。

 くっ、早い。

 これでは、やはり本陣で敵を受けることになってしまう!

 走り出そうとした瞬間、あけ放たれた門から3騎の騎馬が駆け込んで来るのが見えた。

 鎧は王直騎士団のものだ。

 あれが魔獣に先行して来た騎士か。

 3人のうち先頭の1人が、何かを抱えている。布にくるまれた丸いもの、人間の上半身くらいの大きさだ。

 その白布が、黒に滲んでいた。

 何だ……?

 3騎はスピードを落とさず、慌てふためく司令部要員たちを躱して陣中を駆け抜けて行く。伝令兵にしても人がいる陣地では危険なスピードだ。

 いったい何をしているんだ?

 3騎が、訝しむ俺の俺の脇を走り抜けた。

 瞬間、風に煽られ、髪が乱れる。

 微かに漂う腐臭は、戦場の匂い。

 その一瞬の邂逅。

 しかし。

 だったその一瞬で。

 見えた。

 俺には、確かに見えたのだ。

 一番前の騎士。

 兜も被っていないその顔。

 夏奈によく似た少年の顔。

 短く刈った茶色い髪。

 にっと悪戯っぽく笑う、子供じみた顔。

 よく見知ったその顔。

 陸……?

 俺はとっさに振り返った。

 見る見るうちに遠ざかる騎馬の後ろ姿。

「陸……なのか?」

 俺は一瞬の出来事に、目を見開いたまま動けずにいた。

 勝手なイメージですが、司令部の偉い人って、いつも何かを食べている印象があります。生ハムです。


 読んでいただいて、ありがとうございました。

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