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雪色エトランゼ  作者:
第1部
60/115

Act:60

 意を決してノックした後、俺はそっと真鍮のノブに手をかけた。そして、背後に控えた心強い助っ人、主席執政官に頷きかけた。

 神経質そうな細面の主席執政官は、ただ冷ややかに俺を見返すだけだったが……。

 今回の戦において、俺に何ができるのか。

 それを、俺は主席執政官に相談した。

 俺なんかよりも遥かに長く侯爵領の政務を仕切ってきた主席なら、俺が出来る事、成さなければいけないことについて、きっと意見してくれると思ったから。

 冷たくあしらわれても、俺は必死に食い下がった。その様子に根負けしたかのように主席が示してくれた役割。それを携え、今俺は、お父さまに立ち向かおうとしていた。

 主席が頷いてくれないので、俺は1人で気合いを入れる。

 ……よし!

 執務室に入ると、書類に目を落としていたお父さまが顔を上げる。時刻はもう夜。お父さまは今日も帰りが遅くなるようだった。

「ああ、カナデ。それにウィル。珍しい組み合わせだな。どうした?」

 俺は主席と並んで頭を下げた。

「お父さまにご相談したい事が……」

 俺は一本進み出る。

「なんだね?」

「今度のラブレ男爵領征伐、お父さまも参陣されると聞きました。ならば私もお供させて下さい!」

 お父さまの目が一瞬で細まり、剣呑な光が宿る。

 その鋭い眼光にドキリとして、俺は思わず後退りしそうになるのを、なんとか踏みとどまった。

「ならぬ。いや、その話、誰に聞いた?」

 お父さまの低い声。握り締めた掌に冷や汗が滲む。

「家中の者ではありません。シリスが、手紙で知らせてくれました」

 お父さまの出陣の話はシリスからではないが、この際しょうがない。

 ……ごめん、シリス。

「……困った方だ」

 お父さまが口を歪めて呟いた。

「カナデ。お前はもう剣を取らずとも良いと話したはずだ。戦があるのは認めるが、お前が出る必要などない」

 俺は拳を握り締めて、ふるふると首を振った。

「剣を取るだけが私の務めではないのは理解しています。でも、お父さまが戦場に出られる。みんなが戦う。だから、私もお手伝いしたいのです。私にできることで。それで主席とも相談致しました」

 俺は精一杯の力を込めて、怯まないようお父さまを見返した。

「征伐軍総司令部に侯爵領より出向する連絡役、私にお任せいただけませんか?」

 お父さまが俺を睨んだ後、主席執政官に目線を移した。

「……ウィル、これはお前の差し金かね?」

 その抑揚のない声に俺は動悸が激しくなる。しかし、主席執政官は平然と進み出た。

「はい。ガレス団長と軍編成を協議していたところではありましたが、連絡役の選定に手間取りまして」

「しかしだな……」

「今回の総大将は王直騎士団団長。つまり国王陛下です。陛下ご自身がご参陣される事はないでしょうが、仮にも王旗を掲げる幕下に卑しき者を派遣出来ません。カナデさまは適役です」

 俺は思わず主席を見てしまった。事前に相談した時は、食い下がる俺にしょうがないといった風にこの話を持ち出して来たのに……。

 俺は顔を戻して、お父さまを見詰めた。

 本当は、お父さまと馬を並べたかったし、お父さまの前に出てお守りしたかった。しかし、この戦に少しでも俺が適任な役所があるのなら、どんな仕事でも喜んで務めようと思う。

 お父さまが目線を外してふぅっと息を吐いた。

「本陣ならば心配もないか……」

「御意」

 主席が頷く。

「司令部での連絡役の業務はご存知でしょう」

「……まあな」

 お父さまは顔を上げ、主席執政官と視線を交えた。

 その睨み合いの中で、長年共に政務をこなしてきた2人にどんな意識の疎通があったのか。俺には分からない。

「……お父さま」

 俺は小さく呟いてしまう。

 改めて俺を見上げたお父さまが眉をひそめる。

「カナデ。そんな悲しそうな顔をするな」

 悲しいんじゃない。

 不安で。

 心配なのだ。

 お父さまが。

 侯爵領のみんなが。

 そしてこの争乱の行方が。

 お父さまが目を伏せ、溜め息を吐いた。

「進発は年明けの二週間後となる。連絡役は、侯爵軍の意を総司令部に伝える重大なお役目である。お前に務まるか?」

 俺は力を込めて大きく頷いた。。

「頑張ります!」

 そして、お父さまを睨むように見る。

「来なさい。作戦の概要を伝えよう」

「はい!」

 もはや呆れたように苦笑を浮かべるお父さまのもとに、俺は駆け寄った。

 差し出された地図、軍の編成表を見ながら、お父さまの説明を聞き、俺は頷く。

「カナデ、ここに来なさい」

お父さまが自分の隣に椅子を用意してくれた。

「あ、すみません」

 直に書類を目の当たりにすると、その内容の規模に圧倒された。

「カナデが詰める本陣はここだ」

「随分後方ですね。お父さまはどちらに?」

「わしらリムウェアはここに布陣する」

 ふむふむ。なるほど。

 しかしこんなに離れていては、いざという時救援が……。

 ……そうか。

 そのあたりを、俺が司令部に意見具申しなければいけないのだ。

 俺が書類を真剣に読んでいると、不意に横からお父さまに頭を撫でられる。

 優しい大きな手が俺の頭をくりくりと撫でる。

 何事かとそっと横を見ると、お父さまが口元に優しげな笑みを浮かべて俺を見つめていた。

「もう、いい加減にしてください」

 俺は小さな声で抗議すると、むうっとお父さまを睨んだ。

「はは、カナデにはそのしかめっ面が良く似合う」

 俺、そんなにいつも悩んでるイメージなのだろうか。

「……私は下がらせていただきます」

 何故か疲れたようなため息を吐いて、主席執政官が一礼した。

 俺は慌て立ち上がり、頭を下げる。

 俺の感謝の言葉に、相変わらず無表情で一礼した主席執政官が、お父さまの執務室を退室して行った。

 よし!

 主席のお陰で、やることは決まった!

 後は、出発の当日まで精一杯準備に力を尽くす。食料、装備、編成、補給、それに残される街の事。成すべき事は山ほどある。

 そして本番は総司令部の本陣だ。

 戦う者。

 その帰りを待つ者。

 そして魔獣に怯えない日々のために。

 後は、全力を尽くすだけだ。

 よし!



 呼び鈴がなった。

「カナデちゃん、エプロン!」

 俺は唯に呼び止められて初めて気が付いて、エプロンを外した。

 危ない、危ない。

 リリアンナさんに用意してもらった物だが、こんなピンクのフリフリエプロン姿、優人や夏奈に見られた日には最早俺の存在そのものの危機だ。唯にも散々冷やかされたし、料理の途中、何度も偶然通り掛かったお父さまにはしげしげと見られてしまうし……。

 俺はいつもと違って人気のない屋敷の中をぱたぱたと走る。

 ノエルスフィアでの年末年始は、家族と一緒に過ごすのが慣例らしい。そういうところは、日本と一緒だ。そのため、元旦の今日は、殆どの使用人達が休暇で実家に帰省していた。

 今屋敷や行政府に残っているのは、年始めの今日に警備宿直に当たっている哀れな騎士たち。そして俺やお父さまのためにと在留を志願してくれた有志の使用人たちだけだった。

 俺は玄関ホールにたどり着くと、扉を開く。

 新春の冷たくも清々しい空気が、すうっと流れ込んできた。

「明けましておめでとう」

 俺は扉の前の2人に微笑んだ。

 よっと手を上げる優人。

 おめでとーと叫ぶ夏奈。

 そして俺に料理を教えてくれている唯。

 お正月という機会を利用して、俺はみんなを屋敷に招いていた。

 年始休暇が終われば、もう直ぐに戦いが始まる。そうなればみんなとゆっくり会う事も出来なくなる。だから、こんな時期だが、お父さまに許可をもらって、細やかなお正月の食事会を催すことにしたのだ。

 夏奈も優人も今日は鎧姿ではなく、平服だった。コートを脱ぐ2人を、俺は応接室の一つに案内した。

「ほわぁ、暖かいね」

 小豆色のカーペットがふかふかな室内を、夏奈が珍しそうに見回す。

「ちょっと待ってろ。今料理持ってくるから」

「唯はもう来ているのか?」

 優人がどっかりとソファーに腰掛けた。

「うん。今準備中だから」

 俺は2人に手を振ってキッチンに戻った。

 途中で、また偶然にもお父さまに出会った。

「お父さま、どうかされたんですか?」

 後ろ手に手を組んだお父さまが、眉間にシワを寄せる。

「いや。ただの散歩中だ」

 ……屋敷の中で?

 もしかしたらお父さま、暇なんだろうか。

 最近忙しくしているのだから、お正月くらいゆっくり休めばいいのに。

 そんなお父さまを見送りながら、俺は唯と協力して応接室に料理を運んだ。

 料理人さんたちもいないので、今日の食事は俺と唯で用意した。俺が死力を尽くし準備出来たのは、お味噌汁汁一品のみだったが……。

 本当はお節的な料理を用意したかったが、俺にはハードルが高すぎた。

 色々試行錯誤した結果、切り刻んだ食材や、大量に準備してしまった食材を無駄にしないためにも、とりあえずスープにして煮込むという解決策を取った結果だった。

 不幸中の幸いだったのは、味噌のような調味料があったことだ。そこは侯爵家。調味料の品揃えも半端ではない。

 下手したら俺がすっぽり入りそうな寸胴を台車で運び込む。

 優人も、そして夏奈もその量に唖然とする。

 ……しょうがないじゃないか。出来てしまったんだから。

 懐かしく香る料理がテーブルに並んだ。味噌は俺作。後は全て唯の料理だが。

「凄いな。完全に和食だ」

 優人が感嘆の声を上げた。

「これ、カナデちゃんの手料理?」

 夏奈が早速箸を伸ばす。

「ほとんど唯だ。俺が作ったのはお味噌汁だけだ。どんどん飲め」

「あ、うん、ありがとう。いただきます」

 俺が巨大寸胴を指さすと、夏奈が少し身を引いた。

 何故だ。

「それにしても早いわね」

「何が、唯姉」

 夏奈はパクパクと焼き魚を食べている。

「ん、私たちがこの世界に来てしまってから、ね」

「そうだよな」

 優人が味噌汁を飲み干すと、遠い目をした。すかさず俺がお代わりを注いでやる。

「今じゃ優人ちゃんも夏奈ちゃんも名うての冒険者」

「唯は引く手あまたの治癒術士だろ」

 俺の茶々に、唯はふっと笑って俺を見た。

「何いってるの。カナデちゃんが一番変わったじゃない。こんなに可愛い女の子。それに侯爵さまのご令嬢。お姉ちゃん、嬉しい」

 唯の悪戯っぽい笑顔から視線を外し、俺は頬を掻いた。

「……色々、苦労してるんだよ」

 ふふっと自嘲めいて笑ってしまう。

 今の俺の姿を見たら、祖父はなんと言うだろう。

「カナデちゃん!」

「わひゃ!」

 突然後ろから夏奈に抱きつかれる。

 これだから、銀気持ちの動きは読めなくて困る。

 特にこいつは……!

「カナデちゃんは可愛い上に頑張ってるって、街中でも話題だよ」

 俺は夏奈を振り解いた。

「評価してもらえるのは嬉しいけど……」

 結果、魔獣の被害やラブレ領征伐という騒乱を防ぐことはできなかったのだ。

 詮無いこととはわかっていても、思い悩んでしまう。

 もう少し違う方法があって、もう少し平和裏に解決できたのでは、と。

「そうだぞ」

 優人が味噌汁の中の切れていない野菜をずるずる啜る。

「大事なのは見てくれじゃない。いかに頑張ったかなんだ」

 優人が空のお椀をたんっと置いた。俺はそれに新しい味噌汁を注ぐ。

「……そうだよな。評価してくれてる人がいるなら、その評価に自分が相応しくないと思ったら、相応しくなるように頑張るしかないよな」

 俺はうんっと頷いて、味噌汁に口をつけた。

 少し味が薄いかな。

「あーあ。これで陸がいればみんな揃うのに、戦争が始まれば、陸探しも中断だね」

 夏奈がどかりと自分の椅子に腰掛けた。

 陸と夏奈は姉弟だ。未だに行方がわからない陸を心配する気持ちは、夏奈が一番強いだろう。

「悪いな、夏奈。陸の事、お父さまにもお願いしてあるが、まだ情報はないんだ」

 俺が肩を落とすと、夏奈がぶんぶんと手を振った。

「カナデちゃんは悪くないよ。未だに出てこないあいつが悪いんだよ」

「それは陸が可哀想だ」

 優人が味噌汁を飲み干す。

 俺が次を注ぐ。

「みんな」 

 そこで唯が、深刻そうな声を上げた。

「実は、ブレイバーが現れたって噂なんだけど、全然確かじゃなくて、陸ちゃんの事か、そもそもブレイバーの事かも分からない話なんだけど……」

 俺はドキリしてしまう。そして、唯の次の言葉に期待するかの様に、身を乗り出した。 

 優人が味噌汁を啜る手を止めた。

「私たちよりも遥か北。王都よりずっと北の方で、優人ちゃんみたいに強い銀気の使い手が現れたって噂、教会の本部で聞いたの」

 異世界よりの来訪者、ブレイバーは軒並み強い銀気を操る。その噂の主が、ブレイバーである可能性は、ある。

 もしかしたら。

 もしかしたら、陸、なのだろうか?

 俺は、未だ薄らとした光を見た気がした。

「北、か」

 優人がぽつりと呟いた。

「戦争、終わったら、シズナさんに相談して行ってみようよ、優人」

 夏奈の声には微かな希望が感じられた。

 俺は淡い希望が湧き起る心の奥をじっと確かめる。

 その希望を確かなものにするため、まずは戦を乗り切らねば。

 優人たちパーティーは戦力として。唯は治癒術士として、今度の戦に参加することが既に決まっていた。

「優人、夏奈。いくらお前らが強くても、無茶すんなよ」

「わかってる」

「リョーカイ!」

 俺は唯を見た。

「唯、怪我人の治療、頼んだ。良く看てやってくれ」

「わかってるわ」

 唯が頷く。

 俺たちの話し声しかしない屋敷の中。

 お正月独特の静謐な空気が屋敷を満たしていた。

 この静けさが嵐の前のそれでしかない事を、誰もが分かっていた。


 味噌汁を馬鹿食いして動けなくなった優人と、それを突っついている夏奈を残し、後片付けをすべくキッチンに戻った俺と唯だったが、寸胴の中にはまだ大量の味噌汁が残っていた。

「どうするかな……」

 腕組みをして唸っていると、またもやお父さまが偶然通りかかった。

「どうした、カナデ。余ってしまったなら、わしが……」

「あ、いえ、大丈夫です、お父さま。お父さまの分は、別にちゃんと用意してありますから」

 唯が作ってくれたちゃんとした料理が。

「おう、そうか、そうか」

 ほっと息を吐き、お父さまが去っていく。

 ……だから、なんなんだろう。

「そうだ、カナデちゃん!警備の騎士の方々に、温かいお味噌汁、振る舞ってあげたら?」

 唯がぱんっと手を叩いた。

 なるほど。

 正月に仕事をさせられているのだ。味噌汁の差し入れぐらいしてあげた方がいい。

 それから、俺と唯は台車に寸胴を乗せて味噌汁を配って回った。

「みなさん、カナデさま特製のスープですよ。お嬢さまからの労いですよ」

 唯が高らかに叫ぶ。

 俺はそれが恥ずかしくて、頬を染めて下を向きながら、もくもくとお椀に味噌汁を注いでいく。

 初めての味噌汁に、騎士たちは初めは不可解そうな顔をしていたが、俺と目が合うと満面の笑みで肯いていくれた。

 よかった。

 味は大丈夫な様だ。

 その後。

 行政府が通常体制に戻った後、行政府食堂に隠しメニューに、「カナデさまのスープ」として味噌汁が加わったことを知ったのは、それから随分と後の事だった。

 嵐の前のひと時回となりました。

 長くなりましたが、読んでいただいて、ありがとうございました。

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