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雪色エトランゼ  作者:
第1部
59/115

Act:59

 優雅な音楽がゆったりと流れるホールでは、着飾った紳士淑女がグラスを片手に談笑していた。

 紫紺のドレスに身を包んだ俺は、社交辞令の応酬を終えると笑顔で大地主の老人を見送った。彼の孫だろうか、手を引かれてぽかんとしている小さな男の子に手を振る。

 インベルスト商業ギルド主催の懇親会に、俺はお父さまの名代として出席していた。

 お父さまは軍議に次ぐ軍議に忙殺されている。その傾向は日が経つにつれ増していた。それだけ魔獣の侵攻と被害は止まるところを知らず、拡大し続けているのだ。

 通りがかった給仕からグラスを受け取り、そっと口をつける。爽やかな果実の香りが口一杯に広がる。もちろんノンアルコールだ。

 俺はふっと息をついた。

「お疲れのようですわね、カナデさま」

 そんな俺の隙を見逃さず、シックな濃紺のスーツ姿の女性が話しかけてくる。

 俺は膝を折って挨拶した。

「マレーアさん、こんばんは」

「ご機嫌麗しく、カナデさま」

 冒険者ギルドインベルスト支部長のマレーアさんが一礼して微笑む。

「とても退屈な夜ですわね」

 辛辣な言葉とは裏腹に微笑みを浮かべるマレーアさんに、俺は苦笑を返すしかない。

「どの方も口を開けば戦争のお話ばかり。全く男ときたら、戦が楽しくてしょうがないんでしょうね」

 マレーアさんの言葉に胸がドキリとした。

 侯爵家からの公式な布告はまだない。俺も公式には知らされていない。しかし、男爵領の魔獣討伐のために戦争が始まるという噂は、どこからともなく流れて来ると、着実に人々の間に広がっていた。

「カナデさま」

「こんばんは」

 通りがかった市民長に挨拶をしてから、俺はそっとマレーアさんを窺った。

「戦争になれば、冒険者たちも参戦を?」

「ええ。通常、戦時には方々の軍から援軍や補給、後方支援など、多くの依頼が参ります。冒険者ギルドとしても忙しくなりますわ」

 ということは、優人たちも戦争に参加することになるのか……。

 俺は顔を曇らせる。

 優人たちは、倒れた俺を唯に託した後、緊急の依頼とかでインベルストを離れたらしい。今頃どこにいるんだろう。何をしているんだろう。

「そいえばマレーアさん、優人たちは今、何のお仕事をしているんですか?」

「私たちにも、守秘義務、がございますので」

 マレーアさんが冗談めかして笑う。

「まあ、シズナたちのパーティーは私たちのギルドでもピカイチの戦力ですから、心配される必要はありません」

 俺はマレーアさんの言葉になんとか微笑んで見せた。

 そうだ。

 優人や夏奈やシズナさんがいれば、どんな強敵だって問題ないはずだ。しかし、そっと耳を澄ませば聞こえてくる不穏な話が、俺を堪らなく不安にさせる。

「魔獣の数は千、万に届くらしいぞ」

「これまでの防衛戦で白燐騎士団はだいぶ疲弊してるらしいな」

「おいおい、大丈夫なのか?」

「ラブレは魔獣を使ってるって?」

「防衛線の東側じゃ、壊滅した村もあると聞くが……」

 会場には、懇親会の始まりからずっと、そんなひそひそ話が流れていた。

 そこにあるのは真実も憶測も関係ない。様々な情報が様々に形を変えて、口から口へと広がって行く。それを止めることは難しい。そんな憶測を口にせずにはいられないような不穏な空気が、ここしばらくずっと街を包み込んでいるのだから。

 それは、どこか祭の前夜にも似た、密かな興奮がぐっと押し隠されている雰囲気にも似ている……。

「ぐわっはははっ、では、また銀器の流通価格を上げなくてはな!」

「ええ、小売りは是非手前どもにお任せを!」

 会場に野卑な笑い声が響いた。

 俺は不快感に眉をひそめ、そちらを睨んだ。

「カナデさま」

 そんな俺を制するように、マレーアさんが声をかけてくれた。

「わかっています」

 俺はしばらく目を瞑り、そっと頷いた。

 今日懇親会で話した人たちの中でも、戦争を嘆くもの、現状に憤るもの、商売の好機と興奮するもの、みんながそれぞれに戦いの予感に色めき立っていた。

 形のない不安が、ずっと俺の後をついて来る。

 嫌な予感……。

「カナデさま、今宵もお綺麗ですな」

「お上手ですね、ベイル翁。先日はお世話になりました」

 話し掛けて来た老人に、沈む気持ちを鼓舞して笑顔を向ける。

 気分が良くなくても、お父さまの名代として恥ずかしい真似はできない。

 俺は背筋を伸ばして前を向いた。



 王統府から使者が来た。

 ラブレ領征伐の勅命と、南方軍の主力としてリムウェア侯爵軍も作戦に加わるようにという命が下されているはずた。

 俺には、もちろんそんな内容は教えてもらえない。直接戦闘に関わるような話からは、未だ遠ざけられていたから。

 俺が王使の内容を知っているのは、シリスからの手紙のおかげだった。

 シリスの手紙によると、王都防衛大隊を含む王直騎士団主力が北から、王直騎士団と諸侯の連合部軍が西から、そしてリムウェア侯爵軍と近隣諸侯軍が南から、一斉に男爵領に侵攻する作戦が進められているらしい。名目は魔獣討伐と魔獣の温床と化したラブレ男爵領の制圧。ラブレ領からの魔獣被害が止まらない今、ここに来て王統府が動き出したのだ。

 査察隊の派遣が頓挫した後、ラブレ男爵には王都への召喚命令も出されたと聞くが、その使者すらも男爵の元にたどり着けなかったらしい。男爵側とは王統府すらコンタクトが取れていない状況のようだった。

 本当に男爵は、王国を相手に戦いを挑むのだろうか。

 しかし、それにしては魔獣の侵攻は広範囲すぎるし、目的をもった動きの様には思えない。

 男爵領から魔獣が溢れだして来ている。

 そんな表現がしっくりくる動きだった。

 それでも、現に被害は拡大している。もはや武力で魔獣を、男爵領を平定するしかない。それが、王都の決断のようだった。

 開戦は年明けか、この雪が溶け次第か。

 そう遠くはない、とシリスは書いていた。

 その後に続く赤面するような文言はさらりと流す。

 うんうんと首を振る。髪がパタパタ舞う。

 そうそう何度もやつの術中にはまったりはしない。

 行政府の執務室でシリスの手紙を読み終えた俺は、それを丁寧に畳んで机の奥にしまった。そこには同じような便箋が山になっていた。

 いつの間にか、シリスからの手紙、結構たまってしまった。

 紙とペンを取り、俺は返事を書き始める。

 拝啓シリスさま……と。

 インベルストでの不穏な空気。誰もが戦争を噂していること。そして、もし戦いになったとしても、シリスは無理しないように、と。

 便箋を丁寧に折り、封筒にいれると、俺は立ち上がって執務室を出た。

 手紙の発送は、当初はリリアンナさんにお願いしていた。しかし、シリスに手紙を書く度に微笑ましそうに温かい目で見られるのが気恥ずかしくて、今では自分で発送担当官のところに持ち込むようになっていた。

 カーディガンを揺らし、トントンと階段を駆け下りる。

 俺やお父さまの執務室から2階下、行政府庶務部の事務室の引き戸を開く。

 大部屋の事務室内は、書類がぎっしりと乗った机が連なり、その間を忙しそうに職員たちが行き来していた。人の熱気と暖房の熱がぶわっと押し寄せてくる。窓は白く曇っている。紙とインクの匂いが漂ってきた。どこか学校の職員室みたいだった。

 俺を見つけた事務官たちが頭を下げる。

 俺はそれに手を振り応える。

 立場が上、というのは窮屈だ。俺が通りかかると、みんな手を止めて、立ち上がり一礼する。何だかみんなの仕事を邪魔しているようで申し訳なくなってしまう。

 なので、書類を抱えた職員とぶつかりそうになりながら、狭い通路を譲り合いながら、俺は目立たないようにいそいそと机の間を縫って目的の席に向かった。

「レム、手紙をお願いします」

 栗色のくせっ毛がふわっと広がった女性事務官のレムが、書類から顔を上げて俺を見る。

「ああ、カナデさま。お疲れさまです」

 そう言って柔らかに微笑む。

 ここ最近めっきり親しくなったレムに、侯爵家の家紋入り封筒を差し出した。

「あら、カナデさま。また王都の方にお手紙ですか」

 送達簿に宛先を書きながらレムがにやりと笑った。

「随分熱心に文通されてますね」

「え、違っ、文通違います!」

 思わず顔が赤くなる。

「これは、違うんです。シリス宛のは、ただの仕事の連絡で……」

 何とかごまかそうと、意味もなくばたばたと手を振ってしまう。

「はい、今日もシリスさま宛てっと」

 レムがにこりと笑って送達簿を閉じた。

 うう……。

 こうなるのが恥ずかしくて、リリアンナさんを避けたのに、これでは同じだ。

「はははっ、レム。カナデさまをあんまり苛めて差し上げるな」

 年配の事務官が、横の机から顔を出した。

「カナデさま、コーヒーでもいかがですか?」

「えっと、はい、いただきます」

 せっかくの申し出を断るのも申し訳ない。

 俺は机の隙間を縫うように置かれた小さな応接室セットに腰掛けた。



 目の前に運ばれて来た真っ黒な液体のカップを覗き込む。

 香ばしい湯気が、ふわっと鼻をくすぐった。

 熱そうなので、俺はカーディガンの袖口を伸ばし両手を添えてカップを手に取ると、ふーふーとコーヒーに息を吹きかける。

 口をつける。暴力的なまでに熱い液体の苦味が、軽やかに口一杯に広がった。

 ……美味し。

 ふうっと満足の吐息を吐く。

 カップを置いて顔を上げると、色んなところからこちらを窺っていた事務官たちが、一斉に顔を戻した。

 ……何だ?

「はははっ、お菓子もどうぞ」

 コーヒーを出してくれた事務官が、クッキーを差し出してくれる。

 おお!

「今度の戦、カナデさまも出陣なさるのですか?」

 俺はクッキーを取り上げながら、その問いかけにそっと眉をひそめた。

 そして首を振る。

「そうですか。その方が良い」

 年配の事務官が、乾いた笑いを浮かべた。

 ……多分お父さまが、許してはくれないだろう。

「カナデさまは魔獣と戦われたご経験がおありでしょう。やはり魔獣とは、恐ろしい相手なのでしょうね……」

 事務官は顔を曇らせた。

 恐ろしい相手……。

 確かにその通りだ。

「……怖い相手です。油断は出来ないです」

 俺は虚空を睨みつける。

 あの爛々と光る赤い目。夜闇より暗い体躯。辺りを満たす腐臭。思い返すだけで、生理的な恐怖と嫌悪が沸き起こる。思わず手に持ったクッキーに力を加えてしまった。割れた粉がパラパラと机の上に落ちた。

 そして。

 同時に、どうしようもなく自分を嫌悪もする。

 お父さまが許してくれない。

 そんな言葉で、もう魔獣とは戦わなくていいんだと思ってしまった自分に。

 これでは、これでは、ただの卑怯者ではないのか?

「ジェスタさんの息子さん、多分今度の戦争には徴兵されるんですよ」

 困り眉のレムが仕事の手を止めて教えてくれた。

 徴兵。

 その言葉の不穏な響きが胸を打つ。

 剣を手に取ることを自ら選択した者は、良い。しかし、何かを守るために剣を持たざるを得ない、そんな状況に胸が詰まる。

 そうして、市民たちにも動員を掛けなければならない戦いが起きる。

 そんな事態を防げなかったことが、あるいは俺たち政治に関わる者の失策なんだろう。そう思うと、ただ申し訳なさだけが胸に澱む。

「息子が無事に帰る事を祈るばかりです」

 父親の顔で、事務官ジェスタは気丈にも笑う。

 しかし俺は、笑う事が出来なかった。

「でも、今回は侯爵さまも出陣される大軍なんでしょ?きっと大丈夫ですよ!」

 レムが、ジェスタを元気づけるように頷きかけた。

 俺は、はっと彼女の顔を見た。

「レム、今のは……」

「はい?」

「お父さまが……お父さまも出陣なさるんですか?」

 俺は茫然とレムの顔を見詰めた。

「はい、騎士団の陣容の通達は出ていましたけど、お嬢さま、見てらっしゃらないんですか?」

 見ていない!

 俺にはそんな連絡、回って来ていない!

 騎士団の指揮は、てっきりガレスが執るものだと思っていた。しかし、騎士団総動員と聞いた時に、その主たるお父さまが先頭に立つ事なんて、容易に想像出来た筈だ。

 でも、お父さまが戦場に立つなんて、年齢的にも体調的にも無理があるのでは……?いや、しかし主が先頭に立たなければ……。

 色んな考えが頭を巡る。

 俺は勢い良く立ち上がった。

「ご馳走さまでした」

 俺はジェスタとレムに一礼し、足早に事務室を出た。

 もし、お父さまが戦場に立つとしたら、やはり俺だけがじっと待っているなんて出来ない!

 カーディガンの袖口をぎゅっと握り締め、お父さまの執務室に駆け込もうと階段を駆け上がりる。

 先ほど、一瞬でも俺は戦場に立たなくてもいいんだと思ってしまった後ろめたさ。

 息子の徴兵に笑って見せるジェスタ。

 魔獣の使役の危険性を王統府に訴えたにもかかわらず、こんな状況になってしまった事。

 やるせなさで胸が苦しい。

 しかし、俺は途中でふと足を止めた。

 踊場の窓から、夕方色の光の柱が延びている。

 そうだ。

 そうして飛び出してしまえば、確かに俺の気は治まるかもしれない。

 しかし、それではこの前のロバイの町と同じ結果になるのではないか。またお父さまに、色んな人に心配をかける結果に……。

 それでは、お父さまに何を話しても、この話題を持ち出した途端にこの間のように門前払いされてしまうだけだろう。

 まず俺の立場で出来ること。

 それをしっかり見極める。

 そのためには……。

 俺は踵を返して、階段を駆け下りる。

 久しぶりの更新となりました。

 雰囲気は徐々に暗めになってしまいますが、お付き合いいただければ幸いです。


 読んでいただきまして、ありがとうございました。

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