Act:58
今日分の銀気の治癒術を施して貰った後、俺は唯に髪を梳いて貰っていた。
唯のブラッシングは丁寧で気持ち良い。治療の後は、これがここ最近の日課になっていた。
いつもだったら途中で居眠りしてしまうほど心地いいのだが、今日は気分が重く沈み込んでいた。素直に唯の櫛捌きに身を任せられなかった。
ベッドの上で膝を抱えた俺は、その手にぎゅっと力を込めて考え込む。
お父さま……。
俺を心配してくれているのはわかる。それは、本当にありがたいと思う。
でも、みんなが命を賭して戦っているのに、俺だけ何もしないなんて出来ない。
そんなのは嫌だ……!
「カナデちゃん、どうしたの?今日はご機嫌斜め?」
唯が俺の顔をのぞき込んでくる。
昔から俺の事を弟扱いすることが多かった唯だが、こちらの世界で再会してからは、さらに子供扱いされているような気がしていた。
「何々?お姉ちゃんが聞くよ?」
俺は、色んな事がぐるぐるとない交ぜになった気持ちを吐き出すように、お父さまに言われてしまったことを話していた。
唯が櫛を置いて眉をひそめる。
「それは、カナデちゃんが悪いわ」
「やっぱりそうかな…」
俺はため息をついて、ますます膝の間に顔を埋めた。
「ああ、そんなに泣きそうな顔しないで……」
唯が優しく俺の頭を撫でてくれる。
……ほら、やっぱり子供扱いだ。
「カナデちゃんは、私が呼ばれた時、結構酷い状態だったんだよ」
俺はそっと顔を上げて、唯を見た。
「意識のないカナデちゃんを見た時の侯爵さまの取り乱しようったら、こちらが胸が痛くなるほどだったわ。侯爵さまの方が病気なんじゃないかと思うくらいやつれられて……」
……お父さま、ごめんなさい。
俺は唇を噛み締める。
「あんなに心配させたんだから、もう駄目だって叱られるのは当然じゃない?」
やっぱりそうだよな。俺が不甲斐ないせいでみんなに心配や迷惑をかけた。お父さまにも。
だからこそ、これからはもっと頑張って行こうと思ったんだ。
「私も、演劇部の打ち合わせで夜遅くなっちゃった時は、お父さんに凄く怒られたわ」
「唯はその時どうしたんだ?」
唯はふふんっと悪戯っぽく微笑んだ。
「心配かけないように頑張ったわ」
何の捻りもないストレートな答えに、俺は呆気に取られる。
「心配もかけたくない。でも部活も頑張りたい。だったら、そうするしかないでしょ?その代わり、色んなしわ寄せが自分に返ってくるけど。あの時はキツかったなぁ」
「……それで?」
「うん、後は、また心配なく任せてもらえるまで頑張るしかない!」
演劇部らしく芝居がかった動作でガッツポーズをとった唯が明るく笑う。
何だ、それ。
つられて俺もふふっと笑ってしまう。
心配かけずに頑張る、か。
そうだよな。
頑張る方法は、剣を手に取って戦うばかりじゃない。
唯が櫛を取り、また髪を梳き始める。
その心地良さに身を任せながら、俺は考える。
翌日から、無理はしないことという条件で、お父さまの政務の補助に出る事が認められた。
何をどう頑張ったらいいのか。
答えはすぐそこにありそうなのに、具体的なイメージが掴めない。
しかし、とにかく今は、目の前の仕事を一所懸命にこなすことが大事だと思う。
身だしなみを整えた俺は、心の中で拳を握る。
よし!
下はシンプルな紺のプリーツスカート。上はスカーフタイに、同じく濃紺のジャケットを羽織る。仕事に出るということでフォーマルな格好なわけだが、髪を結って鏡の前に立てば、新入学生にしか見えなかった。職場とか会議、という感じではない。ホームルームとか部活という言葉がしっくりくる。
白のコートを持ってついて来てくれるリリアンナさんと一緒に、俺は食堂に向かった。
「ああ、おはよう、カナデ。体は大丈夫か?」
お父さまがにこやかに挨拶してくれた。
昨日の出来事など全く意に介していないようだった。
そんな事はあるはずがないとわかっていても、もし冷たくされたらどうしようと内心びくびくしていた俺は、ほっと胸をなで下ろした。
朝食の間、お父さまはにこやかに話をしてくれる。
インベルスト外壁補修工事の工期がまた伸びそうだと言うような仕事の話から、行政府の警備についていた若手の騎士が、この積雪で足を滑らせて怪我をしたという笑い話まで、お父さまは上機嫌そうだった。
俺は思わず、口元を押さえ、ふふふっと笑ってしまう。
冬の朝の光が薄く差し込む食堂は、ここだけ切り取って見ると、魔獣襲来など物語の中の出来事であるかのようだった。ただ、穏やかで優しい空気が部屋を満たしている。
食事を終えると、コートを羽織り、お父さまと一緒に行政府まで歩いた。
一歩外に出ると、頬をつんっと突く真冬の冷気に包まれる。
人が歩き固めた上から、昨晩も雪が降ったのか、ふわふわの雪が降り積もっていた。
一歩踏み出すと、ギュムっと雪を踏む感覚が面白い。
俺が向こう側の世界で住んでいた町は雪が降る事は珍しかった。なので、この一面雪化粧の光景が珍しい。
年甲斐もなく、少しわくわくしてしまう。
辺りを満たす雪の匂いを感じ、キョロキョロしながら歩いていると、ずるっと足が滑ってしまった。
「あわっ!」
悲鳴を上げて前を歩くお父さまの背に突っ込んだ。
「カナデ、気をつけなさい」
俺がぶつかってもびくともしない広い背中。お父さまは腕を差し出し、俺を受け止めてくれる。その腕に掴まって、ふらふらと俺は体勢を立て直す。
お父さまが優しく微笑む。
俺も照れ笑いを返した。
このお父さまに心配をかける事は、やっぱりいけないことだな、と思った。
屋敷の中でお父さまと過ごしている間は、魔獣襲来の話題に触れることは全くなくなった。しかし行政府で政務に携わっていると、否が応なく状況が予断を許さないものである事がわかった。
俺のところに来る決裁書類も、主力部隊が街を離れた間の警備隊の編成や備蓄食料の緊急放出など、非常時を意識させるものが多かった。
さらに、騎士団が動くということは、莫大な費用がかかる。
装備の調達、整備。部隊の兵站、傷付いた者への医療費、倒れた者の家族への弔意金……。
毎日俺の前を通過していく書類のその数字の羅列が、俺に今この時にも騎士団が動いていることを感じさせる。
この冬空のもと、北の領境では今も騎士団が戦っているのだ。
彼らを思い、彼らのために力を尽くしたい。それが、とりあえず今俺に出来るせめてもの事だと思った。
まず気になったのが、食料の問題だった。
俺は執務机の上に両肘を突き、顔を乗せるてむうっと唸る。
今手元にあるのは、前線の部隊に供給する食料の買付表だった。
現在の騎士団への食料供給は、備蓄からの放出が3割、民間からの買付が7割となっている。その7割の財政負担が重いものになっていた。
このままでは早晩備蓄からの放出を増やすか、買付る食料のグレードを落とさなくてはならない。書類上は、既に今だって大して良い品を買っている分けではないのだが……。
しかし、備蓄放出は市井の人々の分も含めた緊急時への備えを切り崩す事になる。
できればそれは、これ以上は避けたい。
あとは、買付分をもっと安く買う、とか……。
俺は腕組みしながら椅子の上で足をブラブラさせ、うんうんと唸る。そこに、ノックの後、リリアンナさんが入って来た。
「カナデさま、決裁書類をお持ちいたしました」
……また追加だ。
リリアンナさんはいつものメイド服ではなく、パリッとしたスーツ姿だった。髪型も少し違って、キャリアウーマンといった感じだ。
その髪には、俺がプレゼントした銀の猫の髪飾りが輝いていた。
付けてくれてるんだと思うと、何だ少し嬉しくて微笑んでしまう。
リリアンナさんは、病み上がりの俺が無茶しないよう監視致しますと、行政府まで付いて来てくれたのだ。
「リリアンナさん、聞いても良いですか?」
俺は上目でリリアンナさんを見上げる。
「何でしょうか?」
「その品物を安く買いたい時って、リリアンナさんはどうするんですか?」
「値切りの交渉を致します」
即答で言い切るリリアンナさん。キラリと光る眼鏡が少し怖い。
リリアンナさんは書類を机の上に揃えると、すっかり冷めてしまったカップのお茶を取り替えてくれる。
窓が白く曇った温かい執務室の中に、香ばしい湯気がたゆたう。
値切りか……。
俺は再び資料に目を落とした。目を伏せて、考える。
侯爵家が食料を買い付けている業者は、小口が複数。しかし値段はほぼ横並び。これは、小口業者が皆インベルスト商業ギルドの仲介を受けているため、独自な価格設定ができないからだ。
なら、商業ギルドを交えない業者と契約を……。しかしそれだと商業ギルドと軋轢を産む可能性が……。やはり、ギリアムや主席に相談してみようかな。
「カナデさま、あまり根を詰められませんよう……」
リリアンナさんのその言葉に生返事を返しながら、俺はティーカップを手に取った。
……熱っ。
コートの裾を翻して馬車を降りると、乾いた冷たい空気に首筋がきゅっとなる。
俺は護衛のシュバルツとベルドを伴い、インベルスト旧市街と新市街のちょうど間辺り、最近区画整理事業が終わったばかりの新しい建物が建ち並ぶ一画を訪れていた。
瀟洒なデザインの建物、凝った作りの街灯が建ち並ぶ街並みは、お洒落な街の風格を醸し出す。しかし、冬枯れの街路樹と重苦しい灰色の雲のせいで、少し寒々しく見えてしまうのは、しょうがないことかもしれない。
コート姿の人たちが忙しなく行き来する歩道を横切り、三階建ての建物に入る。
受付の女性に名乗ると、彼女ははっと身を強ばらせた。俺たちは彼女に、高級そうだが嫌みではない飴色の家具が並ぶ応接室に通された。
コートを脱ぐと、ベルドが素早くそれを引き受けてくれた。
「ありがと」
仁王像のように立ち尽くすシュバルツには、そういう気遣いがない。豪放磊落なところは好きなんだが……。
「ん、なんだ、お嬢さま」
「……何でもありません」
しばらくして、仕立ての良いフロック姿の男がやってきた。にこやかな笑顔を浮かべるその顔は、まるで狐のようだ。
「お久しぶりです」
俺は一礼し挨拶する。
狐顔の男は、不思議そうな顔をした後、得心したという風に笑った。
「なるほど。王都で兄上と会われましたな!」
男は、タニープロック商会インベルスト支店の支店長を名乗った。
王都への道中に助けた幌馬車が縁で知り合ったタニープロック商会は、この支店長の兄(?)である王都支店長の言葉の通りインベルストにも進出して来ていた。
「で、ご用件は何でしょうか?」
対面のソファーに腰掛けた支店長が、細い目をさらに細める。
俺は緊張の汗が浮かぶ手をそっと握り締めた。
主席執政官やギリアムに相談はした。しかし、これから投げかける俺の施策が、認めてもらえるだろうか。
そう思うと、ばくばく脈打つ胸の鼓動を押し隠す。
「今日はお願いがあって参りました」
「どうぞ!結構でございます!当商会はあなた様に恩がある。その恩を蔑ろにすることはございません」
支店長は大仰な身振りで声を張った。
俺は、そんな彼の雰囲気に飲まれないようにお腹に力を入れる。
「侯爵家の食料買付の見積にご参加いただけませんか?」
「ほう!それは当商会とご契約いただける、ということですかな!」
「いいえ」
俺は首を振った。
「私が求めているのは、商業ギルドを介さない独自の価格なのです。独自の商用ルートを持つあなた方なら、それを提示することが可能だと……」
「ほほう!当商会に当て馬になれとおっしゃる!」
さすが歴戦の商人だ。俺の意図することなど一瞬でお見通しだ。
俺は務めて無表情を保ちながら、泰然と頷いた。
「端的に申し上げればそうです」
商業ギルドのライバルを作り、価格競争を発生させて値段を引き下げる。タニープロック商会の見積書と商業ギルドの見積書をぶつけ、安値を提示した方と契約するのだ。
これなら仮に商会と契約する事になっても、商業ギルドには単純に低価格の方と契約しましたと言い訳が立つ。商業ギルドが値下げしてくれば、もちろんそれでいい。この場合は、商会が単なる当て馬、というわけだった。
店長が片目を見開い俺を見る。
俺は膝の上で揃えた手をぎゅっと握った。
「そのお話、手前どものメリットはございますか?」
「上手く運べば、侯爵家と契約を交わす事ができます」
「上手くいかない場合は?」
「私との貸し借りのお話は、これでおしまいにさせられます」
支店長は一瞬黙り込む。
俺はその顔をじっと見る。もはや睨んでいると言ってもいい。
すると、支店長はにやにやと笑い出した。
「なるほど、なるほど!ええ、承知致しました。侯爵家とのご縁を深められるのは、手前どもに取っても願ってもない機会でございます」
支店長がぱんっと手を叩いた。
「カナデお嬢さま。仕様書をお送り下さい!すぐに見積をお出し致しましょう!」
支店長が立ち上がり、芝居がかった動きで一礼した。
俺も立ち上がり、ベルドに合図する。
「支店長殿、仕様書は持参しております」
ベルドが封筒に入った書類を差し出した。
支店長はその封筒を受け取って呆気にとられたように目を丸くした後、一転、弾けたように大爆笑していた。
「カナデお嬢さま!素晴らしい!商の真理の一つは速さ!失礼ながら、ただの貴族令嬢かと見くびっておりました!ご容赦を!」
支店長が笑顔で手を差し出して来た。何とか上手く事が運んだ安堵感から満面の微笑みを浮かべた俺は、その手を握り返した。
帰り際、コートに袖を通し、扉を開いた俺を支店長が呼び止めた。
「有意義な時間を過ごさせていただきましたお礼に、ご注進を一つ」
支店長が人差し指を立てる。
俺はきょとんとその狐顔を見返した。
「大変可愛らしい笑顔でらしたが、あのような無邪気なお顔をなさるのは、商談相手の前から去られた後がよろしい。緊張していました、と告白するようなものですからな」
ああ……。
俺は一瞬で耳の先まで真っ赤になり、俯いてしまう。
うう……失敗だ。
それを見て、支店長が楽しそうに喉を鳴らした。
「カナデさま。王統府では、近々ラブレ男爵征伐の勅命が発せられるそうではありませんか」
俺ははっとして顔を上げた。
征伐…?
魔獣討伐ではなく?
「大きな戦になります。リムウェア侯爵家さまも、何かご入り用の際は、是非当商会に……」
支店長が恭しく頭を下げた。
商会の建物から外に出ると、突き刺すように冷たい風が吹き抜けて行った。
大きな戦……。
戦乱が始まるのか。
早期に魔獣討伐が成ると喜ぶべきか。
人が沢山亡くなると嘆くべきか。
どちらにせよ、不穏なものを感じずにはいられなかった。
俺はコートの前を合わせて、冬空を見上げる。
重く立ち込めた雲が、まるでその仄暗い行先を暗示しているかのようだった。
少し長めとなりましたが、読んでいただけて幸いです。
ありがとうございました!




