Act:54
俺は腰のポシェットから地図を取り出すと、周囲の地形と見比べながら、眉をひそめた。
…ここはここであっちが北だから、この道で良いはず。
間違いない、と頷いて地図をしまう。
進むべき道の先には、深い山々が迫っていた。この山を越えた向こう側がリムウェア領のはずだ。
空は相変わらずどんよりと重く曇り、足から這い上がってくるような冷気に、体の芯が震える。
俺は両腕を胸の下で抱いて、小高い丘の上から背後の村に視線を移した。陰鬱なその風景のように、俺の心も晴れない。
気分が重い理由はいくつかあるが、最も大きいのは村から漂ってくる死の気配にある。
あの魔獣が溢れるロバイの町からは、優人のおかげで脱出する事が出来た。しかし、魔獣の群れに遭遇しない方向へと逃れて行った結果、どうやら俺たちは馬車隊とは大きく離れた場所に出てしまったようだった。
そんな荒野のただ中から、どうにかリムウェア領に戻るべく、近くのこの村に到達した俺たちだったが、そこに広がっていたのはロバイと変わらない惨状だった。
動くものは俺と優人しかいないゴーストタウン。
村中に倒れ伏し、動かない人たちの姿が俺の心を圧迫する。
かつては笑い、泣き、怒って、そして微笑みあっていた人間だったもの。
この世界に来てから、人の亡骸を目にする事は幾度かあったが、やはり慣れるものではない。
慣れてはいけないのだ、そんなこと。絶対に…。
俺はきつく唇を噛み締め、もう動かない彼らに黙祷を送る。
この惨状を引き起こしたのは、恐らく魔獣群だ。
残された足跡、荒らされた建物、そして大気に残る微かな腐臭が、魔獣の存在を物語っていた。
村が魔獣に飲み込まれてから、まだそう時間は経っていないだろう。
亡くなった村人たちを、きちんと葬ってあげたい。
しかし、俺達には時間がない。今は一刻も早く俺と優人の生存をベルモント砦に知らせなければ。
もし俺たちの救出隊が組まれ、再度ロバイへの突撃ともなれば、犠牲者が出かねない。
それはなんとか防ぎたかった。
丘を下ると、やはり腕組みした優人が俺を待っていた。
「帰り道、分かったか?」
「あっちだ。行こう」
俺は小さな教会を指差し、歩き出す。そして、歩きながらそっと地面を見た。
ここに、気が重くなる理由のもう一つ。
地面に残された魔獣の足跡が、俺たちが進む先、リムウェア領境への道筋に重なっているという事だ。
動くもののない村を突っ切り、俺たちは山道に入る。
「他の町もこうだった」
優人が背後の村を一瞥する。
「男爵領に入ってからか?」
「そうだ」
木々が葉を落とし、灰色の空が覗けるようになった森の中、頬に冷たい欠片が落ちてくる。
見上げると、白い綿のような固まりが、ちらほらと空から舞い降りてくる。
やけに冷えると思ったら、とうとう雪が降って来た。
俺は手のひらを差し出して大きな雪の結晶を受け止める。
…冷たい。
俺は優人を見る。
「査察隊に何があったんだ?」
「街道で、突然出くわしたんだよ、魔獣の群に」
優人が難しい顔をした。
「雑魚ばかりだったけど、数が多かった。俺たちも戦ったが、押し切られて…」
優人たちはなんとか逃げ延び、近くの村に逃げ込む。そこにも再び魔獣が現れ、村を襲撃した。優人らパーティーと査察隊の王直騎士たちは、この時点で男爵領の査察を断念。領外への脱出を試みためにリムウェア側へ撤退を始めた。
しかし最初の村の生き残りをつれてロバイに到達した時には、既にロバイも魔獣に飲み込まれている最中だった。
優人たちは傷を負った騎士や町の人達を守り教会に立てこもったが、そこから身動きが出来なくなったという訳だった。
俺は眉をひそめて下を見る。
大勢の人たちが犠牲になっている。
しかし、魔獣の動きが広範すぎる。
査察隊を狙って襲撃して来たという訳でなく、査察隊が偶然魔獣群に出会ってしまったという感じだ。現に先ほど通過した村なんか、査察隊とは全く関係ない小さな村だ。それも魔獣に襲われている。
自領の人たちまで巻き込んで、ラブレ男爵は何を考えているんだ?
白い息を吐きながら、俺たちは黙々と峠道に入って行く。
わぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!
高速で通り過ぎていく木立と冬山の景色。
俺は強く唇を噛み締め、心の中で絶叫する。
顔面に当たる冷気が痛い。
背中でマントが激しくはためいていた。
俺をおんぶした優人が高速で山道を駆け上がる。
ひょいひょいと身軽に障害物をかわし、軽快に駆け抜ける優人だったが、その背にへばり付く俺はもう戦々恐々だった。
ロバイからの脱出のような非常時ならいざ知らず、優人におんぶして欲しいと赤面しながらお願いしてしまったのは、一刻も早く山を超え侯爵領に戻るためだ。普通に歩いて山を登るのと、優人におぶってもらって登るのでは、スピードが全く違う。
名より実を取る。
苦渋の決断だった。
勾配が厳しくなり、道がつづら折りになり始めると、優人は「ショートカットするぞ」と呟き、現在位置から見上げて、折れ曲がり、再び上方を通っている道までの斜面を駆け登り始めた。
なななななぁぁぁ!
原生林の中に突入しために、俺の顔面に迫る枯れ枝は激増する。
しかも、踏み固められた街道と違い、枯れ葉が堆積した柔らかな斜面は、優人の猛烈な踏切に耐えられない。
案の定、優人の足がずるりと滑った。
俺は転倒の衝撃を予感して歯を食いしばった。
しかし、優人は体勢を崩し、俺を背負ったままでさらに斜面を蹴ると、大きく跳躍する。
最近味わったばかりの浮遊感。
山の斜面が遠く遠ざかり、目の前に白灰色の冬山が連なる風景が広がる。
一瞬、山々の向こう、侯爵領側に一筋の煙の筋が見えたような…。
そして始まる自由落下。
見る見るうちに山肌が迫る。
「木が、枝が、わぷっ!」
ガサゴソと枯れ枝を突っ切って街道に着地した優人が走り出す。
結局、峠道を登りきった時には、俺は幾分ぐったりとしてしまっていた。
「…優人、少し休憩しよう」
俺は優人の頭をポンポン叩く。
優人が足を止めたそこは、道が少し広くなった休憩には打ってつけの場所だった。俺は優人の背を降り、道脇に立つ朽ちかけた立て札を見上げた。
男爵領・侯爵領境界。
この先はリムウェア領だ…。
やっと戻って来たのだ。
あとはこの道を下っていくだけだ。
「…優人、ちょっと休憩するか。疲れただろ?」
「いや、別にいいぞ」
息を乱すどころか汗もかいていない優人があっけらかんと答えた。
馬代わりにして走らせている優人には悪いが、ずっとおんぶされているというのも体のあちこちが痛い。それに疲れた、精神的に。
俺は手頃な岩に、コートの裾を折り、足を揃えて腰掛ける。俯いて、そっと息を整える。
早く騎士団にコンタクトを取らないと。
今頃シュバルツやフェルドは俺のこと、心配しているだろうか。ガレスは…。さすがにまだお父さまには伝わってないだろうけど、きっと馬鹿な事をしてと怒られるだろう。
シリスにはまたじゃじゃ馬とか言われてしまうだろうか…。
ふぅ…。
髪を掻き上げる。
無茶したのは俺だし、そこは自業自得だ。
優人にも迷惑かけたし…。
目線を上げると、こちらを見ていた優人と目が合った。
優人はすっと目線を外した。
「カナデ、お前最近めっきり…」
「何?」
俺は首を傾げる。
「いや、何でもないです…」
…よく分からないが。
優人はすたすたと道の先、恐らく崖なのだろう、風景が開けているところまで歩いていく。
俺は立ち上がり、うーんっと伸びをした。
「カナデ!」
突然、優人が緊迫した声を上げた。
俺はそちらに走り寄り、そして息を呑んだ。
谷合の向こうに見える村から、黒煙が上がっていた。
あれは…リムウェア侯爵領の村だ!
「優人!村へ!」
「ああ!」
俺は再び優人の背に乗る。だんだんと自分が猿回しの猿のような気がしてきた。
今度はただおぶさるのではなく、優人が後ろ手に差し出した手の上に立つ。そして優人の肩に、鎧の縁に手をかけて固定する。
「大丈夫か?」
「軽いから全然問題ない」
俺の問い掛けに半分だけ振り返って優人が笑った。
「行くぞ」
優人が身構える。
「…うん!」
返事すると同時に、崖の上から優人が跳躍した。
吹き付ける風、広がる風景に近付く空。遥か下方には深い谷。
目が回りそうだ!
やっぱり恐い!立ち乗り(?)だからなお恐い!
悲鳴が漏れそうになるが、歯を食いしばって我慢する。
そして周囲を見回す。
全身の毛が逆立つように落下し、目の前に次の尾根が迫った。
どさっと着地した優人は、そのまま斜面を駆け上がり、次の跳躍ポイントを探す。
優人の背中から周囲を警戒していた俺は、谷を挟んで対面の次の尾根に黒い塊がうずくまっているのに気がついた。
山谷の間に少女の悲鳴のような金切り声が響き始める。
なんだか嫌な予感が…。
耳をつんざくような甲高い音が高まっていく。
向こうの尾根の黒い塊がのそりと身を起こした。
遠目に見た感じでは、異様に足の短いサイに見える。そしてその目が、赤い目が、ぎろりと開いた。
「魔獣だ!」
その短足サイがぐわりと口を開いた。信じられない事に体の半分程が裂けて開く。その口が、俺たちを追尾するように動く。
音がさらに高まり…。
「優人、回避!前へ跳べ!」
俺が叫び、優人が跳躍した。
瞬間、金切り音が一気に爆裂する。そして、魔獣の巨大な口から、黒い竜巻のような奔流が放たれた。
次の尾根に向けて跳躍した優人の下を、その咆哮波が通過し、今まで俺たちがいた斜面に炸裂した。
灌木が弾け、斜面が吹き飛ぶ。
なんなんだ、あれは!
遠距離攻撃能力のある魔獣か!
優人が落下に入り、尾根に着地する。木々に隠れて、短足サイ魔獣は見えなくなった。
しかし優人の背から後方を振り返った俺は、自分の予感が的中したことに眉をひそめ、唇を噛み締める。
背後の谷から、わらわらと魔獣の大群が斜面を登って来る。無数の赤い目がちらちらと揺れる。
まるで暗い谷底から生まれ出てくるようなおぞましい光景だった。
こいつらだ…。
ラブレ領の村を蹂躙した後、山を越えて侯爵領に迫っている魔獣群。
まずい、このままでは…。
「どうする!」
斜面を駆け上がりながら、優人が尋ねて来る。
「今はとにかく村へ!」
俺の声に優人が頷く。
広い山の中に2人だけでは、あの魔獣の大群を押し止める事はできない。とにかく早く村にたどり着き、住民の避難を!
煙が立ち昇っていることからして、既に襲われているかもしれないが…。
どこからか高まる金切り音。
まずい、またあの短足サイに狙われている!
優人が斜面を駆け上がる。そして跳躍姿勢に入った。
金切り音は最高潮になり、再び黒い竜巻が放たれた。
木々をなぎ倒し、横合いから咆哮波が迫り来る。
跳躍。
足下を咆哮波が破壊と共に通過していく。
くそ…!
「あれは何なんだ!」
叫ぶ優人。
そんな事、こっちが知りたい!
葉を落とした木々の間を抜け、優人は一枚岩の巨岩の上に着地する。そこは、黒煙が上がる村をちょうど見下ろせる崖の上だった。
その村は、外周を木柵で囲み、その内に家々が連なる典型的な村落だった。今は、その木柵は所々踏み倒され、燃えている建物も見える。
山肌の岩から飛び降りた優人が村の入り口にたんっと着地した。俺はその背から降り、村の中心に向かって走り出す。
村の中には、しかし緊迫したような空気はなかった。村人達が瓦礫の片付けや燃えている家屋の消火を始めている。これではまるで、全てが終わった後だ。
村人たちが不審げな様子で突然現れた俺を窺うが、とりあえず今は無視しだ。
村の中央の井戸付近では、槍を携えた兵たちが楽しそうに談笑していた。やはり、緊迫感はない。
俺はつかつかと彼らに歩み寄る。
「お疲れ様です。カナデ・リムウェアです。あなた方はどちらの隊ですか?」
兵たちは不審そうに俺を見た。
「お嬢ちゃん、そんな立派な鎧来てどうしたんだい?恐い魔獣なら、おじさんたちがやっつけてやったぞ」
年配の兵が俺に笑いかける。
そこに若い兵が耳打ちした。
「班長、カナデさまといや、侯爵様のご令嬢ですけど…」
「バカやろう。お嬢さまがこんな前線にいらっしゃる訳ないだろ」
「はぁ、しかし…あの雪のような髪の色は、噂では…」
年配の兵が笑顔で俺に向き直り、ポーチからあめ玉を取り出した。
「さぁ、飴をあげよう」
好意はありがたいが…。
時間がない。
魔獣群がそこまで迫っている。
「騎士クラスはいないんですか!」
俺の言葉に兵たちが顔を見合わせた。
「何事か」
そこに、近くの家から白燐騎士団の鎧をまとった騎士が出て来た。
「ラッセルさま。この娘が騎士に会いたいと…」
兵を押しのけて俺は前に出る。
「カナデ・リムウェアです。村に魔獣群が迫っています。至急退避の準備を!」
口ひげをはやした壮年の騎士は、訝しげに俺を見つめた。そして、その顔がみるみるうちに蒼白になり、驚愕の色に染まる。
「カ、カナデさま!どうして…」
驚きに目を剥く騎士に、俺は首を振った。
「事情は後です。直ぐに隊の集結を。魔獣が来ます」
「しかし…」
気を取り直すように咳払いした騎士ラッセルが姿勢を正す。
「お言葉ですがカナデさま。魔獣どもは先程ラッセル隊が殲滅致しました」
俺は騎士ラッセルを睨み上げる。
それは恐らく魔獣の先鋒に過ぎない。
「これから魔獣群の本体が来ます。早く村人たちを…」
そこまで口にしたところで、微かに甲高い金切り音が聞こえ始めた。
まずい!
音が高まる。
そして、山の斜面からほとばしった黒い竜巻が、村の隣の林を薙払った。
爆音が響き渡る。
山の中を自由に走れ回れたら気持ちいいと思います。
歩いて登るだけでも精一杯なんですけど…。
ご一読ありがとうございました。
よろしければ、またお付き合いください。




