Act:50
白い生地に俺の瞳と同じ緑色が入ったコートを羽織る。上半身はややタイトで、裾は足首に達するほど長い。肌触りはさらさらしている。リリアンナさんの説明によると、北部の遺跡などで産出するレアな高耐久性繊維で編まれた高級品だそうだ。この薄いコートだけで、チェインメイル並みの防御力があるらしい。
お父さまが俺のために特注しておいてくれた品だった。
…ありがとう、お父さま。
その上から鎧をつける。
体力や筋力が十分鍛えられていない俺には、騎士達のような全身鎧は重すぎて無理だ。
リリアンナさんやメイドさん達に手伝ってもらい、控えめな装飾彫刻が入った白銀のブレスプレートをつける。続いて、同系デザインのガントレット、グリーヴだけを装着していく。
それぞれをパチパチと留め金とベルトで固定すると、最後に黒のマントを巻き付けた。
兜は被らない。髪はいつものように黒いリボンできゅっと結わえる。
よし…。
俺はガレスから貰った片刃の長剣を剣帯に差した。
「カナデさま。それでは、ご無事のお帰りを心よりお待ちしております」
リリアンナさん以下、着替えを手伝ってくれた5人のメイドさんたちが横一列に並んで俺に頭を下げてくれた。
俺はみんなにそっと頷く。
「行って参ります」
そして、マントとコートの裾を翻して部屋を出た。
玄関ホールには、屋敷の使用人達が集まっていた。
「カナデさま!」
「お嬢さま」
「カナデお嬢さま!」
口々に俺を心配してくれるみんなに、俺はそっと頷くだけだ。
今、きちんとみんなの顔を見てしまえば、きっと足が竦む。決意が鈍る。緊張と恐れで歩き出せなくなるかもしれない、きっと。
だから俺は、前だけを見て歩く。
外に出ると、お父さまとカリスト、王都からの査察官たちが集まっていた。
そしてシュバルツ以下18人の騎士と騎馬がずらりと整列していた。
俺は微かに心が震える。
この寒さだけのせいではない。この戦場を思わせる物々しい雰囲気に。それは武者震いなどではなく、暴力と理不尽が支配する場への恐れだ。
時刻はまだ日の出前。
1日の中で最も暗く寒い時間帯だ。
星は見えない。
皆が吐く息が白く見える。
寒さで肌の表面がピリピリ痛い。
お父さまが俺を真っ直ぐ見て頷いてくれる。
査察官たちが俺に頭を下げた。
「カナデお嬢さま。どうか我らの同胞をよろしくお願い致します」
「カナデさま…」
査察官の後ろで、レティシアが微かに呟いた。
俺はシュバルツたち騎士に向き直った。これから、俺と共に死地に赴かなくてはいかない者たちだ。
俺は冷え切った冷たい空気を大きく吸い込む。
「皆、状況は既に聞いての通りです。我々はこれからラブレ男爵領に突入、王統府査察隊の救助に参ります。男爵領は恐らくは敵地。しかし我々の目標はあくまでも査察隊の救出のみです。無駄な戦闘は避けて下さい。しかし立ちはだかるものは速やかにこれを排除して下さい。各員の勇戦を期待しています。それでは…」
俺は一拍置いて騎士達を見回した。
そして静かに告げる。
「白燐騎士団出撃します。全騎騎乗!」
「騎乗!」
シュバルツの大声が響く。
俺も目の前に引いて来られたスピラに跨った。
「カナデ、無事を祈る」
「はい、お父さま」
微かに瞳を揺らめかせて馬上の俺を見上げるお父さまに、俺は精一杯の微笑みを返した。
「出ます!」
そして馬首を巡らせて、スピラの腹を蹴るって走り出す。
「お嬢さまに続け!遅れんなよ、てめーら!」
地鳴りのような足首を響かせて、騎士団が俺に続く。
庭園を、城塞を通過し、ゆっくり開く城門の間をすり抜けて、まだ眠りに沈む暗い街に飛び出して行く。コートが、マントがはためく。風が当たる鼻の頭と耳の先がキンキンに冷えて、だんだんと痛くなってきた。
俺たちは一路、ベルモント砦を目指す。
黎明。
東の山の稜線が白く輝き始める。世界に光が満ちていく。今日という1日が始まる瞬間だ。
光の恵みは、命の輝きだ。
まるで今この場で生まれ出たかのように、草や木々が色を取り戻して行く。
普段なら、まだベッドの中で布団にくるまっている時間帯だ。しかし今、俺は騎士たちに囲まれながら街道を一気に北上していた。
美しい朝の景色を眺めている隙は俺たちにはない。
優人…。
みんな…。
無事でいてくれ…。
昨夜、査察隊の連絡途絶の報告を受けてから、ずっともやもやしたものが胸の奥から消えなかった。
報告を受けた俺は、あの時、パジャマ姿のまま慌ててお父さまの書斎に向かっていた。
書斎には、既にガウンを羽織ったお父さま、アレクス、平服姿のカリスト、それに眼鏡の査察官が1人、重苦しく沈黙していた。
俺は羽織ったカーディガンの裾を揺らしてお父さまに駆け寄った。
「状況はいかがですか?」
渋い顔で腕組みをしていたお父さまが俺を一瞥する。
その視線は冷たく恐ろしかった。
「我々は、日程の消化状況を逐次王統府に報告しているのです。しかし、ラブレ領査察隊が男爵領に入った後の行方が確認出来ていなかったのです」
査察官が教えてくれる。
「そんな状況で、査察隊を護衛していた騎士が1人、男爵領外の街に逃れて来た様なのです。その報告によると、襲撃は3日前。魔獣の強襲を受けたと…。カナデさま…」
査察官の後を受け継いで カリストが説明してくれた。
…魔獣、強襲。
みんな…!
この世界の長距離通信の方法は早馬やウェルバードという伝書鳩が主だ。それを考えると、この情報は最速で回って来たと言えるだろう。
それだけ王統府も今回の事態を危険視しているということだ。
「…それで、王統府は私たちにどう動けと?」
俺はお父さまを窺う。
「緊急伝には事実報告のみだった。王統府の動きもまだわからぬ。ここは状況把握に…」
「私たちが動きましょう、お父さま」
俺はお父さまの言葉が終わる前に、そう口にしていた。
「ラブレ領から最も近いのは我々です。我々が査察隊の皆さんの救出に向かうべきです」
俺の言葉に、査察官は安堵するかのように口元を緩めた。カリストはぎょっとした表情になり、お父さまは鋭い眼光を湛える目をすっと細める。
「…我らに男爵領に侵攻せよと言うか、カナデ」
俺は首を振る。
「少数潜入による救出作戦を提案します」
ラブレ男爵に対する事実の問い合わせ、査察隊救出を名目にした正規軍による侵攻。
選択肢は色々あると思うが、どれも時間が掛かる。
「お父さま。私に騎馬隊を預けて下さい。私が…行きます」
俺は睨むようにお父さまを見ながら、そう言っていた。
「救出隊派遣はまだしも、カナデさま、あなたが行く必要は…!」
カリストの言葉に俺は首を振った。
俺は胸の内にシリスの言葉を思い出す。
ラブレ男爵が暗躍していても、その動きが王国という秩序体系の中に収まる範囲であれば、その動きに制限が出る。常識的に考えて、違法的な行動は取りにくいからだ。しかし査察隊に魔獣をけしかけたということは、もうそんな枠組みの中に納まるつもりはないということだ。
だから俺たちは、最悪の可能性に備えなければならない。
「なりふり構わなくなった男爵軍が侵攻して来るかもしれません。領境のガレスは動かせない。それに…」
俺は査察官とお父さまを見る。
「黒騎士の時のように、ここにも襲撃があるかもしれない。私たちには、お父さまと査察隊のみなさんと、それに南公のご令嬢もいらっしゃいます。インベルストの守りは固めるべきです。カリスト」
俺はカリストに微笑み掛けた。この状況で何故笑えたのか、俺には分からなかった。
「それに、今回は少数とはいえ、非正規な領境侵犯となります。仮に部隊がラブレ男爵側に捕らえられれば、救出できないかも知れない。しかし私がいれば、侯爵家の人間がいれば、ラブレ男爵も迂闊な事は出来ないはず…」
俺はとにかく思い付いた事を並べていく。
優人…みんな。
俺が…。
俺があんな提案したせいで。
俺には、みんなを助けなきゃならない義務がある。
ラブレ男爵領査察だって俺の提案なのだ。
俺が…!
「落ち着け、カナデ」
お父さまが低い声で言った。
俺ははっと言葉を飲み込んで、口を噛み締める。
…熱くなっていた。
焦っているのだ。
優人に夏奈…。
「お父さま」
俺は自分を落ち着かせるために、深呼吸した。
「査察隊には優人たち冒険者のパーティーも同行しています。優人たちがいた上でのこの状況。何かが起こっている可能性が高いです。私に行かせて下さい」
お父さまは口元を手で覆う。その眼光が鋭く俺を射抜く。
「ならぬ」
「お父さま!」
「ならぬ。お前をその様な危険にさらしたくはない。カリスト、救出隊の人選を行え」
「はっ!」
俺はお父さまの前に立つと、しわしわの手を取った。
「…お父さま。お気遣いありがとうございます。でも、私が行きます。これは、けじめなんです。私が私の名において成した事への」
俺はお父さまの顔を見上げる。
「私は、自分の責任から目を背ける人間にはなりたくない。侯爵家の名を戴く以上、責務を放棄することなどありえない。それが、カナデ・リムウェアという名を背負うという事。私はそう思っています」
お父さまの渋面がじっと俺を見つめる。
しかし不意に伸びた腕が、俺を引き寄せた。
気が付くと俺はお父さまに抱き締められていた。
見た目では分からないが肉のない痩せた胸板だ。
「無事に戻れ」
小さく響いた声に、俺はお父さまの胸中でも頷いた。
それから仮眠を取った俺は、シュバルツたちを率いて男爵領を目指していた。
隊列を組んで疾走する騎馬隊は、こんもりとした森の中に突入していく。
乳白色の朝靄がかかっていた。
未だ俺たちの前には、この朝靄の向こう側と同じ茫漠とした状況が待ち受けているはず。
昼下がり。
間もなくベルモント砦が見えてくる辺りで、前方から駆けてくる騎馬が見えた。
「全隊止まれ!」
シュバルツが号令し、俺たちは走り寄って来る騎馬を待ち構えた。
シュバルツが手で騎馬を制止する。俺は隊列から進み出て、シュバルツと並んだ。
その騎士は、ベルモント砦からインベルストに向かう緊急伝令だった。伝令は、俺の顔を見て驚いているようだ。
緊急伝の内容に、俺とシュバルツは顔を見合わせる。
俺たちはそのまま伝令をインベルストへと送り出すと、こちらも急いで砦に向かった。
王都から戻る旅でも立ち寄ったベルモント砦は、急峻な岩山を利用してその壁面に張り付くように作られた城塞だった。外観は半ば岩山に埋まった古城だが、岩山や地下を掘削して築いたスペースは広く、大部隊の収容が可能だった。
白燐騎士団の最大の拠点であり、侯爵領北の守りの要だ。
その城門をくぐった俺たちは、ここで小休止する。
部隊に待機を命じ、俺はシュバルツと連れ立って砦の指揮官であるガレスの執務室に向かった。
砦の中は、前回訪れた時とは打って変わり慌ただしく落ち着かない状況だった。
広場には隊列を組み武装した部隊が並び、軍馬や鎧などがあちこちで準備されていた。城壁の上では弓を携えた兵士が走り回り、固定式のバリスタのチェックまで始まっている。
岩山をくり抜い作られた司令部塔に入ると、書類を持った職員や騎士たちが慌ただしく行き来していた。
みんな俺の姿を見つけると、俺の軍装に少し驚いた顔をするが、直ぐに敬礼してくれる。
俺も手を上げてその中を通過して行く。
「なんだかな。まるで戦だな、こりゃ」
後ろから付いてきていたシュバルツがぼそりと呟く。
砦の中の様子は、俺にもそう思えた。
最上階の団長室にたどり着く。ノックをして中に入ると、鎧姿のガレスが部下に指示を出していた。
「お嬢!どうされました?それにその鎧は!」
ガレスは、突然入って来た俺に目を丸くして驚く。急いでいるため、先触れを出している隙はなかったのだ。
俺は査察隊を巡る状況と救出任務を伝える。
ガレスの秘書官の女騎士がお茶を出してくれた。
俺はそのティーカップを両手で持ってふーふーする。そしてちびちび口をつける。
ここまで馬で走り続けたために冷えてしまった体には、温かいお茶が沁み渡る。
ああ、…美味し。
「こちらでもラブレ領査察隊の騎士を保護したのですか?」
俺は途中出会った緊急伝の内容を確認した。
ガレスが頷き、説明してくれる。
今朝未明。
ラブレ領側から瀕死の騎士を乗せた騎馬がやって来るのを、巡回警備に出ていた砦の兵が見つけた。
保護してみると、騎士はラブレ領査察隊を護衛する王直騎士団員であることがわかった。
「その騎士の話によると、お嬢のお話にもありました通り、査察隊は魔獣に襲われ、ラブレ領内を逃げていたようですな」
ガレスは団長室の壁に掛けられた地図上を指し棒代わりに鞘に納まった剣で指し示す。
北部側から男爵領に入った査察隊は、男爵領領都ベリルを前にして魔獣の攻撃を受ける。そして魔獣を避けながら、もっとも近い男爵領外へのルートを目指す。それがリムウェア侯爵領であり、このベルモント砦なのだ。
「ここから2時間ほどの町ロバイまで査察隊は逃れて来たようですが、そこで完全に魔獣どもに囲まれてしまったようですな」
ガレスが無精髭の顎に手をやる。
「査察隊は、どうやら逃げ遅れた一般市民も保護しているようです。それで身動きが取れなくなっておるのでしょう」
くそ、ラブレ男爵め。
自領の領民もお構いなしか…!
俺は奥歯を強く噛み締め、カップを持つ手に力を入れる。
「現在ベルモント砦は臨戦態勢に移行中です。ロバイの魔獣が流れて来るかも知れませんからな」
俺は頷く。
やはり領境の守りを固めておかなければ。
しかし、査察隊の現在地が判明したのは幸いだった。男爵領内を探し回る手間が省けたと言うものだ。
その王直騎士が傷を負いながらも知らせてくれたおかげだ。
「ガレス、その保護した騎士はどちらに?」
出来れば、直接状況を聞いておきたかった。
怪我人や隊の人数。
それに優人たちのこと…。
「お嬢…。」
しかしガレスは声を落とした。
「もう息を引き取った。名誉の戦死だ」
俺はその言葉に茫漠とする。
死んだ…。
俺は片手で目を覆い隠し、ゆっくり息を吐く。そしてそのまま髪を掻き上げて耳にかけた。
「…ガレス、シュバルツ。救出作戦を詰めます。町の詳細な地図を」
「はっ!」
「了解です」
とうとう50話到達しました。
読んでいただいた皆様に感謝を。
今後もお付き合いいただけると幸いです。
ありがとうございました!




