Act:39
1人屋敷の部屋に落ち着くと、緊張の疲れがどっと押し寄せて来た。これからの事をいろいろ考えなければいけないのに、このままベッドに倒れ込んでゴロゴロしてしまいたい気分だった。
少しの間だけ書斎の執務机に突っ伏していた俺に、リリアンナさんが手紙の束を持って来た。いつの間にか溜まった色々な人達からの挨拶状だ。
銀の綺麗なペーパーナイフで開封しながら中身を確認していく。その中に、取り分け目立つ豪勢な蝋封が施された封筒があった。
署名にアクトゥルス・レアル・リングドワイスの文字。
国王陛下からだ。
俺は息を呑んで慎重に開封する。内容は、今宵王宮で催される夜会のご招待だった。
「リリアンナさん、これ…」
俺は恐る恐る手紙を差し出した。
リリアンナさんがくいっとメガネを押し上げた。
「いよいよお嬢さまの中央社交界デビューですね。いつもより念入りに準備して参りましょう」
どうしよう。やる気満々だ…。
青くなる俺に、別のメイドさんが来客を告げた。
俺は逃げる様に身支度を整えると、足早に応接室に向かった。
インベルストの屋敷よりは随分と小振りな応接室で俺を待っていたのは、小柄で痩せた紳士だった。仕立ての良さそうなフロックに帽子を小脇に抱え、俺に一礼する。
紳士は、タニープロック商会の王都支店長と名乗った。
記憶の糸を手繰る。
ああ、王都への道中で助けた幌馬車の…。
「その節は、手前どもの社員をお助け頂き、本当にありがとうございました」
支店長は深々と頭を下げてくれた。
俺は一見して狐みたいで胡散臭いなと思ってしまった自分を深く反省する。人は見かけで判断してはいけない。
「縁ない侯爵家の方々にお助け頂いただけでなく、社員の亡骸まで回収頂いて、手前どもも社員の家族たちも、本当に感謝しきれない思いで一杯なのです」
何度も頭を下げる支店長を、俺は慌てて制した。
インベルスト襲撃の後。亡くなった騎士や兵の体にすがりついて泣く家族の姿が今でも忘れられなかった。人が死んだ後の亡骸は、残された人にとっては特別なものなのだ。故人を悼む為にも、その死を受け入れる為にも。
「山賊に襲われる事は良くあるんですか?」
あまり感謝されても何だか気恥ずかしいので、俺はふと思いついた事を口にする。すると、支店長は困ったように首を傾げた。
「当商会はこの王都に進出して間もないのですが、その関係でライバル会社と少しもめ事が御座いまして…」
あの山賊は、つまりそのもめ事の一端という訳か。
支店長は咳払いをして話題を変えた。
「それはさておき。リムウェア侯爵家さまの治めるインベルストは、南部物流の要と聞き及びます。手前どもも南部に窺う際は、是非インベルストを活用させて頂きます」
「ええ、是非お願いします」
俺は微笑で肯いた。
新規業者の参入は、インベルストの経済活動にプラスになるような気がする。思わぬところで良い伝手を得たと思う。
帰ったら執政官たちに相談してみよう。
支店長は立ち上がって深々と一礼した。
「それではリムウェア侯爵家さま。手前どもでお役に立つ事があれば、なんなりとお申し付け下さい。受けた御恩は精一杯返させていただきます」
支店長は細い目をさらに細めた。
「手始めに手前どもの感謝の気持ちと致しまして、ご令嬢さまが当商会の主にお会い出来ますよう手配しておきました。今は何かと大変とお聞きしましたので」
「主さま、ですか?」
「当商会は、西公さまご出資による半民半官の会社でございます。西公さまへの繋ぎは、今最も御身が欲してらっしゃるものかと」
俺は体中に電気が走ったような衝撃を受ける。
俺はこれから議会対策のために、出来るだけ多くの大審院議員と会わなければならない。特に4公と会談しておくのは必須だ。そもそも会って貰えるかどうかも分からないが…。
そんな状況で、西公に会える機会を得られたのはまさに願ってもないことだった。
やはり祖父の言う通り、人助けは進んでするものだ…!
俺は興奮で胸が高鳴った。
しかし、この狐顔の支店長。既にこちらが置かれている状況を把握している。そして、こちらが最も欲しているものを、最も良いタイミングで提示して来た。ただ西公に取りなすというだけのカードを、俺たちに最も恩を売れるタイミングで切ってきたのだ。
これがやり手の商人か。いや、政治とはこういうことなのかも知れない。
色々勉強になることばかりだった。
支店長を見送り、俺はホッと息を吐いた。
リボンを解き、髪を広げる。
気がつくと、窓には水滴が付いていた。とうとう、曇天から霧のような雨が降り出した。
出だしとしては好調だと思う。この調子で、他の議員にも会って話をしなければ。
午後、数人の議員と会う事が出来た。直接会った感触では、俺に好意的な感じだったし、男爵の審問にも反対というわけでは無いようだった。
ただ、彼らが気にしているのはやはり4公、特に北公の動向だ。
しかし肝心の西公を除く3公家にはさすがにアポが取れなかった。
少し気落ちしながら屋敷に戻った俺を、メイド軍団さんたちを引き連れたリリアンナさんが待ちかまえていた。
もう夜会の準備をしなければいけない時間だった。
持参したドレスの中でも特に上等で豪奢なものを勧めて来るリリアンナさんを、俺は必死で押し止める。ドレスの代わりに、俺はお馴染みの騎士団の礼装であるテールコートを提案した。
今更スカートが嫌だ、というわけじゃない。
…まぁ、出来る限り人前でドレスを着るのは避けたいという本音はあるが…。
だがその本音以外にも一応建て前もあった。
今夜の夜会。俺はチャンスだと思っていた。
会うことができなかった3公爵。そして他の議員たち。その夜会の場を利用して出来る限り動き回り、彼らと話をしたい。そのためには、動きやすい服装がいいのだ。
男装の優位性を必死で主張する俺を、リリアンナさんは冷ややかな目で見る。
駄目か…。
笑顔のまま、しかし胸の内に湧き上がる無力感に苛まれる。
「でも、ほら、リリアンナさん。ドレスだらけの中にドレスで着飾って行っても、目立たないかも知れないです。男装なら、目立ちますよ!ほら、私って魔獣相手に立ち回ったって評判になってるし…この服の方が…」
自信の無さを表すように語尾がだんだんと小さくなってしまう…。
「目立つ…」
その時、リリアンナさんの眼鏡がきらりと光った気がした。
「目立つこと。顔を覚えてもらうことは良いことです、カナデさま」
リリアンナさんが真っ直ぐに俺を見る。
俺はその迫力に押されて、カクカクと頷く。
…説得成功?
窓ガラスに張り付く水滴は霧のように細かく小さい。窓際によると、底冷えする秋雨の冷気がしんっと体を冷やす。
窓の外に目を凝らすと、柔らかな照明がライトアップする庭園は、紗のような雨のヴェールに煙っていた。
微かな水の匂い。
こんな夜は、温かい布団にくるまって静かに本を読んでいたくなる。
しかし俺は、そんな平穏からは程遠い煌びやかで華やかな社交の場のただ中にいた。
王家主催の夜会は、会場も公爵家のパーティーとは桁が違った。公爵家の大ホールや庭園でのパーティーにしても俺にとっては目が飛び出る程の絢爛豪華さだった。
しかしこのリングドワイスの夜会は、王都の外れにある離宮まるまる全部が会場だった。ホールでのダンスパーティーはもちろん、一つの部屋に集まって話し込む人たち。遊技室でゲームに勤しむ人たち。美術館のような離宮内を見て回る人たち。離宮に集まった大勢の貴族や有力市民、騎士や司祭などが、広大な屋敷の中でそれぞれ思うままに過ごし、親交を深めていた。
晴れていれば、夜の庭園の散歩、なんて事もあったかもしれない。
俺はその盛大さと華やかさに当てられて、どこから飛び込んでいいのか分からない状態だった。
大ホールの隅で、両手で持ったグラスに口をつけながら、俺はそっと辺りを窺う。
国王陛下はすぐに見つかった。しかしおいそれと陛下に声をかける勇気はない。そして、肝心の4公の姿も見つからない。シリスも来ているはずなのに…。
いれば心強いのに。肝心な時に役立たずだ。
華やかに着飾った貴婦人達の一団が目に入る。色とりどりのドレスはどれも華やかで、綺麗だなぁと思わず見とれてしまいそうだった。
俺の視線に気がついた青のドレスの少女が恥ずかしそうに顔を伏せる。友人達と何事かひそひそ話した後、俺の方を見ながら黄色い声を上げて駆け去ってしまった。
やはりこの服装は場違いだっただろうか。
素直にリリアンナさんの言うことを聞いておいた方が良かったのだろうか…。
「はぁ…」
思わず溜め息を吐いてしまう。
「どうされましたか、お嬢さん?」
そこにまたもや声がかけられた。
長髪の軽薄そうな笑みを浮かべた男が、満面の笑みで俺を見ていた。
大審院議員を見つけて議会の話をしなければならないのに、先ほどから近付いてくるのはこの手の男ばかりだ。
仰々しい身振りで何かを話始めたその男の話を受け流し、俺はそっと廊下に出た。
着飾った紳士淑女達が談笑する中を歩き回って4公を探す。
リボンで結わえた髪とテールコートの裾がふわふわ揺れる。
その動きに周りの視線が集まって来る気がして、こんな貴族の世界にいる場違い感と相まって、何だかだんだんと恥ずかしくなって来た。
「まぁ、あの銀髪のお嬢さん。可愛らしい騎士さまね」
「ははは。凛々しくていいじゃないか」
そんな会話が聞こえてしまうと、俺は耳の先まで真っ赤になってしまった気がして、逃げるように人気の無い方に階段を上がった。
目立つことは良いことです。
リリアンナさんの言葉が蘇る。
確かに目立ってますよ、リリアンナさん…。
二階に上がると、どこからかピアノの調べが聞こえて来た。静かな、流れるような旋律だ。
俺は思わずその音色に誘われるように二階の奥まったその部屋に入った。
やはり豪華な内装に、壁一面に本棚が並ぶ。どこかお父さまの執務机を思わせる部屋だった。
その部屋の真ん中に、見知ったものと少し形の違うグランドピアノが置かれていて、赤いドレスの女性が流れるような指使いで静かな旋律を奏でていた。
そのピアノの脇に立つ人物を見つけて、俺ははっとする。
茶色の髪を綺麗に分け、髭のない肌は老齢とは思えない程艶やかな褐色。無駄な肉のないスラリとした体系は、まだ壮年と言っても差し支えなさそうだ。
今朝議事堂で会ったばかりの顔。
南公フェミリアン公爵だ。
チャンスだ!
俺は南公に話かけようとして、しかしピアノの前で立ち止まった。
透き通るピアノの調べの高まりに耳を傾ける南公。
ピアノと奏者と南公だけの空間を、異音で汚してはいけない気がした。
それほどに澄んだ音。切ないメロディーライン。
俺は焦る気持ちを抑えて、そっと目をつむり、ピアノの調べに耳を澄ませる。透き通る音楽が、逸った気持ちを平らかにしてくれるようだった。
緩やかにフェードアウトしていく響。
そして、南公だけの拍手が、室内に響く。
俺もそこにそっと拍手を重ねた。
こんな素敵な音楽の世界を作り上げる事が出来る奏者に、素直に賛辞を送る。赤いドレスにストロベリーブロンドの髪をアップにまとめたピアノ奏者は、はにかんだように笑って一礼した。
俺は思わずドキリとしてしまう。
…凄い美人だ。
「リムウェア嬢。もういいよ。どうぞ」
ぽやんとピアノの彼女に見とれる俺に、柔らかな笑みを浮かべた南公が声をかけてくれた。
俺は慌て意識を戻して、気持ちを奮い立たせた。
「フェミリアン公爵さま。カナデ・リムウェアと申します」
「はははっ、知ってるよ」
「少々お時間を頂けないでしょうか。お話させて頂きたい事があります」
俺は真っ直ぐにフェミリアン公爵を見つめた。
その俺の視線を受け止めるように、南公は柔らかに笑う。
「いいよ。君は彼女のピアノ演奏を邪魔しなかった。僕はそういう人間は嫌いじゃない」
「ありがとうございます」
俺は髪を揺らして勢いよい頭を下げた。
「話は例の男爵の審問の件だね」
俺は力を込めて頷いた。
「大審院じゃ北公に大分虐められてたじゃないか」
南公がふっと笑った。俺は困ったように苦笑を返すしかない。
「北公さまにも、魔獣使役の件、事態の解明について、是非ご協力いただきたいのですが…」
「しかし君は西公派につくんだろ?だったら北公との対立は避けられないね」
俺は南公の言葉に目が点になった。
はっ…?
西公派…?
対立…?
「聞いたよ。その騎士の姿で勇ましく、西公配下の会社を助けてあげたそうじゃないか」
タニープロック商会。あの狐目の支店長の会社。確かに西公出資と聞いた。
「君が助けたあの会社。何と言ったかな…。彼らは北公が直営する商会と対立しているのさ。その間に入って、リムウェア侯爵家は西公側に肩入れするんだろ?」
南公はくくくと楽しそうに笑った。
何だ…この状況は…。
人助けが西公との縁を作ってくれたと喜んでいたのに…。
同時にそれが北公側に敵対するというスタンスを示してしまうということになるのか…?
俺は驚きに目を見開いたままわなわな震える。
ど、どうしよう…。
ピアノが弾ける人は凄いと思います。
尊敬します。
読んでいただいてありがとうございました。
誤字等々ございましたら、よろしく指摘をお願い致します。




